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白鴉。  作者: のり
13/17

尾行

昨日の雨はすっかり上がって、爽やかな陽気であった。

天晴れな空模様。

草原の風景、山の裾野。

自然の作る不変の美。

その造形と色彩はいつの時代も人々の心を魅了してやまないものだ。

濃い緑と、燦然と燃える太陽が夏の情景の特権である。

美しい物を美しいと思うことに何の遠慮もいらない。

ただ時と場合によるのだが。

「オイ!新入り!さぼって外ばっかり見てんじゃねぇ!」

ドカ。

バイトの皿洗い係が料理長に蹴られた。

間が悪いことに頭をぶつけて気絶してしまった。

彼は元・水晶屋(26)であった。

皿洗いをさぼって、景色を眺めていたら、こうなったのだ。

しかも、間の悪いことに失神。

情けない26歳である。

既に人生負け組路線は決定済みだ。誠に枯れ果てた人生である。

「いやぁ、うまいね。実にうまい。うん、最高だよオヤジ!ははは。酒はうまいし、このシシャモもうまい!うん、実にアレだね、弾力性というか風味というか、なんかこう現代人の失いつつある叙情的空気や奥行かしさとかそーゆー部分が凝縮されてるよね、このシシャモにはさ。なんだろね、とにかく大いに刺激されるのだよ。俺のこの根源的ソウルがさ。いや本当に。」


「左様ですか。それはよかった。」

宿の主人はカラスの戯言に愛想よく返答した。

心の中では、一々シシャモぐらいで感動すんじゃねーよ意味わかんねーよ黙って酒飲めねーのかよ能書きばっか垂れやがって何が叙情的空気なの?何が奥行かしいのよ?あんたに一番似合わない言葉じゃんかよ早くどっかいけよなー相手すんのダルいんだよバーカ、などと思ったが口には出さなかった。

当たり前か。

主人は昼飯も未だ済ませておらず、カラスが酔い潰れるか出掛けるかしないと飯も食えない。

しょんぼりしながら、空の酒瓶を片付けるオヤジ。

と、厨房を覗いたら、三、四日前から雇い始めた皿洗いのバイトが気絶しているのが見えた。

「・・・・・・はぁ。」

  主人は溜息をついてうなだれた。

皿洗いすらろくにできやしないくせに、さぼることだけは一丁前の根性の腐ったウスノロとんま。

毎日食堂に入り浸り、訳分からん御託をペラペラ並べて飲みまくる、脳味噌アルコール漬けの貧弱野郎。

主人は、最近の若者はどーなっとるんだ!と、激しい憤りを感じた。

明日、新聞の読者投稿欄に投書でもしようか、と真剣に思ったのだった。マジで。

「ぷっふぁ・・・くぅ〜たまらん。はぁ〜。それにしても暇だなぁ。酒はうまいし、シシャモもうまい。それはいいんだけど、毎日こうしてただ酒飲んでダラダラしてんのもなんだか問題あるよなぁ・・・精神衛生上良くないよ。たまにはなんか違う事をしたいもんだな、オヤジよ。」

カラスが酒に酔った赤い顔をこちらに向けて話し掛けてきた。

主人は、しめたぞ、と思った。

上手いこと言ってどっかに出掛けてもらおうと思った。

「そうですか、お暇ですかぁ。カラス様どうでしょう、どこかお出かけになられては?」


「あー確かにそれもそうだよねー。あんまり引き籠もってるのも問題あるしねぇ、うん。ははは。でもさ、オヤジよ。どこかいいとこあんの?お薦めスポットとかさ。」


「そうですねぇ・・・う〜ん・・・あ、色街なんていかがですかね?」


「色街。なるほど女かぁ・・・・・・いいね!ありだよオヤジ。かなりの名案だ。最近は女にご無沙汰だったからなぁ。」


「そうですか、いやぁ良かった良かった。」


「ところがちっとも良くない。」


「は?」


「あんた今良かった良かったと言ったけども、これがちっとも良くないのだよ。」


「はあ・・・。何でですか?」


「俺は精神衛生上、毎日こうして酒を飲むのが良くないと言った。これって俺が自分自身の精神を気遣った結果の発言なわけ。で、あんたは俺に色街を勧めた。気持ちは嬉しいよ?気持ちはさ。でもね、結局それは何の解決にもなっちゃいないのだ。なぜなら、俺の根本の問題が、暇から来る精神汚染なのだからだよ。いいかい?何が言いたいかっていうと、いくら暇でも精神衛生上何の問題も無ければそれでいい、だが、暇を潰せるからといって精神衛生上良くない事をするのはおかしいんじゃないかという事だ。それじゃあ昼間からこうして酒を飲むのと大して変わらんだろう?」


「はぁ、そうですか。ならば色街で女子と遊ぶのは精神健康上良くないというんですか?」


「うん、実際そういう事なんだよ。色街で金銭を払って女性と遊ぶという行為は一種の慰みであり、夜するものだろう。それをこんな昼間から女体目当てに闊歩するなんて余りにも不道徳ではないかな。いくら暇とはいえ、やはり憚るよね。うん。」


「そうですか・・・。」

宿の主人は面を下げて、チッと舌打ちした。

カラスは、いいねいいねとか言っておきながら難癖をつけて結局腰を上げない。

主人はこんな問答が後何時間も続くのかと思うと頭が痛くなった。

「でも、まぁ・・・」


「?」

カラスが唐突に言葉を続け始めた。

「あんたが折角俺の事を思慮してくれて、色街を勧めてくれたのに行かないってのも何だか悪いよな・・・。やはり行くべきかな。別に俺は女好きという訳じゃないんだがね。あんたの思いに報いる為に行くべきだろう。うん。行くべきだ。」


「は?行くんですか?」


「うん。行くよ。」

主人は、カラスの言葉を聞いてホッとした。

やっと解放される。この呪縛から解放されるのだ。

「時にオヤジよ。」


「はい!」

満面笑みの主人が元気に返事をする。

すると、カラスが空のグラスを掴んで言った。

「さっきから言おう言おうと思ってたんだけどさもう一杯くんない?」


「ッ・・・・!」

主人は絶句した。まだ飲む気か・・・。

「え・・・あのカラス様、色街に行くんじゃないんですか・・・?」


「んー?行くよー。行く行く。行くけどね、でも、まぁ、もう一杯飲んでからだ。ははは。」

主人は思った。

こいつぜってぇ行く気無ぇよ!何だかんだ言いながら居座る気だよ!勘弁してくれよ・・・もうやだ・・・。

そりゃそうだ。

いいねいいねとか言っておきながら難癖をつけて一向に行かない素振りを見せておいてから行くと言い出して安心させた次の瞬間に酒をおかわりする。

主人はいい加減疲れて、もういいやと半ば諦め気味でグラスに酒を注ぐ。

気絶したままの元・水晶屋(26)はそれでも厨房に転がったまんまだった。

カラスはほんのりと赤く染まった頬をポリポリ掻きながら煙草に火を点けたのである。

そんなカラスの宿泊する宿の丁度向かい側の家屋の前にベンチが一つ設置されていた。

ベンチには、旅の行商と町人風の男が腰掛けており、取るに足らない様な世間話をしていた。

そもそもこのベンチは、散歩をしている老人や観光客、旅人なんかがいつでも休憩が出来る様にと、近隣住民が配慮して設置したものであった。

だから、そこに旅の行商と町人風の男が腰掛けて雑談をしているのは特別な風景ではないし、また、よく見かける光景なのである。

そんな風によく見かける光景にわざわざ足を止める者がいる訳も無く、よってこの界隈はいたって普段通りで、嘘っぱちな位に平穏であった。

何気ない日常の何気ない一コマを切り取ったみたいな不気味な風景。

作り物じゃないかと、疑いたくなる程に、一般的過ぎて個性の消失してしまった往来の空気。

夏の昼下がりの街角は、まるで映画のセットの様でさえあった。

行商と町人風の男が、肩を並べて話し込むその後ろに、何だか隙間らしきものがある。

恐らく、隣り合う家屋同士の間に出来た空間であろう。

もっとも、人一人ないし二人が通過出来る程の幅しかない為に、通りを歩く人々が気付く事はほとんど無い。

おまけに両側とも背の高い建物である為に、光が射すことも無く、昼間でも薄暗かった。

だがそんな隙間も今日は少し違っていた。

目を凝らして見ればわかる。

明らかに何かがいる。

家屋と家屋の狭間の暗がりの影の中、何かが蠢いていた。

ギラギラとした無数の目がこちら側を監視している。

それは狭い空間の中で犇めきあう男達だった。

藍色の制服を着用し、腰に皆一様の剣を携えている。

この国の警備隊員の制服だ。

警備隊員達は息を殺して監視していた。

通りを隔てた向かい側に聳える宿屋をただただ見つめ続けている。

状況的に異様としか言い様が無かったが、往来を行き来する者達の只の一人もこの事態に気付かずにいた。

勿論、行商と町人風の男は気付いている。

というか、彼ら二人も警備隊員であった。

「あの宿に間違いないのか?」

隙間で息を殺していたイサミちゃんが小声を発した。

「はい、間違いないそうです。近所の住民から白装束の目撃証言を得ましたし、ベンチの二人があの格好で旅人を装い、宿帳まで確認したそうですから。」

捜査員の誰かが、やはり小声を発して、イサミちゃんに返答した。

イサミちゃんは頷くと、更に喋った。

「で、奴は・・・カラスは今この中にいるのか?それとも不在なのか?」


「わかりません。」


「そうか・・・ひたすら待つしかないのか・・・。」

イサミちゃんは扇子を閉じたり開いたりして、苛立ちを隠せないようであった。

20分程経ち、事態が一気に動いた。

宿のドアが開いて何者かが出てきたのだ。

白装束の男だった。

遠くて顔がハッキリ見えないが、刀を二本持っているし、背格好も情報の通りだ。

殺気立つ捜査員達。

だがイサミちゃんは冷静に指示を出した。

「全員いいか、ここでは一般市民が多すぎる。確保は奴が人気の無い場所まで行ってからだ。それまでは感付かれないように尾行する。」

カラスの指示を聞き入れた捜査員達は、逸る気持ちを落ち着かせて宿の前のカラスを見つめ続けた。

顔がハッキリ見えないのが実に口惜しかった。

カラスは自らの白い羽織をしげしげと見つめて、くふっ、くふくふくふくふーっと微妙な感覚で笑った。

やっぱさ、色街の女から人気を博すにゃ格好が大事だよね、この白の一張羅でみんなイチコロだぜケケケ!などと、ろくでもない事を考えて笑ったのだった。

カラスは酔っ払い特有の清々しくも薄っぺらい、嘘みたいな虚構の笑みを浮かべて、徐々に通りを色街方面に向けて歩きだした。

少しフラッとしながらであったが。

イサミちゃん以下捜査員達はカラスがしばらく先に行くまで我慢してから、一斉に通りに飛び出した。

驚いたのは往来の人々である。

事情を全く知らない上に、今までその存在を知らなかった狭い隙間らしき場所から、突然続々と警備隊員達が出てきたのだから。

往来の人々は間の抜けた面で固まっていた。

捜査員達はそれぞれの格好に合わせて最善の尾行方法へ移行した。

制服着用者は巡回のフリをする者と物陰に身を潜めて尾行する者とへ別れた。

変装した者は自然な感じで尾行を開始する。

旅の商人、観光客、釣り人、ミュージシャン、ホームレス、町人、予備校生などなど多種多彩な輩に成り済ました。

イサミちゃんは捜査員達の最後尾を一人で堂々と歩いた。

辛うじてカラスの後ろ姿がぼんやり見える程の位置である。

そんな事を知ってか知らずか、カラスはいい気持ちになって鼻歌まじりに先を進んだ。

鼻歌はいつしかちゃんとした歌になっていた。

足取りは少々フラついていたが、捜査員達はカラスが大量飲酒をしていた事など知らなかった為、もしかしてラリ気味なのかなぁ?と心配し、より気合いを引き締めて尾行した。

と、その時、突如カラスが立ち止まった。

「!!」

バレたか!? 慎重な尾行を続けていた捜査員達に云い知れぬ戦慄が走る。

イサミちゃんも立ち止まり、腰の剣の柄に手を掛けた。

じり、じり、と近づいていくイサミちゃん。

まだ通りには疎らだが人がいる。

彼ら一般人を人質にされるのは避けたい。

カラスが刀に手を掛けた瞬間に切り掛かるつもりで少しずつ距離を詰めていく。

だが予想に反してカラスは刀に手を掛けるどころか、片膝をついてしゃがみ込んでしまった。

「あーあ。ついてないなぁ。鼻緒が切れちゃったよ、鼻緒が。」

カラスはグチグチと文句を垂れながら、草履の鼻緒を繕い直した。

「・・・・・。」

イサミちゃん以下捜査員達がずっこけそうになったのは言うまでもない。

ていうか実際二人程こけた。

大分古典的だが。

でもなんだかんだ捜査員達はしゃがみ込んだカラスの背中を見て、なんだビックリしたなぁ、と息をついた。

やがてカラスは草履の鼻緒を繕い終え、再び前を見据えて歩き始めた。

呼応するように捜査員達も尾行を再開する。

イサミちゃんは少々拍子抜けしたが、まぁ、でもこんな往来のど真ん中で流血沙汰にならずに済んだんだから、と少しだけ安堵した。

かくして尾行を続けるうち、少しずつ周りの風景が変わっていった。

建物の数がどんどん減っていき、自然の景色が開けてくる。

遥か遠方に聳える山々、背の高い草がぼうぼうに生い茂った原野、空は薄い水色、蝉の声が耳障りだった。

このままカラスが進めば前方に架かる橋を渡ることになる。

別に川が流れている訳じゃないが、何故かそこに橋があった。

割りと大きく、山なりに架かった橋。

橋を渡った向こう側には草が生え揃った原野が目一杯、山の梺まで広がり、その真ん中を刈り込んだ様に他街へと抜ける砂利道が続いていた。

その様な橋まで、遥か前方を行くカラスが到達せんとするのを見て取ったイサミちゃんは、各隊員に目で合図を送った。

幸いにして、この橋の向こう側の原野の砂利道には、普段あまり人がいない。

先に行けば砂利道に沿うように豚舎があるが、そこまでは遮断物退避物など無く、したがって大人数での立ち回りに絶好の場所なのだ。

イサミちゃんの無言の合図は散らばった警備隊員達に瞬時に伝達され、全員が了解した。

あの橋を渡り切った先の砂利道で、カラスを捕縛する・・・! 警備隊員達は気合いを漲らせて、皆一様に目付きが鋭さを増した。

前方のカラスはよたよたフラフラしながら橋を渡り始め、その後方にて尾行を続ける警備隊員達に少しずつ少しずつ緊迫感が漂い出した。

少しして、いよいよカラスが橋の丁度真ん中、山なりの頂上部分に差し掛かった。

これから先は下るだけだ。

後方から尾行を続ける警備隊員達には山なりの頂上部分から先、下り部分は見えない。

ここから先はカラスの白い後ろ姿が、橋の頂上部分の地平線とも言える部分を境に徐々に沈んでいくだけである。

既に人気はなくなっている。

タイミング的にはバッチリだ。



ちょっとずつカラスの背中が下り勾配を進み始める。


段々と後ろ姿が遠ざかりながら沈んでいく。



この頂上部を越えたら・・・遂に・・・。



警備隊員達はカラスの後頭部が向こう側に沈み行くのを見つめながら、決死の覚悟を肚に決めたのだった。




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