2章―13
1週間=7日で、授業があるのは5日間です。異世界ということで、地球の月火水木金土日の曜日名は変えています。
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病院での面談から2日の休日が明けた、学園への登校日。
大型自動車で一緒になったアインと教室に入ると、場は騒然としていた。原因はおそらく、人が集まっている黒板の張り紙だろう。始業の挨拶の30分前、生徒は半分くらい登校していた。
「コース分けのテスト結果、か。……見に行くか?」
「そうだね」
これから人が増えるので、私たちは混まないうちにと黒板に近づく。
白い大きな紙には、出席番号順にどちらのコースかだけ表になって書かれている。私は6教科とも全て発展コースだった。
友達の名前を探してみると、アインは礼儀作法の授業だけ、ユーリは魔法概論と魔術概論、キャシーは数学と魔術概論と礼儀作法が基礎コースだった。思ったよりも、みんなとバラバラのコース分けになってしまった。
「ヴィオレ、すごいな。初等部に行ってなかったんだろ?」
「うん、家庭教師に習っていたよ。そう言うアインも、テストを受けたものは全部、発展のほうじゃない」
「ここの初等部を真面目に卒業したなら、普通だよ。……平民だと、中等部から勉強始める奴が多いし」
「──貴族でも、家によって方針が違うから、私みたいに基礎コースを受ける令嬢もいるのよ」
後ろから聞こえたのは、ユーリの声だった。隣には微妙な顔をしたキャシーもいた。お互いに、おはようと挨拶をする。
「……ヴィオレと、半分も分かれちゃった。もうちょっと、家で勉強すれば良かったな……」
キャシーは悔しげに呟くが、右の握り拳は闘志にみなぎっている。きっと期末試験で挽回するつもりだろう。聞けば、キャシーは中等部に入学するまでは、兄に教わっていたそうだ。
「私の実家は、魔法関係の本も先生もなかったのよ。魔法大国の貴族なのに、ほんっと、ありえない!」
ユーリは何かを思い出し憤慨していたが、キャシーと同じくその握り拳には闘志がみなぎっていた。ユーリは魔法を学ぶため、ほぼ家出同然にここに入学したと話してくれた。
2人の話から、私はとても恵まれた環境に、過去も現在も生きていると実感した。
「私もみんなと、みんな以上にがんばるね!」
私はそう宣言して、友人に恥じぬよう勉学に打ち込むことを決意したのだった。
1週間の初めの曜日──炎の曜日の1時限目は「魔導学概論」で、担当教師は私たちの担任イオ先生だ。朝礼が終わった後、そのまま授業に入った。
「この授業は、この世界の基本的なこと、例えば、魔法や魔術や精霊術の成り立ち、神学など、あらゆるものを網羅的に学ぶ時間です。内容が多岐に渡るため、予習が大事です。そして成績評価について、試験はありますが、レポートを重視します」
レポートと言われてドキッとしたが、復習も兼ねた宿題のようなものだった。毎回の授業内容に関する設問に答え、興味のある事柄を少し調べる。そして次回の授業の最初に提出する。
授業の進め方の説明が終わると、教科書を開くよう指示が出された。ついでにレポートは今日からだと言われたので、みんな背を正した。内容は、魔法や魔術の違いだった。
この世界の空気、地中、海、あらゆる場所には“魔素”と“精霊”が満ちている。どちらもエネルギー体であるが、物質や環境によって濃度が違う。例えば、高純度の魔素が結晶化すると“魔鉱石”に、精霊が多い地域は森林が青々としている。しかしこの両者の決定的な違いは、生物が体内に取り込めるか否かである。
動物でも植物でも、体内に取り込まれた魔素は“魔力”となる。植物の場合、魔力を帯びない種よりも毒素──薬効成分とも言える──が強くなったり、攻撃性を持ったりする。動物の場合、魔法が使えるようになる。
魔法と魔術の違いは、媒介があるかないかである。魔法は、脳内でイメージしたり、使うという意識をすれば発動する。この原理で言うと、体内の魔力操作も魔法に分類される。
魔術の媒介でメジャーなものだと、古代語で長文の詠唱、魔法陣、物理的な媒介──鉱石や薬液。
魔法と同じ現象をもたらすのにも準備が必要な魔術は、魔法よりも研究が進んでいる。それは、魔法が体術や美術と同じく感覚的なものであるのに対し、数学や薬学のように魔術は理論や製法が確立しているから。魔法で炎を出して、と言われれば三者三様の火球が出現する。しかし同じ詠唱で魔術を発動すれば、完璧に同一のものを作れる。
正確性や統一性を求めるなら魔術を、個人が使う分には魔法が便利とされている。魔術の詠唱の文言を覚えるのなんて大変だ。でもこの学園の授業では、その詠唱や魔法陣がテストに出る。
「魔術概論」は記憶力がものを言う。これから暗記をがんばろうと思ったところで、チャイムが鳴った。
その後2時限目は「国語」、3時限目は「歴史」の中でも世界史の担当の先生が来た。
昼休みを挟んで4時限目は、コース分けされる「数学」だ。隣の4組と合同で、基礎コースであるキャシーだけ教室を移動した。……寂しい。3組の教室には発展コースの生徒が集まり、若干少なくなった。
昼休み終了を告げるチャイムが響くと同時に、引き戸が開かれ先生が登場した。
「──数学担当の、シルバ・ディギルエヴィディエフスキーだ。長ったらしいから苗字で呼ぶなよ」
……スーイ先生?
いや、名乗ったファーストネームは違うし、茶色の髪はスーイ先生より長い。
でも、すごい似ている。シルバ先生のほうが少し若いのと、眼鏡をかけているくらいだ。
「成績評価は中間試験と期末試験の点数、その時に提出する課題で決める。質問は? ……ないな、じゃあ授業始めるぞ」
あとは、口調と話す速さかな。すごい早口だし、……待ってっ! 板書も速すぎる!
前半は、高速で手が動いていたのに綺麗な文字が並んだ黒板を見ながら解説。後半は応用問題を解いた。解き方が分からない時は友達と相談しろ、とのことなので教室には囁き声が溢れていた。授業終了5分前に答えが書き出され、質問を求められた。今回は全員解けていたようで、チャイムが鳴る前に解散となった。
後日、病院での診察のついでにスーイ先生に尋ねたところ、シルバ先生は弟だと教えられた。あいつ早口だよねー、ということには同意しておいた。
次の「社会」はキャシーも発展コースなので、3組の教室に合流した。
そして、本日最後の授業で自由科目である6時限目、私は剣術を取ることにした。全ての曜日の中で1つだけあったバレッダ流だ。他の──例えばグラギナ流は毎日あるのに、本当にマイナーなんだと内心納得した。
友人3人にも、その流派なの?、という顔をされた。でも行ってみた練武場には、1クラスより多い人数がひしめき合っていた。
「今日は見学だけの生徒もいるだろう。……まあ、剣技を見てってくれ」
指南役の先生は、踊り子をやっていそうな美人だった。実際、剣舞が原型のバレッダ流なので、披露してもらった剣技は踊っているように見える。
剣術や魔法の実技は週に2回あるので、今週はもう一度ある。その日に人数が確定したのだが、経験者と美女先生を目当てに来た生徒しか残らなかった。総勢37名、例年と変わらないそう。
初めての授業、久しぶりに味わうスケジュールの詰まった学習環境。私は満足しながら、屋敷への帰路についた。
夕食の席で、今日一日あったことをお義父様に話していると、1つ疑問が浮かんだ。
「お義父様の、魔法を使う姿を見たことがないですが……。あれ? 魔術にしては、詠唱が短かったような?」
お義父様が魔術を使ったと事後報告をされるが、本当に気付かぬうちに発動しているので毎回驚く。魔法陣を持っているわけでもないのに、浮け、と言うだけで家具が浮くのだ。
「僕は体質の問題で、魔法は封印しているよ。だから魔術を使ってるけど、よく使うやつは簡易の詠唱にしてるね」
「……詠唱は、短縮もできない、って習いましたが?」
「理論を説明すると難しいけど、……ようは慣れだよ。ほら、長生きしてる黒妖精の魔術は、魔法と変わらない、って言うでしょ」
たしかに、黒妖精のその逸話は聞いたことがあるが、本当は魔法を使っているというのが通説だったのでは? 聞いた話では、魔法陣も手元にないのに無言でいろいろ繰り出してくるらしいのだ。
「それは疑ってる顔だね」
お義父様は唇を尖らせている。
お義父様なら嘘は吐かないだろうと思っているが、私に魔法や魔術の判定はできない。勉強不足で分からないと素直に白状すれば、興味があれば教えてあげると、いい笑顔で返された。
そう、とてもいい笑顔だったので、私が一瞬思考停止したのは言うまでもない。そうやって一日が終わっていった。
次の日、光の曜日には「魔導学実技」が2時限続けてある。スーイ先生の予言通り、今日は補助の先生も含めた紹介と授業内容の説明くらいだった。1時限だけで終わった授業は、そのまま解散となり自習の時間になった。と言っても監督の先生はいないので、ほぼ休み時間みたいだった。
そして、その時間を使って私はイオ先生と授業の相談をした。もちろん、みんながいる教室ではなく各階にある相談室で、2人きりだ。
「──あなたのお父様とスーイ先生からのお申し出で、クラス担任である私が、学園で唯一、ロクサーナさんの病院の資料を閲覧できるようになりました。これから教師の立場として、あなたを支えていきたいと考えています」
「よろしくお願いします。私も、分からないことが多いので、相談できる先生がいて助かります」
「はい。何でも、というのは難しいかもしれないけど、遠慮せず訊いてくださいね」
そう、教壇で立っている時よりも穏やかな表情で、イオ先生は話し始めた。
「……魔眼の発動条件が分からない、魔眼を発動させたくない、と神経質になってしまう子が過去にいました。そうなると、楽しかったはずの学園生活も、楽しめなくなり、先生としては勿体ないと思います」
「……はい」
「魔眼など“加護”と呼ばれるものは、精神が不安定になると、魔力が暴走することもあります。……甘えてる、などと思わないで、不安を感じたら、先生や家族に友人に相談するのが大事ですよ」
初等部の気分が抜けない生徒を見抜くような鋭い視線ではなく、そこには優しげな紅眼があった。
「はい。……では、1つ、相談したいことがあります」
私は、数日考えていた実技授業について話した。
魔導学実技は、クラスのみんなと同じく受けたいと。理由は授業単位と、クラスメイトがどんな魔法を使うか見てみたいから。スーイ先生の指導にはちゃんと従い、一緒の訓練場で続けられそうになかったら、すぐに授業をやめることも。
まあ、一番の理由は、実際に使っている魔法や魔術を見たいからだ。アルジハーブ家では誰かが魔法を使う場面などあまりなく、強いて言うなら兄の魔法の勉強中だけだった。それも、兄が学園の高等部に進学してからは、見られなくなった。
魔法大国と言われる我が国でも、魔法や魔術が使われるのは主に戦闘中だ。日常生活において重宝されるのは魔道具で、魔力を流したりスイッチを入れたりするだけで、みんなが安全に使用できる。日々の移動手段に、多量の魔力を必要とする転移魔術を使う、お義父様がおかしいのだ。
「──周囲と切磋琢磨できるのは、学園でしか味わえませんからね。いい判断だと思いますよ。……スーイ先生からも、指導員調整の打診は来ていましたから、このまま調整を進めますね」
「はい、お願いします」
私が相談室から教室に戻ると、まだ名前を覚えていないクラスメイトが入れ替わるようにイオ先生のもとに向かった。1クラスに50人もいれば、問題を抱えた生徒も2、3人はいるだろう。
私はなんてことのないように、友人たちの近くに座った。
「あっ、ヴィオレおかえり。今日、どこの商店街を見て回りたいとかある?」
そう迎えてくれたのは、キャシーだ。今日の放課後、先週約束した通り一緒に商店街を回ることになったのだ。
「うーん……。4年間、学園都市に住んでいたアインは、オススメとかある?」
朝の大型自動車から放課後まで、なんだかんだ席が隣同士でいるアインに話を振ってみる。ちなみに今日の街歩きに、彼は同行しない。
「……初めてなら、高等部の西側の所がいいんじゃないか? 歩行者大通り」
「あそこ……、スイーツ店、雑貨店、露店の激戦区の所ね。そういえば、まだ行ってなかったわね、キャシー」
「なんだかんだ引っ越したばっかりで、遊び目的で店に行かなかったからね。ヴィオレもどう?」
「2人がいいなら、そこに行きたいな。提案してくれてありがとう、アイン」
「別にいいって」
私はそこで、アインの年相応の照れ臭そうな表情を垣間見たのだった。
「──ここが、歩行者大通り……。人っていうか、高等部生が多いね」
放課後、私とキャシーとユーリは大型自動車に乗って歩行者大通りにやってきた。停留所からしばらく歩くと、噴水のある広場を中心にスイーツ店やアクセサリー店、被服店などが軒を連ねる大通りに出る。
高等部の敷地が近いせいか、はたまた高等部生を狙ってこの通りができたのか、私たちとは違う制服のお姉さん方が多い。男子の制服は、中等部と高等部でシルエットは似ているが、所々が違う。中等部のジャケットはシングルなのに対し、高等部はダブルブレストで、着丈が異なる。女子はダブルブレストのミモレ丈ワンピースで、中にパニエを履いている。中等部と違って、フリルのついた立ち襟のブラウスがとても大人っぽい。男女で共通しているのは、肩章があったり、中等部のローファーの代わりに編み上げブーツを履いていることだろうか。
「どこから行けばいいのかな? 私、こういう所初めてだから、2人について行くよ」
恥ずかしいことに、私が初めて露店を利用したのは、入学式後のあのスムージー屋だった。アルジハーブ家にいた時は、街を歩いたり農地を視察したりしたが、ケーキ屋に赴いて自分で注文することはなかったのだ。エリウス家に来てから、そういう思い出話をするたびに、自分が箱入りだったと自覚する。まるで高位貴族の令嬢みたいに、屋敷に籠りっきりだったのだから。
──だからだろうか、人や店の多い風景に私の目は奪われて、知らない人にぶつかってしまった。
「──失礼いたしました!」
転ばなかった私は、慌てて頭を下げて謝罪した。
私の左側から現れた相手の進路を塞ぐように、出会い頭で体当たりするようにぶつかったと思う。この広場に順路はないけど、それなりの人の流れというものはあって、私はその中を挙動不審になりながら友人を追っていた。どう考えても、私に非がある。
「そちらこそ、怪我はないか?」
大人びた低音が、頭上から降ってきた。そこから怒っているのかどうか、感情は読み取れない。下げた目線の先にあるのは、茶色のブーツだ。
年上の方に謝罪する時は、勝手に頭を上げないほうがいいだろう。いや、誰に対してもそうだけど。私は姿勢を変えずに、問題ないと答えた。
……ちょっと待って。こういう場合って、お詫びの菓子折りとかを渡したほうがいいのだろうか。いや、貴族の令息だったら、お菓子じゃ足りない? 学園内で爵位を盾に使わないよう厳命されているけど、被害者の場合、慰謝料とか請求できるんだっけ?
「……顔を上げてくれないか」
「はい」
思考の渦に飲まれた私に、再度声がかかる。上品に見えるギリギリのスピードで顔を上げて、相手の表情が見えなかったので、もう少し首を曲げた。私の身長は相手の胸あたりで、その彼はレイスと並ぶほど長身な方だった。光の加減で灰色にも緑にも見える黒髪に、赤色の瞳は端整な顔に嵌っている。宝石に例えると、カーネリアンだ。
「よろけていたが、足を捻ったりしてないか?」
私が加害者なのに、また怪我の心配をされてしまった。
「いいえ、咄嗟にステップを踏んだので、私に怪我はありません。あなたには、何もありませんでしたか?」
「いや、問題ない。……人の多い場所だ、今後は気をつけるように。……では」
彼は急いでいたのか、足早に私から離れていった。そしてすぐ人並みに飲まれることはなく、あの長身は目立っていた。今回のことは不問にされたのか、私は追いかけたほうがいいのか。悩んでいる間に、今度こそ見失ってしまった──。
「──あっ! ヴィオレいたー!」
一緒に来た友人ともはぐれたことに気づいた私が、その場で立ち尽くして数分後、2人に見つけてもらった。完全に迷子認定された私は、それからキャシーと手を繋いで店を回ったのだった。
ロクサーナは実家での毎日の授業が充実していたこともあり、本人は苦痛に感じてはいませんが、箱入り娘です。屋敷外部の人間の目に触れさせないように、両親が意図的に交流を狭めていました。