2-2 覚悟をもて
扉を開けたのは、他でもないバシャルである。待ち望んでいたわけではないが、見知った顔が帰ってきてくれただけでも、ミシュアルの心には安堵が芽生えた。
しかし、当のバシャルの意識は、ミシュアルに向いてはいない。彼の意識は、部屋の中にいるはずのない二人へと、真っ直ぐに向いていた。
「お前ら、何故もういるんだ」
バシャルの呆れたような声など気にもせず、ライカは元気いっぱいに手まで上げて、ヒルバーは普段通りの声色で答える。
「ヒルバーの声がしたから!」
「小……私はただ、ミシュアルに挨拶をしに来ただけなのですが」
「ハァ、そうかよ」
二人の言葉を聞いたバシャルは、大きなため息をつく。この態度を見るに、彼らは部屋に勝手に入り込む常習犯らしい。現に彼の顔には、諦めの色がありありと浮かんでいる。
「時間はまだあるな。ライカ、後から来る奴らの椅子、用意してやれ」
「了解! オレ、隣の部屋から椅子持ってくる!」
「では、私は机の準備を」
扉を開けたまま佇む彼の指示を受けて、二人が動き出す。
ベッド付近で立ち尽くしていたミシュアルと、扉の脇で佇むバシャルの間を縫うように、ライカは走り去っていった。
「バシャルさん、俺も手伝――」
「よせ」
何とも言えない空気の中、ミシュアルが口を開く。せめて手伝いだけでも、と動こうとするよりも前に、彼はバシャルの手によって、部屋の奥へと押し込まれた。
「怪我してるんだろ、お前は変に動くな。今はどうだ? 不調は?」
「お陰様で何も。というより……あの二人は何なんですか?」
「この身の部下、ヴァーサ・オーリの幹部だ。今のうちに顔を覚えておけよ」
(あの人達が、幹部?)
その事実を頭の中で反すうし、改めて実感する。自分はこれから、彼らの仲間として、同じ血塗れた地面に立つのだと。ぞくぞくと走るのは、不快感というよりも、未知への恐怖に近い。それを悟られぬよう、ミシュアルは表情を引き締め……ふと、気づいた。
(この部屋で、何をするつもりなんだろうか)
何故自分の部屋に集まるのか。わざわざ組織の首領たるバシャルが、ここに来る意味がわからない。様々な疑問が頭を過ぎる中、ミシュアルはすぐに、一つの答えにたどり着く。
(もしかして、フッサムの拠点支部のことについて、俺に話があるとか?)
ならば、自分は無関係とは言えない。むしろ当事者である。
(一体何をするんだろうか。あの女の人……愛育の師の事かな。それとも、拠点支部の損害について? どちらにせよ、上手く答えられる自信が無いなぁ)
そこまで考えたところで、部屋の外から騒々しい足音が聞こえてきた。間違いなく、ライカのものだ。扉を開けば案の定、両手に椅子を抱えたライカがいる。
「おーい! 持ってきたぞ! これで六つあるよな? ヒルバー、置くの手伝ってくれ!」
「オヤ、お見事。よくもまあその数を、ここまで抱えてきましたねェ」
「だろー? スゲーだろー!?」
そのまま彼は室内に入ると、入口付近の壁に、どかっと乱暴に椅子を置いた。追加された四脚の椅子だが、高級リヤドのものだけあって、大きさも座り心地も申し分ない。
こんなに重たそうなものを、と感心している間に、ライカは椅子を一つずつ運びだす。ヒルバーが整えた机の周りに配置し始めたのを見て、ミシュアルは立ちあがる。椅子を並べるだけならば、怪我をしている自分でもできる事だ。しかし、それを制するように、ライカは片手を上げる。
「オマエ、怪我してんだろ? 無理すんなって、こういうのはオレ達に任せとけ!」
「そんな大袈裟な――」
「オマエの席はここな! ふっかふかにしておいたからな! ケツ、痛くならねーからな!」
忙しないことに、ライカはまたしても、部屋からぴょいっと出てしまう。追いかけても仕方がないか、と、ミシュアルは指定の席に腰を下ろした。
そんな彼を横目に、バシャルはベッドの横に置かれていた椅子を、窓際へと移動させる。これでセットは終わりらしい。
「後は残りの奴らを待つだけか」
「そういえばバシャルさん。他の人達って、いつ来るんですか?」
「もうすぐだ」
そこで会話は、ぱったりと途切れてしまった。
無言の時間が続く空間に耐えきれなくなった頃、ようやく複数の足音がやってくる。
「親方サマー! 連れてきたぜー!」
「お待たせしやした! いやあすいやせん。国道の焼死体、片付けるのに手間取っちまいやして」
見知った顔の登場に、ミシュアルの表情は、ぱあっと明るくなった。どこかくたびれた様子のサーラブと、相変わらずのライカ、そして――
「お薬くさい」
「仕方ないよ、怪我人がいるんだから! それより、お部屋にお茶とか置いてないの?」
「ワン!」
ぞろぞろと入ってきた二人に、ミシュアルの視線は注がれる。特徴的な見た目の人間が増えたのだから、不躾に見てしまうのも仕方が無いことだ。
一人は女性で、緩いカールのされた栗色のミディアムヘアを、指で遊ばせていた。彼女の纏う、桃色のワンピースの裾を擽るような位置に、白い大型犬が控えている。
もう一人は、淡い緑の長髪を持つ、細身の少年である。白のニット帽の上から、灰色のヘッドホンをしているのが特徴的だ。これだけ頭を布や機械で覆っていれば、周囲の音が聞こえていなさそうなものだが……物音を立てる度に顔をそちらへ向ける辺り、心配は無用だろう。
「お前ら、もう少し静かにしろ」
「えぇ~、バシャルのケチんぼ。良いじゃん、私だって疲れてるのに!」
「親方、親方」
女性の空色の瞳は、自由に辺りを見回している一方で、少年の灰色の瞳はふらふらと動きながらも、顔だけはバシャルの方へ向いていた。
「マアマア、皆さん、とりあえず落ち着いてください。ほら、ミシュアルも困惑していますよ」
「ミシュアル……この子?」
「あっしは初対面じゃねえが、この人らはお初だな? なら早速紹介をば。ミシュアルくん、こっちのお姉さんがシエノ、そっちのふかふかした格好の坊やがネスルだ。所属は――」
「そこまでにしろ。今話したところで、こいつには前提知識がねえ。説明後に話せ」
静かに全員を叱りつけるバシャルに、部屋の中がしんと静まり返った。首領として、流石の気迫と言うべきだろうか。犬ですら行儀よく伏せをして、シエノと紹介された女性の隣に控えている。
(それにしても、この人達が幹部? 本当に?)
ミシュアルは思わず首を傾げる。
ここに居る幹部全員の見た目はどう見ても、自分と同年代か少し上くらいにしか見えない。自分を含めて、ライカとネスルと言われた少年は、どう見たって十代。加えて、シエノやサーラブ、顔だけを見ればヒルバーやバシャルもまた、二十代半ばといった風貌だ。
だが、彼らの纏っている雰囲気は、明らかに常人のそれではない。まるで獲物を狙う獣のような、鋭い気力を放っているのだ。
そんな空気に圧倒されていると、バシャルは、ミシュアルの肩に手を置いた。距離感の近い人だ、と思うまもなく、彼は口を開く。
「じゃあ、改めて。ようこそヴァーサ・オーリへ。歓迎するぜ、ミシュアル」
「は、はい」
「そう怯えるな。ここに居るやつらは、皆お前の味方だ。安心していいんだぞ」
「……ありがとうございます」
いや、貴方の存在が一番心落ち着かないんです……などと言えずに、ミシュアルはこくりと頷く。
肩に置かれた彼の手は温かく、それでいてどこか冷たいような気がした。




