茶店で
ザフー興国領内クリームの町で事件が起こったのは夏の昼下がりの事だった。
空は快晴であった。
のどかな街道添いの茶店では、数人の旅周りの者がしばしの休憩を取っている。
キャン、キャン!
犬の鳴き声が聞こえた。
地元住民の男性がチワワの散歩がてら、この街道を通っていたからだ。
チワワはハフハフとかハッハッとか言いながら、主人と共に茶店の前まで通り掛かっていた。
「チワワじゃ。可愛らしいのう。」
旅周りの茶店客の一人、老父のマクマンはチワワの可愛い仕草にすっかり見惚れていた。
大きく潤んだ瞳に、小刻みに震える小さな体、ピコピコと忙しなく左右に揺れる尻尾。
それらチワワを形どる全ての要素がマクマンの旅の疲れを少しだけ癒してくれた。
周りの客や旅路を急ぐ者も、その愛らしい姿にマクマンと同じ様に見惚れ、しばらくは和やかな時が流れた。
快晴の空はどこまでも澄み渡り、時折心地のよい風が頬を撫でる、穏やかな夏の午後であった。
マクマンの横で、若い浪人が明後日の方向を見つめながら煙草を蒸かしていた。
半開きの口からはモワァッと煙が吐き出され、虚ろな目は風に流れる雲を一つ、また一つと数えている様に見える。
マクマンも、周りの誰もこの浪人を気にも止めていなかった。
どこにでもいそうな旅浪人。
ただ阿呆の様な気の抜けた面でボーッと空を眺めて煙草を吸っているだけの旅浪人。
こんな者を誰が気にしようか。
そんなぼんやりした様子の浪人が煙草の火をゆっくり揉み消しながら立ち上がった。
チワワがハフハフと荒い息遣いで主人とじゃれあっている。
浪人はポカンとその様子を見つめて立ちすくんでいたが、その内に歩み寄っていった。
誰もが思った。
若い浪人が小犬の頭を撫でてやるものだと。
或いは、懐からパンの欠片でも差出し、喰わせてやるのだとも。
マクマンを含めた全員が若者とチワワの交流を優しい目で見守ろうとしている。
飼い主も、愛犬に近寄って来た浪人に和かい笑顔を投げ掛けた。
チワワの側まで来た浪人が腰を少しだけ屈め、右腕を左腰に回した。
ズパッ。
突如、浪人は犬を斬り払った。
目にも止まらぬ神速の太刀がチワワの胴を輪切りにした。
ぎゃうッッ!
今度は返す刀で、切り離され宙に舞い上がったチワワの前半身を斬り伏せる。
ボテッッ。
チワワの小さな頭部が地面に落下した。
浪人は刎ね落とされたチワワの頭を藪の中に投げ込むと、刀を肩に担ぎ爽快な表情を浮かべた。
街道と茶店周辺の時が止まった。
店の主人は運んできたコーヒーを地面に落とし、また客の一人は頬張っていた団子を口元から零した。
あまりの一部始終に、完全に固まっていた飼い主が力なく尻餅を突く。
マクマンも、一瞬何が起きたか理解できず、ポカンと口を開けているしかなかった。
皆がシーンと静まり返ってしまった。
和みの空気が一気に掻き消され、誰もアーともスーとも言えなかった。
当の若い浪人はいい仕事をした、という顔で納刀し、スタスタと街道を歩き始める。
と、そこへ
「おい。止まれ!貴様なぜそんな真似をした!」
野太い声が浪人を呼び止めた。
見れば屈強な、歴戦の強者という感じの武芸者が仁王立ちになって若い浪人を睨み付けているではないか。
「返答如何によっては貴様をただではおかん!さぁなぜ斬った!」
和みを破壊され、往来の者達へ不快な思いをさせた浪人が気に入らないのだろう。
この武芸者、何という見上げた正義感なのだろうか。
「はぁ・・・
ただではおかんとか言われてもね、俺は実際さ、君なんかじゃ到底足元にも及ばない程の超強い天下無敵の剣豪なんだよ?言ってる意味分かるよね?だから君は俺に勝てないのであって、つまりは俺が君などに、何故犬を斬ったか等という事を喋る義務は発生しなくなるのだよ。
そうそう。
それにさ、そういった事を喋る・喋らないは俺自身にだけ与えられた決定事項なんだよね。
だから君の様な横からしゃしゃり出てきた見ず知らずの者に喋れ喋れ等と強制されるのも可笑しいと思うし、俺も一々喋る気は無いんだよね。
ま、いいや。
そーゆー事だからさ、早いところそこを退いてくれるかな。邪魔なんだよね、君さ。」
若い浪人は矢継ぎ早に御託を並べ、シッシッと手を払った。
マクマンを含めた周りの者達は息を飲んで見守っていた。
あの武芸者は絶対に自分の腕に自信を持っている、というか、こんな舐めた態度の若者に自分が負ける筈は無いと思っている。
そこへ足元にも及ばないだの、邪魔だから退けなどと言われてしまえばやっつけない筈は無いではないか。
実際この武芸者の頭の中では大衆の前で見事にこけにされたという極めて自己的な怒りが充満していた。
「ぐっ・・・貴様!このワシを愚弄したな!犬の事はもとより、ワシを愚弄するなど許さんぞォォーーッ!」
やっぱりキレたか。
マクマン達一同はそう思いながら、事の行く末を見守った。
嘘!?ってな顔で浪人が驚いた。
武芸者は狼狽える浪人に急接近すると、振りかぶった杖を思い切り振り落とす。
ガツッ。
だがしかし寸での処で杖は浪人を掠めて地面を叩いていた。
浪人は一瞬身を翻したおかげで難を逃れたのである。
今度は浪人の番だ。
浪人は白い羽織を翻し、抜く手も見せぬ程の超高速居合い抜きで、武芸者を一刀のもとに斬り伏せた。
武芸者はひどく血を噴出させながら、天を仰ぐ様に仰け反り倒れた。
ピクンピクンと痙攣していたが、恐らくはもう助からない。
地面にジワッと紅い血が溢れた。
「だから、君程度じゃ無理だと言ったのに・・・忠告したのにわざわざ向かってくるなんて、このおっさん絶対どうかしてるね。はぁー、冷や汗かいたァ。」
浪人はとりあえず白い羽織、白い着物、白い足袋に返り血を浴びていないかを確認し、スタスタと歩みを進めた。
往来の者達は呆気に取られ凝固した。
浪人の超人的な動きと、犬を斬るという意味不明の行動。
白ずくめの格好に、極端に白い肌。
その総てが鮮烈な程のショックとインパクトを与えた。