2章―15
連載開始してから1年が経ちました。ここまでありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
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エバーグリーン公爵家に招待され、玄関ホールでの挨拶が済んだ。その後、予定通りに食堂へ伴われた。
当然ながらエリウス家のものより広い食卓に、5人分のコース料理が運ばれていく。品数は多く、繊細な味付けにドギマギしながら私は食べ進める。
会話は公爵夫妻とお義父様が主導で、私と目の前に座っているオスカー様は、その合間に短い返答をするくらいだ。料理の中には私の好きな魚介類が使われたものもあり、偶然だろうかお義父様の気遣いだろうか、私は感謝しながらランチが終わった。
食後の紅茶を頂いていると、公爵様がとある提案をした。
「年が近い者同士、話をしてみてはいかがかな? オスカー、庭でも案内してあげなさい」
この場に否と唱えられる人はおらず、私はオスカー様にエスコートされ秋の庭園に足を運んだ。
改めて隣に立つとよく分かるが、身長差がすごい。私の頭頂が、彼の脇下あたりなのだ。見上げ続ければ疲れるだろうと、視線は合わせなくていいとオスカー様に先手を打たれた。まあレイスとも同じくらいの身長差なのだが、彼はよく屈んでくれていたなと思い出した。
「──先日出会ったのは、偶然か必然か。今日の再会には、とても驚かされました」
先日、とはあの事故の日か。およそ2週間も前の出来事なのに、彼にとっては些細なことを覚えていたとは。ならば私の第一印象は、最悪なものではないか。
今の流れで、もう一度謝罪というのはおかしい。自分の傷を抉るようなものだ。馬鹿なことをした私を忘れてほしいと頼めば、了承してくださるだろうか。
「……お恥ずかしいことです。今日を、初めての出会いにしていただけませんか?」
「あいにくと、私にとっては印象的な出来事だったので、忘れられそうにありません」
無念、ロクサーナ……。もう笑い話にして、自虐に走るしかないのか。私たちの間に、話題はこれくらいしかない。
「……印象的、とはお転婆の間違いではないでしょうか? 人混みの中ではしゃいでしまって、今思えば慎みに欠けていました」
「はしゃいで、なんて。エバーグリーンの学園都市を楽しんでくださったようで、私は誇らしいですよ。私が印象的だったのは、貴女のステップです。剣術バレッダ流の足運びでしたので、驚いたんですよ」
驚いた、とはどういう意味か?
少数派──と言っても我流やもっと人数が少ない流派はたくさんある──だから珍しいのか。突発的な事故で咄嗟に足が動くほど、身体に馴染んでいることか。……しょうがないのだ、バレッダ流は絶対膝をついてはいけない。アルジハーブ家での鍛錬中に、何度転ばされたことか。
「……よくお気づきになられましたね。幼い頃から嗜んでおりまして、あの場で発揮できたのは幸いでした」
「ええ、お陰で、貴女に怪我もなく安心しました。私も剣術を嗜みますが、いつ頃から学んでいるんですか?」
「真剣を握らせてもらったのは10歳の時ですが、基礎的な体づくりを始めたのは、3歳だったかと。木剣は、7歳でしょうか」
「では、英才教育が始まってから、10年ですか。私より長いですね」
オスカー様は16歳だと聞いたので、7、8歳くらいかな。貴族の子息としては、剣術を始めるのには少々遅い年齢だろう。
「私は、7歳の時に騎士に憧れましてね。8歳で初等部に入学してから、中等部の剣術の先生をわざわざ呼んで、毎日寝る時間まで打ち込みましたよ。お陰で、学園では剣術に関しては負け知らずです」
「まあ、お強いんですね」
「まるで、自慢話のようになってしまいましたね。……エリウス嬢、歩き疲れてはいませんか?」
「いいえ、お気遣いいただきありがとうございます。……お庭も、とても素敵ですね。こんなにたくさんの緑色があるとは……。花びらの赤が引き立て役になるなんて、初めて拝見いたしました」
話題に困った私は、眼前の景色をきっかけにした。
別名「翠緑の園」と呼ばれる公爵家自慢の庭園は、花ではなく葉がメインだ。植物ごとの異なる緑色が複雑に折り重なっている。緑一色で地味だと思わせない、職人技が光る芸術品だ。
「私も、他家の庭を見る機会はありますが、ここの緑が一番落ち着きます。エリウス嬢は、お好きな花などはございますか?」
この方、会話の運びが上手すぎる。私が同年代の人と話すのが、そもそも会話が下手なのもあるが。質問されるほうは楽だが、私のコメントなど無難すぎて退屈じゃなかろうか。
「白や黄色の花を、よく飾ったり、ドレスにあしらったりしています。でも一番好きな花は、私の誕生花の芍薬でしょうか」
「……まるで、貴女のような花ですね」
──今、柔らかく笑った気配がした。
私は彼の揺らいだ感情が気になって、そっと顔を上げて伺ってみる。すると、彼の赤橙の目と合う。
それは、心の奥を見透かそうとするような、とても柔らかいとは言えない雰囲気を纏っていた。今度は、私が動揺する。
でも、その視線と熱は彼の瞬きの間に消え去り、幻だったのかと自分に疑心を抱く。
「……もう、戻りましょうか。お父上が心配しているでしょう」
「……はい」
私たちは歩いてきた道を辿りながら、建物──食堂へと戻る。その足で、お暇の挨拶を交わし、私とお義父様は帰宅した。
自宅での夕食時、お義父様からオスカー様の印象を訊かれた。私は無難に、紳士的で誠実そうな方だと答えた。2人──後ろには使用人たちが控えていたので厳密には違う──でいた時は、常に気遣ってもらったと。
友人として付き合っていけそうか、という質問には肯定した。対等にとはいかないが、またお話をしてみたいと思ったからだ。
お義父様は私の答えに、ただそうかと口にし、明日からまた授業をがんばるように励ましてくれた。
それから1週間後──9月の最終日、学園がお休みであるのを利用して、私は授業の予習復習を自室でしていた。
気になったら納得するまで、参考書のコラム欄も読み漁っているので、予習はなかなか進まない。ちなみにそれは、世界史である。世界共通の暦である“統一暦”の元年前後の内容を、今授業で取り扱っている。この時代は大きな出来事の多くが、神学や宗教と密接に関わっているので、それらを理解する上でとても重要な内容だ。
だがいかんせん、一国の歴史学よりも登場人物や出来事が多く、それが絡まっているので覚えるのが大変なのだ。
──トントンッ。
ん?
そういえば昼食前に人を紹介すると言っていたっけ。ってもう、そんな時間なの! 全然、予定の半分も終わっていない……。
「っ、はい! 鍵は開いています」
「失礼します」
扉の向こうの声はレイスだ。
私は机の上を急いで片付ける。
「お嬢様、今、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ、大丈夫よ。……人を紹介するのでしょう? 応接室に行けばいいかしら?」
「いいえ、お嬢様にご足労頂く訳には参りません。素性がはっきりしている人物なので、こちらに呼んでもよろしいでしょうか?」
「……そういうことなら、お通しして構わないわ」
「では、ソファでお待ちください。彼を呼んで参ります」
この部屋は、まあ広い。
侯爵家の別荘を内部改装しただけでは、大まかな間取りは変わらない。ここも例に漏れず、居室と寝室に分かれており、さらに水回り──個別のバスルームなども完備されている。洗濯と食事さえなんとかすれば、引きこもり生活も夢ではない。
話は逸れたが、私は居室の窓際にある勉強机から、廊下とを隔てるドア近くの応接セットに移動した。カーテンと同じワインレッドの2人掛けソファに身を沈めてから幾許、再びドアがノックされた。
「どうぞ」
「失礼します」
レイスの声が聞こえ、床と同じ色のチョコレートブラウンのドアが開かれる。
「お待たせいたしました。……──お嬢様の専属護衛となる者を紹介します。隣の彼が、そうです」
「お初にお目にかかります。エーゼティアム・クゥランと申します。本日より、護衛役を務めさせていただきます」
レイスの隣には、揃いの執事服に身を包んだ青年がいた。彼が動くたびにサラサラと亜麻色の髪が揺れ、青灰色の瞳は長い睫毛に彩られている。この色彩と丸みを帯びた顔貌は、シェーダニア法国の出身者だろうか。それにしてはユリーナ王国の母国語が流暢だ。
私はその場で立ち上がり、簡易的なカーテシーをする。
「エリウス男爵の娘、ロクサーナ・ヴィオレです。初めまして」
挨拶を終えた私たちはそれぞれソファに座り、専属護衛との契約書の説明が始まった。書類内容とレイスの補足説明を要約するとこうだ。
一つ、私の専属護衛となるエーゼティアム・クゥランは、エリウス家ではなく私という個人と契約する。一つ、業務内容は護衛として私の身辺警護、まだ見習いだが執事として生活の補佐、私やエリウス家に関わる雑務諸々。一つ、契約する際、彼の所属する組織の形式に則り、永年専属契約か更新制指名契約のどちらかを選ぶ。一つ、契約書作成には、魔法が施された紙とインクを用いる。この時、私は魔法も魔術も使えないので、血を数滴混ぜたインクでサインし、レイスが呪文を代行して唱える。
永年専属契約とは、主従関係で結ばれた契約者がどちらも死ぬまで続くもの。本当はもっと付随事項があるらしいが、この契約の場合、副業みたいなものはできない。
指名契約とは、期間限定で被雇用者を独占できるもので、雇用期間を更新し続ければ永続勤務になる。こちらも何か色々あるらしいが、業務に支障が出ない程度の副業は可能だ。そして私にとって重要なこと、彼のほうから契約を切る──更新しないことができるのが、指名契約だった。
「私は、更新制指名契約がいいと思います。あなたは、どうですか?」
「……あなたに従います」
これは同意なのか? それともすでに決定権は私にあるからと、反論しないだけなのか?
でも死ぬまで、おじいちゃんになるまで、護衛として体を張っていただくのは申し訳ない。だから、更新制の契約でいいのだ、きっと。
「──レイス、契約をします」
「畏まりました。準備をいたします」
左手の指の腹から血を取るのだが、痛くなかった上すぐに傷が塞がった。局所的な神経麻痺と治癒の魔法を、レイスが使ったのだ。
最近書き慣れたエリウス姓の名前と、エーゼティアム・クゥランの名前が、契約書類数枚に並ぶ。そして彼とレイスが、少し異なるが似たような呪文を唱えれば、契約は完了した。
「これから、よろしくね」
「はい。俺の生がある限り、あなたを守り抜くと約束します」
潔く、それでいて固い宣誓に、私は一瞬ぼうとした。こういう騎士の誓いみたいなものは、初めてだったから。
夢心地から脱すれば、彼の一人称は“俺”なんだと意外だなと思った。異国の顔立ちのせいか、ユリーナ王国民より童顔に見えるので、“僕”と予想していた。完全なる偏見だが。
さて、これから彼を何と呼べばいいだろう。そのままエーゼティアム? いや、予想だが年も4、5歳しか離れていないなら、気軽な感じに愛称? エーゼ、ティアム、ティム……?
「……ありがとう。……これからは、ティム、と呼んでいいかしら。他に愛称があったりする?」
「──っ、……そう、呼んでください。俺も、これからは、あなたをお嬢様と呼びます」
「良かった。年が近いのでびっくりしました。兄くらいの歳の人に護衛とか、お嬢様呼びとか、ちょっと恥ずかしいけど」
「あ〜、……え〜っと」
なぜか、ティムは狼狽え始めた。
「さっき、契約の話を先にしちゃって、俺の履歴書をスルーしたんですけど……」
と、テーブル上の書類の1枚を、私の近くまで滑らせた。表が大部分を占めるその紙の最上部には、履歴書と書かれている。
……36歳?
私の23歳、年上? 改めて目の前の相手を見ても、10代後半にしか見えない。童顔とか美容に気をつけていると言われても、若々しいではなく若い顔だ。
「……俺、鬼族とのハーフで。成長スピードが遅い鬼族の影響を受けて、……多分、実年齢の半分くらいの見た目だと思います」
ハーフ。
獣人族や森妖精などとは聞いたことがあるけど、鬼族? 一生のうちに鬼族に会える人間など、ごく僅かではないか?
いや、それよりも何度目だ? 外見と実年齢が噛み合っていない、ぱっと見では人族の形をしている方は。
「……私の周りの人は、見た目を騙してばかりだ……」
おやおや本人たちは普段から実年齢なんて気にしていませんよ、とレイス談。年齢不詳な人に言われると説得力が増す、のかな。
ということで、昼食も終えた私は勉強に勤しんだ。……別に、自棄ではない。
私の護衛がエリウス家にやって来た次の日──つまり10月1日から、通学についてくるのはティムになった。
顔馴染みになった門番さんには、護衛のにいちゃんが変わったなと言われる始末。そりゃ馬車から門扉までの短距離ですら、護衛がくっついていたら嫌でも覚えるだろう。外国人とは珍しいね、とティムも挨拶されていた。
その日、授業も終わって、迎えの馬車の中で私はティムに出身地などを尋ねてみた。
「──数年前まで、外に行ったことがないんで、多分、ユリーナ育ちです」
「──角も見えないハーフですけど、多分俺は鬼族寄りです。人族より強いんで、今回護衛役になれたようなものです」
「──両親の顔は覚えてないんですけど、知り合いからは母の面影は一切ないって言われたんで、多分父親似なんでしょう」
多分、という言葉が多いのはどうしてだろう? やはり種族が違う者同士の結婚には、私には想像できない苦労があるか。
そして両親と離れて暮らしていたのだろうか。私は、話題選びを間違えたようだ。彼には悲しみだとか寂しさだとか、そういう空気は滲み出ていないが、隠すのが上手いだけかもしれない。
「……ごめんなさい。訊かれたくないことだった?」
「えっ? いやいや、気にしてないですよ。ただの事実で、生みの親と育ての人が違うだけですから。孤児でもないし、仕事もあったんで、不幸じゃなかったです。俺こそ、答え方のせいで、お嬢様に気を遣わせてしまいましたね」
それは、本当に気にしてない、という笑顔だった。もしかしたら、私に長い人生経験があれば、彼の心の奥に隠された感情も分かったかもしれない。しかしそれは、たられば論だ。
「……そんなことないわ。話してくれてありがとう」
「いえいえ。……そんなことなんで、外国人とかって言われても、シェーダニア法国に住んだこともないんですよ。かと言って、ここの人たちみたいにユリーナ教の信仰者じゃないんで、胸張って王国民だとも言えないんですけどね」
そう、ティムは苦笑した。
ユリーナ王国の民である条件が、信仰する宗教に因るわけではない。たしかに、この国を守護してくださる天龍神と、対の存在である王族の舞を尊ぶ教えであるユリーナ教の信者は、国民の9割にのぼる。しかし無信教や他信教を排斥している国ではないと、断言できる。ただ多くの国民に浸透した習慣に、ユリーナ教のものがあるため、居心地は良くないのかもしれない。
「ああ〜、また、変なこと言いました。会話って難しいな……」
「ふふっ、私も会話は苦手なんです。でもティムのことが少しでも知れて、私は嬉しいです」
「大変恐縮です。……あっ、お屋敷に着きましたね」
馬車から降りる時、彼のエスコートより、まだまだレイスやお義父様のほうが上手いなと、また新しいことを知ったのだった。
それから数日後、私は夕食の席で、家庭訪問の日時が決まったとお義父様から報告を受けた。
「10月25日に決まったよ。その日は、先生も一緒に屋敷に来てもらったほうが楽かな? あーでも、サナは気まずいか」
「私は大丈夫ですよ。私からもイオ先生に聞いてみますね」
「そう。お願いね」
「──失礼します。旦那様、口を挟んでもよろしいでしょうか?」
お義父様の斜め後ろに控えていたレイスが、何やら怒った雰囲気を醸し出している。
「ん? なに、レイス?」
「その日は、王族主催の夜会があります。日が落ちる前に、王宮へ出向かなくてはなりませんのに、遅参するお考えですか?」
「欠席するよ? 夜会あるの忘れてたね」
お義父様はどこ吹く風。私の正面に見える2人の顔は、ひどく対照的だ。
「毎年同じ日付なんですから、貴方が忘れるなんてあり得ないでしょう。なぜ候補日に入れたんです?」
「“魔女”の気まぐれ」
「……。……はあ、貴方って人は……」
分かりました、と呟くレイスはどことなく疲れた様子だ。
解決したかどうか怪しいが、2人に尋ねるのも憚れる。そんな空気だ。王族なんたらと聞こえた気がするが、知らないったら知らない。私は食後のお茶を一口飲んで、納得することにした。
予告していた人物(護衛のティム)が登場しました。
次回は少し難しい話になります。