一話
「君の力になりたい」
思わずそう口走った真宵に名前を持たない少女はきょとんとした顔で彼を見下ろした。
「何のために力を借りたらいいのでしょう?」
「えっと……あれだよ、道案内とか衣食住の面倒とか!」
冷静に聞かれてパニックになりかけながら現代日本で迷子が必要とするだろうことを並べてみる真宵。
「道案内と衣食住……そもそも、ここはどこ、です?」
少女がもう一度場所を問い、真宵が日本だけど、と答えると胡乱げな表情。やはり異世界からの迷子らしい。
「どうして私はここにいるのでしょうか」
「俺に聞かれてもなぁ……」
「嗅いだことのない匂いがします。……あんまりいい匂いじゃないけど」
「におい?」
「空気が汚い場所、ですねぇ」
柳眉が嫌そうによる。排気ガスか何かのことかもしれない。少女のいた世界では車はなかったのだろうか。そうぼんやり考えながら地面と仲良くしていた真宵はここでようやく立ち上がった。
「俺は高坂真宵っていうんだけど」
「コーサカマヨイ?」
舌足らずな声が漢字をわかってないですと言いたげな発音で真宵の名を繰り返した。
「えっと、漢字って君の世界にはないのかな。コウサカ、マヨイ」
「マヨイ、さん」
「うん。もう一回言ってみようか、正式な発音で。真宵。リピートアフターミー」
「うぅん?」
カタカナ発音の英語は通じない文化圏のようだ。不思議そうに首をかしげる少女に何度か真宵、という単語を繰り返す。やっぱり名前はきちんと覚えてもらいたいし。
「真宵、さん?」
「そう!」
不思議なものをもらった子供のように少女は何度も真宵さん、と繰り返す。自分で教えておいてなんだが照れ臭くなる真宵である。
「君にも名前があった方がいいかな……そうだなぁ、外人っぽいし……」
「名前……です?」
「アリア、はどうだろう?」
「ありあ?」
「確か歌の種類かなにか。綺麗な声してるからさ」
アリア、な?ともう一度発音指導。どうもこの少女、大人びた外見や高貴な雰囲気にそぐわぬ幼さを持っているようだ。もしかすると人に慣れていないのかもしれない。
「アリア……じゃあ、私は今日からアリア、ですね」
ぱあっと少女の顔が輝いた。嬉しそうな表情に真宵も笑顔を返す。
「そ、アリア。忘れるなよ?君だけの名前なんだから」
「はい!えぇと、こういうときはありがとう、であっていますか?」
「あってるあってる」
「ありがとうございます、真宵さん」
喜んでもらえて何より、とうんうんとうなずく真宵にアリアは自分に名前があることが珍しいというように何度もアリア、と繰り返す。他に唇から紡がれるのは真宵の名前でそれが真宵にはくすぐったかった。
「アリアはどこから来たんだ?」
「んー……わかんない、です」
「違う世界とかかな」
「たぶん?」
どんな世界でどんな人生を彼女は送ってきたのだろう。名前がない人生というのは、寂しい気がした。
「あ、学校。いいやさぼろう。せっかくだからちょっと街並み歩いてみようぜ」
「はぁい」
異世界から来た美少女を放っておく選択肢はなく、部外者を学校に連れていくこともできず真宵は二秒で学校に行くことを放棄した。
「アリアは腹減ってる?」
「あんまり。ご飯は、めったに食べないのです」
「体に悪そうだなぁ」
女子だと甘いものが好きなのだろうか、どこか興味を引きそうなカフェはあったか、と思案しながら路地裏を出る真宵の三歩後ろをついてくる気配。
「なんで横あるかねぇの?」
「目印にと思って」
「平凡な目印だなぁ……」
外見の目立ち方でいえば絶対アリアのほうがいい目印になるだろう。なんせ美少女でドレスで外人風だ。
「カラオケ、ゲーセン、買い物……うぉぉ、女子が喜ぶ遊ぶ場所なんてわかんねぇ!」
「?」
頭を抱えてうなる真宵をアリアは不思議そうに眺めるのだった。