1-7 セチーファ
そんな動きなど知る由もない住民達一行は、尚も賑やかに道を走り抜ける。やがて日が真上に昇る頃、殿を務める筋肉質の男が、臭い裏路地から抜け出した。
汗も涙もすぐに蒸発する炎天下、住民達は灼熱の日光に晒されながら、人気のない道を選んで歩いていた。のろのろとした足取りは、町のそこらじゅうで放牧されているラクダよりも、はるかに重たげである。
「さて、もう少し頑張れ。この道を真っ直ぐ行けば、ジグリスの拠点支部に着くからな」
「しかしまあ、他に道はなかったのか? 直射日光がモロに当たってあちぃのなんの!」
「ンなもんねえよ! ジグリスは周りをどデカい壁で囲まれている事で、それはそれは有名な城塞都市だ。中学校の教育で習わなかったのか?」
「習ってねえよぉ、俺、貧乏だったから小卒だし」
「とにかく、国道以外から行くのは無理なんだ。壁を登る羽目になるからな」
「げえっ! 分かったよ、ちゃんと歩きま〜す……」
――住民達が歩くのは、ジグリスへと続くフッサムの国道である。道の周りには、家が疎らに建っており、田舎町の様相を見せていた。
ここをあと十分も歩けば、ジグリスの拠点へ着くことが出来る。その証拠に、元々城塞都市であったジグリスの象徴とも言える巨大な城壁が、既に視界いっぱいに広がっていた。
安息の地を前にして、住民達はどこか浮かれていたのは確かである。だが「浮かれてすぎではないか」、とミシュアルは住民達を注意することは出来ない。警戒心が緩んでいるのは、ミシュアルも同じだったのだ。
なぜならばこの道は、配達員であった時によく通っていた、馴染みのある道。見知ったものがようやく出てきた安心感に、ミシュアルはすっかり肩肘の力を抜いていた。
(そうそう、次の道を右に曲がれば、いつもお茶を出してくれるおばさんの家だ。でも変だな、この辺ってこんなに静かだったっけ?)
本来ならば、いるはずなのだ。放牧されたラクダを見守る、ラクダ牧場の人達。家々の間に存在するジッダー麻の畑、その中で動く農家の人達。ラクダやロバを引きながら歩く、運送事業者――その誰もが、姿を消していた。その刹那、ミシュアルの背に嫌な寒気が走る。
「人通り、少ないと言うより、無いですね?」
「言われてみれば確かに。何かあったのか?」
「そんな事はどうでもいい。人がいないのは、むしろ好都合だ。このまま、ジグリスの拠点支部まで行くぞ」
にっと笑う先頭の男達に促されるまま、ミシュアルは歩く。その背後では住民達が、安堵した様子でお喋りに花を咲かせていた。
「これで一安心だな! やっと一息つけるぞ!」
「ほんとよぉ。もう、あんな奴らに襲われるなんてイヤっ!」
「それにしても良かった。これで俺らの家族も安全だろうさ……ん?」
ふと、道案内をしていた男が立ち止まる。ジグリスへと続く国道の先、その道の真ん中に、一人の女がこちらを向いて立っているのだ。
「どうしたんですか?」
「いや、あそこに女の人が……レンさん、分かります?」
「えー? どれどれ?」
レンがひょっと顔を覗かせるも、住民達によって人混みの中へと押し込められる。先頭にいた住民達は、立ち塞がる女の格好を頭から爪先まで眺め――ぞっと背筋を凍らせた。
(あの格好、トゥラーゾ教徒……!)
炎天下の熱をよく吸収しそうな、黒いローブを纏った女がそこにいる。長い麻色の髪を三つ編みにした彼女は、砂埃の舞う風の中でも微動だにせず、こちらを見つめていた。
華奢な腕には、金とルビーのきらめくブレスレットが嵌められ、より一層彼女を細く見せた。重たそうな装飾の数々は、成金趣味と言われてもおかしくは無い。しかし、洗練された立ち振る舞いが、貴人の如き風格を漂わせていた。
そんな貴人のような彼女の空気を壊すものが、ただひとつ。コーヒーブラウンの素手が握るロングウィップが、ちぐはぐな存在感を醸し出している。
後ずさるミシュアルの前で、一人の小柄な中年男性が、大袈裟にお辞儀をしてみせる。
「これはこれは『愛育の師』ではございませんか。貴方様のお仕事は、教会に運ばれたナムゥの断罪のはず。こんな辺鄙な所に、どんな御用ですかねえぇ?」
「決まっているでしょう? 私は愛育の師、神の使い。教会へ貴方方を導き、救う為に参りました。さあ、私と共にヤラナンの教会へ参りましょう。悪魔の声に耳を傾けし者達よ、私の足元へ跪き、手を後ろに回しなさい」
女の声は、正に天の使いが如く愛に満ちていた。だが、そんな底知れぬ優しげな言葉など、今の住民達にとっては恐怖でしかない。住民達の集まりの後方が、俄にざわめきだす。
「誰だ、誰が呼びやがった! こいつは余程のことがない限り、教会の中にこもりきりな筈だろ!?」
「きっとあの銃撃者共だ!」
恐怖する住民達の前で、女は微笑をたたえて手を広げる。トゥラーゾ教の立像の一つ、『導き』の像の如き立ち姿を目の前にして、ミシュアルはくしゃくしゃに顔を歪めた。
不快感を示しているのは彼だけではない。後ろに控えている住民達も、口を引き結んで、地面にしっかりと足をつけていた。
「立ったまま……ということはつまり、改心の意思は無いのですね? 残念なことです」
それでもにっこりと笑う女の顔は、揺るぎない善意に満ちている。
ミシュアルは悟っていた。命は助けると言う、彼女の言葉は嘘であると。投降すれば最後、ミシュアルは悪魔として殺され、住民達も死ぬほど手酷い仕打ちを受けるだろう。
なぜなら愛育の師の役目は、ナムゥとその支持者への拷問と殺害――『聖罰』と呼ばれる公開処刑の執行だ。
(怒鳴り声と叫び声が飛び交う、最悪な所に……皆が連れて行かれて殺される。そんなのは絶対に嫌だ!)
あれだけ散々人を殺したくない、怪我をさせたくないと怯えていたミシュアルの瞳には、迷いによる揺らぎは失せていた。
それはバシャルが昨夜示したような、人を殺してでも生きる……罪に汚れながらも生きる覚悟に近しい。
(相手がナムゥの俺を助けてくれたバシャルさんの仲間、そして、俺に色々なものをくれた皆だ! 人殺しの罪に俺が脅えて全員死ぬより、俺がこの一人を殺して、全員生き残る方がいい!)
ミシュアルは歯噛みして、拳を握る。
「殺されると分かっていて、誰が従うか! 俺達はお前を殺してでも生き延びてやる!」
ミシュアルが叫ぶと同時に、住民たちも呼応するかのように、一斉に声を荒らげた。
「そうだ! あたしらを甚振ろうとしたって、そうはいかないよ!」
「人殺ししか脳がない神の教えなんざ聞かねえよ!」
老若男女問わず、住民達が怒号をあげる。その怒りの勢いは激しく、子ども達ですら、その怒気に当てられていた。罵倒できる語彙が無い分、近くに落ちていたラクダの糞を、鷲掴みにして投げ始める始末である。
それでも微動だにしない女は目を細め、首を横に振った。
「嘆かわしい事です。神の教えに従わぬばかりか、こうも反抗的とは」
「そりゃこっちの台詞だ! まだ五年前の事だって忘れてねえからな、散々俺らの神を侮辱しやがって!」
「僕たちの神様は悪魔じゃないもん! お姉さんの悪魔!」
(えっ、この人達って異教徒だったのか!? 絶滅していなかったんだ!)
ミシュアルの驚きを他所に、住民達は怒り任せに女へと迫る。ひ弱そうな女へ迫る住民達の様子だけ見れば、どちらが悪者かわかったものではない。
しかし――女はふうっ、と呆れたようなため息をつくと、手にしていた鞭を握りしめた。
「愚かしい。大人しく連行されれば良かったものを」
次の瞬間、女は腕全体を振り上げて、勢いよく鞭を振るう。その刹那、鞭の先端から無数の糸のようなものが飛び出し、ふわりと空中に広がった。住民達が何事かと状況を理解する間もなく、糸は瞬く間に彼らの体を絡め取っていく。
住民達は驚愕に目を見開いた。自分達の身動きがまるで取れない事に、遅れて気づいたのだ。
立て続けに女が軽く腕を動かすだけで、住民が次々と宙吊りにされていく。その様にパニックになる人々は、先んじて捕まっていた住民達と同じ末路を辿る。
天への供物のように、高々と掲げられた網――その中でもがく住民達の、阿鼻叫喚の声が頭上から降り注いだ。
「私はヤラナン地区の『愛育の師』、ベルナルデッタ・ベネッド。我らが神・トゥラーゾの御名において、異教徒と悪魔の下僕たるナムゥに、懲罰の鞭を!」




