1-5 意思宿る掌
「へ? 今の音、なんですか?」
「静かにしてろ! 銃撃だ、どっかのアホが攻撃に来た!」
「ぅえぇ、っ、んぶ!?」
ミシュアルの口を塞ぎ、バシャルは彼を立ち上がらせる。先ほどまでの穏やかなものとは違い、険しくなる表情に、ミシュアルも事態の深刻さを察した。
同時に、廊下や階下からは微かに怒号が響いてくる。悲鳴や銃声の合唱が、今まさに混乱を極めていることを物語っていた。
「口を開くな。おいサーラブ! なるべく小さい奴に『化けて』、下の階との連絡を取れ!」
「へい! 了解でさ!」
「今ここにいる奴! 非常階段を通って避難口から脱出しろ。玄関は絶対に使うな。真っ直ぐ、ジグリス支部へ走れ!」
「はい!」
駆け出していくバシャルの背を見送る間もなく、住民達は怒涛の勢いで動き始めた。
扉を開け、廊下へ飛び出し、階段を足早に駆け下りる。近くなる叫び声と銃声に耳を塞ぎたくなるのを堪えて、ミシュアルは先を行く住民達を追った。
緊急用の内階段は、ミシュアルがここへ来た時使ったものよりも幅が狭い。大人の男性二人がギリギリ横に並べる程だ。だが安全性は高いようで、しっかりとしたコンクリートの足場は、ミシュアルの知る階段よりも平らで、高さも均一である。
そんな階段を使って、まだ綺麗な状態を保っている三階から、壁に欠けが生じ始めた二階へ、住民達の足は澱みなく進む。そしていよいよ、激戦の繰り広げられる一階……轟音と砂塵の巻き起こるそこに、全員の足が静かに着いた。
今のところ怪我人は出ていないが、まだ油断は出来ない。
というのも、目的の避難口は、今しがた降りてきた階段の、丁度裏側にあるのだ。そこから脱出するには、一度物陰から飛び出して、細い通路を通る必要がある。ただ問題なのは、ミシュアル達から見て左手側に、玄関に通じる扉が一枚あること。この通路と直接繋がる扉が、もし突破されるようなことがあれば、瞬く間に屍で床が埋めつくされるだろう。
他にないのか、とミシュアルは後方の住民達へと視線を向けるが、彼らの顔には焦りばかりが浮かんでいる。危険な方法ではあるが、他の脱出方法を取る余裕はなかった。
(これ、結構まずいんじゃないか? 敵? がどれくらい攻めてきているのか分からないけど、大勢いるんだったらまずい。待ち伏せされているかもしれない)
咄嗟に過った嫌な予感に、ミシュアルは慌てて首を振る。やがて様子見として先行した住民が、避難口のノブに手をかけるのを、静かに見守った。
(頼む、頼むから、誰もいませんよう――)
に、と思うよりも早く、扉がかすかに軋む音がする。静かに回ったノブを握り込みながら、先頭に立つ若い男性が、扉を押し込み――
バタン! ドドドドド!!
待っていましたとばかりに射出される、弾丸の嵐に出迎えられた。頑丈な石製の扉にぶつけられる弾は、容赦なくその表面を削り、石の破片をえぐり抜く。幸い、慌てて扉を引き戻したことで、死傷者は出なかった。だが、絶望的な状況を目の当たりにした住民達の心に、多大なダメージを与えたのは確かだ。
「ちくしょう、やっぱりここも見張られているか!」
「やだっ! どうしましょう!」
慌てふためく前方を、途端に死の恐怖が襲い出した。
その気配に、まず当てられたのは子どもである。堰を切ったように、足元からわあっと泣き声が上がった。
「お嬢ちゃん、落ち着いて。おじちゃんがいるからね」
「ほーら泣くんじゃないよ! あんたは強い男の子だろう?」
「やだぁぁあ! 怖いよぉぉお!!」
宥める男の声に被せるようにして、女が少年を抱き寄せる。それでも、幼い子どもの泣き声は止まらない。
後ろを見れば、不安げに身を寄せ合う女性と少女、それを励ますように声を掛ける青年がひしめき合う。中には三歳そこらの子どもの手を握って、震える背中を摩る、気丈な少女の姿もあった。その誰もが皆、今にも死にそうな程、一様に顔を青ざめさせている。
「おいっ早く前に行ってくれ!」
「前のヒト、早く行ってよ! 上からバタバタ聞こえるのよ!」
「無茶を言うでない! 前にもう居るんじゃぁ!」
ミシュアルの視界の端には、腰を抜かしかけた老人を庇う男の姿。避難口の扉は、今にも壊れそうな程に激しく揺れている。もし、このまま敵が突入してきたとしたら……おしまいだ。
こうなってはもう、平常でなどいられない。
住民のうち数名は、死ぬとわかっているのかいないのか分からない足取りで、前へと歩き始めた。ふらふらと壁の一部にも見える、白っぽい扉へと向かい始める。どこへ行くのだろう、と訝しむミシュアルの傍らで、レンは焦り始めた。扉の先は、バシャルが行くなと言った正面玄関へ繋がっているのだ。
「よしなさい! ここの扉は壁に偽装してあるのだ。今開ければ、この通路の存在が!」
「うるせえ! もしかしたらって事もあるだろうが!」
レンの静止を他所に、扉を開いてしまった住民の頭から、ぱっと水しぶきの影が上がる。途端に上がる悲鳴を遅れて聞いたミシュアルは、ようやくこの通路の危険性をまざまざと思い知った。びちゃびちゃと水の噴出する音を立てて、見知った住民達が倒れて逝く。瞬きを忘れた瞳が、どくどくと血を流す死体を呆然と映している。ショックと血の匂いで、ミシュアルの腹の底から、臭い息が昇ってきた……そんな中。
「ンン? こんな所にも扉があったのかぁ?」
静かな混乱が伝播する隠し通路の中に、ジャリジャリと砂の音を鳴らして、足音が忍び寄る。逃げ出そうと身動ぎをするも、避難口の前は別の敵が待ち構えている事実が、ミシュアルの焦燥感を焚き付けた。
(だめだ、終わった。挟み撃ちにされる!)
ガチャン! と壁越しにも響く金属音を鳴らす銃器が迫る。団子のように隠し通路で詰まっているミシュアル達へと向けられるまで、あと数分……いや、数秒も掛からないだろう。
顔色の分かりにくい小麦色の肌が、目に見えて悪くなり始めた。血の気の失せ始めた手指を、ぎゅっと握りしめるミシュアルは、いよいよ祈る余裕すら失せていた。
脳裏にぐるぐると回る「どうしよう」「はやく追い出さないと」の言葉に、ミシュアルの瞼は閉ざされようとする……が、バチン! と目頭に生じた弾けるような痛みに、瞼が反射的に開かれる。
「ミシュアルくん! きみ、目が!」
「あっ……まただ、また、こんな……!」
バチバチ、と視界の中に昨日と同じ火花が、昨夜の忌々しい光が映り出す。
この光にいい思い出は無い。しかし恐れこそあるものの、今のミシュアルにとっては有難い助っ人であることは、紛れもない事実であった。
(原理はよく分からないけど、この光が目にある間は、ナムゥの力、魔術が使える。だったら、昨日の二人を吹っ飛ばした時の魔術も、もしかしたら使えるんじゃないか?)
あまり思い出したくもない、昨夜の事を思い出しながら、ミシュアルは静かにあの時の体勢をとりはじめる。
立ち上がり、両腕を前へ。手を突き出し、両手の指を全て立てて……ミシュアルは静かにその時を待つ。その間にも銃声は轟き、建物に微かな振動を与えている。
通路の住民達は姿勢を低くし、少年特有の細い背の影に隠れるように、体を寄せあい始めた。中にはミシュアルの背を支えるかのように、彼の背に手を当てる者もいる。
いよいよ、重々しい扉が静かに開かれ、敵がその全身を顕にした――まさにその時である。
「く……『来るな』!!」
「はぇ?」
ミシュアルの目から飛び散る光が、より激しくなる。遂にはあの時と同じ光が、この通路にいる人々全員の視界で炸裂した。
ミシュアルの熱くなった両の手からは、昨夜繰り出したあの魔術が、勢いよく放たれる。
タンジェリンオレンジの暴力的な光を、一秒と見ていられる人間など、この隠し通路にはいなかった。




