2話 タコの街
トンネルを抜けると雪国ではなくて、ただの山道だった。ただの山道とは言っても、常識からしたらやっぱりおかしい。トンネルに入る前まで、窓の外は荒れ果てた荒野だったのだ。いきなり緑豊かな山道とは、僕でなくたってあんまり納得はいかないだろう。
「さぁ、もうすぐタコの街に着く。準備はいいね?」
「特に用意するものがないからね。大丈夫だよ」
列車は山道をどんどん登っていく。時折、小鳥が木々の上で羽根を休めているのが見えたので、ここにはきちんと生命の営みというものがある事を確認出来た。一安心。
「そうそう。一つ注意しておく事がある」
ソファーから、ミミズが窓に飛び移った、というか張り付いた。
「タコの街の連中は基本的には優しいし、気さくな者ばっかりだ。僕に対してはもちろん、君にもある程度は友好的に接してくれるだろう。ただ…」
「ただ?」
「イカの話だけはしちゃ駄目だ。タコはイカが大嫌いなんだよ」
特に、タコに対してイカの話をしようという発想が僕にはなかった。
「うん、解った。タコはイカが嫌いなんだね」
「あぁ。彼らはもう長い事争い続けているからね。しかも現在、戦況はイカに分があるんだ。それで、タコは随分ピリピリしてるんだよ」
タコとイカがどのような方法で争っているのか聞いてみたいとも思ったけれど、話がややこしくなりそうだったから、やめておく。
そうこうしてる内に、列車は山道を越えて、荒野のよりは遥かにそれらしいホームにたどり着いた。少し先には(実際は随分先だけど)海が見えて、海の手前には、巨大な貝殻が規則的に並んでいる。
「あの貝殻は何?」
「タコの家だよ。そこら一体がタコの街なんだ」
ここからタコの街までは徒歩で行かなければならないらしい。僕はミミズを肩に載せて、緩い傾斜を、草木をかき分けながら降りていく。
やがて、タコの街が目前に見えた。
それから、そこの住人達もよく見えた。タコだった。僕の身の丈より少し大きなタコ達が、所狭しと、歩き回っている。
「なんで、タコが歩いているのかな」
「君だって歩いてるじゃないか。僕の時といい、君にはちょっと無粋な所があるね。そういう事は聞かない方が、君の人生は上手くいくよ」
でも、僕の元々いた世界では、ミミズは喋らないし、タコは歩かない生き物だったと思う。記憶がないから断言は出来ないけど。
「真ん中に噴水が見えるだろう?その噴水の先が王の家だ。行こう」
僕はタコの街を歩き始めた。そこら中のタコの視線が突き刺さる。ひそひそ話が聞こえてきた。
「やだ。あの子、足が二本しかないわよ」
「可哀想ねえ。事故にでもあったのかしら」
「イカにやられたのかもしれないわよ。イカは野蛮だから」
「最悪ねイカは」
「イカなんて、生命の屑だわ」
ミミズの言うとおり、かなりイカは憎まれているようだ。それにしても、どのタコも同じようにしか見えないのは、僕がタコじゃないからなのかな?
噴水の先にある、王冠の形をした貝殻に僕達は入る。ミミズは肩から降りて、先に話を進めてくると僕に断ると、するすると奥へ行ってしまった。
貝殻の中は、思いの他生活感に溢れていた。床にはピンクの絨毯が敷かれて、ベッドやら箪笥やら電気スタンドやらテレビやらが設置してある。奥に木製の扉があって、そこからミミズと、もう一人の声がした。
「おお〜〜!ミミズの!元気にしてたかぁ!」
「お陰様でこの通りだよ」
「よく来たなぁ。まぁゆっくりしていきなよ」
「そうしたいんだが、今日はちょっと仕事でね。合わせたい者がいるんだよ」
扉が開くと、ミミズを乗せた王冠を被ったタコが、ゆっくりと僕に近付いてくる。
「この兄ちゃんかい?なるほど、確かにバラバラだわ」
「だろう?欠片探しも楽じゃないんだ」
タコ王は、僕の周りを一周する。
「よお兄ちゃん」
「どうも、初めまして」
「聞く所と見た感じによると、バラバラだってな?」
「はい、そうらしいんです」
「で、俺らタコ族に、助けを求めにきたわけだ」
足の一本を僕の肩に乗せて、大きな頭をウンウンと揺らすタコ王。
「はい。何か、情報があれば頂きたいなって」
「おう!何でも聞けや!このミミズと俺は昔からの大親友でな!こいつがナメクジに襲われた時なんて、毎回俺が助けてやってたんだぜ」
「おいおいタコ王。その話はよしてくれ」
あははははとタコとミミズが笑っていたが、僕には何が楽しいのかさっぱりだった。
「でよ、何から探してんだ?」
「まずは、名前を」
「そうなんだ。タコ王、どこかで名前が落ちているのを見なかったかい?」
タコ王は二本の足を胸と思われるあたりで組んだ。目を瞑って考えているらしい。
「何て名前だ?」
僕が覚えてない事を伝えようとすると、タコ王の頭の上から、ミミズの笑い声が聞こえた。
「待ってくれよ。君ともあろうものが、名前を落とした少年に名前を尋ねるのかい?これは傑作だ」
「そうか。そういやそうだな。違ぇねえや!」
またまた笑い合うタコとミミズ。僕は収まるのを待っていた。
「ちょっと待ちな。確か、誰かが少し前に、名前がどうのって言ってたな。ええと、あれは……あぁ、そうだ!ハチの奴だ!」
ハチ?ハチとはやっぱり蜂の事だろうか。
「よし、ハチを呼ぶぜ」
「耳を塞いだほうがいい」
深刻そうにミミズが言うので、僕はその通りにした。
「ハチィイィイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
家具が揺れた。箪笥が倒れて、電気スタンドの電球が割れる。耳を塞いでいなければ、鼓膜が完全に破れていたと思われる。
やがて、入口の方から、不機嫌そうな顔(やはり推測の域を出ない)をしたタコが、のっそりと姿を表した。頭には鉢巻を巻いている。
「なんすか〜、もうデカい声出して。おばさん連中失神しちゃいましたよ」
ガハハハハハハ。もちろん笑ったのは僕じゃなくてタコ王。
「紹介するぜ。ハチだ」
「八郎っす!ハチはやめてくださいっていつも言ってんのにも〜」
「細かい事言うなハチ!お前、何日か前に、どっかで落ちてる名前見たとか言ってたよな?」
僕はタコ王と八郎の間に挟まれている。変な気分だった。
「あぁ、海岸に打ち上げられてましたね、そういや」
タコ王の赤い顔が一気に青白くなった。
「海岸だぁ?まずいじゃねぇか」
「確かに、まずいね」
ミミズとタコがお互いに相槌を打つ。何がどのようにまずいんだろう?
「昨日まで嵐だったんだ。何日か前じゃ、波にさらわれた可能性が高いぜ」
海の中じゃ、僕にはどうやっても探せない。ミミズが僕の肩に移動して、囁きかけてきた。
「海はイカが支配してるんだよ。彼らタコは、イカに追い出されて地上に街を創ったんだ」
さて、どうしたものだろう。僕の欠片探しはいきなり難航し始めている。