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2章─16

前半、少し難しい話になります。


「──ここでなら、本当の理由を教えていただけますか?」


 白地に青と黒で模様が描かれた壁紙に囲まれた落ち着いた広い空間は、エリウス家当主の寝室だ。その私的な部屋にて仕事着を着こなした男はバルコニーへ向かって、そう問いかけた。

 バルコニーで夜風と星明かりを浴びていた当主その人は、眩しそうに目を細めながらこちらに振り返る。その姿は寝る直前かと思わせる、夜着とこの季節に合った厚手のガウンだけである。バルコニーへの扉を後ろ手で閉めた当主は、言葉を発しないままベッドまで歩き腰を下ろす。その下のマットは、難なく体重を受け止め少しだけ沈む。

 長身の男もそれに見習い、正面の椅子に腰かける。


「五月蝿いのがいてね」


 その一言だけで、問いかけた黒髪の男は全てを察した。婚約の打診──現当主も急に現れた娘に対しても──や、エリウス家のお嬢様となった少女の素性を聞き出そうとする無粋な探り、自分が産みの親だと名乗る女性の虚偽申告だろう、と。実際それは当たりで、彼が特に五月蝿いと感じているのが、自身に対する婚約話だ。娘に関しては吟味中であり情報を集めている最中だが、己に関しては結婚はしないと決めているからだ。

 心配性な吸血鬼は、しかし認識の齟齬があってはならないと建前にして、問いかけを──心配事をつらつらと並べる。


「主催者ではなく出席者を気にしていたのは、それを警戒して?」


 社交シーズン中であっても参加する会が少ないエリウス男爵は、今年は殊更、出席するパーティーを吟味していた。いくつかの夜会や茶会の出席者を調査するよう頼まれたエリウス家の執事が、他所(よそ)の屋敷に侵入までしたのを、依頼者当人は把握しているのだろうか。その行為は気づかれていないため抗議すらないが、立派な犯罪である。


「君が提出した名簿、正確すぎて怖いよね。助かったけど」

「シーズン中なのにも関わらず、一対一での会合を求める手紙が多数ありました。その相手を、全て避けているのですか?」


 主催側(ホスト)としてパーティーを開ける貴族や商人は、懐に余裕がある家しかいない。良くも悪くも出無精(珍獣)であるエリウス男爵に確実に会うためには、パーティーに参加するだけじゃ足りない。今年は、ここ十数年欠席しなかったエバーグリーン公爵家のタウンハウスでの催しにすら、断りを入れたほどだ。だから先日の 非公式の(個人的な)昼餐会は、公爵夫人が一時帰宅してまで張り切っていたのだ。


「押しが弱そうなのは、手紙だけでその申し出を断っておいたよ。もともと僕に気に入られようとしている人たちだから、パーティーで会っても話題にも挙げなかった。僕が避けているのは、変な自信がある人」

「一番厄介なのは、伯爵ですか?」


 青みがかった白髪を揺らし、美しい御仁は首肯する。その伯爵とは、最近やけに見る封蝋の(ぬし)だ。


 ──スメラ伯爵家。

 伯爵位を賜ってから10代目になる、今勢いのある──いやその勢いを維持しようとしている一族だ。大海洋を挟んだ東大陸の一国との貿易が成功し、莫大な富を築いている。そんな伯爵家は、今代の王妃殿下の実家であり、次期宰相──外交に強い国にすると息巻いている──の座を目論んでいる。

 余談だが、今代の国王陛下は結婚と同時に臣籍降下する予定だった。しかし、婚約時代にごきょうだいの不幸が重なり、継承権が繰り上がったのだ。これにスメラ伯爵家は関与していない、本当に不運な事故と病気だ。スメラ家令嬢が次期王妃にと確定してから、その実家が野心的になったのだ。


「未亡人である伯爵の姉を差し出す、と言ってる。お節介ですらない、吐き気がする」


 手紙には、娘の教育には女手が必要だと、その未亡人を妻にと結婚の打診が書かれていた。最初の1通にだけ断りの返事を出して以降、エリウス男爵は次々と来る手紙に無視を決め込んだ。来る手紙には、自身の姉がいかに教養高いか性格が功績がと美点を並べたもの、持参金の上乗せ、伯爵家の船を1つプレゼントするなどが毎度書き連ねてある。今月に入ってからは手法を変え、ポジションを妻からロクサーナお嬢様の義理の姉にと、売り込んできた。

 ここまで躍起になっているのは、単にエリウス男爵の名が欲しいこと以外にも理由があると、情報を集めた執事は推測している。──エウタッカー侯爵家への対抗心、故にその分家であるエリウス家の吸収。

 7家しかない侯爵家の一つ、エウタッカー侯爵家は南西部の辺境に広大な領地を構えている。その領地──ケルギナス地方が接する隣国との貿易で栄え、その王国の貴族と数多のパイプを持っている。それを活かした外交手腕に、当たり前だが王族の覚えもめでたい。

 今代の国王と王妃が、スメラ伯爵──王妃の実兄──によるこの水面下のやりとりを把握しているかは不明だ。しかし知っていても止めはしないだろう。エリウス家が治める領地に本店を構えるギャザリア商事会社、そこの商品をお二人は贔屓にしている。王族も公人である前に、好みを持つ私人である。新商品が手に入りやすくなるなら、兄の行動を推奨するだろう。

 王族主催の、社交シーズンのフィナーレとも言うべきあの夜会にエリウス男爵が出席しないのは、対話の余地すら与えないための行動だ。──謂わば、逃げであると、最初に問いかけた男は結論づけた。


「ならば貴方は、最善で最良の一手を知っているはずです」


 今更になって結婚や養子縁組の申し出が増えた一因は、たしかにロクサーナの存在だ。しかしそもそも、今回大勢から付け入られる隙を与えたのも、逆にこの騒動を鎮静化できるのも、ただの一つ()()があるのだ。


「──貴方の生涯に一つの“誓約書”を、それこそ王の御前で公表すれば、こんな苦労を不快な思いをしなくて済むんですよ」


 その“誓約書”の第二項には、今代のエリウス男爵──ダニエルが結婚することも嫡子を作ることもないと示されている。また、そんな彼の後継──養子になるのにも狭い条件があることも明記されている。極めつけは第四項で、この“誓約書”は本人も王ですら破棄できない代物だ。

 この世界の約束事で、最も遵守すべきものが《誓約》であるとされている。神に誓った言葉を違えることも、その内容を妨害することも禁忌(タブー)である。


「……否、だ。……ここにきて、公表などしない」


 “白人(しらびと)の宝石”と謳われる民族から受け継いだ、その美貌が歪められる。毒を吐くような怒気も、眉間に刻まれた皺があってさえ、誰でも──目の前にいる男なら尚のこと、美しいと評してしまう。

 提案を却下された男は、ここで男爵家の執事ではなく、年長者──彼の恋人として助言する。


「ダニエル、見栄を張らないでください。貴方には難しいかと思いますが、私より、ロクサーナお嬢様の身の安全を保証してくださいませ」


 その言葉を受けて、ダニエルの口角が上がる。それは自嘲だった。

 彼の不安は、他人から見れば一蹴されそうな、しかし本人にとってはこの《誓約》を結んだ時から付き纏う恐れだった。


 結婚しない子を成さない、その理由を問われる。嘘を吐くことが心情でない彼は答える、──恋人がいるからと。ではその恋人と一緒になればいいだろう、身分や年の差など恋物語(ラブロマンス)のスパイスだ、必ず祝福される、それで後継者問題など消える。彼は反論する、──その人とは子が成せない、ならば結局養子を迎えることになる、だったら結婚もしない。

 彼は想像する、その後の世間の反応を──。それでも結婚くらいしてはどうか、世間様(我々)がその相手とやらを吟味してやろう。その恋人は愛人にして、世間様(我々)が本妻を見繕ってやろう、血筋こそ後継者の必須要件よ。貴族の結婚意欲・義務感さえ損なえさせる奴など、相手として不相応だ排してしまえ。

 しかし彼は気づいた、結局のところ自分が抱く不安は、世間からの評価や扱いではないことを──。己の唯一を、彼の想い人として世間に()()のが、値踏みや排除の対象として見られるのが、気持ち悪かった。そして中には、それで注目を浴びた「己の唯一」に秋波を振り撒く輩が出てくると確信できるから、殺意しか湧かない。

 彼は、彼の唯一が、大変魅力的な男であることを嫌というほど理解している。外を歩けば男女問わずアプローチされることなど普通であり、本人もまんざらでない──実際は紳士的に対応しているだけ──様子だ。そんな男を自身に繋ぎ止めるカードが、吸血鬼の生存を左右する“血の契約”のみ。情を抜きに考えれば、他者を必要としない絶対強者が、常に食糧(自分)の傍にいる理由はないのだ。

 自信のなくなった“魔女”が、長年恐怖しているのは、彼に愛の言葉を吐く男が離れていくことだったのだ。


「君の言葉は正しい、理解している。……ただ、まだ、……納得、できないんだ」


 徐に椅子から立ち上がったノアは、その流れる動きのまま、ダニエルの唇に軽く──でも確かな温度を乗せてキスをする。


「私は貴方のモノです。私の帰り着く所は貴方であり、私の引導も貴方の手にあります。私を表に出したくないのでしたら、どうぞ監禁でも封印でもなさって結構です。私の心に少しでも疑いがあるなら、言葉と身体(からだ)でもって愛を囁きましょう。……貴方の求めならば、いつでも応じましょう、どんなものも遂げてみせましょう」


 そして不意に、吐息の温度と気配がダニエルから離れる。


「──だから、ダニエル。……私に情けないと、失望したと、言わせないでくださいね。私()()の、気まぐれな“魔女”様?」

「……──ノ、ア?」


 すると今度は、悪魔に見合う笑みと共にノアはお辞儀をした。


「では予定通りに、出張に行って参ります。3日後の昼には戻りますので、早起きがんばってくださいませ。……おやすみなさい、いい夢を」


 最後の言葉に甘やかな余韻と魔力の残滓だけを残し、黒髪の吸血鬼は消えた。行ってらっしゃいも、おやすみも聞かずに、転移でどこかに行ってしまった。

 夜の明るい部屋に残された者は、呆然とした後、布団をいつも通り頭まで被った。





 翌朝、メイドに助けられながら意地でも起き上がる、朝に弱いと定評の旦那様に使用人たちは驚いた。起床を手伝ったメイドは、消し忘れられた灯りを訝しげに思いながらベッドメイキングをする。

 そんな出来事と使用人筆頭の執事が不在である以外、いつも通りの朝だった──。






「レイスが出張?」

「私用も兼ねていて3日はいないから、そのつもりでね。昨日言うつもりだったのを忘れてた。ごめんね、サナ」

「いいえ、それくらい、謝らなくて大丈夫ですよ。……では、学園に行ってきますね」


 すると、お義父様のカップがソーサーに当たる音がした。置こうとした訳ではないようで、そのままカップの持ち手は握られている。


「うん、……行ってらっしゃい」


 それはいつもより寂しげな、行ってらっしゃいだった。





 それから日付が進み、家庭訪問の日を迎えた。

 授業が終わった後、イオ先生と一緒にエリウス家の馬車に乗り屋敷に向かう。馬車の扉側にティム、その隣に私が座り、対面の座席にはイオ先生がいる。初対面同士の2人がいる中無言での移動になるかと思いきや、なぜかその2人で盛り上がった。


「──ソマンヌの人が領地を出るなんて、10年に1人くらいじゃないですか! 他領(そと)で会えるなんて、俺、運がいいですね!」

「反骨心で出てきましたが、毎日楽しいですよ。あなたこそ、あの集落の出身者なんですね、驚きました」


 改めて、アンナ・ソマンヌ=イオ先生は、ここから北西に行った先のソマンヌ地方の出身者だ。その地域の気候ゆえか閉鎖的な民族で、ティムの言葉通り領地外で会えるのは稀である。そしてティムは、そのソマンヌ領の辺境の小さな集落で育ったそうだ。

 いわゆる同郷の者たちの再会だ。この2人に面識はなかったそうだが。そんな感じで和気藹々とした空気が馬車を満たし、しかし屋敷に着けばお互い仕事モードに戻った。



「──おや、僕たちが最後の組でしたか。社交シーズンですと、なかなか日程の調整が難しいですね」

「そんな中、ご予定を合わせてくださり、ありがとうございます。早速、お話していきましょうか」



 応接室にて、私の家庭訪問が始まった。夕方の強い西日はカーテンで和らげられてさえ、その空間を橙色に染め上げている。

 私の隣にはお義父様、向かいのソファにはイオ先生が座っていて、メイドのコリーナ──30代と思われるビシッとカッコいい女性だ──がお茶を淹れてくれている。今気づいたが、イオ先生とコリーナは雰囲気が似ている。こう、仕事ができる女性という感じだ。でもイオ先生は目の前の美丈夫を直視せまいと、視線を下げている。

 分かる──。私も未だに、お義父様のご尊顔を直視で何分も耐えることができないのだ。今も隣にいるだけで、他所行きの笑顔からキラキラと星屑が飛んでくるのを感じる。


「まずは勉強環境について。ご実家から通われているということで、自宅学習の様子をお聞きしたいです。寮にいれば、先輩や同級生にすぐに質問できますが、ロクサーナさんはどうでしょう?」

「はい。基本的に、自宅(ここ)では1人で勉強をしています。分からない所は、うちの執事に聞いたり、朝や放課後に友人と話したりしています」

「……その執事の方には、よく聞いたりするのですか?」

「はい。……えーっと、博識な人なので」

「ふむ、中等部の教科書といえど、全教科を網羅するのは難しいでしょう。放課後など、気軽に先生に質問してみてくださいね。来週はテスト週間ですし」

「はい」


 そこではたと気づいたが、私、レイスに何でも疑問をぶつけていなかったか?

 魔法に関しては言わずもがな、経済学のグラフの読み方も教えてくれた。西大陸の共通語の発音が分からないと私がぼやけば、教科書の一文を流暢に音読し始めた。レイスと初めて会った頃に家庭教師も務められると言っていたが、まさか高等部までできるとかないよね?


「お父様から、ご質問はありますか?」

「そうですね。娘からは毎日学園での様子を聞いていますし、僕の母校でもありますから、制度などについては不安はありません。強いて訊くなら、昔との違いですかね」

「例えば、どんなことでしょうか?」

「課外活動の忙しさですね。娘は通学に往復2時間かかりますし、帰宅が遅くなれば心配になります。当時は通学時間が長い生徒には免除がありました。今はどうでしょう?」


 この質問に、イオ先生は視線をお義父様と合わせ答え始めた。……さすが先生、先程までの照れなどないかのような態度だ。


「中等部も高等部も、課外活動──生徒会、委員会、部活動については希望制になっています。もし人数が少なすぎるとなった委員会は、募集、勧誘を行います」

「僕の時代は、委員会は全員参加でしたが、変わったんですね?」

「全員参加とは初めて聞きました。今は、1クラスから最低2名ずつという原則があるだけです」

「まあ、僕の時ですら生徒数が多かったので、今なら尚更ですね。仕事が割り振りにくい」

「ええ、そういう理由などからです。……経験を得られるという観点から、課外活動を推奨はしますが、ロクサーナさんの場合、次期ご当主としての勉強もあるでしょうし、ご本人の希望で問題ありませんよ」


 なんとタイムリーな話題だろう。来月頭にどの委員会に入るか希望調査があるのだ。ちなみに生徒会選挙は3月にある。

 その後は私の通院に関して話し、規定の30分よりも長くなってしまった。イオ先生はもともと長くなっても構わなかったそうで、夜道をうちの馬車で帰宅していった。



来月は、ムーンライトノベルズで閑話『白の“魔女”の戸惑い』だけを上げます。申し訳ないです。

閑話→ https://novel18.syosetu.com/n2600ha/

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