第十八話
『ソードアートオンライン』の映画を観てきました。……あぁ、あの時の感動が蘇る。この作品から深夜アニメやライトノベルに嵌っていったので、そう思うと今の自分の原点になった作品です。
あれから10年近く経ったと考えると、時の流れというのはあっという間なんですよね。
まぁ、そんなことはさておいて、今話を読んで楽しんでいただけたら幸いです。
場所が変われば景色も変わる。行き交う人も、物も、空気さえも。第四階層とは何もかもが違う、活気に溢れたこの場所は第三階層のメインストリート。腕に覚えのあるハンターや巡回中の治安維持部隊がここの治安維持に一躍買っているため、一般市民は大手を振って街中を出歩いていた。“お洒落”を念頭に置いた開放的なファッションを始めとして、街行く人々は皆薄手の恰好ばかり。誰かに狙われるという考えがそもそもないからなのだろうが、それが第四階層との治安の差を如実に現わしていた。
その街行く人々の間を抜けて、アイクはメインストリートを歩いていた。第四階層の住人であるアイクが第三階層を歩けているのは、単にランク10到達の副産物だ。ランク10以上からは第四階層の住人であろうと第三階層で活動する依頼を斡旋されることもあるため、制限時間はあれどこうして入場が許可されている。これはパーティーメンバーにも適用されるもので、現在エルはアイクと別行動中だが同じく第三階層にいる。向こうは向こうで気儘にショッピングをするらしい。
(どうせ化粧品を大量に買い漁ってるんだろうなぁ……)
別れ際のルンルンな表情を見れば何を買うのか凡そ察しがつく。これまで我慢を強いてきたのだからハメを外すのは予想の範囲内だが、外し方が予想の範疇に収まるかは未知数である。そこは本人の良識に期待するアイクだった。
「それで……あの人の店っていうのはここか」
メインストリートに立ち並ぶ店の前で、アイクは立ち止まる。そこは周りに比べると些か地味な外見の店だった。十年以上前に流行った建築様式をそのままに、店先には筆記体で『ランド商会』の文字が綴られた看板とショーウィンドウがあるばかり。ショーウィンドウに並ぶ目玉商品は見る者が見れば足を止める逸品だが、両脇にある新しくオープンしたヘアサロンとブティックに視線を奪われる所為で誰もその店は見向きもされていなかった。
(運が悪いのはあの人らしいといえばあの人らしいけど。ここまでか……)
かつてコレットから聞いた話を思い出す。実直で信頼できる人物だが、どうにも生まれつき運に見放されているようで貧乏くじばかリ引いている、と。それは直接会ったアイク本人も薄々感じていたことであり、それをこうしてまざまざと見せつけられると知り合いとしてはやるせない思いがこみ上げてくる。偶発的な視線誘導なんてどんな確立で起こると言うのだろう。
「ま、言っててもしゃーないか。……ランドさーん、居るかー?」
「ああ、いらっしゃ……って、アイク君じゃないか! 久しぶりだね!」
店内の清掃をしていた男が、アイクを見て朗らかに笑う。彼の名前は“ランド”。この店の店主をしている男だ。成人男性にしては平均的な身長に白髪交じりの髪をバンダナで覆い、口元には手入れされた髭を蓄えている。一見すると人畜無害そうな顔をした男だが、腕や脚は太く、柔らかそうな見た目に反して奥にはぎっちりと筋肉が詰まっている。おかげで親しそうにバシバシと背中を叩けば身体の芯まで衝撃が伝わってくるのだが、アイクはそれを何でもない風体を装って耐えていた。
「それにしてもボクに来たってことは、漸くランク10になったのかい?」
「おかげ様でな。と言っても、もっと早くに上がる予定だったが」
「何事も予定通りに行くなら誰も苦労しないよ。でも、結果としてここに来れたなら良しとしようじゃないか」
そうして優しく微笑むランドを見れば、自然とアイクも頬が緩んでしまう。これがランドの長所であり、彼に友人が多い理由である。
「それで? 今日は何が入用だい? ランク10到達祝いに少しお安くしとくけど」
「気持ちだけ貰っておこう。今日必要なのは……実はそこの棚にあるやつでな」
「おぉ? これはまた珍しい品を欲しがるんだね」
今回アイクが求めたのは、“誘導装置”と呼ばれるハンター業界でも流通が少ないものだ。罠として用いられることが多いが、ナノマシンに侵されたモンスターなら誰彼構わず注意を惹きつけてしまう性質上、使用者はかなり少ない。
そして何より、装備としての優先度が低く使い切りの割に値段がそこそこする。ギルドが必要性を訴えても使用者が増えないのはそういった要因もある。
「物はそこの棚に並んでいるので全部だよ。初心者でも扱いやすい、効力は高いけど効果範囲が限定的な逃走用の“壱式”。効力を低くして、効果範囲を広げた誘因用の“弐式”。扱いは難しいけど、効力と効果範囲が高い罠用の“参式”。……最近になって一部の部品をメーカーが製造停止にしてしまったから、代替品が出るまでは値段は高騰してるから気を付けてね」
「全部“普通”のやつか。……なぁ、ものは相談なんだが———」
アイクの言った言葉に、ランドの顔は見る見るうちに青褪めていく。
「さ、流石にそれは売れないよアイク君……」
「売れないってことは、品物はあるんだな?」
「あるにはあるけど……あれは扱える人を選ばないといけない商品だから、君には売れないんだよ」
「そこを顔馴染みの誼でなんとか売っちゃくれないか?」
「ダメだよ。こればっかりはどうしようも———」
——ワ ア ア ア ア ァ ァ ! ! !
交渉の最中、不意に店先で歓声があがった。何事かとアイク達が振り返ってみれば、メインストリートの通行人が軒並み足をとめ、何かを目に留めようと必死になっていた。その人の垣根の先には、街中にそぐわない重量感のある装甲車がメインストリートに列をなしている。そしてそれぞれに刻まれた3種のエンブレムは、ハンタークランの頂点を意味する証であった。
“紅獅子”
“蒼雉”
“黄像”
三つの頂きと呼ばれる、上位層のなかでも一握りの、他とは一線を画する本物の怪物達。これまで挙げた功績は言うに及ばず、クランでのモンスターの総撃破数は他の追随を許さない。辺境の防衛都市の中でもモンスターの危険度と遭遇回数が段違いに多いヤザミ市街での評価は、この国全体のハンターの評価に直結する。無論、各防衛都市にもトップが存在しているが、彼らはその遥か上を行く存在であり、文字通りハンター達の“頂き”に君臨する集団なのだ。
「あぁ、三つの頂きの合同遠征部隊だね。何でも、今回は主力を軒並み投入するって話だ。気合の入れ具合が違うね」
そう語るランドの顔はどこか熱に浮かされたようで、アイドルに惹かれたファンのようであった。ハンターとは、文字通り国防の最前線で戦い続ける者たちである。壁の外に巣食うモンスター達と命がけで戦い続ける彼らは、大衆からすればわかりやすい英雄であり、偶像である。
ゆっくりと、そして確実に死に向かっているこの世界では、人々の中には漠然とした恐怖が燻っている。その恐怖を一時的にでも払拭してくれる“力”を持った者たちに、人々は心惹かれるのである。例え仮初であろうと、この平和を維持してくれるというのならば、彼らは恐怖を押し隠した笑顔でハンター達を称えるのである。
「逆に言えば、主力を軒並み投入しなきゃヤバい相手、ってことだな。……何も起きなきゃいいんだが」
熱に浮かされるランドを他所に、アイクが憂いを孕んだ言葉尻でぼやく。
「……それは、ここ最近の荒野の状況に関係してると思ってるのかい?」
「やっぱり知ってたか。……そうだよ、ここ最近は生息圏外のモンスターが現れるし、元々いたモンスターも殺気立ってピリピリしてる。昨日だって、ハンガードッグの変異種や主クラスのギリースネークが現れた。……どうにも、生態系がおかしくなっている」
「生態系の変化、か。モールワームが居るって話は聞いてるけど、それの所為じゃないのかい?」
「それ以外にも、俺は居ると思ってる。……というより、たぶん俺はそいつに一度出くわしてる」
「へぇ。一体どんなモンスターだったんだい?」
ハクレイ街遺跡で、アイクを襲撃した黒い影。森の奥から見えた朧げなシルエットと、崖から落ちる最中に見えた姿から連想できる生物。それは——。
「カマキリだ。それも、とてつもなくデカい」
「カマ、キリ……?」
ランドの顔から、表情が一瞬だけ抜け落ちた。それはあり得ない何かを想定したような、幽霊でも見たような表情だった。
「何か知ってるのか?」
「……いや、ボクは知らないね。ごめんね、力になれなくて」
「いいさ。答えを聞きたくて聞いたわけじゃない。ただ、何か思い出すことがあったら教えて欲しい」
「そうだね。その時は隊ちょ……コレットさんの店に納品に行く時にでも伝えるよ」
「あぁ、助かる」
そうしてアイクはランドと話を付け、……長い交渉の末に目当てのものを購入できた。ただし使用に関してはランドから悪用しないように、ときつく言い渡された。それはアイクだけでなく容易く周囲の命を奪える代物なのだから、注意は当然であった。
輝かしい行軍が行われているメインストリートから中道に入って暫くした場所にある店。“コレット武具店”の中には、コレットとカーディナルの他にもう一つの人影があった。
「……金額に間違いはないね。これで返済は終了だよ」
「ありがとうございます」
カウンター越しにコレットと向かい合っているのは、エルだ。手のタブレットには口座振込の電子証明書があり、コレットも自分のタブレットで手続きの完了を確認している。
『まさか1週間で全額返済するとは……驚きですね。1ヶ月は掛かると踏んでいたのですが、予想は裏切られました。勿論、いい意味で』
「ギャンブルに手を出すかとも思ってたけど、正攻法で金を稼いで持ってきたっていうなら何も文句はないよ」
「ははは……。まぁ、手段がなければ水商売で稼ぐつもりでしたけど、その必要はなくなって良かったです」
「そんなことしたら店に行ってド玉ぶち抜くから覚悟しとくんだね」
店主の物騒な脅しをニコニコと笑って受け流す緑髪の男は、エル。アイクはエルが第3階層でショッピングに勤しんでいると思っているようだが、それは既に済まされていた。欲しい物はとっくにリサーチされており、後は買うだけの状態だったのだ。エルの化粧品に対する熱意をアイクは読み違えていた。
「怖い怖い。まぁ、彼と一緒ならそんなことにはならなさそうで安心ですよ」
「当たり前だよ。厄ネタでしかないアンタをあの子に宛がったのは何のためだと思ってるんだい」
「……それを言われると厳しいなぁ」
バツが悪そうにエルは頭を掻くが、コレットは目を細めてその誤魔化しを両断する。
「わかってないなら肝に銘じておきな。貴種の血筋ってだけでも処理は面倒なんだ。戸籍の削除に、相続権放棄の証書や接触禁止の証書の作製。貴族ってのは金や利権が絡むとがめつくなるからね、その辺の正式文書はおざなりにはできない。しかも極めつけに余所の国のものときた。……余計な波風が立たないように上には私生児として報告してるから、あんたはここで無事に暮らせてるんだよ。外交の道具にされないだけでもありがたく思いな」
「えぇ、それには感謝してますよ。まさか貴方がそっちの伝手をお持ちとは思いませんでしたが」
「前職でできた伝手だ。権力はなくなっても人の縁ってのはなくならないからね。使えるモンは使うさ」
煙草をふかして薄く笑う様子はこの手の裏処理に慣れた者の顔であり、前職が何かは語らなかったが、彼女がそれなりの要職に就いていたことはエルにも想像がついた。深入りはせず、肩を竦めるだけで話を切り上げる。
「まぁ、僕はそのおかげで生き延びられているんです。……荒野における彼の護衛、およびそのサポート。その依頼はちゃんと果たしますよ」
「わかってるならそれでいい」
『まぁまぁ。取引条件とはいえ、あまり気を張らなくても大丈夫ですよ。パーティーメンバーとして普通に行動していれば、それだけで依頼は履行されるんです。……この人はキツく言っていますが、用は友達になってあげればそれで十分なんですよ』
「……このポンコツロボットは適当に言うからね。あまり真に受けるんじゃないよ」
「あははは……」
イタッ、とカーディナルが呻き声を上げるが、エルは苦笑するばかりである。人がせっかく触れなかった部分に敢えて触れていくのだから、自業自得である。そこをわかって触れないようになれば、彼はきっと素晴らしいサポートAIになれただろうに。
「ま、まぁ。僕としても彼と一緒にハンター稼業をするのは楽しいですし、問題ないですよ。彼の悪運に目を瞑れば、ですけど」
「そんなにひどいのかい?」
「昨日はキックバードを数百匹ほど……」
『……なるほど。何故1週間で返済できたのか、その理由がわかりました。彼の行く先々でそれだけ大量のモンスターに遭遇していれば、お金は貯まるのは道理ですね』
「その度に命の危機に瀕しているんですけどね」
AIにも同情を向けられてしまえば、エルは力なく笑う外なかった。
だが、この程度はまだ序の口であることなど今のエルに知る由もない。昨日のキックバードについてもアイクは危なげなく処理していたために気に留めていなかったが、それはあの量に慣れ過ぎているためである。命の危機がエルにとっての日常になるのはもう少し先の話である。
「それじゃあ、僕はもう行きますよ」
「なんだい、せっかく店に来たのに品の一つも買っていかないのかい?」
そんなコレットの問いかけに、エルは悪戯小僧のように笑って返す。
「実は僕、化粧品を買い過ぎて素寒貧なんです」
「……笑って言うことじゃないよ、バカたれ」




