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罪果てのアルカ  作者: ミケイラ
序 最悪な誕生日
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0-1 タンジェリンの悪夢

 人間は真の意味で『寛容』になどなれはしない。攻撃できる理由があれば、理性はいとも簡単に消え失せる。理性的なフリをした、獣よりも獣らしい生き物、それこそが人間である。


 やたら諦観に満ちた思想は、ミシュアルが今日一日で嫌という程味わったものであり、この世界の条理であった。


 そもそも誕生日とは、その人の一年で最も特別な日ではなかろうか。親しい人が揃って、当人が生まれてきたことに感謝し、祝う日のはず。特に少年時代の誕生日というものは、尚のこと特別なもの――そう思っていたのも、つい先日までのことだった。

 今日祝福を受けるべき、一人の少年の体は、どこも痣と切り傷だらけ。それ程までに街の住民から痛めつけられた少年は、夕暮れの路地裏にて身を潜めていた。


「あいつめ、どこに行った!」

「探せ、火花みたいな光を探せ! あれだけ目ん玉が光ってんだ、見失うわけがねえ!」

「さっさと悪魔(ナムゥ)を捕まえるんだ! 誰か教会と警官隊に通報したのかい!?」

「おばちゃん! あと少ししたら皆来てくれるってよ!」

「奴に魔術(シーガ)を使わせるな!」

「ミシュアル・ラティーフを捕まえろ!!」


 恐怖と混乱でがくがくと関節を震わせる彼の耳に、大声で叫ぶ声が突き刺さる。どうやら自分を捜すために、街の住民が総出になっているようだ。

 いつ見つかるとも分からない緊張感から、自分の心臓が大きく跳ねる。そして同時に全身を包む鈍痛に加えて、微かな「魔術を発動してみたい」欲求が疼く。しかし今そんなことをすれば、確実に自分は殺されるだろう。


(……逃げないと)


 震える足腰を奮い立たせて立ち上がり、初秋の夜の肌寒い空気を縫うように、ミシュアルは迷路のような裏路地を進む。体が痛いからと止まっては、いずれ住民達に捕まった挙句、痛めつけられて死ぬのは確定だ。うっかり自分の、血塗れの死体を想像してしまったミシュアルは、今にも泣きそうに顔を歪ませていた。


『組織的犯罪が増えています。甘い言葉に気をつけて!』

『怪しいと思ったらすぐ逃げて! 狙われているのはあなたです!』

 

 壁から剥がれた犯罪抑止のポスターごと、ミシュアルの白いバブーシュが、黒いタイル張りの道に散らばる汚水を踏みつける。突如として吹き抜けた、砂混じりの突風の中で揺れる胡桃色の髪は、乾いた血と砂埃でバリバリと固まっていた。ダメージ加工の市販品よりも酷く損傷した、黒のサルエルパンツの上に着たシャツに至っては、血と泥と砂の色が混ざりすぎて、白からすっかりドブ色になっている始末だ。


(まったく、皆揃って、容赦なく蹴り飛ばしやがっ……痛っ! やっぱり目を瞑ると痛いな。本当に火花でも散っているのか、この目は!)


 苛立ったように頭を搔く彼の周りに点在する、裏路地の汚水と曇ったガラスに映るのは、彼のタンジェリンオレンジの瞳から散る光。さながら線香花火のような光が、薄暗い裏路地をぼんやりと照らしているのだ。


 この不可解な現象こそが、ミシュアルを苦しめる要因のひとつであり、悪魔と呼ばれる原因の一つである。瞳から発せられる光は、魔術を使える者の証であり、ナムゥと呼ばれる被差別民の証であった。


 人生で初めて、ミシュアルは自分の目をくり抜きたい、と手を震わせた。この目のせいで、表通りに出れば住民から袋叩きにされ、店はどこも入店拒否。彼を受け入れてくれる所など、このモントリア王国を囲むように広がる砂漠か、人通りが無く汚らしい裏路地(ここ)くらいしかないのだ。

  

(ちくしょう、なんだよ……なんなんだよ、これ! こんな目のせいで、俺は!)


 どこかの店の裏口の前で座り込んだ、ミシュアルの輝く瞳から、冷たい涙が一筋流れる。

 そんな彼のズボンのポケットから、小さなカードが滑り落ちた。すっかり汚れたバブーシュに、厚紙の角がこつんと当たる。カードには表には細かな字が、少し右上に傾きながらも並べられていた。


『ミシュアル、十六歳のお誕生日おめでとう。どんなことにも諦めない貴方は、私の大切な宝物です。立派に成長してくれてありがとう。お母さんはいつでも、貴方の味方です。困ったら頼ってくださいね』


 母からの祝いの言葉が綴られたカードを、ミシュアルは拾おうともせずに見つめる。クリーム色の紙面が、汚水でどす黒く変色していく様は、彼の心すらも暗い気持ちに染めていく。


「嘘ばっかりだ。血相変えて家から追い出したのは、どこのどいつだよ」


 押し殺しているはずの嗚咽が、やたら大きく聞こえる砂漠地帯の街中、裏路地の外れに人間の気配はない。それにほっとしたような、悲しいような……ごちゃ混ぜになった感情を流すように、ミシュアルはただ静かに涙を零す。

 

 唐突に、いつも通りの誕生日ならば……と、ミシュアルは現実から意識を逸らした。


 去年と同じような日ならば、祝いの言葉とカードとプレゼントを貰って、自分の好きな物をたらふく食べ、今頃は家族揃ってリビングで寝ていただろう。

 あと少しで寝付けそうなタイミングで、兄に掛け布団を持っていかれて、モゾモゾとした争奪戦をするのが、毎年の誕生日の恒例行事だった。あのくだらない争いが、今は何故か懐かしい。

 そしてそれを妹が見て怒るのだ、「落ち着けないから止めてよ!」なんて。

 決着がつく頃には、母が部屋にやってきて「いい加減寝なさい」と言うに違いないから、その前に終わりにしなくては。でも父親が来れば、争奪戦にぬっと乱入して、途端に混戦状態になっただろう……こういうくだらないことに、父親は率先して乗る気質だから。そしてやっぱり、三人そろって叱られるのだ。


 結局ヘロヘロになりながら寝て、次の朝にはいつも通り、勤め先の運送会社のラクダに荷物を乗せて、砂漠を進んで街々を巡る。そのはずだった。


 今年の誕生日祝いで貰えたのは、昨日の夜に「誕生日に読んで」と渡されたカードだけ。差出人である母親は、ミシュアルの瞳を見るなり悲鳴をあげた。家族総出で殴られ蹴られ、挙句の果てに「出ていけ」と父親に肩をつき飛ばされた。

 未だに両肩がジンジンと痛むのは、肉体的なダメージだけが原因ではないだろう。母親だけではない、家族も街の人間も、目に映る他人全てが、ミシュアルの『敵』となった。


 じわりじわりと戻りつつある正気が、悪夢のような現実を、冷気とともに知らしめる。


「まさか俺がナムゥになるなんて……」


 母親の焼いた焼き菓子(バクラヴァ)が恋しいと思っても、もうミシュアルに帰る家はどこにも無い。受け入れてくれる家族も知り合いも、無い。

 冷えた砂漠の街の隅で死ぬか、表通りに出て教会に捕獲された後、生まれてきた罰として拷問の末に死ぬか。はたまた信仰の浅い地域の奴隷商人に捕まって、生き地獄のような日々を送る、というのもあるだろう。


 今日この日、明るい未来は死んだのである。早く堕ちてこい、と口を開く闇だけが、ミシュアルの目の前に広がっていた。


 ミシュアル・ラティーフの十六歳の誕生日は、考えつく最悪の事態を尽く超えた『最悪な一日』として、彼の記憶に刻まれる事になったのは言うまでもない。

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