第三話
「朝だよ、お寝坊さん」
「……ん……って、きゃあぁぁぁ!」
朝から先生の顔を盛大に蹴り上げる私。
私、当然素っ裸。毛布とリュクの体で隠してはいるけれど、そんな近くに来られたら見えてしまう……色々と。
「い、いい蹴りだねぇ……ルミアちゃん、格闘師とか興味ある?」
「あ、ありません……! ごめんなさい! そしてあっち向いて下さい!」
私は服が乾いているかを確認しつつ、急いで着替える。
ちなみに先生は既に服を着ていて、完全に出発する準備は万端だ。
「……先生、村に戻るの? そうだよね、そうしないと皆に心配を……」
「いや、昨日君が言ってた……ユグドラシルの事なんだけど……」
私は首を傾げながら
「もしかして……一緒に行ってくれるんですか?」
「……このまま放りだすわけにもいかないしね。一応、ここに書置きは残しておくよ。それで……ユグドラシルの事だけど、もしかして……場所知ってるの?」
「えぇ、何度か行って……ます。ぁ、このことは他の人には秘密に……」
「なんで?」
「いや、なんとなく……凄く綺麗な場所だったし……あんまり人に知られると嫌だなって……」
先生はふんふん、と聞きながら顎に手を置き……何か考え込んでいる。
「先生……ユグドラシルの事、知ってるんですか?」
「じゃあ逆に聞くけど……君こそユグドラシルって何か分かってるの? 君はその名を連呼してるけど、本当にそれはユグドラシル?」
ユグドラシルとは何か?
そんなの、昔話に出てくる大きな木の事に決まってる。
別に私もあれが本物のユグドラシルだなんて思ってるわけじゃない。でもそれ以外に呼び名が思いつかなかった。
「先生は知ってるの? ユグドラシルの事……」
「まあ、昔は傭兵だったからね。噂は結構耳にしたよ」
傭兵……あぁ、お母さんから聞いたことがある。
先生は元々、あの村の人じゃない。昔は傭兵として国に雇われ、他国との戦争に参加していたんだ。でも傷を負って命からがら……私達の村に逃げてきた。村長は先生を匿い、追手の兵士から守ったらしい。先生はその時の恩を返そうと、医師として村に居続けている。
「じゃあ行こうか。案内してくれる? 君のユグドラシルへ」
「はい」
※
山小屋に置手紙を置き、私達は山を登り始めた。ユグドラシルはこの山の中腹辺りにある滝……その裏手の洞窟を進んだ先にある。
「ふむ……ルミアちゃん、いいお尻してるな」
「……先生、先歩いて。変態」
「ええーっ、しんがりは俺に任せた方がいいよ、危険だよ」
「先生の方が危険です。リュク、先生のお尻から目を離さないで」
「フンッ」
リュクは先生を追い立てるように先頭へ。
その後を私は歩きながら、地面に降り積もる雪に足跡が残されていないか注意深く観察。
でも小さな足跡はあれっきり見ていない。
「ところで……よくそんな所見つけたね。普段はこんな奥まで入らないでしょ?」
「……ちょっと前に山菜が見つからなくて……つい奥まで行っちゃったんです。そしたら道に迷って……気が付いたらそこに行ってて……」
「何気に背筋が震えたよ。ルミアちゃんも遭難してたの?」
「少し迷っただけです。私にとっては……この山は庭みたいなものですから」
地元の人間は木の配置、ちょっとした獣道を見分ける事が出来る。
でもアルトには厳しいだろう。本当は大人と一緒に、少しずつ道を覚えていく物だけれど……アルトはまだ五歳だ。昔、居なくなってしまったテルミも……そのくらいだった。
そのまま山の中腹あたりまで来ると、滝の音が耳に届いてくる。
私達はそちらへと進み、滝が見えてくると少し休憩する事に。
「アルト……あそこにいるといいんですけど……」
「……どうかな。俺としては居て欲しくないけど」
「……なんでですか? ユグドラシルが生えてる所は何故か暖かくて……木の実とかも一杯……」
「いよいよ心配になってきたな……ルミアちゃんの言ってることが本当なら……そこは死者の街への入り口なんだよ」
死者の街? いや、何の話?
「ニブルヘイム……って聞いたこと無い? 昔話にも出てくると思うけど」
「ありますけど……えっ、本当にあるんですか?」
「噂程度に聞いただけだけど、傭兵してた頃に……そこを訪れたって奴が居るらしいんだ。で……そいつはまだ腕がそれなりに立つ奴だから何とか抜け出せたらしいけど……ニブルヘイムにはこの世の物とは思えない化物がたくさん居て……」
「や、やめて下さいよ。それが本当なら一大事じゃないですか。村の近くにそんなのがあるなんて……」
「うん……。でもニブルヘイムの前にユグドラシルも伝説上の物だしね。ルミアちゃんが見た所とは別とは思いたいけど……。傭兵なんかしてるとね、そういう噂も本当なんじゃないかって……思っちゃうのよ。それ以上の地獄を見てきたから……っと、こんな話はいいや」
先生は戦争の事を言っているんだろうか。
この国はウェルセンツ。昔、私が生まれた頃、ウェルセンツと隣国のコルネス、そして海を挟んだ大国であるシスタリアで戦争をしていたらしい。結果はシスタリアの圧勝。いや、戦争に勝ち負けなんてない。あるのは……傷跡だけだ。
「ルミアちゃん、ほら、食べといたほうがいい。リュクも」
「ありがとうございます……」
先生は私とリュクへ、昨日と同じ干し肉を渡してくる。
リュクは美味しそうに先生の手ごと齧りつき……私は私で匂いを気にしながら食べる。
「うわぁ! リュク! それ俺の手!」
アルト……無事でいて。
死者の街なんかに……行っちゃ駄目だよ。
※
滝の裏手から洞窟へと入り、そのまま奥へと。
中は相当に冷え込んでいた。生き物の気配も無い。ひたすら続く闇と、耳が痛くなるくらいの静けさが支配する空間。
「リュク、付いてきてる?」
「フンッ」
「先生は?」
「ふんっ」
「……先生居ないね。まあいいか」
「ひどい! ルミアちゃん酷い!」
「リュクの真似するからですよ。ふざけてたらバチが当たるんですよ」
「き、厳しいねぇ……」
そのまま進むと、だんだんと先に光が見えてくる。
そしてその光の下へと足を踏み入れると……そこに広がるのは、まるで春のような陽気。そして緑豊かな草花。小鳥がさえずり、蝶が舞う……まさに天国のような世界。成程、死者の街につながっていると言われたら……そうだと信じてしまうかもしれない。
「驚いた……ここは……まさにユグドラシルの幹だ」
先生は辺りを見回しながら、感嘆の声を。
私はそんな先生を後目に、地面を見回す。すると小さな足跡が点々と……まるで私達を導くかのように続いていた。
「先生、あの足跡……! 私が昨日見たものと同じ……だと思う!」
「ん? あ、あぁ。ちょっと調べてみるよ」
先生は地面の足跡へと駆け寄り、少しその泥を摘まんで匂いを嗅いだりしだした。
そしてリュクにもその匂いを嗅がせ、追わせようとする。
「……不味いな」
「……食べたんですか?」
「いや、違くて……血が混じってる。もしかしたら怪我をしているのかも……」
「そんな……!」
早く見つけ出さないと!
私はリュクと共に走りだし、アルトを探しだした。
先生も一緒に駆けだし、一緒にアルトの名前を呼ぶ。
「アルト! アルトー!」
「おーい! 帰るぞー! 坊主ー!」
「ワォーン!」
そのまま進み続ける私達。
点々と続く足跡は……まだ続いている。
「何処まで行ったの? アルトー!」
「ま、まってルミアちゃん、その先……何かおかしい」
先生は私を捕まえ静止する。その先……足跡が続く先は、暗い洞穴が存在していた。
来た時と同じような洞窟。でも何故か私は全く違うと感じてしまう。ここは世界が違うと。
「アルト……まさか本当にニブルヘイムに……」
「……ルミアちゃんはここで待ってて。俺が行ってくる」
「そ、そんな! 先生一人だけで?」
「大丈夫。これでも結構俺、腕は立つ方だから。オバケが襲ってきた所でなんてことないさ」
そのまま先生は行ってしまう。
私とリュカはその後ろ姿を見守りながら……ふと足跡を見ると……
「……? 無い……足跡が無くなってる……」
そんな馬鹿な、今の今まで……ここに……
「……ルミア姉ちゃん?」
その時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえて、私とリュクは振り向いた。
そこには、両手に一杯の木の実を抱えたアルトが。
「あ、アルト! 良かった……あぁ……神様……」
「ルミア姉ちゃん……食べる?」
果実を一つ差し出してくるアルト。
私はそれを受け取りながら、ホッと胸をなでおろしながら……同時に背筋が震えた。
「ちょっとまって……じゃああの足跡は何? あ、アルト! この先に進んだ?」
「ううん。行ってないけど……暗くて怖いし」
死者の街、ニブルヘイム。
先生は……そこに……誘われた?
「先生……先生! アルト! 絶対ここを動いちゃ駄目よ! リュク、アルトと一緒に居て!」
「……ゥー……ワン!」
「駄目よ! そこに居て! アルトを守ってなさい!」
私はそのまま……暗い暗い洞穴へと。
視界が真っ暗な空間に満たされた瞬間、足元の地面が消えうせ……私は闇の中へと落ちていった。