理由
「お待ち下され、お待ち下さらんか、旅の剣士様!」
もうさっさと行こうと歩き始めた浪人を老父マクマンが呼び止めた。
「えー・・っと何でしょうか?俺になんか用事ですかね?申し訳ないが、こちらからは特に用は無いんですけどね。まぁ、街道をやっと歩き始めたばかりのこんな浪人をわざわざ呼び止めるんだからよほどの用事なんでしょうね。俺も暇では無いんだけど、話を聞かない事もありませんよ。で、なんですか?」
「質問がありましてな、なぜあの様に小さな犬を斬り殺した挙げ句、切断した頭を藪へ放り込んだのですかな?」
浪人はチラッと犬の骸を見た。そしてゴホンと咳払いをした。
「言いたくないですね。大体あなた方はさっきの俺とおっさんのやり取りを聞いてたでんしょう?だったら分かるとは思うが、俺が喋らなきゃいけないという事はないんだよ。」
浪人は喋らない、そうきっぱり言った。
「しかしですじゃ。あの飼い主の立場にもなってくれませんかの。不憫ですじゃ。可愛がっていた愛犬が意味も分からず殺されたんですよ?
せめて説明くらいしてやってくれませんかの。この通りですじゃ。旅の剣客殿!」
老父マクマンが白髪の頭を下げて、必死に懇願している。
爺さんが若造に頭を下げたのだ。
困った。浪人は何故に犬を斬殺したのかを喋りたくないのだけれども、公衆の面前でこの様に老人に頭を下げられては、話さざるを得なくなってしまう。いや、むしろ理由を話さなければ、なんだあの歳の若そうな旅の剣客は、老人が頭を下げているのにそれを断って天下の往来を平気で歩くのか、なんと冷酷で残酷な浪人なのだ、等など言われかねない。
困った。
実に困った。
更にはこの爺さん、飼い主の事まで持ち出しやがったじゃないか。
飼い主。
第三者から見れば、絶対に間違いなく明らかに、俺から飼い主に対する謝罪と説明の義務が発生しているのだなと思われてしまう。
むむむ!困った。
もし例えば俺がここで、喋りたくないから申し訳ない、とか何とか言ってバックレたとしようか。その場合どうなるか。
まず爺さん。
剣客の方お待ち下され!まだ何も聞いておりませんよ、貴方には被害者に対する謝罪と説明の責任があるのです!早く戻ってきなさい!とか何とか小煩い事を俺の姿がこの街道の遥か向うに消えるまでは叫び続けるだろうな。
そして次はこの往来の旅人や地元農民や近隣諸国の者共。
この有象無象の衆はまず間違いなく、見たこと聞いたことを方々の行き着いた先々で口々にしかも誰彼構わず話すだろう。
ザフー興国領内のクリーム町の街道沿いの茶店でな、白ずくめの浪人がいきなり小さい犬を斬殺したんだよ。
しかも飼い主の目の前でな。
んでよ、今度は詰め寄って来た武芸者に屁理屈を並べて、挙げ句にゃそいつまで斬り殺したんだよ。
せめて何故犬を斬ったか飼い主に教えてやってくれって見兼ねた老人が頭を下げてお願いしたんだよ。
そしたらお前、ええ!?僕は急いでるからとか何とか言って逃げてったんだよ。
汚ぇよな、血も涙も無ぇよな、気が狂ってんだよ。
なんてな事をベラベラ言われて、噂が噂を呼び、俺がたまたま行き着いた町々でも噂になったりしてて、俺の身なりを見るなり、あっこいつは例の浪人ではあるまいか!?こんな奴に売るパンは無い!とか、あんたみたいなモンはウチには泊められないね、他の客とトラブルになられてもやだし。
なんて言われて、そりゃあ大層難儀な旅行程になるだろう。
うんうん。
仕方ない。
何をどう考えてもここは話すべきだろうな。
ここで話しておけば、ま、周りの者達も納得するだろうし、何より旅先で難儀な思いをする事もなくなるだろう。
得策得策。
浪人は一瞬の内に思考を巡らし、最終的に、自分がなぜ犬を斬殺したのか、という事を説明するのがこれから先の得になるのだと判断した。
チラッと飼い主を見る。
飼い主は地面にへたり込み、放心したみたいに犬の死骸を眺めている。
浪人はマクマンを見つめ直して、小さく首を横に振ってみせた。
ふうっと息を吐く浪人。
白い羽織の袖をたくし上げて腕を組み、マクマンにこう言った。
「爺さん、理由を言うのは構わない。いやむしろ俺にはそうする責任があるだろう。だが、それは飼い主への責任が発生しているだけなのであって、あなた方に話す必要はないんだよね。で、当の飼い主本人がああして気がふれたみたいにボーッとしちゃって、聞こえているんだか、はたまた聞こえていないんだか分からない状況にあるのだから、これは話してもしょうがないんじゃないのかな?いや、俺自身責任を果たす義務が有るのは分かっているし、そうするつもりだったんだけどね、飼い主があれでは意味が無いっていうか、あの状態の飼い主に話をしても、それは責任を果たした事にならないんではないかな、と思うんだよ。な、爺さん。」
「あぁ・・・確かに剣客殿、貴方の仰るとうりですな。ですが、あの飼い主にはワシが後程、貴方から聞いた、愛犬を殺した理由を話しますんで、気にしないで下さい。さ、それではお話くださいますかな?」
「・・・あ、そうだね。じゃあ爺さん、後からあの飼い主に話をして頂戴ね。ちゃんと頼むよ。ある意味さ、爺さんは飼い主の代理人なんだからさ、後からちゃんと飼い主に訳を話す義務があるんだからね、分かるよね?でも俺はさ、爺さん。あんたに話した時点で既に責任を果たした事に他ならないんだからね、その辺はマジで頼むよ?
で、え〜っと・・・
なんだっけ?
あ、そうだそうだ、あの小さな犬を斬って殺した理由が知りたいんだよね、うん、よし。
では話してあげましょうかね。
えっと・・・・・・・・理由はね、あの犬がね、悪霊犬だったからですよ、悪霊犬。」
「は?」
マクマン以下一同は一瞬、え?何言ってんのこの浪人は?ってな顔で固まった。
「いやいや、まぁ、悪霊犬というものを、一般庶民的な感覚のあなた方が理解出来ぬのも無理も無い事でね。
悪霊犬をあなた方が知らぬのは致し方無いんですよ。だから気にしないで下さい。
じゃ、俺は先を急ぐのでね、これにて御免。」
浪人は白い羽織を翻し、立ち去ろうとした。
「ちょい待ちなされ剣士様。それじゃ全く訳が分かりませんよ。意味不明すぎますじゃ。もう少し詳しくお願いしますですじゃ。その、悪霊犬だとなぜ斬らねば成らぬのかとか、そもそも悪霊犬とは何かという事も含めましてね、ワシにはこの飼い主に詳しく話す義務があります故。」
「あ、それもそうですよね。
よし、ではリクエストにお答えして、詳しく説明しましょうか。
もしかしたら、ちょっと長くなるかもしれませんが、ま、我慢して聞いて下さい。」
浪人はマクマンにそう告げ、悪霊犬とかいう、胡散臭く怪しげなものについて語りだしたのであった。