第一話
私事で昨年10月から今月まで多忙で、久しぶり復帰しようと思ったら天啓の如く構想が沸いたので、せっかくだから投稿してみました。
拙い文章ではありますが、楽しんで頂けたら幸いです。
一人の青年が、荒れた大地の中を進んでいる。青年は襤褸布を何とか仕立て上げたような外套を身に纏い、劣化の激しいゴーグルと襤褸切れで口元を覆っていた。その縁には黒ずんだ粉塵が付着している。その正体は化学兵器で汚染された粉塵であり、容易に人間の臓腑を侵し、腐らせる死の灰であった。環境に適応し進化してきた人類でさえも、100年近く経過しても未だ皮膚に耐性を付けるのがやっとの状態だった。今の世界では、こうして“外”に出るにはゴーグルとマスクが欠かせない。
チラリと視線をやれば、生命が枯渇した大地が続いていた。空は厚い雲のような何かで覆われ、日中だというのに周りはどこか薄暗い。埋もれた土の山から辛うじて見えるビルや建物の残骸が、かつての人の営みの痕を今に残している。それを過去に追いやり、人類が築き上げた文明消し去り、こうした荒廃した大地が広がっているのは、単に戦争が原因だった。
有史以来、人類は技術を進化させ続け、そしてそれに比例するように地球を食い物にした。栄華と共に失われていく豊かな自然、枯渇していく資源。そして当然のように起きたのが、残り少ない資源の奪い合いだった。
だが、その戦争も今や昔の話。当事者の多くは既にこの世を去り、今を生きる者たちは過去の先人たちの負債を押し付けられた世界で、今を必死に生きていた。
(思っていた以上に視界が悪いな。これじゃあ、見つかるものも見つからない)
サクリ、サクリ、と。足元に積もった粉塵を踏みしめて、青年が荒れた大地を進む。彼が探しているのは、かつての文明で使われていたモノ——“遺物”と呼ばれるものだ。技術の粋を集めた精密機器はもちろんのこと、道具の一つでも資源が枯渇した今では価値がある。彼の住む辺境は内地に比べて貧しい者が多く、一山当てれば一発逆転が可能なこともあって、遺物を集める者たちが後を絶たなかった。現状を打破するため、または一獲千金を夢見て荒野に駆り出す者たちを、人々は“ハンター”と呼んだ。
青年——アイクもまた、一獲千金を夢見たハンターの一人だった。
(そこら辺に手頃なやつが落ちてれば楽なんだけどな……初っ端からそう上手くはいかないか)
初めてこの場に足を踏み入れた所為か、その足取りは慎重そのものだ。だが、それでいいのかもしれない。日々大量のハンターが生まれ、そして大量のハンターが消えていく。供給過多になることなく、ハンターの数が大幅に変動しないのは、それに見合った危険が伴っているからだ。
手頃な物陰に隠れて腰を落ち着ける。自然と大きな溜息が出る。大した距離を動いていないにも関わらず、身体には既に疲労が蓄積していた。周囲への警戒、いつ襲われるかもしれないという緊張感が、彼から余計な気力を削いでいた。
「すぐにへばらないよう鍛えたつもりだったけど、こりゃまだまだだな。まったく、早く楽して稼げるようになりたいぜ」
短期で楽をしたいなら、装備を整えるのが手っ取り早い。移動用兵装、広域探知機、高性能インナーチップ、高火力武装、機械化。扱うのにもそれなりの技術がいるが、揃えられればそれだけ楽になる。しかし前提として高額な代金が必要になる訳で、廃屋寸前のボロ屋暮らしの彼にそんな持ち合わせはなく、泣く泣く危険を承知でここまでやってきたのだ。
双眼鏡を取り出し、周囲を見渡して安全を確認する。街からそう離れて居ないとは言え、ここも危険地帯。探知機を持っていない彼にとっては、この安全確認が命を分ける。そしてその視線が、会いたくない相手の影を捉えた。
「……居た。やっぱりここら辺でもうろついてたか」
双眼鏡の先には、獣の影がある。倍率を上げていけば、その姿が鮮明に浮かび上がった。乾いた大地に紛れる鈍色の体毛に、自然界では見られない不自然に隆起した骨格筋。直接見ることは初めてだったが、又聞きしていた様相と一致していた。
「“ハンガードック”か。それも3匹。……群れで狩りをするって話だから、なるべく一人じゃ相手したくない相手なんだよな」
ハンガードックはその強靭な肉体と群れを形成しての集団戦を武器に獲物を追い詰めるモンスターだ。獲物は種類を問わず、人間だろうが同族だろうが機械だろうが文字通りなんでも食べる雑食性で、常に餌を求めて彷徨っている様子から、名の通り“飢えた犬”と名付けられた。
そしてその特性は、食べたものを身体に纏うことができるという単純にして厄介なもの。岩を食べ続ければ皮膚は岩の如く硬化し、金属を食べ続ければ金属のアーマーを纏うようになる。だから一概にハンガードックと言っても、強さに幅がある。
今回は運が良いのか、外皮に特異な形状は見られない。ハンターにとっての脅威度は最低限だ。しかし強さは最低限と言っても、その咢は人間の頭蓋を容易に噛み砕き、爪は一振りで人間の心臓を深々と抉り取る。ここで言う最低限とは新人用の防具と武装を持ち、養成校で基礎訓練を終えた新人ハンターにとっての最低限であって、ボロ布と整備不良感漂う武装に身を包んだ彼が相手をしていい相手ではない。
しかし、彼にはもう今のあばら家に住むための家賃すらなく、今日何の成果も得られなければ食費すらままならなくなる。遺物が眠っている可能性がある領域までまだ距離があり、無理をすれば行けるがこのままでは夜を越えることになる。資金難により照明といった夜間の装備はなく、進む速度が遅いことを加味して往復を考えれば目の前のハンガードックを狩らなければ明日の命はないことになる。
「ったく、遺物収集系の“コレクター”なら楽できると思ったのに、結局やることは討伐系のハンターと同じじゃんかよ」
そうぼやくが、目の前に示された道は一つしかない。もう一つ溜息を吐き、懐から一枚のコインを取り出す。彼の行動指針を決定する最後の一因だ。
「オモテなら奴らを狩る、ウラなら安全に探索を続ける」
チンッ、と。親指でコインを弾き、落ちてきたコインを手の甲で受け止める。上を向いていたのは——オモテだった。
「運もここでやれ、って俺の背中を押す訳か。……上等だ。やってやる」
天運にまで言われたならば是非もなし。覚悟を決めて、アイクは走り出した。広域探知機がない今、頼りになるのは目視による確認だけだ。周囲を見渡しながら、敵が来ないことを祈りながら、そして標的が遠くに移動しないことを願いながら、一直線に走っていく。
餌を求めて彷徨っていたハンガードックも、自分たちに近づいてくる足音を聞きつけ警戒態勢に入った。しかし場所までは把握できていないのか、警戒しているだけだ。それをいいことに、アイクは射程範囲まで近づき、自分の唯一の武装を取り出した。
SI社製 SI2000。かつての戦場をこの銃で席巻したというお墨付きの性能を持つアサルトライフル。技術革新により、より高性能のモデルが次々と出たことで今や廃版になってしまったが、おかげでアイクはこの旧世代の傑物を安く仕入れることができた。
「お前らに恨みも何もないが、俺が明日生きるために死んでくれ」
照準を合わせて引き金を引けば、狙った通りに弾が飛んでいく。それだけの性能はある銃だが、ロクに訓練をしていないアイクには荷が勝ち過ぎた。首元を狙って撃った弾丸は手元の振れから着弾予想地点を大きく外れ、別のハンガードックの前足を撃ち抜いた。悲鳴があがる。だが、それは断末魔ではない。
(ああ、やっぱ訓練してくりゃよかった!)
しかし訓練をするにも金が掛かる訳で、過去をいくら恨もうともそもそもできるはずがない。過去のアイクも見当違いな逆恨みに中指を立てて反論しているに違いない。
そして銃撃に気付いたハンガードックが、一斉にこちらを向いた。今ので位置がバレたようだ。3匹が纏めて牙をチラつかせて走ってくる。狙い通りにいかなかった恨み言を飲み込んで、アイクはもう一度狙いを定める。こちらに向かってくるハンガードックの内、前足を撃って動きが鈍い個体に照準を合わせて、今度こそ急所を撃ち抜いた。
(先ずは一匹……! だけどさっきので仕留めたかったなぁ!)
弾薬とて無限にあるわけでもない。ましてや弾丸一発にも金が掛かっているわけで、有り金はたいて購入したアイクにとっては一発一発にそれなりの重みがあった。
そして次に狙うのは、無傷で活きの良い2匹の個体。そこまで知能が高くない所為か動きが直線的だが、隆起した土や倒壊した建物の残骸といった障害物が不規則に並ぶ所為で自然と動き回っているように見えてしまう。おかげでアイクの予測が追い付いていなかった。
「“補助付き”って言ってもこれはそんな性能よくないんだよ! 汎用型の骨董品でメンテナンスもアップデートもロクにやってないんだからな!」
電脳空間にデバイスを通さず直接アクセスすることができるインナーチップは、ネットにアクセスするだけでなく思考の補助システムも搭載されている。戦闘向けのインナーチップであれば高度な予測演算により百発百中をやってのけるのだが、汎用型であるアイクのタイプではそんなことは夢のまた夢だった。
それに加え、定期的なメンテナンスやアップデートを怠っている所為でその性能は元のものよりも更に下がっている。補助付きであっても、それはないよりはマシ程度のものであった。
彼我の距離がどんどん縮まる。肉眼でもはっきりと餌に飢えた顔が見て取れる。明確に近づいてくる死の気配。しかしそれは同時に的が大きくなるわけで、遂に弾丸が一匹の急所を捉えた。
(ついでにこっちもマガジン切れ。残りのマガジンもあと一個か)
有り金をはたいて買った二つのマガジン。これまでの金を全てつぎ込んだもので、明日以降の命を買う。そう思うと、このマガジン一つが酷く重く感じる。交換するマガジンに明日の自分の命を掛けて、再装填。銃撃を再開するが、ハンガードックが敢えて遮蔽物が多い中を走る所為で、中々銃弾が当たらない。
(良い脳核積んでるのか。他の個体よりずっと動きが良いぞ)
この個体は倒せばそれなりに金になる。そう意気込むも、気合を入れるだけでは銃弾は当たってくれない。
まるでこちらの下手さ加減を弄ぶかのように、ほぼ無傷のままにこちらに辿り着いてしまったハンガードックが、物陰にしていた廃墟の壁を突進で突き破った。
「嘘だろお前賢いクセしてひょっとして脳筋か!?」
実は自分が下手過ぎて当たってなかっただけではなかろうか。そんなバカな考えがアイクの頭を過るが、そんな思考を振り払うかのように振るわれた前脚の一撃が、つい先ほどまでいた地面を深々と抉る。間一髪で避け、その隙に銃弾を撃ち込むが、肥大した筋肉に阻まれて急所に届かない。
予測演算で急所を狙ったのにも関わらず、だ。アイクは自分の下手さ加減を思わず恨んだ。訓練もしてなければ俺の才能はこの程度かと。
苛立たし気に、ハンガードックが吼える。再び飛び掛かる。今度は咢で食らいつくつもりらしい。今度もまたギリギリで躱すが、飛び散ったガラスの破片がゴーグルの片目を罅で覆った。
対応が遅れる。ただでさえギリギリだった反応に、その遅れは致命的だった。
腹部に衝撃が走る。脚が地面から離れる。その次に訪れたのは、背中への強烈な衝撃だった。
「カッ、ハ——」
肺の空気は吐き出される。遅れて、アイクは自分がハンガードックに突き飛ばされたのだと知覚した。体勢を立て直そうにも、頭だけ無事だったため身体が酷く不自由に感じる。維持でも銃を手放さなかった自分を褒めてもいいと、アイクは思った。
突き飛ばされて壁に寄りかかっているアイクに、ハンガードックが迫る。今度こそ食い千切る。そう言わんばかりに、咢を開いて鋭利な牙を覗かせている。ギラつく牙は、路地裏でチンピラが持つナイフよりも恐ろしく感じた。
明確な死の気配に、生存本能が思考よりも先に動く。食らいつこうとする咢を、それを支えている首元を、咄嗟に両脚で受け止めた。粘ついた唾液がゴーグルに付着する。生臭い。ただ拭うよりもさきに、やるべきことがある。
僅かに空いた彼我の隙間。その隙間に、強引に銃をねじ込んだ。ほぼゼロ距離。これなら、外す心配はない。
なりふり構ずフルオートで銃弾を撃ち続け、確実にハンガードックの命を奪う。首元、口内、眼球。筋肉に覆われていない柔らかい部位を、銃弾が全て抉っていく。
カチ、カチ、と。引き金を引いても弾が出ないことで、漸く全弾打ち尽くしたことを悟った。恐る恐る、ハンガードックをみあげる。悠然と四肢を地面につけて立っているが、首から上は見るも無残な肉塊になっていた。最後のか細い声を漏らし、ハンガードックはついにその四肢を地面に投げ出した。
漸く戦闘が終わったと気付くと、アイクもまたその四肢を投げ出して脱力する。息は荒く、しかし確かに命を繋いでいた。
「ハンター稼業初日でこれ、か。先が思いやられる」
とりあえず今日の命は繋げれた。今はそれだけしか考えられなかった。
しばらく休んだ後。アイクはバックパックの中からナイフを取り出し、倒したハンガードックの頭をナイフで切り開いて解体していた。簡易的な手袋をして、死骸の頭部に片手を突っ込み、目当てのモノを取り出した。
それは肉塊でありながらどこか機械的であり、人間の脳とはまるで違う構造をしていた。これこそがアイクが求めていたものであり、討伐系ハンターがモンスターを狩る理由である。
「これが“脳核”か。これでいったいいくらで売れるのやら」
とある国には、他国とは一線を画する技術力があった。多数の研究機関が存在し、その中の一つは生物の肉体に対して強制的に強化・肥大化を促すナノマシンの研究を行っていた。そしてその研究施設はかつての戦争により破壊され、実験途中だった生物たちはナノマシンと共に自然界に解き放たれた。
大自然界の食物連鎖に取り込まれ、ナノマシンは一気に生態系の中に拡散し、多様性を生み、異常な繁殖力によって瞬く間に数を増やし、そして……人間に牙を剥いた。
ただでさえ戦争で疲弊し、国力を落としていた各国には、それらと戦いながら戦争をする余力など残されていなかった。結果として戦争は終結し、彼ら——通称“モンスター”によって流通路が遮断された影響で、各国は自領地だけで何とかするしかなくなった。そして元々国力の弱かった国々は、次々とモンスターたちに滅ぼされていった。
なんてことはない。ただ人類は、発展させ過ぎた技術を制御しきれずに、ゆっくりと滅びに向かって歩み続けているのだ。