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遠吠えは響かない  作者: 基 創
2/4

第二話

 第二話



 1



 あなたを愛し続けます、という意味らしい。

 着いた所で、ピンク色に色づいた木々たちに囲まれた。

 どうも、この国の花らしく、どこを見てもこの木が見える。

 珍しくて、ずっと上を見て空と淡く色づく木々の混ざり合った光景を見ていた。

 首が痛い。

 自分でもおかしくなるくらい綺麗だ。

 花にさほど興味が無かった俺がこうなのだから、周りで熱心に見上げている観光客らしき人が口ぐちに凄い、綺麗、撮って撮ってなどを言うのもよく解った。

 カメラを持っているという事は、かなりの金持ちなのだろう。高価な機械を趣味に持てるというのは少し羨ましい。

 この花の名前は『ウラプーシャ』。〝あなたを愛し続けます〟、という意味と船内で聞いた。成るほど、言われてみれば小説の恋愛物語に使われそうな幻想的な雰囲気だ。

 少し向こうを見れば、ずっとこの木が続く道がある。あの道を行けばいいらしい。

 約束の日までまだ時間がある。少し観光していこうか。そう考え鼻歌を歌いながら歩く。

 自分の服である緑の上下に花びらが落ち、付いているのが少し恥ずかしい。

 緑の芝生に落ちた花びら、まるで絵具のようで、芸術的だ、などと訳の解らない事を考えてしまう。馬鹿らしい。早く行こう。

 道がまるでピンクの絨毯(じゅうたん)のように揺れていた。

 観光客はまだ騒いでいた。

 平和だな、と思った。



 2



 騒がしい街中で、一人ジュースを買って飲む。

 外で飲む形式の店なのか、日よけがあり、その下で新鮮な果実を絞った飲み物を出していた。氷がグラスとジュースを冷やし、喉に心地よい冷感をもたらす。美味しい。おかわりでも頼むか。そう思いながら一気に飲んだ前半に比べると氷が溶けた水の方が多くなったそれをゆっくり飲む。人間は最初に勢いをつけた事を後悔するな、と思った。

 こちらから出かけていかなくとも、今回の依頼人は容易に見つける事が出来た。

 小高い丘に孫と二人で住んでいて、気難しくトラブルが絶えないらしい。何でも、理由を訊くと庭に一本のウラプーシャがあり育てているのだが、周りのものと比べてもとても大きく立派なもので、それを観光用に保存、管理したい国側と問題があり相当プレッシャーをかけられているのが原因らしい。

 観光に特化、というより美しい景観で人を呼び込まないと廃れてしまうような土地だからこそそうなるのだろうが、難しいな、と思う。今回の仕事も上手い具合にはいかなそうだ。

 賑わっている街を何とはなしに眺めると、少し遠くの屋台の方で何やら大きな音がする。

 どうしたのかと思い、首を伸ばしてみると、籠を持った女性が大柄で柄の悪そうな男二、三人に囲まれ突き飛ばされた音らしい。何やら大きな声でお互いに声を張り合っているが、転ばされた女性はよく口が回るらしく、突き飛ばした男達に聞くに堪えない暴言を吐いているようだった。

 頭に血が昇ったらしき男の内、丸坊主に眉に傷跡がある奴が顔を真っ赤にして震えながら再び勢いよく彼女を押し飛ばした。

 大抵の場合、暴力を振るわなくてはいけない時は口で相手を倒せない時だ。

 言葉で相手を倒せない時、人は拳で、脚で、武器で黙らせようとする。一つの思考停止、考える事を放棄してしまうが故に直接相手を傷つけようとする。

 会話とは剣と盾である。相手からの攻撃を防ぎ、自分の利益のために攻撃する。そのためにある器官が口だ、と言えるかもしれない。

 そこで剣も盾も無い相手が拳を取る。それはずっと続いてきた世界の中で変わらない真実だろう。

 転ばされた拍子に手を擦りむいたらしい。掌から血が出たようだ。

 更に彼女が声を荒げ攻撃を再開する。駄目だ。それ以上は止めろ。そう言いたくとも彼女の口は止まらない。男たちは顔をこれでもかと赤くした後、すっ、と青くなった。やばい。危険だ。線を(・・)超えた(・・・)

 無言でしりもちをついている彼女に近づく男。雰囲気が変わった事に戸惑ったのか、しかしまだ自分の方が有利だと思っているのか震えながらも声を発そうとした瞬間、髪を長く伸ばして後ろで縛っていた男が思いきり拳を振り上げた。

 混雑した人混みの中に手を突きだし間へと滑らせ、走りながら縫うようにその場へ走りこんで行く。人が途絶えぽっかりと空いた空間にいる彼女達の所へ飛び出し、瞬間、男の叩きつけるように振り下ろされた拳をかばうように両腕を交差し受け止める。骨がぶつかる音が響き、辺りの声が一瞬消える。

 そのままその拳を掴んで握り、捻りながら相手の背中に持っていく。完全に極めた状態で固め、「ぐぎゃぅッ」と上げた悲鳴を聞きどんと二人の男たちの方へと突き飛ばす。

 内心男にすまないと思いつつ、そのままかばうように女性の方を見る。

 驚いた顔をしたその女性は、こちらを目を瞬かせ見つめていた。「何なの……アンタ」と呟き、俺を知り合いかどうか頭の中で検索をかけているようだった。無意味だが。俺とお前は間違いなく初対面だ。

 身体の怪我は掌の擦り傷だけらしく、安堵しつつ振り向く。

 男達は一様に無言で俺を睨みつけている。中々いい面構えだ。隙はさほど無い。場数を踏んでいる者特有の顔だった。ただ正直頭はそこまででは無いかもしれない。力で生きてきた、そんな雰囲気だった。しかし大の大人、しかも男が無抵抗の女一人に本気なるのもどうなのか。腹が立つのは解るが尚更我慢だろうに。一言で言えば幼稚でもある。気持ちは解らないでもないが。

「死にてえのか、どけ、クソガキ」

 クソガキとは俺の事だ、と気付くまで少しの時間を要した。ああ、俺は子供に見えるのか、初めて知った。歳はもう二十一だが。男達よりは若いだろうが新鮮である。子どもに見えるくらいお前たちが老け顔なのだ、と反論したい。怒ってはいない。断じてそんなことは無い。たかが他人の印象、気にする訳が無い。「ねえちょっと、アンタ大丈夫? 凄い顔してるけど」後ろで何か言っている。まあいい。大人の俺は紳士に対応してやろう。老け顔は大変だろうしな。

「何でこんな事になってる? 流石に大人げないと思うが。女一人に男三人。どう考えても悪役はお前たちだ。小説なら」

 真っすぐ三人の視線を受け止めながら、俺は身体から力を抜き、いつでも動けるように地面に吸いつくような感覚で立つ。

 男たちは「お前にこそ関係あんのか? っていうか誰だよお前。それこそ小説の読み過ぎじゃねえのか。死ね」と口々に言ってきた。成るほど。口喧嘩が弱い事だけは解った。実力はどうなのか。別にいいが。

 後ろで「アンタいいからどきなさいよ。邪魔なのよ。カッコつけてないでどっか行きなさい。その頭の悪そうな色の髪の毛が光に反射して眩しいのよ。どうせ頭皮の寿命も短くて違う意味で眩しくなるんだからさ。いいから何度も言わせずにどきなさい。邪魔よ。その緑色の服もセンス悪いわよなんか虫みたい。幼虫系? 何だか気分悪くなってきた。アンタのせいよどうしてくれんの」

 解った。良く解った。この女がどうしてここまで手荒に扱われているのかようく解った。この男達に同情する。こんな女だと知ったら助けなかったかもしれない。口が一種の公害である。開けば皆が傷つく。関わらなければよかった。この服は気に入ってるんだ。誰が幼虫だ馬鹿女。

「本当にムカつく女だぜ。他人だと解ってても腹が立つ」「一種の芸術だな。誰も幸せにしない芸術」「頭かちわりてえマジで」同情されていた。何だこの親近感。あっち側に付くか今からでも。ため息を吐いた。仕方がない。

 関わって、しまったからな。


「悪いがここで手を引いてくれないか」


 俺はなるべく穏やかに言う。

「やはり、手助けならばこっちなのだろうしな」

 男達も瞬時に考えを切り替え、「邪魔すんなら手加減しねえぞ?」と頭の悪いセリフをおそらく確かな実力を持って言ってきた。やれやれこの女はこんな奴らに喧嘩を売っていたのか。馬鹿じゃないのか。その貧乏くさい服を着替えてから俺の服を言え。

 確かに俺の服ももう使い込み過ぎてボロボロだが。「何見てんのよヤラしいのよ幼虫」頭にくる。もう絶対コイツとは喋らん。決めた。

「止めよう……とは言えないか」

 男達はすでに構えを取っていた。柄が悪く顔も老け顔で頭も悪そうだが喧嘩だけ見れば場数をこなしている。

 この場を収めてすぐに離れよう。嫌な予感がする。「来るわよ幼虫」

 言われなくても解っている、この馬鹿女。

 一人目が走ってきたのを見て心で毒づく。難儀な事だ、本当に。



 3



 走り込んできた無口(?)だった短髪の男は間合いに入るとつま先でその場で一回転し回し蹴りを放つ。

 頭に血が昇っているとはいえ、こんな大技でなくても良かろうに、とそのつま先を軽く頭を下げ躱し、その軸足に向かって足払いをかけた。「!」と驚いたままの表情で空中にその身を投げ出したが猫のように片手を地面につきそのまま後方に飛び退く。そこに中段気味のハイキックを繰り出すと両腕でカバーし自分でもまた後ろに飛んで回避した。

 その時には逆の意味で人だかりが出来ており、「緑に十!」「ゴーウェ組に三十!!」などと賭け始めている。

 その状況適応力は素晴らしいと褒めるべきなのか、それとも止めてくれる人格者が現れない事に嘆くべきなのか。まあ、どうでもいい。

 そんな光景を楽しむかのように両手を上げて歓声に応える短髪。嫌になってきた。何が楽しくてショーをやらねばならないのだ。

 俺は構えながら「早く終わらせよう」とじゃり、と砂を踏みしめた。

「今行くさぁ」

 言った直後、その長めの足の可動域を限界まで使い掬い上げるように膝蹴りとそのまま先を伸ばすようなつま先蹴りの二段攻撃をしてきた。

 それに合わせ膝は右腕で防ぎ左の肘をそのつま先に叩きつける。

 短い悲鳴を上げ体勢が崩れた所を両足で地面を蹴り飛び両足で蹴りを腹に叩き込む。

 今度は受け身も取れないまま地面に叩きつけられ、ばたばたともがく短髪を見る。

 何にせよもう戦えないだろう。手加減はしたが今日一日ベットの上だ。

 歓声が更に燃え上がりを見せ、ギャラリーが増えていく。「緑ー行けー!!」「頼んだわよー、亭主の晩飯賭けてんだからねー!」「おらァー、根性見せろやゴーウェエ!!」などと勝手な声援が聞こえてくる。おい、亭主が可哀そうだぞ。

 そんな中、二人目の男が出て来て首や腕を振り、足をとんとんと地面に叩いた。

 俺は少し警戒度を上げ男に対峙する。

 長髪の男はにやりと整っているとも言えなくない顔で「行くぜエ」と深く沈み込み、地を叩きつけるように蹴ると意外と速い動きでジグザグに突っ込んできた。

「――ひゃッはァ!」

 と右右左右左、とランダムに交互に拳を繰り出し、一発一発丁寧に返しながらそれを打ち落とす。こいつら、本当に何でこの女と喧嘩しようと思ったのか解らない。

 実力的には申し分ない。動きも判断も、そこらもそこらのゴロツキよりも数段高い。

 ――何をしたんだ、この女。

 攻撃を躱し、そらし、受けていると、動きに少しムラがある。

 こいつは拳を主体とするようなので、その拳自体の速さ、動きは鋭いが、足元に注意が無い時がある。左を打つときそれが顕著だ。右を打った後に微かに左肩が動いたので左が来ることが解る。

 左、来る、右足を踏む。バランスを崩す長髪。一気に身体を捻り、顎へ掌底を打ち上げた。ぐるん、と目を剥き、そのまま頭から地面に落ちそうになるので慌てて支える。流石にこんな所で頭を打ったら死ぬ。  

 そのままゆっくりと身体を地面に横たえらせると一瞬途切れた歓声が一気に爆発した。

「緑に五十!」「オーウェに三十!」「気張れー!!」「負けんじゃないわよー、今度は息子の分も賭けてんだからねー!!」などの声が一層激しくなった。だから息子も可哀そうだぞ女。

 最後に出て来たのは坊主頭の男。(しば)し呼吸を止め目を閉じたと思ったら「喝ッ!」と叫び周囲の声を掻き散らす。

 少し驚いた俺は何かのまじないか? と思ったのだが、そんな事を言える雰囲気では到底無かったため、そのまま男と向き合う。

「誰かは知んねえけどよ」

 ゆったりと構えを取ると坊主頭は重々しい口調で言う。

「痛くても、泣くなよ」

「すまん。馬鹿じゃないのか」

 その言葉に顔を怒りで赤くしながら、坊主頭は素早く間合いに入ってくる。

 そのまま右の緩やかにさえ見える正拳突きをしたかと思うと、触れる直前に引き右足で俺の左すねを狙ってくる。

 ふわりとそれを脚で弾きながら、こちらも相手のペースに合わせ緩やかな動作で相手の懐に入り込み、腰を捻って横拳を顔面に向かって打つ。

 当然その攻撃は相手の右腕に防がれるが、その事は気にせずに横腹を狙って中段蹴りをする。同じく腕で防ぎ少し顔を歪める。それでも大したものだと少し感心した。かなりの強さで放ったから相当衝撃は大きかったはずだ。それでも腕一本で防いだというのは賞賛に値する。

 そんな事を一瞬考えながらもすぐさま攻撃を仕掛け続ける。

 左の掌底。右の正拳。左の中段、下段蹴り。左のわき腹狙いのフックに右の目突き。踏み込んでの両手打ち。

 それぞれを淀みなく打ち続け、ふと間を外してしまう瞬間を()()()()()

 その隙を坊主頭は狙い始め、それを俺も感じた。

 右の横打ちをした直後。

 次の動作をするまでに僅か、ほんの僅かなタイムラグを作り、そこを嬉々とした表情でカウンターをしようとした坊主頭に更に間を外し受け流し、カウンターで拳を打つ。

 腕が交差しするりと打ちが坊主頭の顎を捉えた。

 がん! という音がしそのまま坊主頭は崩れ落ちる。

 しん、と場が静まり返ったと思った瞬間、爆発したと思うような歓声が溢れ、思わず耳を塞ぎたくなった。


 気絶した三人に正直悪いと思ったものの、仕方がないと首を振り、尻もちをついたままの女に振り返る。

 呆然とした女に何も言わずに立ち去ろうとした。正直何を言われるか解ったものではない。

 くるりと人工の闘技場のようになっていた人垣を押しのけて出ようとする。

 何かに引っ張られているような感覚がし振り返る。

 女が、俺の上着の裾を固く、固く握りしめていた。

 にっこり、笑う。

 その顔の柔らかさと裏腹に、指は絶対に離さないとでも言うかのように離れない。

「やるじゃん」

 その顔で、またしても何かを失敗した事が解ったが、もうどうしようもない。

 難儀な事だ、と思う余裕も無いまま、馬鹿みたいにそこに突っ立っていたのだった。



 4



 その場を急いで離れ、俺と女は離れた所にある飲食店に入った。右側がガラス一面張りで外の様子が丸わかりの店で、軽い感じの雰囲気だった。見ると客も大体俺と同じかそれよりも下かというくらいで、あまり年配の人間はいないようだ。

 外の景色を少し見た後、女と一番奥の席に移動し、注文を聞きに来た給仕に先程飲んでいたジュースがメニューにあったので頼む。女はメニューから一番安い果実ジュースを頼むと、給仕がいなくなったことを確認し話し始める。

「あんた凄いわね。なんか芋虫みたいだとは思ったけど、考えを改めてカマキリくらいにしてあげるわ。カマキリは雀も倒すことが出来るのよ知ってた?」

 だから何でこの女はこう人の神経を逆なでするような事しか言えないんだ。

 俺は憮然としたまま座りながら黙っていた。

 本当はこのまま何も言わず出て行ってしまっても良かったのだが、なんとなくこの状態の女を一人残していくのも、関わってしまった以上出来なかった。また狙われる事も考えなければならないし。まあ、それはもうちょっと立ち寄った俺に出来る事では無く、本人の結果なのでしょうがない。今いる時間は付き合う、というだけ。深くは立ち入るまい。

「何で喧嘩になった」

 顔をしかめながら俺は女に問いかけた。

 女は「別に? いつもの事よ」と心からそう思っているように返した。

「あんな危ない事をいつもしているのか」

 怒る前に呆れる。確かにあの男達の頭の中身は軽かったかもしれないが、喧嘩という意味ではかなりの腕前だったといっていい。

 そんな男達に口喧嘩で挑発し、あまつさえ勝とうと思っていた事は逆に凄いのかもしれない。ま、今はそういう事ではなく。

「理由は何なんだ」

 さして興味があった訳ではない。ただ、聞いておいて損は無いかな、と言う程度のものだ。何の理由があろうとも俺には関係ないし、聞いてどうなるというものでもないだろう。

 しかし女の顔を見れば話を聴くのが一番だと思った。こんな暗い顔をされたら誰だったそう思う。

 女は一瞬言いづらそうにしたものの、すぐに顔を明るいものに変えて喋りはじめた。

 その疲れを無理矢理押し殺したような顔に俺は内心聞くべきでは無かったかと後悔したがもう遅い。悪いとは思ったものの、喋ってもらう。それが今は大事だ。

「あたし孤児なんだけどさ」

 ふうっ、と息を吐いてテーブルの木目を見る。艶やかに光るその表面は薄いこげ茶色で、少し小さ目のそれは、自然と向き合いながら話す俺達の距離の近さにの原因にもなっていた。

 栗色の肩までのショートカットにぱっちりした大きな目。

 華奢ながらどこか柔らかそうな身体は、女性ならではの曲線に満ちている。

 容姿がいい、というのは間違いない。俺は詳しくないからよく解らないが、充分美人、可愛いと言っていい見た目をしている。

 着ているものが少し古く、よく見るとツギハギだらけであることを除けば、魅力的だと思った。

 ま、暴言と毒を吐く口で、その長所を大分叩き壊していると思ったが。

「拾われた身としてはなんとかしてあげたいわけよ。あんなジジイでも」

 話の前提が解らないので、何を言っているのか全く解らない。

「ああ、ごめんごめん、説明もなしに言っても解んないか。あんたここの人間じゃなさそうだしね。金髪に青い眼なんて見たことないし」

 軽く笑って俺を見て女はそう言った。

「ってゆうか自己紹介がまだだったね。アタシ、サラ。名字はないわ。そのままでサラ、よ。よろしく、カマキリ」

「カキネナシ・カケネだ。カケネでいい」

「よろしくカマキリ」

 つくづく腹が立つ女だ、と思った。

「で、話の続きは?」

 会話を続けているとさっきの男達のように喧嘩になりそうだったので、早く話に戻させた。この女は自分の事を話させた方がいい、という事がだんだん解ってきた。

 女のおしゃべりは見ている、聴いている方としてあまり楽しいものでは無い。むしろ苦痛に思う方が多いだろう。だが、彼女達の心の掃除だと思えばさほど気にならない。そういうものだ、というだけだ。

「ああ、あたしのじいちゃんなんだけどさ。もう、偏屈で偏屈で手がつけられないのよ。孤児だった私を拾ってくれたのには感謝するけど、毎日毎日ここら辺に来て弁当屋のアルバイトしてんの。ま、それが生活費には必要だから、仕方ないんだけどね。で、いつもと同じくあいつらが脅迫めいた事ずっと言ってくるから、口でねじ伏せてやった訳。そしたら急に怒りだして突き飛ばすんだもん。最低よねー」

 気持ちは痛いほど解ったが。

 喧嘩相手の三人組に少し同情する。が、あまり考え込んでも仕方ない。続きを聴く。

「そんで、私を狙った理由なんだけどね、うちのじいちゃん、庭に生えてる、この国でも最大級のウラプーシャ育ててるわけ。それを国の記念物として観光にするために家を潰させろ、って言ってんのよ。でもじいちゃんには凄いこだわりがあって、絶対にうんって言わないの。で、土建屋の『オーウェ』に目を付けられて、今日もその事だったってわけ。まあ、国の事を思えば気持ちは解るわよね。でも、ま、じいちゃんお唯一の生きがいを捨てる事になんのも可哀そうだしさ。私がこうやってそれを防いでいるってわけよ。解った?」

「色々解った。ありがとう」

 その場で頭を抱えたくなった。何だ、この国には俺だけの呪いがかかっているとかじゃないんだろうな、こんな事ばかりだ、最近。

「で、君は」「サラでいいわよ」言われたのでそのまま「じゃあサラ」「なあにカマキリ」思わず拳を振り上げそうになったが、自重した。気にしたら負けである。

「その『オーウェ』は腕利きばかりなのか」

「土建屋っていっても正直ヤクザと殆ど変らないしね。脅し、暴力、なんでもござれって感じよ。それでもまあ、仕事の腕は確かみたいだけど」

 腕を組みつつ少し目を閉じる。どうする。このまま仕事をしてもいいが、依頼人からはちゃんと時刻と日付は決められている。

 どうしたら一番いい形で収められるのか考えてみた。

 ま、一つしか無いのだか。

「サラ」

「何よカマキリ、卵産みたいの?」

 腹が立ったが、もうそれほどでもなくなってきた。慣れ、というのは恐ろしい。

「その土建屋、動きを止める事が出来れば、お前たちの身とウラプーシャの木は守れるのか?」

 不思議そうにこちらをサラは見ていたが、急に、

「何言ってんのアンタ。さっきも見たでしょ。下っ端であのくらいの力持ってんのよ。それが三十人くらいいるんだから。どうしようもないじゃん。っていうか、今はこうやって伸ばし伸ばし抵抗してるけど、結局は取り壊されちゃうんだし、意味無いわよ。自分の力過信しすぎてんじゃないの? 口だけの男ほど気持ち悪いもんは無いわ。カマキリなんてすぐあいつらに食われちゃうわよ。あっという間にパクリよパクリ」

「ま、なんとかするさ」

 もう一度まじまじと俺の顔を見るサラ。首を少し傾けている所は可愛いかもしれなかったが、何度も言うように口が無ければ、だ。散々嫌味を言われ憮然としない方がおかしい。

「死ぬわよ。何考えてのよ馬鹿じゃないの、さっさと交尾してオスでも喰ってなさいよばか」

 自分の堪忍袋の緒が意外と固い事に自分でも少し驚いた。その口、ちょっとでいいから黙らせる方法はないのか、一瞬考えた。ま、無いのだが。

「仕事なんだ」

 じっと見た後、サラはぷっと吹き出して笑った。

「小説の読み過ぎじゃない?」

 だったらいいんだけどな。

 運ばれてきたジュースを手に取り、飲んだ。

 さっきの方が美味しかった、と思った。



 5



 彼女に連れられ、俺は急に傾斜がある道を登っていた。

 両側にはこれまた色とりどりの木々が花を咲かせる。美しいと感じる心に学力、頭の良さなどは関係ないらしい。綺麗だ、と思う事は誰にでも出来る。それが、人間というものの持つ最高の能力の一つかもしれない。

 さわさわと緩やかな風に運ばれ、花びらたちが互いに踊って舞っていく。その花びらの一つ一つが心落ち着かせる気配を持っているのに、数が多くなると逆に心揺らすものになる、不思議なものだ。

 赤、黄色、橙、ピンク、の木々は来るものを歓迎しているような、いや実はその美しさで惑わそうとしているのか、普段考えない様な美意識について延々と考えた。

 その理由は、

「んで、私を引き取った理由ってのが、『昔の恋人に似てるからだ』ってぬかしやがるのよあのくそじじい! じゃあ私が似てなかったら拾わなかった訳!? 馬鹿にするのも大概にしろって感じよ。大体、そんな理由で連れてくるなら、もっとちゃんとした生活しろよって私は言いたいわけ解る、この気持ちが! こんなボロボロの服を、ツギを夜中に直したりする恥ずかしさを! 経済的に豊かな奴を親にするべきだったー!! もー腹立つなぁあのくそじじいーッ!!」

 隣で延々続く愚痴に付き合うのを心の何処かで忘れるためだったのだろう。

 実に見事な色だ。美しい。最高だ。これで仕事すらなかったらもっと最高なのだが。

「ちょっと話聞いてんの!? 人と話す時くらい目を合わせなさいよね、このミミズ!!」

 いつの間にかカマキリからミミズに生物レベルが一気に落とされた。もう何も言うまい。気にしたら負けという言葉は真理だ。間違いない。

 坂を登りきるとそこには小さな芝生が一面生い茂った、緑の絨毯とでも言うかのような場所があった。

 均一な長さの草であり、絵具をぶちまけたかのような緑一色。

 そしてその丘の中央付近に、―それは、あった。

「――凄い、な……」

 大きな、大きすぎると言っても良いくらいの、巨木だった。

 太い幹はここから見ても大人三人が両腕を広げても足りないような太さだし、その枝は天に届かせと言わんばかりに空一杯に重そうに花を提げ身体全身を広げている。

 五~六人が一度にその木陰に休める程に、力強いがっしりとしたその体躯はどんな事にも動じない厳かさをたたえる。

 圧巻なのは花の多さだ。

 その枝全てを使って咲くピンクの花は、まるでどこか極楽のように生えているかのような美しさで、自分の貧困な語彙では表せない優雅さも持っていた。

 時折風で揺れるその枝からは思い出したように花びらが落ち、緑の芝生にその点々とした色を付けて行く。まるで緑の川へと流れる魚のようだった。

「どう? 結構圧巻でしょ」

 何処か誇らしげにサラは胸を張って言った。

「これは……国が欲しがるわけだ……」

 言葉を運ぶものとして失格なのかもしれないが、これは確かに『()()()()()()()』。陳腐な言い方だが、言葉で定義できるような代物では無かった。

 ここに一体何年いたのだろう。幹には無数の罅割れが見え、かなりの年月ここにあったのではないかと思わせた。

「ま、これがじじいが後生大事に持っている理由なんだろうね。この時期になると他の人達も結構必ず見に来るから。そういう人たちには意外と優しいんだよね、うちのは」

 すうっと胸に空気を入れ、はあっと吐き出すサラ。少し固めなのか茶色の髪がばさりと動き、その匂いがこちらまで届いた。今更ながらその女性的な匂いに胸が速くなる。難儀なものである、その事を意識しないようにした。

「じゃ、会わせようか、ウチの偏屈ジジイに」

 大木の少し向こう側。小さな一軒家から白い煙が伸びていた。ゆっくりとそれが空に溶け、瞬く間に消えて行く。伸びていく、そして消えるを繰り返した。

 俺とサラは同じくらいの速度で歩いて行く。ちょうど大木の真横に来たとき、木の表面に懐かしい相合傘のマークが彫られていた。

 削れてしまいもう誰と誰の名前なのかは解らないが、位置からするとかなり小さい子のものであるように見えた。

 少し足を止め大木を見る。

 枝と枝の間から、眩しい陽光が、俺の目に差し込んできた。

 難儀な事だ。

 既に遠くに行ったサラに追いつくため、足早にそこから離れた。



 6



 古びた扉の向こうから咳をする男の声がする。

 サラが「入るわよー、じじいー」とノックもせずに開けるのを見て、俺も一緒に中へと入った。

 そこには古い暖炉と炊事場、ベットが一つと、奥の方にもう一つ扉があってそこがサラの部屋なのだとすぐに解った。

 部屋は少し広いが、ここが生活の全てのようで、そう考えれば当たり前かもしれない。

 奥の方に一段高い所にある空間に、男、――老人とも言っていい程度の年齢――がいた。

 サラは気安く話しかけて、「ちょっとーお帰りくらい言ったらどうなのよ、感じ悪いって何度も言ってんでしょうがじじいー」と笑った。

 渋面を作りながら「必要ねえ」と一言ばっさりと切り捨てると、内職なのか藁か何かで編んだ靴、いや草履か? を作りながら、こちらを見ようともせずにそのまま作業を再開した。

「ったくホントに感じ悪い。ゴメンねカマキリ。こんなんでさ」

 お前の口より随分ましだ、とは言わない。

 そこでようやく気付いたと言わんばかりに、老人は俺の方を見た。いぶかしむように「何だ、おめぇ」と言うと、立ち上がり、近寄ってくる。

「また役人か何かか。約束は明日のはずだ。つまみ出す」

 そう言って年老いているとは微塵も感じさせない力強い言葉で俺を捉える。

 俺は近づくに任せてその行動、態度を見ていた。身体の使い方も上手そうだし、喧嘩が強いというのは本当のようだ。

 背丈は一八〇といった所か。白髪の多い角刈りの短髪に細く鋭い目つき。細めだが適度に付いた筋肉が薄く身体を覆っていた。

 この男に何と言えばいいのか解りかね、俺は隣にいるサラに視線で助けを求めた。

 視線に気付いたものの、手助けしてくれるようには見えない。それどころか逆に今から起こるであろうことに興味津々といった様だった。

「帰れ。二度と面みせるな」

 低く恫喝するような声で俺を見下ろす。

 慣れているとはいえ、されるとあまりいい気分ではない。

「いや、俺は別にあの木がどうなろうと関係ない。ただ、俺は俺の仕事でここに来た」

 そう言うと、ますます目付きを鋭くし、「じゃあなんで来た」と今にも破れそうな風船の如く空気が圧迫される。うむ、中々緊張する。久しく味わっていなかった感覚だ。

「あのウラプーシャがそんなに大事か」

「喧嘩売ってんなら買うぜ?」

「そういう意味じゃ無い」

「じゃ何だ」

「俺も仕事で来ている。何か力になりたい」

 老人は怒りを溜めつつ、

「何考えてんだ?」

 と、腕を組んだ。

「オーウェがひとまず手出しできない様にする」

 ぴくり、と片眉を上げた老人は、「どうやって?」と唇をへの字に曲げた。

「それはこれから決める」

 今度は、サラも老人も一様に驚きの表情を浮かべ、次にその顔を狂人に向ける視線で見つめてきた。

「言っておくが俺はまともだ」

 二人の顔を交互に見やり、言う。


「仕事だから、な」


 まだ老人は疑っている様だったが、黙って背を向けた。

 俺が少し困惑していると、サラが笑いながらも「来なよ」と言ったので、少し安心する。どうやら話は聴いてもらえるようだ。

 奥の方へと歩いていると、その藁作業場の左側文机の所に古びた女の子の人形があった。フェルトか何かで作ったようなそれは、どう考えてもこの老人の持ち物としては不似合だった。サラの物かと思ったが、彼女が人形遊びをする所が想像出来ず、そして一つの確信に近いだろう想像に行きつく。

 尚更、〝約束の日〟までに切りよく場を整えておかねばならない。

 俺はそう考えながら、段の違う作業場の方へと行き、足を上げたのだった。



 7



「で、お前は何で来たんだ、小僧」

 片足を上げそこに肘を乗せ、気怠そうに俺を見て老人は言った。

 俺が話さないのを勘違いしたのか

「ああ、そうかすまねえ、名前がまだだったな」

 と少し笑う。

 何だ、いい顔して笑うじゃないか。その顔は一瞬だったがやんちゃ少年のような明るさが垣間見えた。俺はそれを見逃がさず、やっと依頼人の言っていた事が本当だったと少し安堵する。

 人は変わる。否応なしに変わる。でも、変わらないでほしい。時間の流れに抗うように何かを大事に残してほしい。残されていたい。そう思うのは俺達がいずれ、必ずこの世から消えて無くなるからなのだろう。

 変わらない世界だからこそ、変わらない何かが残っている事に人は安堵する。

 それが積み重ねてきた時間の粒の堆積だからこそ、人は心の何処かにその砂山を探すのだ。

 あっけなく崩れてしまうものだから、愛しい。愛しいと、錯覚する。それが幻のように消えていくだけだとしても。

 そんな事を考えていたら、「おい大丈夫か」と心配された。いかん、つい考えに耽った。何をやっているんだ。

「――俺はジン。姓はねえ。そのままジン、だけだ。お前は?」

「俺はカキネ。カキネナシ・カキネだ。カキネでいい」

 俺も自分の名を名乗ると、ジンと名乗った老人は、「姓持ちってことは意外といいとこの奴なんだな。ま、あまりそうは見えねえが」

 サラが口が悪いのはこの男の影響が大きいと確信した。ぼろぼろの服では説得力が無いのは解っているが、名を名乗っていきなりそれは無いだろうとも思った。だが事実、俺は姓持ちでも貧乏一直線だが。気を取り直し、尋ねる。

「ウラプーシャのせいで困ってるらしいが、どのくらい国からの締め付けは大きいんだ?」

 そう聞くと苦い顔でジンは横を向き、窓から少しだけ見えるウラプーシャを見た。

 風に乗って花びらが家の中に入ってくる。唐突に、この風景は絵になるな、という考えが浮かんだ。

 窓に目を向けた男と、花びら。風に揺れるカーテンと光の明暗がはっきりと別れた室内。

 写真家という、最近富裕層に人気の職業になってきた人間が好んで撮りそうな風景だ。

「実は明日、強制的に取り壊される事になってる」

 ジンは疲れた顔をして俺の方に目を向けた。

「最低あと三日は持ちこたえなきゃなんねえんだが、人の数には勝てねえ。朝にはオーウェの連中が来てこの家も簡単にブッ壊すだろう。抵抗はするつもりだが、…まあ、無駄だろうな」

 自嘲(じちょう)するように言って、それからまた暫く沈黙が場を支配した。

 風が俺達の髪をなびかせる。俺の金髪が(まぶ)しいのか、サラが目を少し細める。

 どのくらいの時間が流れただろうか、俺は、口を開いた。

「あと三日、持てばいいんだな?」

 ここまで来ると笑うしかない、とでも言うように、ジンは笑みを作り、

「何するつもりだ? オーウェの事務所でも行って交渉するか?」

「驚いたな。何で解った」

 心底驚いた。そんなに顔に出る方だったのか。気をつけよう。

 ジンはますます渋い顔になり、

「冗談に決まってんじゃねえか。そんな事したら間違いなく殺されるぞ。お前が行ってどうこう出来る相手じゃねえ。大人しくしてろ」

「三日待ってくれるように頼むくらいなら大丈夫だろう。それに、何も命までは賭けるつもりもない。駄目だったら違う手を考える」

「やっぱり頭イカれてるみてえだな。話を真面目にしたのが間違いだった。帰んな。明日のバリケード作りもしなきゃなんねえし、ネジ緩んだ奴に付き合ってるほど暇じゃねえ」

 そう言って立ち上がると、俺の横を通って外に行こうとする。

 そちらを見ずに、言った。

「約束は、守るものだ」

 足音が止まる。続ける。

「どんなになっても。そうだろう?」

 こちらを振り返ったような気配がしたが、もう足を止める事なく、扉が開く音がし、すぐに閉まる音が響く。

 俺も立ち上がり、外へと向かおうとした。

 サラが慌てて「ど、何処行くのよアンタ。まさか、本当に行くつもりじゃないでしょうね。止めときなって。さっきの相手した奴らは下っ端中の下っ端よ!? あれで勝った気でいるなら絶駄目だって、死んじゃうわよ本当に!!」と声を荒げ言う。

 心根が優しい事に気付き思わず笑う。難儀な事だ。全く。

 扉の前で、立ち止まり振り返る。「サラ」そう言い、真面目な顔で、

「お前のじいさんは大した男だ。だから俺は敬意を払って仕事をする、それだけだ。お前もあまり危ない事はするな。顔に傷でもついたらどうする。悲しむのはあのじいさんだぞ。黙っていれば素材は良いんだから自分をもっと大切にしろ」

 扉を開け、出て行く。

 後ろで何か慌てた声がしたが、もう振り返らず歩く。ウラプーシャの下で、ジンが何か物憂げな表情で手に花を取っていた。 

 何も言わず通り過ぎる。

 何も言えず通り過ぎる。

 俺はやるべきことを、やる。



 7



 それは街の外れにあった。

 どことなく暗い雰囲気の店が立ち並ぶ一角。

 大きな煉瓦(れんが)造りの建物は、その偉業からかそれともその強引な手際からなのかは解らなかったが、威圧するようにそびえ立ち、来るものを選別してくるような感があった。

 何階建てか。数えてみると四階のようだ。この国に来てから初めてそんな大きな建物に出会った。

 小さな国なので、中心である国会場にも足を運んでみたのだが、大きさとしてはあまり変わらない。

 赤茶色をした建物に目を留めていると、正面のガラス戸から人が出て来た。呼び止めて話を聴く。

「あの、すまない」

 立ち止まったのは品よくまとめられたスーツ(というんだったか)で固めた眼鏡の女性で、縁が無いタイプの眼鏡を少し直すと、「何でしょうか」と訊き返してきた。

「ここの代表はいるか?」

 そう尋ねて一気に不信感を表した女性は「社長なら只今不在ですが。どのようなご用件でしょうか」とキツイ口調で言ってきた。敵が多いのかもしれない。国の庇護を受けているので手出しが出来ないとかそんな感じか。あしらい方も慣れているようだった。

「直接会って話したい。何時ごろ戻るか解るか?」

 すると、

「今ご用件はと言ったはずです。社長は多忙のため、お会いできません。私が伝えておきますのでどうぞ仰ってください」 

 おそらく、伝わらないまま彼女の中で忘れ去られるのだろうな、と思った。

 とにかく、会わなければ始まらない。

 俺はふうとため息をつき、

「解った。直接会おう、()()()でもしてくる」

 そのまま女性を無視しガラス戸に向かい、女性の「ちょ、ちょっとお待ちください。今社長は不在です。またいらっしゃる時に――」と慌てて静止するように言ってくるが、そんな暇は無い。〝約束を守ろう〟としている人間がこうやってないがしろにされようとしている。俺の最も許せない事の一つだ。

 早足で中に入る。

 そこは風通しが良く、左右に窓が沢山あり、かえって外よりも涼しい。光が描かれた色とりどりのガラスを通り、その床を美しく飾っている。右手側が受付で、さっきまでぼうっとしていたのか、頬杖の跡が微妙に残った顔を上げている若い女性が「あの、困ります勝手に入られては! 許可は取ったのですか!?」と受付から出ようとしている。

 構わず周りを眺めると、左手奥に階段があった。おそらくあそこから登って行くのだろう。その脇にこの国の言葉以外に共通語として使われている〝シェルファ語〟の方を読んで確認する。どうやら社長室は四階、最上階のようだ。

 走って階段を駆け上がり、全速力の一歩手前を保つ。二階、三階は無視し、時々下から聞こえてくる叫び声も全て無視した。

 四階への階段を登り切り、廊下に出た。

 向かって左が重役などの部屋。右側奥が社長室、らしい。襲撃に一応備えている、ということなのだろうか、別にいいが、これほど容易く入り込めてしまうのもどうか、と少し考える。

 そのまま社長室に向かい、ノックもしないままドアノブを回す。簡単に回り、やはり会社の前で会った女の言った事は嘘か、と笑う。そのまま押し、中に入った。ドアの向こう側で誰かが「何だ、勝手に開けるな」と重く低い声がする。構わず入る。

 いたのは、白髪で真っ白になった髪を後ろに撫でつけた少し太めの男だった。髭を丁寧に整え、姿勢は正しく、眼鏡をずり下げながら手元の書類を読んでいたらしい男は、こちらを一瞬見て、すぐに従業員では無い事に気付き、その猛禽類のような瞳で見つめて来た。

「……誰だ」

 その声は明らかに堅気では無い鋭く攻撃的な響きを含んでおり、慣れない人間が聞けば喉元に銃を突きつけられるような錯覚を抱くかもしれない。俺は慣れているんだが。

 部屋は落ち着いた色調の茶で統一されており、書棚が左右に並び、ギターと言うんだったか弦楽器が脇に、俺の憎き敵である蓄音機らしきものもある。華美ではないが金がかかっていた。

 目の前にあるのが仕事用の机で、几帳面に様々な道具が綺麗に揃えられている。

 いきなり現れた、しかも身内ではない男を見ても表面上は顔色も変えない所に束ねる者独特の存在感があった。しかしあまりそれを意識することなく、ドアの鍵をかけてから前へと出る。

「あんたが社長か?」

 その声を聴き、男はもう一度「誰だと言っている」と返した。後ろで騒がしく男達が何か怒鳴っている。五月蠅い。今大事な話をしようとしている。黙ってろ。

「そうだ、と言ったら?」

「ジンを放っておけ。三日間でいい」

「……何を言っている?」

「彼を追い出すのを三日間待てと言っている」

 ぎし、と椅子に座り直し、余裕とも言える態度で俺を見て笑う社長。大したものだ。一応、この場でお前はすぐに殺せるんだが。

「――……無理だ」

「……何故?」

「計画はもうぎりぎりまで押している。あのウラプーシャは国が『管理』するべき代物だ。それを私達が優先的に担当するためにはもう時間が無い。私たちには国の保護がある。しかし、それはもちろん永続的なものでは無い。むしろ他にいい所があったらそちらに乗り換えられるくらいの関係だ。この関係性を維持していくためにはそれなりの〝成果〟がコンスタントに必要でね。あの頑固爺さんが手を焼かせてくれたおかげで仕事が滞っている。これ以上遅らせるなと言われていてね。国はあの家に手を出せない。いくら手放せと言っていても、彼は一応()()()()()()()訳じゃない。『集団の利益』という考えが使えるかどうか非常に微妙な所なんだ。ま、だから私たち(・・・)が出張るわけだが」 

「一日二日遅れても大したことじゃないだろう」

「と、考えるかどうかはあちらの判断だ」

「そうか」

 そう言って俺は彼に背を向けた。

「帰るのかい?」

 その声は正に勝ち誇ったと言っていいものだった。何を勘違いしている。

「お前の所に、()()()は何人いる?」

 少し戸惑ったような気配を感じたが、敗色が強まった訳ではないと結論を出したのか、それともどうなっても俺は脅威では無いと踏んだのか、軽い口調で「三、四十人くらいかな。現場に出る者はそれくらいだよ。それ以外は含めずにね。所で、君は一体あのジジイとどういうかんけ―」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 言われた言葉の意味が解らず無言になった男は「何だって?」と訊き返す。  

 俺はもう一度「()()()()()()()()()。聞こえなかったか?」と繰り返した。

 男はその言葉に殺意をまぶしつつ、俺の背中に声をかける。

「――()()()()()()()?」

「――()()()()()()()?」

 振り返った俺の目を見、思わず男は息を飲んた。

 ほお。流石裏道を生きている。()()()()()()()()()()()()()()のだから。

 かたかたと震えはじめる男は、同じく震え始めた声で訊く。

「お前は、……一体、何なんだ……」

 薄く笑った俺は短く一言だけ言う。


「そこの蓄音機(オモチャ)と一緒だ。動きはするが、な」


 五月蠅くなってきた外に目をやる。後ろで男が震えているのが伝わってきた。引出しに仕舞った銃を握っている。

「三日待てるな? 子どもじゃないんだ。俺に無暗に()()()()()()

 ポケットに仕舞っておいたコインを見もせず振り抜く。

 飛んだコインが男の眼鏡の蔓をへし折り、後方へと吹き飛ばす。

 男はもう何も言わない。

 俺ももう何も言わない。柄にもなく熱くなってる。何故だろう? きっとあのせいだ。あの花があまりにも、綺麗過ぎたからだ。


 美しいものは心を乱す。良きにしろ悪きにしろ。

 ジンの背中が浮かんだ。

 その後ろ姿が、泣いていた。



 8



「お前、本当に頭おかしいんじゃねえか!? そんな無茶しやがって、殺されたら寝覚めが悪いだろうが何考えてんだ!! 俺の問題だ! 首突っ込むのは勝手だが関係無い奴にそこまでしてもらう義理はねえ、もう何もすんな!!」

「もうした。すまないが諦めてくれ」

「馬鹿じゃないのカマキリ!! そんなことしたらアンタの方が目ぇつけられるじゃない、どうやってこの国から逃げるのよ! 船だってあいつらの縄張り(シマ)あんだから、乗る前に殺されちゃうわよ。暫くあたしたちと一緒にいなさい。少しはかくまえるから!! 時間の問題だけど、しないよかマシよ!!」 

「お前たちは本当に不器用だな」 

 思わず笑みが出る。

 こういう人間がいるから、俺は世界をまだ肯定できる。こんな人間がいるのだからまだ世界は大丈夫だ、と安心できる。

 今いるのはジンの家。その奥の作業スペース。どうやら風呂が沸かされているらしく、薪が燃える音が外でぱきぱき鳴っている。裏に五右衛門風呂(?)がある、年頃のサラがいるのに大変だな、と場違いにも考えた。

 夜が近づき、外にある即席のバリケード板が風で揺れてがたんと音を出した。

「まあ、俺は元々部外者だ。それに逃げ足は速いから安心してくれ」

「出来るわきゃないでしょうが!!」

「今は馬鹿娘に同感だぜ、お前さん、一体何だってそこまでする? 本当に何のために来たんだ?」

 腕を組みながら俺を見るジン。その顔は不機嫌極まりない、といった感じだが、そこは相手への心配と不安がないまぜにもなっていた。

 顔が引き結びられていて解りづらいが、俺には解る。人間とは言葉だけでは解らない。強弱、高さ低さ、遅い速い、その声に対する様々なおまけ(・・・)が本当の事を伝える。言葉であり、言葉に肉付けするもの、それが声だ。 

 ジンの声はそんな相手を気遣う温かさがある。人肌よりも少し熱いくらいの温度で。

「まだ俺の仕事を言ってなかったな」

 何故か出された琥珀色のお茶で唇を湿らせてから答える。

「俺は〝呼人〟、だ」

 その言葉を聞いた時、二人は驚きと共に「まさか……」「まだ、……いたの…?」とその次に出かけた言葉を必死に飲み込んでいた。

 俺は薄く笑い、

「もう絶滅したと思ってる国もあるとは聞いていたが、まさか本気で幽霊を見たような顔をされるとはな」

 とからかい気味に言う。

「〝呼人〟なんざとっくに居なくなってたと思ったもんだからよ……悪かった、別どうこうって訳じゃねえんだ。……すまねえ」

「確か〝声〟を伝えるんだっけ? そんな奴がどうして家みたいな貧乏人の所に来るのよ、おかしくない?」

 俺の事をまだ疑っているらしいサラは、俺の事をまじまじ上から下までよく観察してから呟いた。もう一度見直して「別に身体が変とかではないんだね……」そんなじっくり見られても困る。

「で、話なんだが」

 俺が〝呼人〟である事が解ったせいか、姿勢を正す二人。そんなにかしこまらなくてもいい。別に大した存在では無い。

「ジン。お前にだ。受け取る気はあるか?」

 いきなり自分あての『声』だと聞かされて驚くジン。口ごもりながも「…ああ、頼む」と少し緊張しながら返してきた。

「でも、……誰の声だ?」

 その言葉がずっと聞きたかった俺は、少し身を乗り出して言う。

「お前の大切な人、――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 言葉を聴いた瞬間、ジンは恐ろしく狼狽した。まるで、ずっと掘って地中深く埋めた宝箱を、不意に見つけ開けてしまったかのように。

「俺は、〝呼人〟。声を届けるのが仕事だ」

 一拍置いて、切り出す。

「その人が、どうしてもお前に伝えたい事があるらしい」

「三日後――あのウラプーシャの木の下で」

 ジンは何か思いつめたような顔をして俯いた。

 サラは訳が解らないといったように俺とジンの顔を交互に見ていた。

 外で狼が、遠吠えを空に染み渡らせている。

 悲しい声だな、と思った。



 9



「で、あんたあと二日どうすんのよ。言っとくけど、うちには泊めらんないわよ。嫌とかじゃくて、単に場所が無いの。私とじじい二人で一杯なの。じじいに〝声〟聴かせるのはその二日後じゃなきゃ駄目なんでしょ。泊まるとこなんてあんの?」

「……お前の部屋に泊めてやりゃいいじゃねえか。一番広いのがお前の部屋だぞ。俺の客人はお前の客人でもあんだ。それくらい融通きかせろよ」

「ばっかじゃないの!? 年頃の娘捕まえて同じ部屋に男寝かせろなんていう奴初めて聞いたわ!! 男は狼よ、ケダモノよ、カマキリよ!!」

「いや、それが当たり前の感覚だ。俺は外でテントを張るから安心してほしい。奴らが来ないかどうかも見張れるしな。サラ、面倒かけてすまない。なるべく離れて建てるから大丈夫だぞ」

「……何が?」

「? いびきが酷いんじゃないのか」

「死ね、馬鹿ども!!」

 思いきり怒鳴られる。少し理不尽ではないかと思ったが口に出さなかった。

「そうは言ってもまだ外はさみィぞ。何なら俺のベット使うか? 俺は床で寝るからよ」

「俺の事は気にするな。心遣いだけもらっておく」

「あー解ったわよ解った解った解りまくったわよ、だからそんな会話私の前でしないでよ耳障りなのよミミズ共!!」

 俺とジンがどうしろと言うんだという感じでサラを眺めると、サラは顔を真っ赤にして「泊まりなさいよ!!」と、

「私の部屋の床で寝たらいいわ。そのかわり私に少しでも手出したら殺すからね。言葉通り本当に殺すから。嘘偽りなく殺すから」

 どうしたらいいか解らずにジンを見ると、

「いいじゃねえか。本人が良いっつってんだから甘えろよ」

 おそらくもう一度困った顔をしたままサラの方を見ると、「決まりよッカマキリ解った!? この二日は私の言う事なんでも聞いてもらうわよ。それくらい当然よね!!」と少しだが笑った。解らん。さっきまであんなに反対していたのに。今度は少し嬉しそうでもある。つくづく女は解らん。

「よろしく頼む」

 めずらしく、緊張しながら俺は答えたのだった。 



 夜。

 月が今日も綺麗だった。

 後ろに月の光、前にさわりと風に揺れるウラプーシャ。幻想的な風景に虫たちの声。暖かくなってきた空気に、意識されない音楽が流れていく。いい。素晴らしい光景だ。

 外に出て、五右衛門風呂に入らせてもらってから、俺は外でウラプーシャの木の前に立っていた。風が鳴り、空気が踊る。目の横で花びらが通り過ぎ、枝から雨のように落ち続けている。

 静かに目を閉じ耳を澄ませる。

 依頼人の透明で柔らかな声が反響する。

 二日後、ここでジンに聴かせなければならない、声を。

「何してんの? こんなとこで」

 気付くと、サラが家から出て来て俺の方へとやってくる。風呂上りなのか、髪が湿り、ほのかに石鹸の匂いがした。随分と柔らかい声だ。いつもと全然違う。夜だからか。それともこんな光景の前だからか。

 黙っていればいいのに、とも思えなくなっている事に苦笑した。今のサラは喋っていても綺麗だ。女は解らん。解る日は来ない気もする。

「別に。ただ、これを見ていただけだ」

 俺がそう言うと、サラは少し笑いながら横に立ってきた。

「何度も見てるけど、凄いわよねぇ、コレ……もうすぐ見納めかぁ、……残念だな……」

「そうだな……でもここが国のものになっても、きっとこの木はお前たちが自分の一番の友だと思うさ。それは間違いない」

「……意外と詩人なのね」

「普通だ」

「彼女っていんの?」

 俺はサラを見た。話題が百八十度変わった事に気付いていないのか、と思った。サラは何でも無いように笑いながら、「いんの?」と再度尋ねてきた。言い間違いや聞き違いでは無かったようだ。俺は動揺を何とか押し殺そうと顔を締め、「いない」と言った。

 どういう意味かはかりかね、よもやと思った理由に再度硬直した。

 焦りながら返答を待っていると、「そっか」とだけ言い、一度ウラプーシャの木を仰ぎ見て――ふっと笑いきびすを返した。

「――……あたしの寝顔見たら、殺すわよ」

 ドスの効いた声で背を見ながら言うと、そのまま家へと向かって行った。

 想像していた返答では全く無く、俺はひょうしぬけしてその背を見送った。

 ふと家の窓を見ると、ジンがこちらを見ていた。

 懐かしいような、そして何処か辛そうな、そんな顔だった。

 二日、何事もなく過ぎて行った。

 サラも、何も変わりなかった。

 時折俺に視線を送り、直ぐに悲しそうに眼を逸らすのが何故か辛かったが、理由はよく、解らなかった。



 10



 よく晴れた日だった。

 ウラプーシャの前で、約束通り、俺はジンに声を聴かせるため、一緒に木を背にして立っていた。青空が俺達を優しく包んでいた。風はいつもと同じように緩く吹く。

 サラがどうしても聞きたいと言いジンに了承を得て俺の横にいる。

 俺は声を出す前に、じっとウラプーシャを見上げた。揺れる枝と揺れずどっしりとした幹。その二つを確かめる様に目を閉じながら焼き付ける。

 ジンにそのまま「始めるぞ」と言い集中し始める。

 ジンが返事をしたのをどこか遠くで聞くように意識を深く深く沈ませる。流れる記憶の〝声〟の海に飛び込んで行く。流れて行く。その目印も何もない波の中で、欲しい〝声〟を感覚を最優先にして探し当てる。その〝声〟を、捕まえる。来い。来い。


 ――来た。


『――ジンさん。久しぶり。私です。ミサラです。何十年ぶりかしら。本当にずっと前で、どのくらい前かも解らないけど、元気? 私は元気よ。孫に手を焼いているけど、毎日がそれなりに充実してる。こっちで作っているカメラの評判も上々よ。ジンさんに褒められた指の器用さが今も生きてるわ。ふふ。 

 今、私は孫に、内緒だけど、一人はジンってつけたの。孫の名前つける時にさりげなく提案したら通っちゃってね。おかしいでしょう。怒られるわね。ふふふ。

 この間、風の伝えでジンさんがあのウラプーシャを譲らないって事で周りと揉めているのを聴いたの。

 泣いたわ。もう、一日部屋に籠って泣いたわ。馬鹿なんだものジンさん。呆れるくらい馬鹿で馬鹿で、嬉しかった。まだ、約束、守ってくれてるんだって。

 子供の頃、孤児同士だった私たちが、結婚しようって約束して、でもそれから私は海を渡ってきた旦那と結婚して島を離れたけど、一回もそれから会ってくれなかったわよね。人形、まだ持ってる? な訳ないか。私が作ったあれ、結構自信作だったのよ。気付いてたんでしょ。あの中に『()()()()()()()()()()()()()。でも、無視したよね。気付いてたわよ、自分より誰か他の人の方が私をちゃんと養ってくれるって。自分じゃ幸せに出来ないって。

 良かったのに。言ってくれてよかったのに。大好きだったのに。馬鹿、ホントに馬鹿よ、ジンさん。

 ウラプーシャで約束した日が、今日なの。四十年前の。覚えてなかったでしょ。ふふふ。女は記念日に敏感なの、ジンさん驚いた?

 あれから随分長い事たったけど……旦那も流行病で亡くして、たまたま流れてきた技術でカメラを新しく使いやすいように作り直して売って、儲けて、孫も出来て……でも、ジンさん、ジンさんがいつもいた。いつも傍に隣に居てくれたから、私は頑張れたの。本当。誰にも曲げられない、本当なのよ。だからジンさん。そのウラプーシャは皆のものにしてほしい。皆が見上げて、綺麗だなーって言えるようにしてほしい。ジンさんが大好きだから。だから、ジンさんと私のあれは、ずっと皆に愛される木でいて欲しいの……。もう時間……そう最後に……ジンさん


 ……バーカ……』


 ――音が戻り、景色が再び俺の視界一杯のウラプーシャの木になった。


 ジンはうずくまって泣いた。

 サラも、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

 サラは、ジンの傍に歩いて行き、そっとその背を撫でながら、一緒に、泣く。

 俺は、ウラプーシャが風に揺れて花びらを落とすのを見た。

 涙に似ているな、と思っていた。




 全てが終わって帰る時、サラが俺の事を見て、「カケネ」、と何か言おうとした。

 浮かんだ何かを振り払うように俯き、顔を上げた時はもういつもの憎たらしい顔に戻っていた。


「――ばいばい。それと……ありがとう」


 俺も笑顔で「元気でな」と返し、歩き始める。

 初めて名前で呼ばれた事に、気付かない振りをして。


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