悪霊犬について
ここより、遥か東方の果てに小さな島国があるんです。
そんでね、その東方の果ての島国では犬が人間様よりもずっと幅を利かせているんです。
というのも、いつの頃からか犬王とかいう犬々を束ねる犬頭人間が現われて、犬共に自己の確立を形成させる、革命闘争を呼び掛けたんですよ。革命闘争ね。
まぁそれまでの犬達は何ていうかね、人間に飼われてれば餌にありつけるし、雨露をしのげる犬小屋は与えられるしってな事で、もー生きる事に関して安泰というか楽というか、とにかく自分は人間に飼われて生きる生物なんだと勘違いして、飼い馴らされて生きていたんですよ。
ですがね、この犬王という奴がね、それじゃあいけないよ、我々犬は人間共と同じようにこの世界を生きているんだから、自由になる権利があるんだよ、首輪で拘束され、三度の決まった時間の決まった量の餌しか貰えず、我々はそれで自由等とはいえないんじゃないかな?言わば生かされてるだけで、自らの力で生きている訳ではないんじゃないかな?
立ち上がろうよ同志諸君よ、鳥が自由に空をはばたき、魚が自由に水を泳ぐのと同じように我々も山野を自由に駆け回ろうではないか!!
みたいな事をね、国中の犬の頭に電波を飛ばして訴えたんですよ。
そしたら、ま、犬達もね、犬王の阿呆な革命闘争に賛同したんですよ。
ま、犬なんてのはね、あんまり後先考えない畜生ですからね。
しょうがないところなんですよ。
でね、次第に犬達は民の言う事も聞かなくなり、自分達の群れを形成し、軍隊を組織し始めたんです。
最初は政府も、最近ワンちゃんが団体で行動してるねぇ、なんて大して気にしないでいたんだけども、国民から、やれ町中が糞だらけで臭いだの、やれ夜中に集団の遠吠えが煩いだの、子供が犬に噛まれた、うちのボケた爺様が犬の群れに混じって四つん這いで歩いてるだの、とにかくたくさんの苦情が寄せられたんです。
あんまり苦情が多いもんだから政府も仕方無しに犬の駆除に乗り出したんです。
最初はね、犬は狩られるだけで大して抵抗しなかったんですが、犬王が再び号令を掛け、武装組織された犬軍が政府の主要施設を次々に襲撃し始めたんです。
その勢いと統制された戦術は凄まじく、政府の軍隊は簡単に負けてしまい、等々犬達がこの戦争に勝ったんです。
しかしながら犬王は意外にも犬と人間の共生の道を指し示したんです。
でも、内情はとてもひどかった。
犬により国は支配され、新政府も形だけで機能しない。
実情は完全な国の崩壊そのもので、犬達は気に入らなければ平気で人を噛み殺し、肉を食らい、国中には死臭と腐臭と犬臭が漂い、まるでこの世の地獄になっていったのです。
そして犬軍の中には犬王を始めとした、世界征服を企てる過激派がいたんですが、いかんせん、世界規模では現在の犬単体の能力では厳しいと思っていたんです。
でね、犬王は特に霊感が高い犬に、この世にはびこる魑魅魍魎を降ろすことで高い能力を与えたんですよ。
これが悪霊犬です。
悪霊犬は言語を話し、一般犬より器用で賢く、中には不可解な妖術をも使いこなしたそうなんです。
悪霊犬には各々の軍隊を任され、それを指揮統率する役目が与えられました。
犬王は国を攻撃する際、まず最初に悪霊犬を潜り込ませます。
そして紛れ込んだ悪霊犬は地元の犬達に革命闘争を呼び掛けて、犬軍を蜂起し、大規模なクーデターを引き起こします。
国が混乱し始めると、それに乗じて、今度は犬王率いる犬軍が外部から攻撃を仕掛け、制圧。
そして国が崩壊し滅びていくのです。
つまりね、俺が何を言いたいのかと言うと、人間に危害を加える様な邪悪な悪霊犬を見つけたから、この国や、この界隈の人々の為に斬り殺した、という事なんですよ。
浪人はこの様な話の内容をベラベラと喋り、周りを見渡した。
人々は深刻な面持ちで口々に話の内容が嘘か真かを囁き合っている。
するとマクマンがフムとか言って喋り出した。
「なるほど、するとですな、犬王の魔の手がもう既にこの国まで伸びてきている、だから貴方様は事前に国が滅ぶのを阻止すべく、悪霊犬を斬り殺したと。そういう事ですな?」
「うん、そう。」
「では聞きますが、わしらにはあのチワワがただの可愛い犬にしか見えませんでしたが、なぜ貴方様には悪霊犬だと分かったのでしょうか?」
「なるほど、そうきたか、では致し方無いから話してやりますよ。それは俺が悪霊犬狩りだからですよ。悪霊犬狩り。」
「悪霊犬狩り!?」
有象無象の衆は声を揃えて驚きの声を上げた。
「はっはっはっ。
あなた方が知らぬのは当たり前だ。
なぜなら先程まであなた方は悪霊犬さえ知らなかったのだからね。
だから今から説明してしんぜよう。
悪霊犬がどれくらい害になるかは分かったとは思うけど、誰かがこの悪霊犬を退治しない事には、世は犬の支配する犬時代に突入してしまう。
それを危惧し発足したのが悪霊犬狩りというものなんです。
悪霊犬狩りの人達は皆が悪霊犬のエキスパートです。
全員が高い霊的素養を持ち合わせ、一目見れば悪霊犬かどうかの見分けがつくのです、何せエキスパートですからね。
ちなみに給料は出ません。
皆、ボランティアでやってますから。
だから旅の先々で短期のバイトをしたり、知り合いの家に厄介になるなどして生活しています。
過酷な職業ですが、人々を守る為に我々は誇りを持って悪霊犬狩りをしているのです。
言うなれば善行です。慈善事業というか、ま、そういう仕事なんですよ。ははは。」
なるほどって顔で話を聞く往来の民衆達。
ここで再びマクマンが浪人に向かって質問を投げ掛けた。
「あなたは今善行だとか、人々の為とか言いましたが、ならば何故にこの武芸者を斬ったのでしょう?これは立派な殺人でしょ。善行だとか人々の為とか言いながら、あなたは平気で人を惨殺するのですか?
正当防衛と言うかも知れませんが、殺さずに説き伏せれば良かった筈。
違いますかな?」
「はっはっはっ!そうきたか。甘い。実に甘いよ爺さん。はははっ」
たかだか二十数年しか生きていない若造に、甘いと言われた。
人生の酸いも甘いもずっと多く経験して来たワシがこんな若造に・・・。
マクマンは少しカチンときた。
が、至って平静を装った。
だって大人だから。
大人だから、大人らしく、一々浪人の言葉に怒ったってしょうがないって事をちゃんと知っているのだ。
「失礼。俺が甘いと言ったのはさ、爺さん。別にあなたのこれまで生きてきた経験による見地がまだまだ未熟だね、とかいう意味ではないんだよな、コレが。なんつーかな、悪霊犬狩りとしての俺から見れば甘いって事さ、じゃあ、まぁ説明しよかね。
確かにね、人を殺してるから殺人だね。
でもね、これは普通一般的殺人とは全く違う。
何故なら、この彼は悪霊犬狩り狩りだからなんですよ。」
「はぁ、悪霊犬狩り狩りですか・・・・?」
「そう。物事には常々、陰と陽、光と影、白と黒、善と悪など相反するものが存在します。
悪霊犬狩り狩り。
読んで字の如く、悪霊犬狩りを更に狩る側の人間です。
人間の中にも我々と正反対の阿呆な連中がおりましてね、犬王の考えに賛同し、取り入る者がいるんですよ。
元動物愛護団体やら、自然愛好家やら、利権を目論む政治家と、とにかく色々な者共です。
で、我々が悪霊犬を退治して回るものだから、犬王の世界制覇は一向に捗らない。
そこで犬王は自分の教義に従う人間共を使って悪霊犬狩りを狩らせているんですよ。
だがね、悪霊犬狩り狩りはまだ結成して日が浅くて人数が少ないんです。
ですから俺が悪霊犬狩り狩りと対峙したのは今日で二度目です。
こいつらはね、必ず、貴様は悪霊犬狩りだな?成敗する!なんて正正堂堂とは来ません。
むしろ問題をすり替えて、関係のない切り口で挑んできます。
最初に相手をした男は、人の女に手ぇ出しやがって!などと言いながら斬り掛かって来ましたからね。
はっはっはっ。
で、今回は、ワシを愚弄しおってぇ!ですからね。傍から見ればただの喧嘩でしょう?」
「確かにただの喧嘩にしか見えませんね。」
「そうでしょう。ですがやり合っている我々は既に違う次元、違うレベルの戦いを展開してるのです。この武芸者は俺を悪霊犬狩りと認識し、また俺も奴を悪霊犬狩り狩りだと認識したのです。
知らぬ者からすれば、俺の姿は犬を虐殺し罪無き人間を叩き斬った極悪非道の鬼に映るかも知らんが、実は人々の幸せを守る為に日夜戦っているんです。
孤独な戦いです。
しかし俺は例え理解を得られなくても戦い続けます。
いつか平和が訪れるその日まで・・・。
では皆の衆。
名残惜しいがさらばです。
俺は一刻も早く、新たな悪霊犬を退治しなければなりません。
先を急いでいるのです。これにて御免。」
「あ、ちょっと剣客様!悪霊犬狩り様!?」
マクマンは走り去る浪人を呼び止めようとしたが浪人は振り返る事なく街道を疾走して行った。
嵐のように事件は過ぎ去り、茶店の前には首の無い輪切りのチワワと人間の死体、大量に飛び散った血液、放心したままの飼い主、そして一部始終を見ていた有象無象の民衆達が取り残されたのである。
マクマンはチッと舌打ちした。
「逃げられたわい。」
そう吐き捨て、苦々しく地面を蹴ったのである。