第3話 玉座をめぐる思惑――ヘルメス卿とアル姉弟
聖戦団の戦艦<ベヘモット>や<ウェルキエル>への通信はつぎつぎに確保された。
どの船も超光速航行中のため、現在位置など把握できようもなかったが、とにかくヒドラは麾下の指揮官たちと交信できたのである。高出力MBH通信の真骨頂といえた。
「ベヘモットとの映像通信、入ります」
さすがに不鮮明な映像ではあったが、危急の事態に対応してきたヘルメスが疲れきり、生気のない顔色であることくらいはわかった。
回線はすぐに秘匿モードへと切り替えられ、会話はヒドラとヘルメスにしか聞こえていなかった。
《ヘルメスよく聞け。事態が切迫しておることは承知だろうが、これから話すことは極秘だ。誰にも口外するな。その船は最新鋭艦だ。貴様も知ってはおろうが、グラッジ・コントロールシステムが装備された船だということだ。それゆえにこうしてお前を頼っておる。そこをまず頭に入れておけ。海王星本星の状況がまだはっきりせんところもあるが、驚かずに聞け。アメミット神の機能が停止しているという確証を掴んでいる》
《神が……神が!?…… 法皇猊下だけでなく、神までもが……ヒドラ様、これは神からの誅罰です……》
もともと憤怒や怨念ではなく、信仰心と貪欲さから権力の座についたヘルメルが動揺することは、計算のうちだった。それだけに、説得に慣れていたヒドラは、慌てるようすすら見せずに、ヘルメスを落ち着かせて彼に命令を伝えていった。
《いいか、余が先につくか、卿が先かはわからん、どちらにしろ貴様のすべき優先順位は、ベヘモット乗員へのグラッジ・コントロールの徹底、そして玉座の確保だ、わかるな。貴様が先なら一時であっても玉座にすわれという意味だ! ――信仰心がぐらつくようであれば卿もコントロール受けろ。艦内で暴動でも起これば、命も危ういということだ。この際、しばらくは信仰心など捨て、権力にしがみつかないことには、命も危ういということだ、わかるな! ――卿が法皇となる。余が名誉職であろうが、これまでの関係は壊れはすまい。卿の信仰心も傷つかぬではないか……》
自分の置かれている立場を理解したヘルメスは、すぐに落ち着きを取りもどした。
《勿体なきお言葉、恐懼にたえません。ご神託確かに拝聴いたしました。――グラッジ・コントロールの徹底、そして、玉座の確保ですね。しかと承りましてございます》
《それでいい。では、海王星で会おう……》
ヘルメスとの通信を終えると、ヒドラは回線を切り替え、アルナブとニハルのアル姉弟にもほとんど同様の内容を伝えた。違っていたところといえば、
《ヘルメスが卿たちを排除しようとしたなら、やつを討て!》
という点だけだった。
肩まである黒真珠色の毛先と前髪を几帳面に切りそろえた、姉アルナブの表情には緊張があった。だが、常と変わらずヒドラの意の奥を読みとっているように凛としてもいた。ジェムシリカのような醒めた緑色の瞳は、叱責に震えたことさえなかっただけに、冷酷さが浮かんでいた。しかし、ふと何かに魅入られて宇宙を見つめているようなときは、逃げだしたくも惹きつけられずにはいられない、窈窕とした美しい趣きもあった。
弟のニハルは、彫像のように不動の姿勢のまま、ヒドラの声に耳を傾けていた。堂々とした去就は些細なこともゆるがせにしない意志力を堅持しているごとく。撫でつけられたダークシルバーの髪は、一糸乱れぬ統率力を誇示してかのよう。ブロンザイトのごとし濃茶色の瞳や、整いすぎた細面な表情は人を畏怖させはしたが、姉のまえだけで見せる笑顔には、凍った心を溶かすような温かみがあった。
ヒドラは愛弟子の意気揚々たる姿に、しばし安堵と信念をとりもどしたような気がしていた。だが、木星宙域からの長い撤退作戦の疲れが、関節にわだかまっていることを感じぬわけにはいかなかった。それでもまだ打っておくべき手は無数にあった。時空振によるものか、目標探知システムに起こった“原因不明”の障害が、意識のすみで彼を嘲笑っているように思えた。
彼は胸ポケットからサイキック・タブレット――精神高揚剤――のケースを取りだして、口に二粒ほど放りこむと、矢継ぎばやに指示を出していくのだった。




