第2話 時空振への抗い――崩壊への序曲
「ヒドラ卿、目標探知システムに原因不明の障害が検知されました。調査のため、只今減速に入りました」
「現在の速度は?」
「4.2ライハです」
「なるべく速度を維持しつつ監視をつづけろ。目標探知システムについては、航法関係と連携しつつ可能な限り座標を維持せよ」
それは重大な問題といえた。光速の四倍もの速度で向かっている海王星への角度が1度ずれたらどういうことになるか。超光速航行離脱後、目的地への修正は可能である。だが、超光速航行中の1度のずれがどういう結果をもたらすのかを、これまで経験したものは存在しなかったのだから。
機関士の口にした“原因不明”という言葉を耳にしたヒドラは、即座に的確な指示をくだしはしたが、不安は全くというほど拭えていなかった。指令席の制御卓にある時計に目をはしらせ、海王星までの到着予想時間を暗算する。3.0ライハ以下への減速はなんとしても避けたかった。土星のリングにある聖戦団根拠地からも、すでに権力の座を目指して跳躍している連中はいるのだ。土星付近に配備された艦艇には2.5ライハ以上の速度を出せる船は所属していない。法皇の座はスピードによりもたらされることを、彼は誰よりも熟知していたのだ。
ヒドラはそれでも消えない不安を打ちけそうと、制御卓を操作して音響防御シールドを展開させ、ペールとの通話回線を開いた。
《ペール、聞こえるか? いま機関士から報告をうけた。状況を教えてくれ》
ヒドラは、気負わぬ調子でかつては自分と同じように肉体をもっていた――今は人格コンピューターの――実父であるペールに訊ねた。
《状況はよくありません。これまで傍受したことのない時空振を感知しました。ですが、その正確な発信源が掴めず対処のしようもなく、目的地を固定して維持することが非常に困難なのです》
彼ら自身しか知りえない親子という事実のためか、ペールも平静な口調で答えていた。いや事実を知る者はもう一人――一人とはいえないかもしれないが――ヒドラの実母メールがいた。<ケイローン>のもう一台の人格コンピューターである。
《時空振か……。それはヘルメスが報告してきた、高次元砲の腐食と関連があると考えるか? メールの意見は?》
《考えられますというのが、メールとわたしの見解です。あくまでも推察ですが、それというのは――》
ヒドラはペールの意見をきいて衝撃を受けた。だが、推察を読みといていけばいくほど論理的整合性にかなっていると思えた。
時空振の発生位置や方向を勘案し、その後の出来事を考察してゆくと、アメミット神が何者かによって機能を停止されている気配があるとしか考えられない。それは、<ケイローン>がアメミット神からの定時送信をかなり前から受信できていないことが証明しているともいえた。
容易ならざる事態だった。暗黒崇拝教は、洗脳といわれる方法――グラッジ・コントロール――で統制されてきた専制支配主義の教団であり、戦闘集団なのだから……。その洗脳を行っているシステムがアメミット神なのである。人間の無意識層に巣食う憤怒と怨念を人為的に引きだし、命令という教義に喜々として殉死してゆく構成員。命令やマニュアルがなければ何一つ自ら思考しようとしない人々。そのくせ欲深く、好機があれば権威に媚びを売り、弱者には略奪や暴虐を厭わない者たち。暗黒崇拝教の構成員のほとんどすべてがそうした連中なのだ。それゆえに太陽系をまっ二つにわけた地球軍との戦争で、教団は勝利の目前まで突き進めたのだった。
もちろん例外もいた。ヒドラのように洗脳を必要としない者。過去の遺恨によって自ら憤怒と怨念を燃やすことに信念をもつ者。だがそうした異才は教団にあっては片手にあまるほどだった。
草創期から行動をともにしてきたヘルメス。ヒドラ自身の手によって育てられた愛弟子のアル姉弟しかもう残っていないのだ。暗黒崇拝教にとっても、戦争による犠牲は大きかったということか。
彼は旧友マフデトの最期を思いだしながら、ペールとの通話回線を閉じて呟いた。
「もはや暗黒崇拝教も崩壊ということか……。グラッジ・コントロールの箍が外れた者など何の役にもたたぬ。法皇の座など、玩具の椅子というわけか……。何のためにこれまで俺は怒りを燃やしてきたのだ、俺の人生は何だったのだ。……あきらめんぞ。たとえ玩具の椅子であろうと、俺以外が座ることなど許しはしない。崩壊する者はするがよい。だが部下として使える者には従わせてみせる。どんな手をつかってもだ。復讐はまだ終わっていないのだからな」
深淵に立って、ヒドラは底の見えない絶望を垣間見た気がしていた。だが、踵を返して道なき道へと足を進める以外なかった。そう思えたのである。
音響防御シールドを解除したヒドラは通信兵に向かって指示した。
「ベヘモットとウェルキエル、サリティエルとの回線を確保せよ! MBH通信の使用も許可する。何がなんでも回線を確保しろ。いいな!」と。