表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
罪果てのアルカ  作者: ミケイラ
一 決意
15/70

1-9 蜘蛛糸遊戯 後

 まるで蜘蛛の糸のようだ、と直感的に見ていたのは正しかった。目に張り付いた糸は、引き剥がすことこそ出来るものの、酷くべたついている。その証拠に、まつ毛やら眉毛やら、産毛までもが抜けて、糸にくっついていた。


「今のは危ないところでした、(あばら)が折れるかと思いましたよ」


 手足を大の字に伸ばされたミシュアルの体は、地面を見下ろすように、空中で固定された。その体の真下で、ベルナルデッタはゆっくりと起き上がる。


「武器を奪えば攻撃は出来なくなる、そうお思いでしたか? この鞭は私の意思に従順なのです。残念でしたね」

「くっそぉっ……!!」


 ミシュアルは慌ててもがくが、もう遅い。全身に糸を絡みつけられてしまっては、どうしようもない。


「さあ、これで身動きが取れないでしょう? まずは、悪魔に貸した耳からねじ切って差し上げましょうか」

「やめ、やめろ……っ!」

「ああそうだ。せっかく全身を拘束しているのですから、趣向を変えて、今回は胴からいきましょう。貴方自身の悲鳴がよく聞こえるように、ね」


 ベルナルデッタはにっこりと微笑みながら、ミシュアルに巻きついた糸へと念じる。もっと痛めつけるように、締め上げるように。特に鞭を握る右手の指には、今にも脱臼してしまいそうな程の、強い力が掛けられた。


「あっ、あああぁぁぁああっ!!!」


 ミシュアルの絶叫が、周囲に響き渡る。ベルナルデッタの細い腕からは想像もつかないほどの力で、ミシュアルの体はぎゅうっと強く絞められていく。


「痛い、いたいいたいぃいっ……!」


 ミシュアルは必死になって暴れるが、既に糸によって拘束されている体はびくりともしない。


 渡してなるものか、と気張って握っていた鞭が、無理やり開かれた右手から落ちる。それでも尚加わる力に、いよいよポキッ! と小枝が折れたような音が、ミシュアルの右手から鳴った。


「もがいても無駄です、もう貴方に逃げ場はありませんよ」


 ミシュアルの悲鳴に満足げに笑うと、ベルナルデッタは鞭を拾い、悪戯に鞭で空を切る。パシン! パシン! と打撃音が響く度に、ミシュアルは顔を強ばらせる。その様が愉快だと言わんばかりに、ベルナルデッタは口角をぐぐっと釣り上げた。


 それは宛ら、絵画に描かれる悪魔の笑顔。そんな表情を、ベルナルデッタは、整った顔面に作りだす。


「さて、この調子で参りましょうね。この町の信者達よ! 神の思し召しに感謝を示すのです。家にいながら、浄罪の機を賜ることの出来た光栄に、輝かしい笑顔で応えなさい!」

「トゥラーゾの思し召しに栄えあれ!」

「トゥラーゾの御子たる、我らに栄光あれ!」


 ベルナルデッタが声高々に叫ぶと、それに応えるかのように信者達が高らかに叫びだす。そればかりか、彼女の手にたたきつけられる鞭の音に合わせて、手拍子まで聞こえ始める始末だ。町民一人すら外に居ない静けさの中で、ただ手拍子だけが聞こえる――酷く気味が悪い、とミシュアルが感じるより早く、彼の腕や腹に容赦なく鞭が叩きつけられる。


 ピシン! バシィッ! と暴れ狂うその音に、ラクダ達はぞろぞろと群れを生して遠ざかり始めた。

 残されたのは、見たくもない光景を見させられている、フッサム支部にいた住民達。それと、まるでお祭りの見物でもしているかのように、家の中で聖罰を囃し立てる信者達であった。


「うぐっ!」


 痛みに耐えきれず、ミシュアルの目から涙がこぼれる。


「ほら、泣いている暇などないでしょう? 早く神への悔恨の言葉を述べるのです。貴方は若い、それが故に語彙がないでしょうし、『欲深くてごめんなさい』だけでもいいとします」


 ベルナルデッタは、やっと脱力したミシュアルの体に、高々と鞭を振り上げる。すぐに訪れるだろう痛みに、ミシュアルは反射的に目を瞑った。


「それが貴方の出来る、貴方の命のしょくざ――!」


 その刹那、パチン! と、何かの弾ける音がするが、その音に気づいた者はない。この場にいる誰もが、ミシュアルの意識が落ちるのを、まざまざと想像していたのである。


 しかし、ミシュアルに鞭の先は振り下ろされない。はて、と己の右手を見やったベルナルデッタは、はっと息を飲み……絶叫した。


「いっ痛い、痛いぃい……っ!! ひぃっ、ぅ、ぅぐぁああああっ!!」


 ベルナルデッタが手にしていたのは、鞭ではない。この地方ではよく見かける、太い棒状のモリツサボテンが、彼女の手にしっかりと握られていた。サボテンはその長いトゲを、コーヒーブラウンの柔肌に突き刺して、彼女の右手を瞬く間に穴だらけにする。ベルナルデッタは、血塗れになった右手から棘を抜こうとする……も、動揺で震える左手では、寧ろ悪化するばかりだ。サボテンのトゲは容赦なく、彼女の両手の皮膚に、ぷつぷつと穴を開ける。


「そうやって気を抜いてるから、こうなるんだぜ? 愛育の師(セチーファ)さんよ。」


 そこによく知った男の声が、ミシュアルも含めた住民達全員の、傷ついた耳に飛び込んできた。


「中々来ねぇと思ったら……揃ってこんな所で遊んでたのか。そういう過激なのは、夜の店でこっそりやるもんじゃねえのか?」


 一人の青年が、ざりざりと砂を踏みながら、こちらへと向かってくる。砂混じりの風に、民族衣装の裾と、紺色のターバンの先を遊ばせながら、青年は静かに笑っていた。


 見覚えのある姿に、ミシュアルは驚きを隠すことなく叫ぶ。


「バシャルさん!?」

「おお、おお! 頭領、来てくださったのですね!」

「ああ。ミシュアル、それからフッサム支部の住民達。まずは命があって何よりだ」


 良かった、良かった、と住民達の安堵に満ちた声が上がる。聖罰の最中のナムゥから、到底出てくるとは思えない声に、戸惑うのは町民達である。

 神の罰の具現ともいうべき愛育の師が、どういう訳か痛みに呻いているのだから、当然と言えば当然だ。

 中にはベルナルデッタの言いつけを破り、家の戸を開けて外へ出る者まで出始めた。その町民達に向かって、ベルナルデッタは声の限り叫ぶ。


「いぐっ、いげまぜん、信者達よ! ごの男はっ、ナムゥでずっ、家に……!」


 痛みで蹲って狂乱する、ベルナルデッタの叫び声が響く、国道の炎天下。喉を枯らした彼女は、柄にもなく焦っていた。半分程の棘を抜き去ったはいいものの、両手を血まみれにした彼女に、鞭を振るう体力などない。

 ましてや、そこにいるのは、ミシュアルのような細身の少年では無い。身長百八十センチ程の、しっかりとした体型の男性なのだ。


 こんな男を前にして、町民達が逃げ出したくなるのは自明の理。彼らは揃って顔から笑みを消し、そそくさと自宅へ引きこもる。扉どころか窓までもしっかり閉ざし、カーテンも隙間なく閉める町民達の動きは早かった。

 だが、無事に彼らが避難した事への安堵に浸る間もなく、ベルナルデッタは焦りを見せ始める。


(こいつ、今まで相手にしてきたナムゥよりも、格段に強い! どうしよう、こんな手じゃ、もう鞭は振れない。ならば、あの少年を捕まえた時のような、いや。それよりも頑丈な糸を出せば!)


 いつの間にやらバシャルが拾い上げていた鞭へと、ベルナルデッタは意識を集中させる。彼女にとっては幸運なことに、鞭には糸を吐き出す力と、彼女の思念を受け止める能力が、まだ少しだけ残っていた。


 ふるえる彼女の口角が、僅かに上がる。


「貴方も油断、しましたね!」


 バシャルの握る鞭から、白い糸が放射状に飛び出す。炭酸の泡のような光が迸る彼の瞳は、自分を包みこもうとする、太い糸を映していた。


 白い糸が、彼を繭玉のように包んでいく。大柄なバシャルを超える、巨大な糸の玉が出来上がっていく。その様を、ミシュアルや住民達は、ただ見つめることしか出来ないでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ