2-5 緋色の比翼
不意に、トン、と目の前にグラスが置かれて、ミシュアルは思わず目を瞬かせる。ネスルの短すぎる自己紹介で驚いている間に、サーラブが戻ってきたのだ。冷やされたミントティーが静かに並べられる中、シエノは彼に向けて、勢いよく人差し指を突き出した。
「はいっ、じゃあ最後! サーラブ!」
「はぁ!? 何がだい!?」
「自己紹介よ、自己紹介!」
「ああ、そういやぁやってたっけな。全員終わったのかい? 全く」
やれやれ、と肩をすくめたサーラブは、渋々といった様子で頭を搔く。その視線がチラリとこちらに向いたのを感じ取り、ミシュアルは慌てて居住まいを正した。
「あっしはサーラブ。所属部隊……ってのは、実はねえんだな、これが」
「所属がない?」
驚いたような声を発するミシュアルだったが、心のどこかで妙に納得していた。
ミシュアルから見ても、サーラブはバシャルの傍にいる事が多いように思える。朝方のフッサムでの立ち振る舞いと言い、サーラブはバシャルの周りで、彼の行動のサポートに徹していた。さながら専属秘書のような立ち回りは、どの部隊していないと言うのなら、納得できるというもの。
「ま、あっしは他の連中と同じく、親方……バシャルの旦那に仕える、一介の部下だと思ってくれりゃあいい」
「了解です。ありがとうございます」
「だからよう、もし困り事があって、親方がおっかねえっつうなら、あっしに相談してくんな。事と次第によっちゃあ、手を貸してやらんこともねぇぜ」
ニッカリと笑むサーラブに、ミシュアルもまた微笑む。彼の印象は、話してみればそう悪いものではない。バシャルに助けられたおかげで、こうして話せる相手が増えていると思うと、少しばかり心強かった。
(これは良い事、だよな?)
今のところは、この出会いを前向きに捉えることにしよう。そう決めたミシュアルはミントティーに口をつけるバシャルに、そっと目配せをした。
「終わったか、なら本題に入る。今日、フッサムの拠点支部を襲った奴らの事だ。ネスル、話してくれ」
こくんと頷いた拍子に、ガチャッとヘッドホンが音を立てた。あんないかついものを着けておいて、よくこちらの声が届くものだ……と感心する間もなく、少年が話し出す。
「今回の事件、やったのは『緋色の比翼』で、間違いない」
(緋色の……何だって?)
一度で覚えられそうにない名前が出てきた、とミシュアルは早速ゲンナリした。いくら記憶力が高い方とはいえ、こうも矢継ぎ早に固有名詞が出てくると、流石にゲンナリするのだ。
混同でもしたら殺されそう……と頭の片隅で考えているのを、バシャルはどうやら「緋色の比翼について知らないから惚けている」と捉えたらしい。ミシュアルが聞くよりも早く、バシャルが補足を入れた。
「『緋色の比翼』ってのは、武闘派……所謂、暴力沙汰を生業にしている闇組織だ。仕事も大半が殺人や要人暗殺の請負、戦闘員の派遣だな。今は何かと抗争が多いからか、この大陸の弱小や中堅組織とは、そこそこ広い繋がりがある」
「ねえ。聞いた話なんだけど、構成員の大半が元傭兵や殺し屋って……マジなの?」
「マジらしいぜ、シエノちゃん。お陰で正面から喧嘩もできねえ、かと言って、周りの組織を頼って裏工作ってのもダメだ。誰が奴らと繋がってるか分かりゃしねえ。こりゃあ中々めんどくせえのが敵に回ったってもんだ!」
肩を竦めるサーラブだが、彼の表情には確かな自信が満ちている。面倒でも、必ず相手を負かすことができる。そう言いたげに、口の端が微かに上がっていた。
当然だが、サーラブの密やかな自信に、ミシュアルが気付くはずも無い。不安気に足を組みかえてばかりの彼は、やっとの事でバシャルに顔を向けた。ここで更にあれこれ聞けば、自分のせいで話が進まなくなるに違いない。無理やりわかった振りで、緩く頷いたミシュアルは、大人しく話の続きを聞くことにする。
「こいつらは本来、隣国グログフの組織だったんだが、最近このモントリアに移ってきたらしい。最近は、他の組織の縄張りを暴力で削り取って、勝手に本拠点まで移して来やがった」
「ほんっと、舐め腐られたもんでさぁ。あいつらにとっちゃ、モントリアの中小組織の存在なんざ、屁でもねえんだろ。だから何でもかんでも、お得意の暴力で解決しようとしやがる。正直、あんな奴らを『誇り高き者』と認めたくはねえな」
そんな悪名高い組織なのか、とミシュアルは視線をさ迷わせた。午前中の自分の無鉄砲さに震え、無意識に腕を摩る。
(あんな奴らを相手取って、よく拠点支部から皆を連れて脱出できたな、俺!)
どうやら過去の自分は、殺人を専門とする恐ろしい相手の攻撃を、魔術任せに正面突破してしまったらしい。そればかりか、銃弾の嵐を突破するのに成功しているのだ。あれはただ運が良かったからなのだと、ミシュアルは即座に理解した。
「だが、いくら急成長を遂げたとしても、所詮は新興。取引先は多いが、規模としてはまだまだ小さい。だから、自分達の力の誇示と縄張り拡張の為に、あちこちへ攻撃を仕掛けてるんだろうよ」
「そうなんですか。そんな奴らが……」
サーラブの言葉に、ミシュアルは腕を強く握り込んだ。固く握りこまれた指先には、仄かな熱が宿る。
――今話題に上がっているのは、これからお世話になる仲間の敵。そして何より、優しくしてくれたフッサムの住民達の住居を破壊し尽くした仇だ。そうもなれば、怖いと引き腰になってはいられない。
バシャルはミシュアルの反応など気にもせず、更に続ける。
「それで拠点支部にちょっかいをかけてきた、ってなら、納得はできる。こいつらとは同じ裏社会の新参同士、何かと因縁があってな」
「と、言いますと」
「今、この身共ヴァーサ・オーリと、緋色の比翼の縄張りは隣接しているんだ」
なるほど、とミシュアルは相槌を打つ。確かにそれならば、自分達を狙っているというのも合点がいく。隣接した別組織は、彼らからすれば邪魔でしかないだろうから、排除に走るのは当然と言えよう。それにしても、なんて物騒なご近所トラブルなのだろうか、とミシュアルは思いこそすれ、それを口にするのは流石に止めた。
「じゃあ、今回襲撃してきたのはその連中で、縄張りを拡大するのに俺達が邪魔だった、って考えていいんですね」
「まとめると、そういう事になるな。地道だが、支部とはいえ活動拠点を潰していけば、その分こちらの勢力を削げる。そのお陰で、こっちには大義名分ができたわけだ」
「大義名分?」
どういう事ですか? と尋ねようとしたところで、割って入ったのは女の声。フェミニンなスカートを履いた脚を組み直しながら、シエノは小悪魔的に笑っていた。
「あいつらがフッサム拠点支部を攻撃したことで、私達と緋色の比翼が争う理由ができた、って事だよ。だって、先に仕掛けてきたのはあっちなんだよ? 反撃されても、その結果壊滅させちゃっても、仕方の無いことでしょ? そうだよねー、バシャル?」
「そうだ。この身共の仲間に手を出したんだ。報いは受けてもらわねえとな」
バシャルは口元だけを歪めて、形だけの笑顔を作る。そこにあるのは、怒りでも憎しみでもない。ただただ破壊の愉悦に浸りきった、凶悪極まりない敵対心だ。ミシュアルは思わず、バシャルから視線を逸らす。
「それで、緋色の比翼の足取りについてだけど。フッサムの支部拠点を襲撃した後は、そのまま撤退したみたい。連中は、もうフッサムにはいない」
「今はどこに?」
「きっと本拠点のある所……そこはまだ、調査中。でも近いうちに、あいつらは……また来るよ」
ミシュアルが顔を曇らせている中でも、ネスルの言葉は止まらない。
「縄張りの拡張を狙うなら、僕達は邪魔。緋色の比翼としては、早く潰したいだろうね。拠点支部の皆も、僕達も、ヴァーサ・オーリに関わる何もかもを」




