1-11 ジグリス拠点支部
静かに歩き続けて、どれほど経っただろうか。すっかり疲れきったミシュアルは、仕事で行き慣れている道に出たことすら気づかず、ロバのようにノロノロと歩いていた。
白い石扉のついたテラコッタ色の壁が、まちがいさがしの本のように、ミシュアルの視界の中で伸びている。ぐねぐねとした道を進む中、バシャルは比較的新しく見える扉のノブを握った。どうやらここが、ジグリスの拠点支部の入口のようだ。
入ってすぐ近くにある、受付らしい白いカウンターの傍では、若い男性が机に向かって書き物をしている。やがて顔を上げた彼は、ミシュアル達の姿を見るなり、ほっとするような微笑みを見せた。
「お帰りなさいませ、バシャル様。そしてフッサムの皆様、ようこそいらっしゃいました」
「……言った通りにしてあるな?」
「別棟への人払いの件でしたら、滞りなく。お客様は全員、お部屋へご案内しております」
「結構、結構。じゃあ、案内してくれ」
「承知いたしました」
バシャルの言葉に、男は一礼すると立ち上がる。
そうして男が指し示したのは、やはり豪華な造りをした廊下だった。絨毯の敷かれた廊下を歩きながら、ミシュアルは辺りを落ち着きなく見回す。
「すごい……こんな大きな建物も、拠点支部なんですか!?」
「あらまぁ、立派なもんだねぇ! ここ、リヤド・ボジルだろう!? こないだ雑誌で取り上げられてたから知ってるよ!」
ジグリスの拠点支部は、扉こそ平凡ではあるものの、フッサムの拠点支部よりも立派な建物――所謂『リヤド』と呼ばれる宿泊施設であった。
芸術的な石彫のアーチが悠然と立つ中庭は、傾きかけた日の光で照らされている。床には灰色のタイルが敷かれており、微かな凹凸が鮮烈な陽光を、受け止めては消していた。緑豊かな庭の中央には、美しく刈り込まれたオレンジの低木樹が植えてある。そして、その周りをぐるりと囲むように、大きな白い柱が何本か建っていた。
宿泊施設と言うよりも、どこか神聖な場所のような気がして、ミシュアルは背筋を正す。
(別棟って言ってたけど、俺達が向かう所もこんな感じなのかな?)
中庭を挟んで向かいにある建物の中へ入れば、そこは白を基調とした広々とした広間がある。何気なくミシュアルが見上げた天井には、色とりどりのガラスで装飾されたランプ達から、鮮やかながらも柔らかな光が漏れていた。
「一体、いくつ拠点支部ってのがあるんだろう……」
「さぁね。あたしらは組員じゃないからねえ。それより、このリヤド! なかなかいい所じゃないかい? あたし、ここに移住申請でも――」
「ちょっと待ってください。皆さん、組員じゃなかったんですか?」
えっ? とバシャルと住民達を交互に見回しながら、ミシュアルはどういう事だと首を傾げる。彼の疑問に答えたのは、あの時に殿にいた、筋肉質な男であった。
「ああ、それか。俺達は、バシャルさんの組織……ヴァーサ・オーリの協力関係者ってだけなのさ」
「協力関係、ですか?」
「おうとも。バシャルさん達は、俺達の住む場所と、同じ神を信じていた仲間達を、こうして引き合わせてくれたんだ。その謝礼と場所代として、俺達は食事や理髪なんかの、生活面の奉仕をさせてもらってるんだよ」
「あとは魔力だったか? 仕組みはよくわからんが、それも提供してるぜ」
和気藹々と談笑する面々を見て、今聞くべきじゃなかった、とミシュアルは僅かばかり後悔した。彼らの話を聞いても、意味がわからない。この話はもう少ししてから、組員に聞いた方が良さそうだ。
(あっ、しまった。気を抜いたら痛みが――)
ミシュアルの歩く姿勢が、徐々に前後にぐらつきはじめた。彼が倒れ込むより早く、バシャルは傷だらけの体の下に、己の体を滑り込ませる。肩を担ぐような姿勢になりながら、バシャルは住民達が形成した行列の後方へと、さり気なく足の運びを遅くした。
「すみません、支えてくれてありがとうございます」
「こればっかりはしょうがねえ。戦闘後なんだから、無茶すんな。おい、レン!」
「はい、はい。彼の手当ですかな? しかしここでは……」
「でしたら、こちらのお部屋をお使いくださいませ。ここであれば別棟にも近いですし、今は鍵を掛けておりませんので、すぐお入りいただけますよ」
男が指し示したのは、バシャルの右手側にある扉である。
「この部屋の鍵は」
「皆様の案内が終わり次第、直ちにお持ち致します」
その言葉に頷いたバシャルは、部屋へと繋がる扉の、丸いノブを掴もうとする。しかしどうしたことか、彼の手はするりするりと空を掴んでしまう。それを繰り返すこと四回目、やっとノブに手が触れた彼は、何事も無かったかのように扉を開けた。
(あ、そっか。片目がターバンで隠れてるから、ノブが見えないんだ)
弱点などないように見えた彼の、見えない弱点。それを抱えていながら、ベルナルデッタに圧勝したのかと思うと、ミシュアルは改めて彼の強さに驚かされる。
「――こいつの事は気にするな。この身とレンに任せて、お前はフッサムの奴らの案内に戻れ」
「かしこまりました」
住民達の心配そうな視線を感じながら、ミシュアルは部屋に入ってすぐの、柔らかそうなベッドへと寝かされる。そこでようやく、ミシュアルは体から力を抜くことが出来た。
ふかふかの布団に驚きながらも、ミシュアルは救急箱を探すレンを、ただぼうっと見つめる。
(なんか、本当に至れり尽くせりで申し訳なくなってきた。俺、ここまでしてもらって良いのかな?)
そんなことを考えている間に、消毒液に浸された綿が、傷口に触れる。染みる感覚に顔をしかめつつも、ミシュアルは素直に礼を口にした。
「何度もありがとうございます。それと、また怪我しちゃってすみません」
「いやいいんだ。むしろこちら方が感謝したいくらいだよ。きみがいなければ、フッサムの皆は全員、彼女に連れ去られて死んでいたからね」
「それは……」
確かに、とミシュアルは思う。あの時、弱気な自分に喝を入れて、戦おうとしなかったら……と思うだけで、ミシュアルの背に冷たいものが走る。
改めて礼を言うために起き上がろうとするミシュアルを、レンは片手を上げて制した。そして彼は、ミシュアルの手を握り締めると、真っ直ぐな眼差しを向ける。
「だからね、ミシュアルくん。ワシは君に、心からお礼を言いたいんだ。ワシらの命を救ってくれて、本当にありがとう」
「……それは」
「さぞ怖かっただろう、恐ろしかっただろう? それでも、ワシらを助けようとしてくれた。その気持ちに、ワシはこうして治療を施すことしか出来ないが……」
「いえ、それだけでも充分ありがたいですから! それに、こうしてお礼を言ってもらっただけでも、俺はすごく嬉しいです」
ミシュアルは照れたように頬を掻きながら、レンの言葉を受け止める。こうして家族以外の誰かに感謝されるのは、やはりくすぐったいながらも心地のいいものだ。ミシュアルは力ないながらも、やんわりと微笑む。
「でも結局、助けられたのは俺の方でしたけどね」
そう言いながら、ミシュアルは我関せずを決め込むように座るバシャルの方へと、めいっぱい頭ごと視線を向ける。
彼がいなければ、フッサムの拠点支部から逃げてきた住民達は、拷問の末に惨殺されていただろう。あの愛育の師と名乗る彼女によって、忌まわしきトゥラーゾ教の教会の中で。
迂闊にあの鞭による拷問を想像してしまい、傷だらけの体は身動ぎを繰り返す。そんなミシュアルに、バシャルは緩慢な動作で近付き、不快を顕にしている顔を見下ろした。
「で、どうだ」
「……何がですか」
「嫌われ者として一日過ごした気分は」
ミシュアルは少し考え込む素振りを見せ――にっこりと笑って言った。
「そりゃあもう、最悪ですよ!」




