第五話
シン・エヴァンゲリオン……良かったです。これで完結かと思う寂しさと、完結に相応しい作品だったという満足感に板挟みになって妙な気分になりましたが、最終的に作者は満足でした笑
まぁ、そんなことはさておいて、今話も拙作を読んで楽しんで頂けたら幸いです。
「……怪我人か。大丈夫か?」
アイクは男の下に駆け寄ると、ゴーグルを外してザッと容態を確認する。男は立ち上がる余裕もないのか、瓦礫の山にぐったりと凭れ掛かっている。腹部には何かに切り裂かれたような痕があり、抑えている手からは出血した血が滴り落ちていた。耐塵スーツを身に纏い、顔をガスマスクで覆っていて顔色は判断できないが、呼吸が細くなっているのは音で分かる。応急手当が必要なことは、誰が見ても明らかだった。
「酷い傷だな。外にいたモンスターにやられたのか?」
「そう、だね。魔物——モンスターに追われてる時にね。おかげでこの様さ」
「俺も似たようなもんだ。お互い不運だったな。……応急薬の予備があるが、要るか?」
「助かるよ。丁度治療薬を切らしていてね。応急薬でも十分ありがたいよ」
アイクは素早く応急薬を取り出すと、男の傷口に塗って応急処置を施した。ナノマシン技術の発展により、今では外傷なら治療薬を塗るだけで完治できるようになっていた。治療薬中のナノマシンが傷口周辺の殺菌と治癒力の促進を並行して行うため、感染症リスクを抑えながら早急な治療が可能となっているのだ。最高級のものでは、千切れた四肢を繋ぎ合わせることも可能だと言われている。
アイクが使った応急薬はその劣化版で、治癒に掛かる時間が治療薬よりも長い分、価格が安くなっているものだ。しかし駆け出しハンターの懐事情でも手が届く値段なため、携帯しているハンターは多い。これで命拾いした駆け出しハンターも多く、彼らの間では神器と呼ばれていた。
「ありがとう。おかげで楽になった気がするよ」
「所詮は気休めだ。応急薬にそこまでの効き目は期待できないぞ」
「はは。それはわかってるんだけどね。でも、気休めでこの場を凌げるなら値千金だよ」
男は身体を起こし、マスクの奥で笑いながらそう言った。しかし声色には弱冠の震えが残っている。男が無理をしていると、アイクはすぐに察した。
そもそもアイクが渡した応急薬は、ギルドが販売してる応急薬よりも更に価格の落ちた安物の応急薬である。非正規ルートで出回っている安物は、検閲の段階で弾かれた不良品や処分に困った売れ残り品が横流しされたものがほとんどであり、そういったものは内部のナノマシンの性能や量が悪く、規定値ほどの効果が望めないことが多かった。
それを言うか言うまいかアイクが逡巡していると、男は無用な心配を掛けたと勘違いしたのか、気丈に振る舞って言葉を続けた。
「そう言えば、まだ名乗ってなかったね。僕はエルヴィン。エルでいいよ」
「アイクだ。よろしく」
男——エルが差し出した手を、アイクは握った。握り返す力はかなり弱かった。
「……一応聞くが、一人でここから脱出できそうか?」
「はは。大丈夫、って言えたら良かったんだけどね。出血のし過ぎて動けそうにないし、武器も使い物にならなくなったから、一人じゃ無理かな……」
「ま、そうだろうな」
アイクが駆けつけた時点で、エルの出血量はかなりのものだった。完全義体化をしていなければ循環機能は生身と変わらず、当然血を失い過ぎれば身体の機能は低下しいずれは死に至る。今でさえ、意識を保っているのもやっとの状態だった。その上近くに落ちている損傷が激しい武器を見れば、戦える装備もないのは明らかだった。その状態でモンスターの巣とも呼べるこの場から逃げ出すのは、誰の目から見ても不可能だった。
「ならエル。この場を切り抜けるまでパーティーを組みたいんだが、構わないか?」
「え……?」
呆然と、言われた内容にエルは言葉を失う。だが、アイクは真剣だった。アイクは過去の自分の選択を悔やまない。この場で瀕死のエルに出会ったのは、アイクがコイントスという天運に選択を委ねたからだが、それがアイクの選んだ選択であることに変わりはない。アイクにはその場において正しいと思ったことを選択してきた自負があり、だからこそ今目の前の事態にも目を逸らさずに向き合っている。それが、過去の自分が選んだ正しい選択の結果だと信じて。
「何かマズかったか?」
「いや、とてもありがたいんだけど……いいのかい? お荷物にならないかい?」
「気にするな。こんな場所で一人になったらどうせ死ぬんだ。なら、一か八かで一緒に行動した方が可能性があがるだろ?」
「それは……いや、そうだね。ならお願いしようかな」
エルは一瞬躊躇ったものの、他の手がないことを悟ってアイクの提案に乗った。アイクはエルの同意を聞き届けると、エルの左腕を肩に回して起き上がらせた。未だふらつくのか、エルがよろけた所をアイクが支えるが、意外に重さはなかった。
その際、エルは間近でアイクの装備を見たことで、その装備の質に思わず息を呑んだ。改めて言うが、アイクの装備はお世辞にも駆け出しと呼べるものではない。フード付きの外套は所々に継ぎ接ぎの痕があり、ゴーグルは劣化が進んでフレームとレンズの一部に罅が入っている。身体機能を補助するためのインナースーツもなければ義体化も施さず、銃も一世代以上前の骨董品のようなものである。とてもではないが、この場を切り抜けられるような装備ではなかった。
「……よく、その装備で生き延びられたね」
「俺もこんな装備で来る予定はなかったぞ。ハンガードッグに襲われなかったら今頃帰ってるところだ。ま、俺が生き延びれたのは元々こういう状況でしぶとく生きれるからだろうな」
「はは。なら、そのしぶとさに僕は賭けるしかないね」
「任せろ。こういう状況には慣れてる」
軽口を言って場を和ませようとするアイク。しかしそう言った直後。何の前触れもなく、バリケードとなっていた瓦礫が一斉に吹き飛ばされた。瓦礫が宙を舞い、残り物の備品が礫によって次々と廃材に成り下がっていく。暗がりに開け放たれた大きな穴から差し込む光が、そこに佇む巨大な物体の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。
岩石の如く凹凸の激しい巨体からは太く頑丈な五対の巨大な脚が伸び、その内の一対は先端に万物をへし折れるかのような巨大な鋏が付いていた。背には弾丸など容易く弾き返す強固な外骨格を背負い、巨体に付いた一対の目がギョロリと辺りを見回している。
アイクがマッピングの際に見掛けた巨大な蟹型のモンスターが、何故かそこに佇んでいた。
「なるほど。慣れてるっていうのは、こういう状況が意図せずやってくるからなんだね」
「……止めてくれ。これでも自分の運のなさは自覚してるんだ」
アイクの根底にあるのは、基本的に“楽をして生きていきたい”である。余計なトラブルに巻き込まれず、ほどほどに苦労してほどほどの成果を得て、金に困らない程度に楽な余生を過ごす人生設計を描くような人物である。だが、アイク自身の運のなさが災いして、その夢見た道筋はいつも荊の道に変貌する。計画した物事が順調に進んだためしはなく、いつも突発的な事故に襲われ、その度に困難を乗り越えることを強要される。今回もまた同じ感じか、と。アイクは半ば諦めの境地に至りながら現実を見つめていた。
「(取りあえず、一旦隠れるぞ)」
アイクはすばやく気を取り直して、モンスターに見つからないように小声でエルに指示を出して物陰に身を潜めた。蟹型モンスターは未だアイク達を認識していなかったのか、その鈍重な身体を引き摺りながら廃棄物保管庫に入ると、アイク達に目もくれず手当たり次第に物色を始めていた。
「(あのモンスターは初めて見るんだが、何か知ってるか?)」
「(あれは“ハーミットクラブ”だよ。外骨格は固すぎて銃弾は全部弾かれる。倒すなら、最低でもロケットランチャーでも持ってこないとダメだよ)」
「(今の俺達じゃ到底勝ち目はないな)」
「(そういうこと)」
そう言っている間にも、ハーミットクラブは当たりの物色を続けていた。ハーミットクラブは建物の建材を主食としており、そこに含まれているナノマシンを取り込んで外骨格を強化している。長く生き続けた個体ほどその強度は増し、元々備わっている走破力と組み合わさって討伐難易度と危険度が跳ね上がる。かつて長寿の個体が、一体だけで辺境都市の門を突き破り、都市に壊滅的な被害を齎したこともあるのだという。エルは小声でハーミットクラブの詳細な情報をアイクに伝える。
「(何かを囮にして逃げるしか方法はないな。ハンガードッグの集団は山の方に行っているし、タイミングは今しかないぞ)」
「(なら、丁度いいデコイが向こうにあるよ)」
そっとエルが指さしたのは、向かいの建物の窓だった。距離を概算してもざっと20mほどはある。
「(あれを割れと? 無理難題が過ぎるぞ)」
「(割るのは僕さ。手段はちゃんとあるよ。そしてあれを割った音でハーミットクラブを惹きつけている間に、アイクにはこれを使って走ってもらおうかな)」
そう言ってエルが腰のポーチから取り出したのは、一本の注射器。形状は握りやすいグリップ構造で、針は短く折れにくく、薬品の注入は親指で押せるボタン式。それは高ランクハンターも用いる戦闘用モデルの注射器だった。
「(中に入ってるのは狂走薬。身体を興奮させて一時的にスタミナを感じさせなくする薬だよ)」
「(持続時間は?)」
「(持って5分)」
「(充分だ)」
力強く頷いたアイクに、エルは注射器を渡す。そしてポーチの中から、エルは新しいものを取り出した。
「(なるほど、手段っていうのはそれか)」
「(そう。これなら向こうの窓を割れるでしょ)」
エルが取り出したのは、サプレッサー付きの小銃だった。対モンスター用の銃ではなく、自衛用でしかない普通の銃だ。ここでアイクに銃を見せたのは、一種の信用の現われだ。この密着状態であれば、アイクを銃で害するのは容易だ。しかしその可能性があるものを敢えてアイクに見せることで、自分は敵意はないとエルは言外に伝えているのだ。出会って数分と経っていない状況だが、極限状態では人の本質が現れる。これまでのやり取りで、エルはアイクは信用できる人間だと判断したのだ。
「(じゃ、いくよ)」
エルはアイクから左腕を退け、片膝をついて両手で銃を構える。綺麗な姿勢だった。適度に力が抜け、自然体に近い身体はブレることなくアイアンサイトを介して標的を見据えている。
そして、鳴った銃声は一発。サプレッサーを付けているため、鳴ったのは空気が抜けたような微細な音だった。そのため後に割れた窓ガラスの音が、その些細な音を全て消し去った。ナイスショット、と。アイクは小声で言った。
ハーミットクラブが窓ガラスの音を聞きつけ、重たい身体を旋回させて外を見た。そのタイミングで、アイクは自分の首筋に針を当て、ボタンを押した。
(———っ!)
途端に、全身に電撃が走るような感覚がアイクを襲った。そして直後から身体の奥から得も知れぬ力が沸き上がり、熱が全身を苛んだ。疲労と言う名の邪魔者は早々に淘汰され、ここからどこまででも走り続けられそうな充実感が脳を満たし、身体が羽のように軽くなった気がした。
「(こいつは……凄いな)」
「(効果が出て何より。さぁ、ハーミットクラブも外に行った。タイミングは今しかないよ)」
「(そうだな)」
アイクは気合を入れ直し、外の様子を窺った。ハーミットクラブは完全に外に出て、向かいの建物に一色線に向かっていた。見つからずに逃げ出すには、今しかなかった。
「(それじゃ、行くぞ。———3、2、1ッ!)」
エルの腕を肩にかけ、アイクは急いでその場から離脱した。狂走薬の名は伊達ではなく、正しく狂ったように走り続けられていた。やや離れたところで、モンスター達が騒いでいる声が聞こえた。このまま幸いでいてくれという祈りを捧げながら、アイクはエルを連れて全力で走った。
全ては生き残るために。死んでたまるかと自分に言い聞かせ、アイクは力を振り絞って走り続けた。
アイク達とは別の場所で、ハンター達が戦闘を繰り広げている。移動用の車両の陰に隠れながら、方々から押し寄せるモンスター達にそれぞれ銃を向けて対処している。
「クッソ! ふざけるなよ! なんでここにハンガードッグの変異種がいるんだよ!? しかもビルには見たこともねぇモンスターも居るし、ここは一番難易度が低い場所じゃなかったか!」
「普通はな! だけどこれは明らかに異常だ! 今はとにかく撃ち続けろ! 休んだら死ぬぞ!」
「言ってもこの装甲をぶち抜ける弾薬なんてそんなにないぞ!」
「けど撃たなきゃ死んじまうだろうが!」
彼らの悪態が空を衝く。彼らは元々、ここで遺物採集をメインに行っているコレクターだった。養成校在籍時に気が合った彼らは卒業後もパーティーを組み、結成時から堅実さを持って地道に遺物採集を行っていた。おかげで脱落者もなくハンターランクも20に迫り、資金も装備もそれなりに潤ってきていた。そろそろ次の遺物採集領域に移動しようか、という話が酒の席で出る程度には、彼らは余裕をもってハンター稼業に取り組んでいた。
そして今日、ここでの採集を最後にすることで話でまとまり、意気揚々と訪れた矢先にこの場面に出くわしたのだ。
「クソッ。車の修理はまだか!?」
「あと少しだ! それまでなんとか持ち堪えてくれ!」
「時間は稼いでやる! 頼んだぞ!」
彼らが移動用に用いていた車は、モンスターの襲撃によって故障していた。この大群から逃げおおせるには、車を用いる他に手はない。そのため機械に明るい仲間の一人が、車のボンネットを開けて修理している。そしてそれ以外の人間が、遅滞戦闘をしながら修理に掛かる時間を必死に稼いでいた。
しかし、何事にも限界はある。じわりじわりと、モンスター達の包囲網は範囲を狭め、その密度を上げている。討伐個体数を追加個体数が上回っている。銃の性能も数にも限りがあり、これ以上の速度で間引くのは不可能だった。それを一番感じているのは防衛しているハンターであり、じわじわと近づいてくる恐怖が先ほどの言葉を吐き出させていた。
「よしっ。これで……いけるぞ!」
「ナイスだ! グレネードを持っているやつは投げろ! 倒さなくても怯ませられる! ついでに退路の確保もだ!」
「言われなくとも!」
仲間の待望の声を皮切りに、彼らは迅速に動き出した。腰に付けたグレネードをモンスターに向かって投げ、爆発音と煙で威圧する。それらに一瞬怯んだ隙に車に乗り込み、運転手がアクセルを全開にする。タイヤが地面を蹴り出し、ハンター用にチューニングされた加速力を以てモンスター達を置き去りにする。進路にハンガードッグが立ち塞がろうが、補強されたフロントガードは一匹二匹であれば物ともせずに轢き飛ばせる。間引いたおかげで大群に道を塞がれることもなく、彼らは何とか窮地を脱することができた。
「はぁぁ……。ここ一番のピンチだったな」
「だな。俺もしばらく冒険はしたくない……」
「右に同じく」
「つーか、弾の補充とかでしばらく壁の外にも行けないでしょ」
「そりゃそうか」
「にしても助かったぞ。お前が修理してくれなきゃ逃げ出せなかったしな」
「気にすんな。それが俺の仕事だっただけだ」
そこから先は、戦闘中の互いの仕事ぶりを称え合った。あれが良かった。あそこで動いてくれたから楽になった。そういった戦闘中の事細かな功績を、互いの口から伝え合った。中には失敗してしまったことへの謝罪や、それをフォローしてくれたことへの感謝の言葉もあった。こういった掛け合いができるからこそ、彼らは自然と集まり、そして長らくパーティーを続けられているのだ。
「ま、今日はこのままおとなしく帰って宴会でもするか」
「いいね。出前とって家でやるか?」
「いやいや。折角だしちょっと高めの店に行かないか?」
「この前見つけた美味そうな店があるんだがそこにしない?」
やいのやいのと、彼らは帰ってからの宴会に花を咲かせている。危機を脱したからこそ、これ以上の危機はないだろう。そう、思い込んでいた。
——カ、ロ。……カロロロロロロロロロロロ
森の奥から聞こえる、独特な声。その主の視線が彼らを捉えていることなど、彼らが気付くはずもなかった。