回乃三 赤い巨人と閻魔大王の関係性
釣り人A:じゃろ、じんべいじゃろ?
釣り人B:んだ、じんべいじゃ。
ってーことで行ってみようかの。
回乃三、お題は「ウルトラマン」じゃ。
今年はウルトラマンが光の国から地球にやってきてから50周年だそうで、国営放送までお祭り騒ぎに浮かれておりますね。
時流に乗るには少し遅かったかも知れませんが、じんべいも「赤い巨人」たちのことを書いて遊ぶとしましょうか。
ではいつものように暴論から。
〈ウルトラマンは閻魔大王である〉
赤い以外に共通点が無いとか言わないで!
ああっ、干物にするのは勘弁してぇっ!
……なにも顔が赤いから閻魔大王なんて言いませんよ。
というか顔が赤いのはゼアスだけです。他のウルトラマンのご尊顔はだいたい銀色です。
相変わらずとんちんかんな暴論で済みませんが、ちょっとの間ご静聴をお願いします。
で、まあ、ウルトラマンについて一通り調べた人なら、初代の顔がギリシャ神像をヒントにしてデザインされたという逸話はご存じでしょう。
美術監督にして造形家の成田亨さんの試行錯誤によって産み出されたあの姿は、シュールでありながら説得力に溢れています。
無機質な銀色と血の赤色が織りなす不思議な生物感。見る角度や受け手の心理によって表情を変えるマスクの不思議な味わい。
半世紀を経てなお新鮮であり、そして神話的な力強さを感じさせる造形です。
でも、じんべいが語りたいのはその姿ではなく、あくまでも「精神」についてなのですよ。
ウルトラマンという物語の骨子は、その企画段階から変わらずに引き継がれています。
宇宙からか、あるいは地球に潜んでいた災厄が人類を襲い、人々は持てる力を振り絞ってそれに対抗しようとするが、わずかに力及ばない。
そこへ超絶の力を持つ来訪者が姿を現し、災厄を打ち倒して人々を救う。
個々の要素は非常にわかりやすい形にまとめられています。
災厄は「星人」や「怪獣」という具現化された脅威に。
人の叡智は「特捜隊」や「警備隊」、あるいはそれに準ずる組織と超兵器に。
そして超絶の存在は「巨人」へと。
中にはこれらの記号だけを見て、とにかくこの記号を備えればウルトラマンと思う向きもあるようですが、じんべいはこれを分解して考えます。
まずは星人と怪獣からいきましょうか。
善には悪が不可欠であり、むしろ悪こそが善を浮き彫りにしてくれますから。
彼らはそれぞれ微妙ですが役割が異なります。
星人は有り体に言えば侵略者です。平和な世界に何らかの意図をもって攪乱にやってくる使者ですね。
怪獣はどちらかと言えば災害で、その存在自体が平和を乱してしまいます。
彼らの決定的な違いは意図の有無ですね。
意図のある破壊が「星人」であり、意図のない破壊が「怪獣」なわけです。
全ての物語を寓話とする考え方には賛成しませんが、彼らを寓話的存在として読み解くのは難しくありません。
意図のある破壊とはやはり「人の争い」でしょうか。
理由の正邪はさておいて人は昔から大小様々なところでぶつかってきましたし、星人たちの抱える事情もあまり変わりません。
「バルタン星人」や「ペガッサ星人」は難民でしたし「ノンマルト」は領土回復運動(というよりは抵抗戦線でしょうか)でした。
そして最も多いのは、やはり侵略ですね。
資源、国土、奴隷、技術と……よくまあ地球もこれだけ目を付けられるものです。
(余談ですがウルトラセブンの「バド星人」。あの人たちの侵略理由ってものすごく理不尽ですよね。
(気にくわないって、もっとマシな理由はなかったんでしょうか……
(そんなしょうもない理由で地球にいちゃもんを付けた彼らがどうなったかは「宇宙の帝王(笑)」というワードで検索すれば一発です。小物乙。
星人はどこか、というかかなり人間らしい存在です。
宇宙という茫漠たる世界の中で安住の地を巡って争う姿は、地球という限られた世界の上で繰り返される悲劇と重ねる事ができます。
では意図のない破壊はどうなのか?
それは自然災害や因果と捉えるとわかりやすいと思います。
台風や地震がいかに多くの命と幸福を奪っていくか、私たちはよく知っています。
後先考えない行動が取り返しの付かない結果を招くことを、私たちは知っているはずです。
突然眠りから目覚めた怪獣は自然災害と同じ。そして人のせいで目覚めた怪獣は因果のごとく応報する。
怪獣を使役する星人の姿などは、生物兵器を操る人間の姿とダブります。
技術が進化していけば、いずれ台風も地震も狙って起こせるようになるかも知れません。
それを兵器として転用できれば、核と比肩する大量虐殺が可能でしょう。
じんべいはウルトラマンにおける悪とは人間の業と、そして人知の及ばない脅威であると感じました。
それらに対し、人間は叡智を結集して立ち向かいます。
「特捜隊」やそれに準ずるチームは生え抜きのエキスパートで構成され、扱う装備も一歩も二歩も未来へと踏み出したもの。
ですが、それも多くの場面では力不足となります。
現実に直すなら災害に人間は直接抗えません。争いを避けようという努力は悲しいかなあまり奏功しません。
輝かしい未来の力にも、それを振るうのが人間である以上はやはり限界があります。
その限界を超えた時に、物語は新たな境地へ至るのですが……
ともかくあの世界には、脅威に膝を屈しそうな人類を助ける者たちがいます。
そう、「赤い巨人」たちです。
彼らは浄土のような世界から現れ、人がいまだ持ち得ない力を使って脅威を退けます。
とはいえ彼らも苦戦します。
テレビのお約束などと言って笑うのは簡単ですが、彼らの「取っ組み合い」は脅威に打ち勝つ苦闘の象徴と捉えた方がいいかもしれません。
格闘戦という力の拮抗は、脅威がいかに強大であるかを見守る人類に教えているようにも見えます。
そしてほぼ互角の戦いの末に、意を決した巨人の放つ叡智の光によって脅威は消し去られます。
開始早々撃っていればいいのに。
などと言う不届きものは残念ですが「赤い巨人」の苦闘をこれっぽっちも理解してないと断言できます。
むしろ撃つのを躊躇わせる何かがあると見るべきでしょう。
例えばバルタン星人を相手にするなら、撃って殺すのは「難民を武力で追い払う」のと同じ事です。
地球は守れても根本解決には至りません。事実、バルタン星人はその後も幾度となく現れ、その都度撃退される事になります。
ウルトラマンが光線を放ったことにより、問題が先送りにされているだけなのです。
さて、ここまで諸要素を分解しつつ語ってきましたが、総合すると以下の構造が見えてきます。
1.人の業や無力さによって悲劇が迫る、あるいは引き起こされる。
2.人類はそれに立ち向かおうとするが困難に直面する。
3.人ならざる超越者が、苦闘の末に悲劇から人を救う。
この流れはウルトラマンでは鉄板と言っていいでしょう。
発端の部分が人ではなく星人の場合もありますが、彼らが人間の鏡写しであることを考えればあまり違いはありません。
さて、人が人ゆえに苦しみ、解脱した者がそれを救うというこの構造。
仏教における仏様と結構似てませんか?
業に打ち勝つため解脱した仏様が懇切丁寧にサポートします。
という仏教の基本方針にわりとすんなりマッチします。
とはいえこれは仏教に限らず、世界中の宗教が似たような事を掲げています。
祈りを捧げればイエス様が応え、戒律を守ればムハンマド様が微笑みます。
供物を積めば総合商社のごときヒンドゥーの神々が全力で支援してくれたりも……
何が言いたいかというと、これは宗教に代表される根本のイメージ、救いの神話だということです。
救われるには努力が欠かせませんが、努力だけで救われるならこの世は楽園であってよいはず。
何が不足しているのか……それを説明するべく、宗教は様々な悪を定義しました。
人が原罪や業を背負っていたり、秩序と無秩序が拮抗していたり、あるいは供物が足らなかったりと。
そしてウルトラマンでは、災害や人災のカリカチュアたる「敵」が強大であるが故に。
業の困難を体現したような敵に人類が負けそうになった時、赤い巨人が颯爽と現れ人類を導く。
ただしその導きは完全ではなく、苦しい戦いの末に間違いもすれば、問題を先送りすることもある。
ウルトラマンにどこか親近感を感じる理由は、おそらくそんな「身近さ」にあるのだろうと思います。
彼らもまた「M78星雲」から来た「星人」であり全能の神ではない。助けてくれるが、時には悩み傷つく存在でもある。
光り輝く弥勒菩薩ではなく、地球村にある小さなお地蔵さまのような存在。
日本ではお地蔵さまこと地蔵菩薩は閻魔大王の化身であるとも言われます。
人々を監視し間違いを罰するがゆえに、裏を返せば常に見守り、助けてくれる存在であると。
この二面性、まさにウルトラマンではないですか?
「怪獣」や「星人」を裁きつつも、そこに落ちる前の「人類」に寄り添い助ける。
自らの力を認識した「超越者」でありながら、同じ「宇宙の市民」である存在。
そしてウルトラマンの最終話で彼は地球を去ります。彼ですら倒せなかった災厄「ゼットン」を人類の叡智が克服したのを見届けて。
それはまるで、ひとつの種族の成熟を手助けしたようにも見えてきます。
さて、そろそろ話をまとめの海流に乗っけましょう。
「ウルトラマン」は、業からの救いと成長をテーマとして見ると非常に神話的です。
怪獣にせよウルトラマンにせよ、その身近さはけして超然たる者ではなく、道ばたに立つお地蔵さまや妖怪に通じるものがあります。
お地蔵さまは閻魔大王の化身でもあり、叱る部分はピシャッと叱り、助けるべきはふんわり助けてくれます。
したがって
ウルトラマンは銀の顔をした、ちょっとお茶目な閻魔大王さまなのです。
異論は認めます。
~蛇足~
リハビリを兼ねて一題語ってみました。
戦隊、ライダーときて三つめは赤い巨人。
日本三大特撮TVショウを語ってみたわけなのですが、改めて日本の物語業界って面白いなと感じます。
団結と勝利、復讐から始まる正義、そして神話的な救いの構図。
子供たち相手にここまで熱く「正義とは何か」を語り、そして考えさせる国もないんじゃないでしょうか。
これからも光の国の隣人たちが、子供たちと共にありますように。
それではいつもの、じんべいのすきな三大~で締めましょうか。
正直ウルトラシリーズは好きなジャンルがいくつもあって大変なのですが、今回はオーソドックスにウルトラマンで。
評価基準はデザインでいきます。
1.初代
(初手で完成形。マスクはBタイプが好き)
2.ウルトラセブン
(デザインの勝利。マスクも好きだが装甲板の格好良さが半端ない)
3.ULTRASEVEN X
(人外感がすごく好み。リメイクデザインではこれが最高だと思っています)
です。
個人的にシンプルなのが好きで最近のディティール路線は微妙に感じますね。
それでは次回がありましたら、またお会いしましょう。