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黎明に跳ぶ  作者: 志水了
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第二話

「どうしたの」

 声を掛けると、煌ははっとしたように顔を上げる。

「いや、駅までの道を探しているんですけど、迷ってしまって」

 どうやら煌は地図を調べているようだった。初めてみた年相応の行動に、思わず笑みがこぼれ落ちる。

「オーナーさんに送ってもらえば良かったのに」

「まあ、ちょっと」

 煌は曖昧な笑みを浮かべて、首を横に振った。どうやら一緒に帰りたくない事情があるらしい。

「駅なら……」

 麗奈は普段使う駅を教えようと煌に顔を向けたが、ちらりと見た彼の表情に、思わず口を噤んでいた。

 煌は会った時から柔和な笑みを浮かべている印象があったのだが、今、僅かに何か見えた気がしたのだ。それが何なのかは分からなかったのだが、でもどこかで見たような気がする。そう考えて、どこで見たのかに思い至った。

 彼が死ぬ新聞を読んでいる時の表情。あの表情と似ているのだ。

「ねぇ、このあと時間はある?」

 駅までの道を教えようとしていた麗奈であったが、ふと言葉を変えた。煌は突然の言葉に、きょとんと首を傾げる。

「ありますけど……」

「私、まだご飯食べてないの。よかったら、一緒にどう?」

 麗奈の言葉に少年は戸惑っているかのように目を見開いていたが、おどおどと頷いた。麗奈は満足して頷くと、帰り道を変えるのだった。


 いくつかくねくねと曲がる道を歩いていく。駅前の人が集まる大通りとは反対の、あまり人通りのない寂れた場所まで辿り着くと、洋食屋の扉を開けた。

 からりとカウベルが鳴る。店の中は、外の人通りに比べて、それなりに人で埋まっていた。二人も案内された席に座る。

「ここは……」

 煌は物珍しそうに、広げたメニューを眺めていた。麗奈もメニューを広げながら、小さく笑う。

「珍しいでしょ。ここは、ごく普通の人が作る家庭料理の店なの」

 麗奈の言葉に、初めて煌の表情が、年相応の驚きのものになった。ようやく見ることのできたその表情に、なぜだか安堵の感情が浮かぶ。

「へぇ、はじめて来ました」

「今は一般的な料理って少ないものね」

 この時代は、有名なシェフや料理研究家が監修するレトルトや冷凍食品であふれかえっている。栄養のことも考えられていて種類も豊富なので、一般市民は普段の生活にこれを用いるのが普通だ。レストランなどもそういったメニューに変わりつつある。

 こういった家庭料理を作る店、というのは珍しいのだ。毎日の家庭が料理をしてくれる家庭なら珍しくもないのだろうが、この時代、食材を買うよりも出来合いのものを買った方が安いので、今あまりそういう家庭も無いだろう。

 煌は唐揚げの定食を選び、麗奈は肉じゃがの定食を選んだ。しばらく待つと二人の前に、料理が運ばれてくる。煌はほかほかと湯気を上げる豚汁を手に取った。おそるおそる口を付けている。

「いただきます」

 麗奈もその様子を眺めつつ、自分の分を手に取った。味噌の香りが口の中に広がる。こんにゃくにごぼうと、具も食べ応えがあるものだ。

「普段はどういうところで暮らしているの?」

「宿舎があるのでそこに。宿舎と言っても、見た目は普通のマンションですけどね」

 煌は唐揚げに添えられているポテトサラダに目を丸くしていた。何に驚いているのかは分からないが、そこにはあの何かをはらんだ表情が無かったので、少し安心する。

「マンションってことは、ご飯とかも共同って訳じゃないんだ」

「ええ。こうして誰かとご飯を食べるのは初めてです」

「え……初めて?」

 思わず驚きの声を上げると、煌は弱く笑った。

「ええ。競航に関わる子供達の噂は聞くでしょう?」

 噂とは、競航のために子供達が「作られている」という話だろうか。そう問いかけると、煌は頷く。

「あれは本当です。これは極秘事項なんですけど……俺は、そのプロジェクトで作られたひとりです」

「プロジェクト。やはり噂は本当なのね」

「ええ。僕は人工授精によって作られ、施設で育ちました。国には、極秘の施設があるんです。内緒ですよ?」

 煌が淡々と語った話は、にわかには信じられないものだった。施設では一般的な教育の他、航空機に関する専門的な技術、そしてマナーなど。

「どれくらいの人が教育を受けるの?」

「そうですね。まだ人工授精の技術が安定していないので、施設で教育を受けたのは百人にも満たないと思いますが。さらに、実際に競技用の航空機に乗ることができるのは、その中の一握りです」

「そうね」

 競航の選手は、その競技の特殊性から十数人ほどしかいない。煌は何度もスポーツ新聞の一面を飾る有名な選手であるが、そこに辿り着くまでにはどれほどの努力を必要としたのか。

「だから、食事もいつも部屋でひとりでしたね。温めるだけでしたから、料理に苦労することもないですし」

 煌は茶碗に手を伸ばした。その姿に、一瞬だけ白い部屋にひとり座り、温められたレトルト食品を食べる煌が重なって消える。

「なんだか今日は、新鮮な経験ばかりで楽しいですね」

 煌は目元を細めて心底嬉しそうに言うのだ。だが、「新鮮な経験」の中に自分が死ぬ未来というものが混ざっていることに、麗奈はどうしても心から笑うことができなかった。


 *


 まだタイムマシンが無い過去に跳ぶ時、自分が透明人間になったかのような気分になる。タイムマシン・プロジェクトの持つ特殊性がそうさせているのかもしれないし、麗奈の受け持つ任務がそういった類のものばかりだからかもしれない。

 麗奈は歴史あるコンクリートの壁が目立つビルの前に立っていた。鞄の茶封筒には、今まで跳んだ中で集めた情報や、仲間達がかき集めてきた集大成が収まっている。

 跳ぶ前、空理は最終チェックを終えた情報をディスプレイ上に表示させながら、小さく笑っていた。

 いつの世もやることは変わらないな、という事を言っていたが、麗奈が今腕に抱えている汚職事件と、今の時代で起きている事件が何なのか、いまいちひとつの線で結びつかない。あまりプロジェクトで関わる仕事や、今の時代で起きている事件に興味が無いせいかもしれない。麗奈にとって、プロジェクトはあくまで金になる危ない仕事なのだ。

「よし」

 ひとつ息を吐いて、麗奈は扉の前に立った。少し薄暗いガラスが小さな音を立てて開いていく。今日は宅配の配達人の格好だ。これを目立たぬように届ければ今日の仕事は終わりである。簡単な仕事ながら、ひとつのプロジェクトの集大成に、麗奈も緊張する。

「はい」

「宅配便です」

 受付にいた人にさりげなくそう名乗って、麗奈は封筒を差し出した。封筒を受け取り、サインをしてくれる一秒、一秒に息が詰まりそうになる。特に危惧していた事態も起こらず、無事に伝票を受け取った。内心で大きくため息をつきながら、麗奈はビルを後にする。

 しばらく歩いたところで、最初に目を付けていた駅ビルのトイレに入り、着替えをする。今まで着ていた宅配便の服は丸めて折りたたみのバックにしまった。

 それから駅ビルを出て、いくつもの道をくねくねと曲がっていった。そして人が来ない寂れた公園の一角にたどりつくと、周りに誰も人がいないのを確認してから腕の時計を操作する。デジタルの時間が表示されている細い腕輪のボタンを一つ押すと、うっすらとその腕輪が光る。それを外して、空中に放り投げていた。

 空を舞って地面に落ちていくように見えたそれは、途中でふいとかき消えてしまう。後に残るのは、少し歪んだような空間だけだ。

 未来に跳ぶときはもうタイムマシンの施設があるので簡単なのだが、過去から戻るとき、向こうからワームホールをこちらにつなげてもらわなければならない。細い腕時計は過去や未来へ跳ぶ度にその時代に適応した時間を告げるのと同時に、位置を知らせるための特別なものなのだ。

 少し待つと、足下がぐにゃり、と蜃気楼のように歪んだ。それから体に一気に負荷が掛かってくる。過去から戻る時、ワームホームを通ることで掛かる負荷が、普段の数倍掛かってくるのだ。歯を食いしばってぐっと目を閉じた。

急に周りが薄暗くなると同時に、体中に掛かっていた負荷が消える。だが、体は悲鳴を上げていた。目をゆっくりと開けると、そこはもう、麗奈が暮らしている時代のタイムマシンの中だった。そこから一歩、また一歩と息を吐きながら進んでいく。

 暗いその箱から出ると、白い壁に目を焼かれそうな感覚を覚える。めまいに襲われた感じがして、麗奈は思わず手で顔を覆った。

 施設の廊下は静かだ。タイムマシンを動かすために、何人もの技術者がいるはずなのだが、技術者がいるような気配は見られない。それぞれの部屋で研究に励んでいるのだろうか。

 廊下の行き止まりにある白い扉を開けると、そこには何人かの同僚が、端末に向かって仕事をしていた。

「お疲れ。どうだった?」

「とりあえず私のところまではうまくやったけど」

 麗奈は空いている端末に座り、スリープ状態を解除した。仕事に関わる歴史をチェックするべく、ネットに繋ぐ。

 隣に座っていた同僚が、興味深げに画面を覗き込んできた。彼はこの計画に関わっているのだから、気になるのも無理はないだろう。

 いくつかニュースを探してみると、目的のものははやばやと見つかった。計画通りに、宅配便を装って送りつけた小包は新聞社の目に留まったらしい。証拠が華々しく取り上げられ、その当事者達も無視をできない流れになっていた。


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