序章
窮地を目の前に、背には全てを賭しても護りたい存在。
一歩、いや半歩でも退けば、その全てを失う予感がある。
己の内にある恐怖をかき消すように強く、強く唇を噛んで、ただ音を叫ぶ。
乾ききっていた口内が血で潤う感覚が、嫌に自然と心地いい。
まだ、自分はここに生きていると実感出来る。
既に焦土と化していた大好きな街並みに瞬間だけ目をやって、現状を再認識。
失った多くは、目の前の敵を斬る理由としては十分過ぎる。
錆びた鉄の匂いか、流れたばかりの真新しい血の臭いか、どちらとも区別のつかない気持ちの悪い香りが混ざって、鼻の奥の奥、脳を激しく揺さぶる。
聞こえない悲鳴が、鳴りやまない轟音が、敵を切れと背中を押す。
その惨状は大義や忠義といったものを全て拭い去って、ただ憎しみだけを残した。
鞘から刀を抜き、振るう瞬間、敵と交錯するまでの緊張の一瞬が、脳を下手に冷静にさせる。
真正面から降り抜いていれば、あるいはそんな結末を迎えずに済んだやも知れないのに。
「この偽善者め……!」
そう叫んだのは、先に踏み込んできた敵側だ。
血管を浮かび上がらせ、激情に駆られ、真っ直ぐに突っ込んでくる。
刀と刀が交わる寸前で、なるべくそれ以上に手傷を負わぬよう、出来るだけ汚れずに戻れるようにと、身体を捻って避けようと試みた。
それが全ての間違いで――
衝突の瞬間、視界は暗転し、意識は深い闇の底へと落ちていった。