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遅咲きの桜

作者: 綾月神楽

初めて書いた短編です。何十回も推敲したのですが、お見苦しい点があればお手柔らかにご指摘いただけるとありがたいです。

 歪んだ文字を、ただ見つめていた。

 それは僕の目に溢れている温かいもののせいなのか、体を濡らすこの雨のせいなのか。

 それすらも、もう僕にはわからなくなっていた――。



 彼女と僕が出逢ったのは、薄く桜が色づく季節。

 毎日少しずつ薄桃色の数を増やしてゆき、そして少しずつ減らしてゆく桜並木。

 僕は、まるでこの世の幸せを統べる者であるかのように、

 揺るぎない気持ちで、彼女の隣を歩いていた。


 彼女は、桜が舞い散る情景が好きだった。

 ――舞い落ちて人に踏まれると、どうしようもなく汚くなってしまうのだけれど、ね。

 そう、少し悲しそうな目をして僕に話す姿が、何故だか忘れられなかった。



 桜の季節になると、彼女は一人であらゆる場所に足を運び、自分好みの場所を探していた。

 一番のお気に入りは、桜のトンネル(彼女があんまり嬉しそうに呼び名をつけていたから、「ありがち」だなんて余計な言葉は飲み込んだ)。


 仕事が終わると、本来なら通らなくていいルートをわざわざ通って、

 遠回りしてでも、彼女は毎日その下を潜り抜ける。


 ――幸せな気持ちになれるの。



 その言葉を聞いて、実はこっそり一度、僕も通ってみたことがある。

 視界ぎりぎりまですべて桜だけにできる、その空間。

 そこを通り抜けるわずかな時間、この世界から切り離される感覚。


 彼女の感じた、幸せ。

 彼女の見せた、悲しさ。



 彼女はきっと、吸い込まれるようなその空間に心癒されていたのだろう。

 それは、どれほどその頃の僕が彼女にとって役立たずだったのかを、痛いほど思い知らされる気づきとなってしまったのだけれど。



 今、彼女は遠い地にいる。

 桜の散る季節、彼女は僕を残して旅立った。

 まるで自分自身の世界を、あるべき姿を求めるように。

 僕はそんな彼女を、ただ、そっと見送った。





 ――あれから、2年半が経った。



 そして今朝ポストに届いたのが、この封筒だ。

 桜の花びらを型どったチケットが入っていた。

 彼女の写真展が開かれるらしい。

 それともう一枚。

 彼女の筆跡で、少しだけ長い手紙が書かれていた。




  知っていた? 桜って紅葉するのね。

  銀杏やもみじのように。


  毎年春になると、あんなに歩き回って探していた花なのに、

  私はそんなことさえ知らなかった。


  あなたと歩いたあの桜並木も、

  もしかして、そろそろ色づいている頃かしら。


  桜の紅葉を見に行こう、そんな人はとても少ないでしょうね。

  少し地味に感じるからかしら? それとも、桜と聞くと春しか頭に浮かばないから?

  知らず知らず見ていたのに、他に紛れて桜とはわからないまま生きてきたのかしら。


  私ね、ずっと描いていた夢があるの。

  ……ううん、正確には、「あった」の。

  毎年咲いては散る桜を、その世界を、写真として残してみたいと。

  できればそれを、日本ではないどこかの国でやりたかった。


  あなたに理由を言わずに旅立ったのは、

  叶える自信がなかったから。

  あの頃の私には、全然自信がなかったの。

  でもね、今そこにほんの少しだけ踏み込むことができた。


  今度、個展を開きます。

  もしも赦されるなら、あなたにも見にきてほしい。


  小さなお店の、ほんの片隅だけれど。

  あなたと離れていた時間の中で、

  私が出逢ったすべてを、見てほしい。


  私ね、あれからあちこち旅をした。

  日本以外にも、桜はたくさんあったわ。


  ……それでね、私の夢には実は続きがあるの。

  もしもまた、隣にあなたがきてくれたら。

  そしたら日本に帰って、あの桜のトンネルを、今度は二人で潜りたい。





 ――知ってるよ。

 僕は一人、つぶやく。


 彼女がいなかったこの2年半、僕は彼女の代わりのように桜を追っていた。

 花開く春も、緑茂る夏も。

 紅葉の秋も、雪積もる冬でさえ。




 桜の花びらを模した、小さくて可愛らしいチケット。

 綺麗な鳥の子色と茜色のグラデーションに染まっていた。






SF系を書いてみたいと思い描いていたのに、気づいたら恋愛物を書いていました。

何から何まで至らないところだらけです。日々精進したいと思います……。

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