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2章―8

本当は7と8は一緒だったんですが、長すぎたので分割しました。

今日はもう1話【挿話】を更新します。

 すっかり見慣れた部屋に辿り着くや否や、私は服がシワになることも気にせずベッドに倒れ込む。冷たい瞳を見てから、指先が僅かに震え、体の芯は冷えていた。

 分かっている。優しいだけの人なんていない。

 あの方は観察、いや研究に集中すると表情を取り繕わなくなるのだろう。私が勝手に優しさの消えた()()()に怯え、今こうやって布団にくるまっているだけだ。でも理解していても、怖くて、顔に触れたシーツが涙で濡れてしまった。



 あれほど目が潰れてしまうだのなんだの言っていたお義父様の笑顔を思い出し、涙を引っ込める。

 泣いた後の顔など、特にお義父様に悟られたくない。室内に備え付けられている洗面所で、目元を冷やし、なるべく赤みを消す。

 昼食までの時間で荷造りをしようかと思ったが、手荷物などなく、初日に着ていた若草色のワンピースドレスは見つからなかった。仕方なく諦め、渡された本を眺める。内容など入ってこないと思ったが、目線を流すうちに文字を追うようになり、私は昼食に呼ばれるまで読書に没頭していた。

 先程まで泣いていた13歳の女子は、どこに行ったのやら自分でも呆れた。


 昼食はターニャが作ってくれた、具が2種類用意されたサンドイッチだった。

 食堂には私とミリュエシア様とターニャしかいない。昼食だけは、各々好きな時間、好きな場所で食べるんだとか。いつもはゲオルグも食堂に来るが、宿題に追われているらしい。


 昼食を食べ終わり、3人でお茶を囲み一息ついているとミリュエシア様の動きが一瞬止まった。そうして私を見て、ダニエルが来たようねと告げた。

 ターニャには新しいお茶の準備を、私には応接室で待っているように指示したミリュエシア様は、資料を取りに研究室に戻った。もちろん転移魔法を使うので、一瞬で応接室に帰ってきた。


 応接室にカップや茶菓子の乗ったワゴンが運び込まれるのと、お義父様がソファに座るのはほぼ当時だった。


「サナ、元気にしていた?」

「はい。みなさんによくしていただきました」

「ん、良かった。僕も、サナの顔を見て安心した。ちゃんと眠れていたみたいだね」


 そう言って、同じソファの隣に座っているお義父様が腕を伸ばし、私の頬を指の背で触れる。軽く触れられたそれは、羽毛が撫でた感覚に似ていてくすぐったくなった。相変わらず笑顔は破壊級だったが、なぜだか私も安心した。

 とそこで、咳払いが聞こえる。


「失礼しました。おば様、娘のことで何か分かりましたか?」

「ええ、完璧ではないけどある程度は。これが検査結果と、私の推測をまとめた資料よ」


 テーブルに滑らせたのは、表紙にミリュエシア様とオーフェン様の署名、日付だけが書かれた紙の束だ。最後のページを開いて、と言われお義父様はページをめくる。


「結論を言うと、ロクサーナの眼は一定条件が揃えば“紋”が現れることから、魔眼だと診断するわ。しかし特徴が一致する症例がないの。本当に新しいものなのか、文献や診断書に載っていないものなのか、現時点では確認できない」

「……症例が見当たらない、とはここに所蔵されている資料だけのことですよね?」

「そうよ。私の専門じゃないから、魔眼についての資料は最新の論文じゃなくて、学術書を参考にしたわ」

「分かりました。では、この特異体質とは?」

「ロクサーナは魔力操作はできるけど、目だけに限定されることね。魔眼の影響か定かではないけど、魔法がほとんど使えないに等しいわ」


 私たち親子は資料とミリュエシア様を交互に見ながら、説明を受ける。

 そして私は、魔眼について基本的なことさえ知識があやふやだったので、解説を求めた。


「魔眼は先天的、後天的なものに分けられる。基本的に潜在魔力量が多い種族、悪魔族や妖精族は、遺伝によって得る者が多い。人族には加護や呪いで与えられたり、環境によって産まれたばかりの()に発現したりする。ここまでが先天的なもの。後天的に得るには、契約、大抵の場合“魔女”がこれに当てはまるわ」


 私は、ここまで理解できたとミリュエシア様に頷く。


「次に魔眼の特徴だけど、力を使うと眼が魔力の発光を帯びて、紋が浮かび上がる。魔眼の研究者は、その発光色や紋の形からどんな効果かを推測できるように、日夜奮闘しているの。ロクサーナ、この国で、一番有名な魔眼は知っている?」

「……はい。ユリーナ王国で産まれた人だけに見られる、“血鬼眼”ですよね?」

「そう。詳しいことは学園の授業でやると思うけど、オーフェンもその持ち主よ。血のように昏い瞳は、力を使う時、真っ赤に光り金色の紋が浮かぶ。とても難儀な魔眼だから、捨てたいと思う人が多いわ」


 私も詳しくは知らないが、“血鬼眼”を持つ者は魔法に関して優れた才能を発揮するが、弊害や障害のほうが大きいそうだ。非常に不安定な存在ゆえ、国内では保護制度などが整えられ問題なく生活できるが、国外からの評価は様々だ。酷い話だと、バケモノや国の呪いなどと言う人もいる。そして、そういった言葉ほど耳に入りやすい。


「……そうだったんですね。オーフェン様が、……知りませんでした」

「貴方が落ち込む必要はないわ。まあ、オーフェンはあれを好きではないけど、気に入ってはいるのよ。そうそう、ロクサーナの眼は本当に綺麗で、私も見惚れてしまったわ。紫紺に輝いて、鋭利な銀の紋はすごい複雑な模様で。魔眼の研究者が夢中になるのも、頷けるわね」

「えっと、私の魔眼の紋って、いつ現れるのでしょう?」

「それも法則が分からないのよ。私も一度だけで、オーフェンが応接室(ここ)で貴方を診ている時、終わる頃に少し見えただけ。……ダニエル、ごめんなさいね。ほとんど分からないままだわ」

「いいえ、急にお願いしたのはこちらですし。2日だけでいろいろ調査してくれたことに、感謝します」

「私の勉強不足を痛感したわ。話は変わるけど、ロクサーナをエバーグリーン学園の中等部入学に推薦しましょう。それに加えて、学園付属病院に勤めている魔眼の研究者に、紹介状も出します。学園に通学しながら、通院して解明しましょう、ロクサーナ」


 この屋敷に来た本来の目的が達成された。そして紹介状も、私のこの不可解なことを解き明かしてほしい。


「……っはい! ありがとうございます、ミリュエシア様」

「娘のためにありがとうございます。後日、お礼の品を持ってきます」

「気持ちだけで結構よ。長い付き合いじゃない。……ところで、これは単なるお節介だけど、婿候補は見つかったの?」


 お義父様はテーブルに資料を置いた手でカップを取ろうとした、その状態で止まってしまった。婿候補って、私の結婚相手のことだよね?


「貴方がお付き合いしている家なんて、両手で足りるほどじゃない。その中から年頃の令息ってなると、私の記憶が確かなら、せいぜい4人がいいところでしょう?」


 お義父様は引き攣った表情で答える。


「よくご存知で。その中で婚約者のいない方は2名だけです。しかし片方は家格が釣り合いませんので、実質決まったも同然です」


 それは誠か。近頃は貴族の恋愛結婚も不思議ではなくなってきたが、私は養子だ。そんな我儘など言っていられない。私の当主としての地位を盤石にするには、きちんと家同士の意向が反映されたものではないといけない。

 しかし男爵家と家格が釣り合わない相手と、お義父様は親しい関係を築いているのか。当主が私に変わった途端に、関係が崩れやしないだろうか。


「では当ててみましょうか。エバーグリーン、その分家のセジェット。あそこは男児が2人以上いましたね」


 今度は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるお義父様。この様子は当たりなのか?

 しかしその家名は、つい最近まで辺境にいた私でも知っている。エバーグリーン家とは、名前の通りエバーグリーン学園都市を含む広大な領土を治める公爵家だ。その古い分家のセジェット子爵家が治めるグリナンド地区も、エリウス家のザジルサ地区に接している。


「ええ。しかし仲が良いと言えど、公爵家から男爵家の婿に望むなど烏滸がましいにもほどがあります。セジェット家に伺いを立てて断られたら、エリウス家(うち)が懇意にしている商家に話を通します」

「へえ。案外、公爵家も名乗りを上げるんじゃない? エリウスの家名は魅力的だもの」


 さらにお義父様は渋面を作る。

 私には魅力的な理由が分からなかった。世間に流れているお義父様()()の噂は知っているが、政治的な関係はまだきちんと理解していなかった。


「助言ありがとうございます、おば様。長居しました。そろそろお暇させていただきますね」

「ふふっ、分かりましたよ。では最後にロクサーナ、この本をお贈りします。ぜひシリーズを通して読んでみてください」


 渡されたのは黒の布張りの分厚い本が3冊。見たことのあるそれは、昼食前まで私が読んでいた『マグルールの自叙伝』の上中下巻だった。途中まで読んだ上巻も含めて、自分で購入したいと思うほど気に入ったので、とても嬉しい贈り物だ。


「ありがとうございます! 大切にします。……あの、このワンピースは返したいのですが、一昨日私が着てきた物はありますか?」

「あら、それもあげますよ。可愛いのだから、そのまま着て帰りなさいな」


 ミリュエシア様は私のことを可愛いと何度も褒めてくださるが、お世辞にしては回数が多い。単に私の容姿が、ミリュエシア様の可愛いの枠に入っていたのかもしれない。

 だってアルジハーブ家にいた時は、お茶のカップより剣を握っているほうが多く、動きやすい男装を好んでいた。可愛いと言われるなど、覚えがないほど過去の出来事だ。それがエリウス家に来てからは、褒められ慣れない単語が飛び交う。全くもって理解ができない。

 それよりも、ミリュエシア様のこの笑顔は絶対に返還を許さないものだろう。私が最近知ったことの一つは、笑顔で人を脅せるだ。


「分かりました。遠慮なくいただきます」



 別れの挨拶を済ませ、私はお義父様と一緒に馬車が待っている林の外まで小道を歩く。もちろん行きとは違って、自らの足で。

 御者のテオドアにも挨拶をもらい、馬車に乗り込む。

 密閉された空間に入ったことで、微かに甘い香りがすることに気付いた。匂いのする物は持ってきていないし、私は香水を付けたことはない。となると、向かいに座っているお義父様なのだろうか?


「お義父様、今香水を付けていますか?」

「もしかして強かったかな?」

「あっ、違くて、いい匂いがしたので気になったんです」

「そう、安心した。これはラルテリアっていう香木の香水だよ。その日の気分で付けるから、サナの前で付けたのは初めてだったかな?」

「はい。初めて嗅いだ香りだけど、お義父様に合っていると思います。ラルテリアという名前も初めて聞きました」

「いろいろ逸話のある木なんだ。それにこれは、香水として抽出するのが難しくてあまり流通していない。ザジルサ地区の領主だから、付けられる物かもね」


 最近学び始めたザジルサ地区のことで、特産品の一つに香水があった。難しい香りでも実現させてしまう工房がいくつもあるらしい。人気の高い商品も量産しているが、懐に余裕のある貴族たちには少し珍しい香りが好まれる。


「そうなんですね。私、香水を付けたことがないので憧れなんです。いつか当主に似合う香りを、身に纏いたいです」

「ふふっ、当主じゃなくて、サナに合う香水があるといいね」

「もう、私は立派な女当主になりたいのに」

「当主が付けるべき香水なんてないよ。サナが好きな物を付けて、その香りでエリウス家の当主だって、知らしめるくらいに思わないと。今度、一緒に探そう、ロクサーナがお気に入りになる香水をね」


 お義父様は未来に繋がる話をしてくれる。でも私は不安だ。

 当主になるまで、当主として、当主になった後も、想像するだけで不安になる。それは、当主としての私の資質にまだ不安があることと、お義父様がふとした瞬間に消えていなくなるのでは、考えてしまうからだ。

 お義父様は、私に優しいし、私を可愛がってくれるし心配してくれる。しかしそれはふわふわした不安定であやふやなもので、さっき私の頬に触れた指のくすぐったさのようだ。根拠はない、杞憂であってほしい未来の()()()

 いつの間にか私はずっとお義父様の娘でいたい、と思っていたんだな。


 そのまま馬車は進む。私の帰るべき場所に向かって。

 まだひと月ほどしか過ごしていない屋敷を2日離れただけで、懐かしいと思い、使用人たちから歓迎を受ける。


 これからは学園の入学の準備に忙しくなるだろう。先程の不安を、そんな忙しさに一時(いっとき)の間だけでも消し去ってほしいものだ。


ラルテリアの香木の逸話もいつか書きたいです。

【挿話】を挟んで次回からは、いよいよ(?)学園の話です。

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