第二話
「さむっ……」
口からは白い息しか出てこない。それはそうだ。黒い息が出てきたら怖いだけだ。
目の前には凍った湖。
ここは私が生まれた頃からこうだ。この土地にも一応四季はあるけれど、基本的に寒い。この湖が溶けた事は私が知る限り一度も無い。
「リュク、行こう」
「クゥーン……」
リュクも寒そうだ。そんな立派な毛皮があるんだから平気だろうに。あとでリュクにくっついて暖を取ろう。アルトを見つけたらリュクの背中に乗せて……
「……ゥー……」
突然、リュクが唸りだした。
私は辺りを見回しながら警戒する。リュクが反応するという事は、他の獣が近くに居るんだ。でも湖にはエサなんて無い。普段は何もいないのに……
「もしかして……私がエサ?」
思わず苦笑いしてしまう。
もしかして今日の昼間、村人達がこぞって山を駆け巡っていたから、獣達は表に出るに出れなかったんだろう。そして真夜中になり村人が寝静まったころ……ちょうどいいご飯が自分から姿を現したんだ。襲わない手は無い。
「リュク、ゆっくり進むよ」
獣達とて馬鹿じゃない。こちらにリュクが居る事は分かっている筈だ。下手に襲えば返り討ちに遭う。でもあまり急いで私の体力が尽きてしまえばそれまでだ。
リュクと共にゆっくり氷の湖を進む。時折、中に魚が凍ったまま保存されているのが目についた。この魚はずっとこのままなのだろうか。私が生まれる前から……
「……? そういえば……なんでここ、雪が積もってないんだろ」
今更ながら疑問に思った。氷の上には雪は積もらないのだろうか。いや、そんな馬鹿な。ここは年中凍っているんだ。雪が積もったっておかしくないはず……。
疑問に思いながらそのまま歩いていると、かすかに地面が、氷が震えた事に気が付いた。
「地震……?」
一度立ち止まり、辺りを見回してみる。するとリュクが大きく吠えた。そのまま先行し、まるで私に早く進めと言っているように。
「どうしたの? リュク。ゆっくりいかないと滑って転んじゃう……」
「走れ!」
その時、後方から聞き覚えのある声。
振り向くと、そのまま私は抱きかかえられた。
「え?! ファルマ先生? ど、どうしてここに?」
「それはコッチの台詞! なんでこんな危険な所に……!」
危険? 危険って……
その時、大きな音が聞こえた。同時に……地面の氷がバキバキと音を立てながら崩れていく。
「え?! せ、先生! 割れてる! 氷が割れてる!」
「きたきたきたきた! リュク! 俺に構わず走れ! 陸まで! リュクだけに!」
「何ダジャレ言って……って、え?」
マルカの光に照らされる氷の大地。そこから大きな……蛇のような生き物の影が。
逆光になっていて良く分からないけど、とにかく大きい。私は思わず叫びながら、先生の体にしがみついた。
「何、何ですかアレ!」
「レイカアンテだ! 氷の中で普段は眠ってるけど、夜になると活動しだすんだ!」
「そ、そんな事聞いた事無い……!」
「子供には言わないよ! 興味本位で見物にでも行ったら食べられちゃうから!」
子供って……私は今年で十七だ。いや、先生からしてみれば子供かもしれないけど……
「って、先生! もう割れちゃう! 足元まで氷割れちゃう!」
「じっとしてて!」
先生は私を担ぎながら全力疾走。
するとレイカアンテなる怪物が、私達へと一気に迫ってくる。
「うおおぉぉ!」
先生は気合を見せた。
そのまま一気に陸まで走り切り、雪の上へと私を放りながら倒れ込む。
すると陸とスレスレの所へ、レイカアンテが頭から突っ込んできた。その時大きく水しぶきが立ち、私達はびしょ濡れに。
「ぶは……あ、あぶねえ……」
「つ、つめた……痛い、水が痛いぃぃ……」
駆け寄ってきたリュクへ、私は思わず抱き着きながら暖を取る。
リュクは私の顔を舐めながら体を温めようとくっついてくれる。でも寒い。リュクのもふもふな毛並みをもってしても、この冷たさは凌げそうにない。
「ち、近くに山小屋があるから……そこに行こう。朝になればまた湖は凍ってるから……安全に通れる」
「は、はい……」
そのまま私達は山小屋へと。
その途中、小さな足跡が……私の目に留まった。
足跡は山を下る方向を向いていた。
※
「こ、こっち見ないでくださいね」
「はいはい」
山小屋の暖炉へと火をつけ、先生は備蓄された薪を投げ入れつつ干し肉をかじっている。
私も一つ貰って、リュクにおすそ分けしながら食べていた。この干し肉……苦手だ。独特の匂いがする。でも体が温まるからと、ファルマ先生に頂いた物ゆえ食べなければ。
「……先生、どうして……私が出ていくの気づいたんですか?」
「たまたまね。もしかしたら一人で探しにいくのかと思って……あとをつけてきたんだ。未来の嫁に何かあったら困るから」
「……先生、いつもそう言ってますけど……私なんて眼中にないじゃないですか。私知ってるんですよ。先生が街に出た時、綺麗な女の人がたくさんいる店にいってるの」
「うっ! そ、それは……男の性というか何というか……ルミアちゃんはまだ子供だし、手を出すわけには……」
また子供と言われた。
私はまだ子供なのだろうか。でも成人はしている筈だ。もうこの国では十六で成人とされているんだから。
「クゥーン……」
「ん……リュク、ごめんね、眠いよね。ちょっと寝ようか……」
リュクは私の膝の上へと顎を乗せ、そのまま目を瞑る。ついでに私もリュクに覆いかぶさるように……毛布をかぶりながら横になる。
「……先生、さっき、小さな足跡見つけたんだ。もしかしてあれってアルトの……」
「それは……無いんじゃない? だってアルトが居なくなってもうずいぶん経ってる。雪に残った足跡なんて……すぐに埋まっちゃうよ」
それは分かっている。でも確かに見たんだ。小さな足跡を。でも確かにあの足跡は山を下る方を向いていた。先生の言う通り、アルトの物なら……既に雪に埋もれている筈だ。あれは違うか……じゃあ誰の物なんだろう。
「朝になったら村に戻ろう。それでまた皆と一緒に……」
「……先生、ユグドラシルって……知ってる?」
私は先生へとそう投げかけた。
すると先生は真っ青な顔で……私を見てくる。
「今……なんて?」
「だから……ユグドラシル。もしかしたらアルト、そこに……」
「…………」
その晩、先生は一言も喋らなくなった。