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罪果てのアルカ  作者: ミケイラ
序 最悪な誕生日
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0-2 世界とは

 そも、なぜミシュアルにこんな悲劇が起きたのか。

 理由を知るには、この世界がいかに非情かを、一から説明する必要があるだろう。


 この世界は二種類の人間によって、何かと排他的な社会が出来上がっていた。当然、ここで言う種類とは、肌の色や性別、出身地による分類ではない。

 

 ――人間の『属性』である。

 

 属性の内の一種類目が、世界の人口のほとんどを占める、繁殖力の高い『ヒト』。この世で最初に発生した人間である彼らは、その繁殖力と環境を変化させる頭脳をもって、瞬く間に世界各地に分布した。その地独自の文明を築き上げた彼らは、正に霊長と呼ぶにふさわしい。


 二種類目は、その真人間から低確率で生まれる、変異個体の『ナムゥ』。ナムゥ達は魔術(シーガ)と呼ばれる非科学的な術を使う、生まれながらの魔術師だ。生後三歳の誕生日から十八歳の誕生日までの間に、魔術の素養に目覚める。その証として、眼球から迸る魔力の残滓の光――火花のような光が、ナムゥの目を煌々と照らすのだ。そんな彼らの魔術と瞳を、ヒトは恐れた。


 一種類でも何かといがみ合うのが人間という生き物だ。二種類もいれば、仲違いは必至。ヒトとナムゥの入り乱れる世界の歴史は、ナムゥへの迫害とヒトへの報復を、単調に繰り返すだけの殺伐としたものとなる。特に三十年前に起こった世界規模のナムゥの反乱は、両者の溝を決定的なものにした。

 そんな歴史の中、ある宗教が生まれる。ナムゥ差別を正当化するために生み出された、宗教という名の観念形態(イデオロギー)……それこそが、トゥラーゾ教であった。愚かしいことに、ヒトはナムゥを嫌悪するがあまり、神という名の絶対的な後ろ盾を作り出したのである。


『ナムゥは、その身に有り余る欲望を持ち、悪魔の力を得た強欲な者。彼らは力を誇示して、ヒトに悪魔の力を求めさせようとしているのだ。ヒトよ、汝らは足るを知れ。器用に賢く生きられる、ヒトこそが正しいあり方なのだから、更なる力は不要だと知るがいい』


 これこそが、ナムゥへの憎悪を増長させた、トゥラーゾ教の絶対なる教義だ。自分こそが正しいという考えが根底にあるこの宗教は、他の教義を一切認めず、信者は無邪気にナムゥを迫害して回った。

 この宗教は国を越えて広まり、国は都合のいい悪者として、ナムゥを秩序の生贄にし始める。

 いつしかナムゥ迫害は世界規模の流れとなり、『悪魔の力』である魔術を使うナムゥを、ヒトは徹底的に排除した。それは同じ魔術を使う動物、幻想種にも向けられる。ヒトに牙を剥くものは全て狩り尽くされ、ナムゥ共々世界各地から追いやられていった。


 そして、次にヒトが始めたのは、彼らの子ども達の監視である。幻想種は絶滅させれば終わる話だが、ヒトから生まれるナムゥは、そうはいかない。もしかしたら、自分の子どもが悪魔の誘惑に負けるかもしれない。そういう恐れから、ヒトは子ども達の監視を強め、より熱心にトゥラーゾ教を信仰するようになった。


 子どもの瞳が暗闇の中でもはっきり分かる程光っていたのなら、生まれた命に未来はない。身柄を教会に送られ、聖罰と呼ばれる公開処刑に似た罰を、聖職者から受けるのである。

 中には知人の拷問を見たくない親戚等によって、教えに反すると知りながらも、街から追放されることもあった。信仰心がそこまで篤くない地域であれば、コミュニティからの追放か、奴隷商人に売ることで、命だけは助かるという結末に落ち着く。


 ともかく、子どもが十八歳となれば、一安心。体が大人になってから、ナムゥとして覚醒した者は過去にも今にも存在しない。故にこの世界の多くの成人年齢は十八歳であり、ヒトであることの証明の為に、役所で証明書を貰うまで――親はいつも僅かに殺気立っていた。


 さて、これだけ忌み嫌われるナムゥだが、実は外見だけを見れば、ヒトとの見分けはつきにくい。そもそもヒトから産まれてくるのだから、見た目が似るのは当たり前だろう。

 唯一違いがわかる瞬間は、例の瞳から散る魔力だけ。パッと見ただけで判別するのは不可能に近い。街中でたまたますれ違った人間が、実は別の街から追放されたナムゥだった……なんて事も当然起こり得る。

 だと言うのに、ほんの少し『違う』だけで、人は簡単に他者を攻撃する。そこには勿論、容赦と躊躇いは存在しない。

 

 昨日まで笑いあっていた親子が、翌日には我が子を家から叩きだす。

 昨日までふざけ合っていた友達同士が、翌日には友人だったその人間を痛めつけて遊ぶ。

 昨日まで互いを愛し合っていた二人が、翌日には片方へ一方的な暴力を振るう。

 

 これでは、どちらが悪魔かわかったものではない。しかし、これが彼らの常識であり、普遍の価値観なのだ。


 差別を受ける立場に回ったミシュアルもまた、この価値観で育ってきた。逃げ惑うナムゥに石をぶつける人々を、止めもせずに見物していたこともある。それどころか、勤め先の裏口に蹲っていたナムゥを、邪険に追い払ったりもした。

 自分の過去を思い返して、猛烈なナムゥへの反省と謝意が込み上げたミシュアルだったが、謝るべき当人達はもういない。最悪の場合、この世にすらいないかもしれない。

 

 だからこそ分かるのだ、差し伸べられる救いの手は無いと。

 

 多くのナムゥは、三十歳まで生きられない。度重なる暴力とストレス、そして迫害による心労が、彼らを心身共に蝕むのである。その苦しみから逃れるために、自ら命を絶つ者も少なくない。

 ナムゥはその多くが、明日は我が身だと怯えながら生きている。今日は運良く生き延びられたが、明日には死んでいてもおかしくない。



「俺、死ぬのかな」


 そう呟くミシュアルの心は、死体のように冷えていた。

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