2-6 仕事と恐れと
事務的な内容でありながら、ネスルの穏やかな声は、まるで就寝前の子どもに寝物語を聞かせるかのようだ。そんな彼の口調とは正反対に、ミシュアルはやっと目が覚めたような心地になった。
(そうだ、何を今更。あの愛育の師と戦った時、覚悟は決めたはずじゃないか。フッサムの皆に、優しくされた恩に報いる為じゃないのか? 変に難しく考えるな!)
握りしめすぎた拳が、いよいよ服越しの腕に赤い爪痕をつける。ミシュアルは己に叱咤をしつつも、改めてヴァーサ・オーリのメンバーを見渡した。その瞳には、迷いや不安の代わりに、激しい怒りの炎が渦巻いている。
「……そいつらは、どこにいるんですか」
「ん?」
「どこに向かったとか、活動拠点がどことか、そういう情報は無いですか?」
先程までとは違う、芯の通った言葉に、バシャルは片眉を動かした。今までのような、何かに脅えているかのような弱々しい態度はどこへやら。バシャルの目に映るミシュアルの姿は、まさしく『兵士』と呼ぶに相応しいものであった。
「大雑把にではありますが、この辺り一帯ならば道案内はできます。外に出る際は、どうか連れて行ってください」
「え……本当に大丈夫?」
「平気です。それに、フッサムで殺された住民達の仇は、俺自身の手で取りたいんです」
力強く宣言したミシュアルの目に、迷いはない。思わず息を飲んだサーラブが、ひゅうと口笛を吹いた。ヒルバーも愉快そうに微笑み、鷹揚に頷いた。だが、その中に一人だけ、鼻を鳴らした者がいた――バシャルである。
「いい度胸だ……と褒めてやりたいところではある。だがな、お前、自分が何を言っているか、本当に分かってんのか? さっきまで、ビビッて身動ぎすらも覚束なかっただろうが。バレてないとでも思ってたのか?」
「それはっ……!」
「何を考えて闘志を燃やしたのかは知らねえが、やぶれかぶれに突っ込まれても迷惑だ。お前、本当に覚悟は決まってんだろうな?」
バシャルの圧に、ミシュアルは言葉を詰まらせた。彼が言いたいことは、ミシュアル自身が一番良く分かっている。仇討ちなんて言葉を、人生で一度も使ったことの無いような少年が、いきなり攻撃的な様相を見せたのだから。
それに、いくら戦う意思を固めたからといって、身体の震えが完全に止まったわけではない。何せ彼はたった数日で、数多の敵からの攻撃を受けて、命の危険を感じたばかりなのだ。そんな彼が、暴力を生業とする組織に突撃するなど、自殺志願者と思われても仕方がない。だが、それでもミシュアルは、バシャルから目を逸らさない。
「怖いですよ、そりゃあ。でも、このまま待ってるだけ、と言うのは嫌です。申し訳なさで、体がじゃなくて心が死にます。それに、俺の魔術の壁だったら、皆さんを銃弾から守れます。防御手段は多い方がいいんじゃないですか? 俺はフッサムの皆と、ここにいる皆さんと明日を生きるために、戦いたいんです」
バシャルは無言でミシュアルを見やる。表情こそ、何ら変化を見せていないが、その目の中に微かな苛立ちを感じるのは気の所為ではない。圧し殺したように鋭い視線に、ミシュアルは一瞬狼狽えた。
やがて彼の頭にやって来たのは、ずしりと重たいバシャルの手と、強い言葉であった。
「お前の言い分は分かった、ミシュアル・ラティーフ。望み通り連れて行ってやるよ」
「……ありがとうございます」
バシャルの言葉に、思わず体が強張る。どんな難癖をつけられるものかと身構えていたが、まさかここまであっさり肯定されるとは思わなかったのだ。生唾を飲みこんだ音と、心臓の鼓動だけが、ミシュアルの鼓膜を揺さぶる。
「ただし――常に自分の立ち位置を意識しろ」
「は?」
「この身共が、緋色の比翼を壊滅させるまでは、絶対に死ぬんじゃねぇ。どんな手段を使っても生き延びることを優先しろ。いいな」
「はい!!」
ミシュアルの返事を聞き届けると、バシャルはゆっくりと頷いた。思わず目を見開くミシュアルだったが……すぐさま、緩く首を振った。感傷に浸っていられるほど、精神的な余裕は無い。
「さて、奴らの壊滅作戦だが……その前に、気になることがある。お前ら、フッサムの拠点支部とその周辺を偵察して来い」
「それはまた、何故です?」
「奴らの拠点制圧後の動きが、どうもおかしいんだよ。なぜ奴らは、拠点支部を無人のまま放置している? 慢心とは考えにくい」
バシャルの言葉に、一同は静かに首肯した。
せっかく奪い取った敵の拠点を無人のままにしておく行動自体は、前例がない訳ではない。罠や兵器を仕込んで、無人でも機能する防衛装置を付けることもある。こうすれば、奪還に来た組員相手に、奇襲を仕掛けて優位に立つことができる。
他に理由があるとすれば、こちらの動向と内情の把握だ。奪還に来た組員をわざと放置すれば、その内にフッサムを管理している組員や幹部が来るだろう。彼らを使えば、より効率的に、ヴァーサ・オーリの情報を引き出せる。彼らから本拠点の場所を聞き出せれば、縄張り全土が、彼らの手に落ちるだろう。
相手の意図が見えてこない、不気味な現状に、ミシュアルが両肘を掴んだ時だった。
「そこでだ。ここにいる全員、一週間後にヤラナン地区に潜入しろ」
「えっ!?」
突然告げられた命令に、ミシュアルは目を見開いた。潜入部隊に選ばれるなど、微塵も思っていなかったのだ。困惑するミシュアルの心情を代弁するかのように、ヒルバーが口を挟む。
「お待ちくださいませ。彼はヴァーサ・オーリに加入したばかりです。一週間後だなんて、そんな早くから任せるのは早計では?」
「いいや連れていく。こいつの実力なら、大した怪我はしねえだろう」
「今の彼の怪我は、どうなさるおつもりで」
「魔術薬を使わせる。これくらい時間がありゃ、充分効くだろ」
「使うのですか? 彼に?」
バシャルの言葉に、ヒルバーは言葉を詰まらせた。
魔術薬と言えば、この裏社会では相当な貴重品だ。難解な製造過程を経て自作するか、トゥラーゾ教の無い国から密輸するしかないこともあって、値段は天井知らずに跳ね上がっている。
自作すれば費用は抑えられるが、魔術薬を完成させるだけの技量を、今のヴァーサ・オーリは有していなかった。苦労して密輸した貴重品を使うなど……と渋るヒルバーの気持ちは、幹部達ならば分かっていたのである。
それに、ヒルバーはミシュアルを危険地帯に送り込むことに、抵抗の姿勢を見せていた。渋い表情を浮かべたまま、彼はバシャルから視線を逸らす。
だからといって、ここでミシュアルの任務参入を認めないのは、組織の判断としては誤りだろう。
戦いにミシュアルを出すというのであれば、彼の能力がどれ程のものであるか、実際に動きを見て判断しなければならない。そのためには、彼の力を発揮できる場面を与えなければならないことも。絶好調の時よりも、不調の時に動くことの方が多いこの世界に、どれだけ食いついてこれるかを測る好機は今なのだ。
本戦ともいえる緋色の比翼壊滅作戦の前に、ミシュアルを実戦で鍛える。その意図を込めて、バシャルは命令を下した。
「戦闘となった場合は、お前とライカを主力に据える。ネスルは新入りの補佐だ。戦闘はお前らは二人で何とでもなる」
「委細承知いたしました」
「という訳だ。お前の仕事は、主にフッサムへの道案内。それと、拠点支部周辺の調査の補助。戦闘になったら幹部の援護に回れ。他にも仕事は山程あるが、今はその程度でいい」
「はい、頑張ります!」
ミシュアルの意気込みを聞いたバシャルは、満足げに微笑む。その表情を見たミシュアルは、内心でほっと胸を撫で下ろした。




