第6話 海王星――政変処理に向けて
ヘルメスとニハルは海王星が近づくにつれ、ようやく平静さを取りもどしていた。
<ベヘモット>を旗艦とするヘルメス配下のタルムード団は、聖戦団のなかで比較的海王星にちかい地点で撤退を開始した。それゆえ、数日前には超光速航行から離脱して、母星を肉眼で捉えられる宙域に達していた。
肉眼といっても、おおよそ地球の四倍の直径をもつ海王星であるから、そのことを顧慮しなくてはならない。一見すれば、深みのある青々とした美しさに見惚れて、さぞ住みよい惑星であると想像するかもしれない。だが事実はその逆だった。
分厚い大気層では風が吹き荒れ、コンピューターによる気象観測や計算なしに地表に降下するなど、自ら死に飛びこむようなもの。ときによっては、時速二千キロもの暴風さえ吹くのだから、宇宙船など、風のまえの塵に等しいといえた。
太陽から遠く離れた宇宙にあるということは、そこは極寒と氷に閉ざされた世界だということである。地表付近の温度は、おおよそマイナス二百度付近、とても人が暮らせるものではない。よって、海王星の住民は、地下深く穴を穿ち、そこに住居を造り社会機構を発展させてきたのである。地底熱にたよって生きるのがこの星では常識なのだ。そう思えば、教団が暗黒という名を冠したことは不思議でもなんでもない。地底に鑿井された空間やそれをつなぎあう隧道こそ、人々が求め、必要としているものなのだから。
配下の艦船を引きつれたヘルメスは、暗黒なるわが家の庭先、海王星の衛星軌道上にあった。
一方のニハルは、海王星まで一週間という地点で、超光速航行の解除を指令していた。
姉のアルナブが通常空間へ戻ったのに遅れること三日、<サリティエル>を旗艦とするクルアーン団の乗員たちは、ようやく眩暈や吐き気から解放されたのである。
グラッジ・コントロールの箍が、ある意味では精神の支柱になっている彼らであったから、長期間にわたる不快感に耐えてこれたのである。暗黒崇拝教と砲火を交えた、地球圏の倫理では考えられないような、労苦を忍んでの旅路だったのだ。彼ら、暗黒を崇拝する人々は一面では誰もが屈強な戦士なのである。その源泉が、半ば人為的な信仰心の賜物であっても、アル姉弟のように個人的資質にもとづく信念であっても。
通常空間にもどった<サリティエル>艦橋に立ったニハルは、疲れもみせずにつぎつぎに部下を呼び、さまざまな指令を下していった。
海王星への接近経路をはじめとして、落伍した船への救援、損傷艦の修理状況の確認、海王星にある資源や物資の備蓄量などなど。さらには母星で起こっているかもしれない事柄を洗いざらい机上にのせて、精査に検分したのだった。呼びつけられたなかには、めったに艦橋に姿を見せたことのない者の姿もあった。政治や経済、人々の命綱に通暁した学者たちだった。ニハルが脳裏に描いている計画書には、政変やそれにまつわる暴挙への的確な処理があったのだ。彼はヒドラが口にした「ヘルメスを討て!」という言葉を、安易に捉えていなかったのである。
そのころ、アルナブは弟との通信内容を思案したすえ、ルーヌ・カマル団の半数を海王星へ向かわせ、弟が直面するであろう政変処理への一助となした。
残った半数の艦船は、旗艦<ウェルキエル>を先頭に一路反転して、神のみぞ知るヒドラとの邂逅点とも、師への想いの中心ともいえる地点へ向けて進んでいった。
舷窓には万斛たる星々が見えていた。アルナブの想いは、広大無辺な宇宙にあって、あまたある星のたったひとつを逃さずに掴もうとする、ことのほか儚いものだったのだが……。