第5話 破られる禁忌――女として
聖戦団指揮官にとって、私事の通信など極刑に処されても当然の行為といえた。
ヘルメスにいわせれば、「禁忌を破ることは死刑にあたいするのじゃ」と訓戒を垂れるようなことだった。
今、その禁忌が破られていた。それだけでも驚くべきことだったが、めったなことでは動じないニハルが受けたのは、それにもまして目を洗われるようなことだった。
《弟よ、わたしはヒドラ様をお助けしたいだけ。他意などありようはずがない。とにかく手段に拘っているときではないのだ。それはお前にもわかろう?》
アルナブの眼差しと訴えは、熱をおびるばかりだった。
《姉君のお気持ちは察して余りあります。しかし、こうした事態にあるからこそ、平常心を失うべきではないのではないでしょうか?》
《平常心といったな……。ニハル、よく考えるのです。われわれ姉弟があるのは誰のお蔭なのだ? そのわれわれの師であり大恩あるヒドラ様危急のときにあって、平常心でいられるほうがおかしいというものです》
《しかし……》
アルナブもニハルも、一歩も引かない。ヒドラに仕込まれた、一切において妥協せずという精神が息づいているのだ。
彼女のいうには、海王星に二人そろって急行するのは臣下として恥さらしなのだと。だから、弟だけが海王星に向かい、アルナブ自身はヒドラの護衛として馳せ参じるべきだと。一考してみれば、決して間違った意見とはいえない。
しかし、超高速航行中にある船の座標をレーダーに捉えることなど、原理的に不可能なのである。ましてや急速撤退ゆえ、ヒドラでさえも自分の戦団をまとめて跳躍するだけで手一杯だったのだ。戦団すべてが合同すべき座標すら示す余裕がなかったことが、この場合、悲劇の原因だといえた。
いったい姉は、どこでヒドラの船<ケイローン>を出迎えようというのだろうか。ニハルからすれば、アルナブは神のみぞ知る邂逅に懸けようとしているとしか思えなかった。そのうえ、規則を破ってでも個人通信をしてきた姉の行動に不審を抱いていたのだから無理もない。
《姉上、惚れましたか?》
《な、なにを……》
彼はアルナブの顔に一瞬はしった、動揺と含羞を見逃さなかった。
《……惚れて何が悪いのですか! ええ、愛しております、あの方を》
《それは……女としてですか?》
ニハルの声音には嘲弄があった。
《女として愛してなにが悪いか!? いうてみい、いうてみるがいい》
《違うのです……。私とて愛しております、ヒドラ様を。しかし私は男子。姉君のようにそうはっきりと言葉や態度に出すことはままならんのです。決して軽蔑などしてはいませんよ》
アルナブは弟が見せた嘲弄の意味を悟った気がした。ニハルの性分なのだと。
《お好きにされるがいいでしょう。責任などこの私がいくらでも被ってご覧にいれましょう。ヘルメル卿のこともお任せください》
《ニハル……》
通信を終えたスクリーンを見つめながら、アルナブは微かな淋しさを憶えていた。姉弟といえども思ったことをいいあえないことに。互いの性分すら察しあえない空虚な関わりに。
「機関士、超光速航行から離脱せよ。その後、可能な限りの出力で全天にわたってレーダースキャンを実施、スクリーンが捉えたものは、仔細たりとも漏らさず報告せよ!」
朗々と指令を発したアルナブの声に、すでに淋しさなど微塵も存在していなかった。
漆黒の宇宙に溶けこむように、鈍く黒光する船体の<ウェルキエル>が実体化したのは、海王星まであと三日ほどの地点だった。