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第三話 その3

「ある意味?」

 間髪入れずに香菜が訊き返す。

 亮介は、チラッと緋凰を見てから続けた。

「…緋凰の探し人は、俺だけじゃなく鳥羽家にとっても探しているひとなんだ。必ず、探し出さなければならない」

 確固たる口調で言ってから、ふと、亮介は微かに苦しげな顔をした。

「でも、それがなくても、俺は十七歳になったら陸上部は辞めなければならなかったんだ」

「どうして」

「それが兄さん――鳥羽家当主と陸上部に入るための約束だったからだ」

 三人は、目を丸くした。

 香菜は、考え方が古いという顔を隠せないでいる。優万も、そう思う。

 当主の考えに従わなくてはならないとか、友人にも家の事はみだりに話してはならないなど、百数年前の世のようだ。

 そんな優万たちの気持ちは、亮介にとってはよくある事のようで。亮介は微かに唇の端を歪めた。

「理解はしなくていい。多分、理解できないだろうし」

「…どうして、お兄さんは十七歳で辞めろなんていったんだ?」

「――本当なら」

 堀の質問に、ポツリと亮介が口を開く。

「…本国での成人――十八歳までは大丈夫だったんだ。でも、俺の時は特別だった」

 亮介は、緋凰をちらっと見る。皮肉げに笑う緋凰に黙って首を振る。

「特別って?」

 またもや、香菜が我慢できずに訊く。亮介は、香菜をじっと見つめた。

 思わず香菜が怯んでしまうような、強い目だった。横で見ていた優万はどきりとする。

「これ以上は、鳥羽家に関わる問題だ。訊かないでくれ」

「あ…、はい」

 亮介に呑まれて、香菜はおとなしくうなずくしかなった。

「とにかく、これでわかってもらえたか? 堀」

「……」

 まだ納得できていない、そんな顔をした堀に、亮介はしれっと訊く。しかし、堀にとっても、ここまで訊くのが限界だった。

 すでに、人様の家の事情に片足を突っ込んでいる。訊くなと言われてしまっては、納得できていなくても、黙るしかなかった。

 亮介は、能面のように無表情な顔をしている。じっとその顔を見つめている内に、優万は、その中に亮介の本心を見た気がした。

「…堀君。もう、訊かないであげようよ。鳥羽君も、陸上が嫌いで辞めたわけじゃないんだし。これ以上問いつめるのは可哀想」

「芹口…」

 堀が、驚いた顔をする。ある意味で一番知りたがっていた優万が、あっさりと引き下がるとは思わなかったのだ。

 優万は、更にうなずく。

「…わかった」

 堀は、「芹口が言うのなら仕方ない」と引き下がった。

 その様子に、亮介は目を見開いた。

 優万の言葉は、亮介の心情を理解している。それが、亮介にもわかった。

 しかし、だから腑に落ちない。どうして、これまで話した事もない優万に自分の気持ちがわかるのか。

 緋凰は、にっこりと優万に微笑みかけた。

「亮介は誰よりも優しいから、私のせいだとは言えないの。ありがとう。これ以上亮介を責めないでくれて」

「いえ…」

 優万は、小さく首を振る。

 亮介が優万の気持ちに気付かないのとは逆に、緋凰は全てを見通しているようだ。

 それが、優万を落ち着かなくさせる。緋凰の美貌を見ていると、まるで女神の前に裸でいるような頼りなさを覚えるのだ。

 ずずず、と出されたジュースを音を立てて啜った香菜が、唐突に口を開いた。

「あのさ、緋凰さんって、鳥羽とどういう関係なの?」

 改めて訊かれた二人は、咄嗟に答える事ができずに固まった。

 優万は、慌てて香菜をつつく。

「さっき親戚だって言ってたじゃん――」

「優っちゃん、そんなの本当に信じてるの?」

 優万は、詰まるしかなかった。

 優万だって、この二人の親密そうな会話や雰囲気を見ていれば、亮介が言っていた『緋凰は遠い親戚』という言葉がいかに疑わしいか気付く。

「緋凰さんって、一体何者? 遠い親戚なんていうわりには二人とも仲良さそうだし。孫なんて名字、どこにでもあるじゃん。本当の名字、なんて言うの?」

 香菜は、意外に鋭いところを突いている。

 しかし、香菜の疑問を聞いている内に、二人は表情を取り戻していた。

 亮介は、凛とした曇りない顔をし、緋凰は、聞き分けのない子供をたしなめるような苦笑を浮かべる。

「緋凰は、遠い親戚だ。緋凰の世話を、一番近い俺がしているだけだ」

「私の名字は、孫よ。皇帝と同じ」

「だから、それが嘘くさいって――」

 香菜が畳みかけようとするのを、緋凰がにっこり笑って封じ込める。

「ね。そういう野暮な事は訊かないでちょうだい。それで、私と友達になってくれると嬉しいわ」

「う…」

 花が咲くような笑みに、さすがに香菜もそれ以上の追及を諦めざるを得なかった。

「緋凰! 友達なんて――」

「駄目よ、亮介。それはあの人…絳四郎と同じ」

 亮介は、ハッとした顔をした後、唇を引き結んだ。苦いような、自嘲がつかの間浮かぶ。

 緋凰は、三人にいたずらっぽく片目を瞑ってみせる。

「過保護で困るわ。もうこどもじゃないのに」

 軽い雰囲気に後押しされて、優万はおそるおそる口を開いた。

「あの…絳四郎さんって、行方不明の彼氏さんですか?」

 緋凰は、優万の言葉に目を見開いたが、楽しそうに呟く。

「彼氏…。そう、彼氏ね」

 彼氏という蓬莱語がお気に召したらしい。

「どんな人なんですか?」

「……そうね。亮介によく似た、優しいひとだったわ」

 亮介は、緋凰の言葉に苦虫を噛み潰した顔をしている。

「緋凰。それ以上は――」

 またしても緋凰の言葉を遮ろうとする亮介に、緋凰は苦笑する。

「そんなところもそっくり。特に、私を束縛しようとするところとか…」

「ヒ・オ・ウ!!」

 亮介は、大きな声で叫んだ。緋凰はペロリと舌を出してみせたが、誰も笑う者はなかった。

 束縛という言葉に、優万も香菜もドン引きしていたのだ。

 束縛男など、今も昔も流行りはしない。そんな男とこの稀な美女の緋凰が付き合っていて、更には、その男が行方不明なんて。

「…あのー…、何でそんな人を探してるんですか…?」

「は?」

 優万は、更に恐る恐る質問をしたが、その言葉は意外にも亮介と緋凰にとっては突拍子もないものであったらしい。

 ふたりはポカンとした顔をした。優万は呆然とする。

「緋凰さんの彼氏って…その…緋凰さんを束縛、してたんでしょ? それがどんなものかわかんないですけど…そんなひどい人…緋凰さんを捨てた人を探してるのは、なんでですか?」

 優万の言葉を聞いてきたふたりがハッとした顔をする。

「…いろいろ誤解があるようね」

 緋凰が、ポツリと言ったが、何がどのように誤解なのかは言おうとはしない。ただ、哀しそうな顔をしていた。

「絳四郎…さんは、鳥羽の一族の人間だ。だから探している。俺の方はそれ以外にない」

 亮介は、きっぱりと言う。

 なるほど、それなら納得できる。

 しかし、それにしては亮介は機嫌が悪そうだし、緋凰は絳四郎の事を今でも想っているようだ。ふたりの表す感情は正反対で面白い。

 優万たち三人は、煙に巻かれてしまっていた。

「これでいいか?」

 説明はもう充分だろうと、決め付けるように訊いてくる亮介に、一応は訊きたい事は訊いてしまった優万たちは、うなずくしかなかった。

 日が翳ってきて、もう帰らなければならない。

「じゃ、長居したし、そろそろ帰るな」

 堀が、優万と香菜が黙ったのを見て、「もう質問がなくなったからだ」と考えて口にする。

 それを聞いて、亮介はあからさまにホッとした顔をし、天真爛漫な緋凰は外を見て呟いた。

「あら、もうこんな時間? お夕飯の用意を手伝わなきゃ」

「お手伝い? 緋凰さんが?」

 深窓の令嬢然した緋凰がそんな生活感溢れる発言をすると思わずに、間抜けな声を上げてしまった。

 緋凰はにっこり笑う。

「働かざるもの食うべからず。私は居候だもの。当然よ」

「居候って」

 亮介が反論しかけるのを、緋凰は制止する。

「あら、違う?」

「…いや、違わない…」

「――じゃ、送るわね」

 緋凰が立ち上がるのを見て、四人も慌てて立ち上がる。緋凰を先頭に、玄関へと向かう。

 広い廊下で、優万は、ようやく亮介と二人で話す事ができた。

「…あの、ごめんね? 押しかけちゃって」

「……」

 亮介は無言だ。やはり、良くは思っていなかったか、と優万は暗くなる。しかし、負けずに再び声をかける。

「で、でも、鳥羽君のお家って、本当にお金持ちだったんだね」

「は?」

 亮介は、目を丸くして優万の顔を見た。優万は驚く。

「――え、お金持ち、だよね? こんな大きな家に住んでるんだもん」

「家が大きいだけだ。金持ちなわけじゃない」

「そうなの? 家の中だって、すごく立派だし」

 優万は、周囲に目をやって言う。ちらりと見えた座敷の床の間の青磁の花瓶は、優万から見てもいかにも高価な骨董品だ。

 しかし、亮介にとっては大したものではないらしい。一瞥もくれなかった。

「家が古いから、そりゃ、年代物もあるが…それだけだ。高価なものばかり普段から使っているわけじゃない」

「…そうなんだ」

 優万は、まだ釈然としないながらもうなずいた。

「あんまり、話したくないかもしれないんだけどさ、訊いていい?」

 優万は、恐る恐る亮介を窺った。亮介は、優万の顔を見つめている。優万の言いたい事がわからないのだろう。

 亮介に見つめられて、優万はだんだん頬が熱くなるように感じた。必死に胸を落ち着かせる。

「どうやって、探すの? 絳四郎さんの事」

 瞬間、亮介の顔がはっきりと強張った。

 やはり触れてはいけない話題だったか、と優万は内心青くなったが、緋凰も亮介を振り返っていた。

「実は、私も聞きたかったの」

「亮介、あなたはどうやって絳四郎を探すつもりなの?」

 優万は、勢いよく緋凰を振り返った。

「えっ!? 緋凰さんも知らないんですか!?」

「そうよ。『何とかなる』の一点張りだもの」

 ねぇ、と緋凰は妙に意地悪そうに亮介を見た。亮介は、黙ったままだ。

「手掛かりないの?」

 優万が訊くと、亮介はなんとも言えないような顔をして緋凰を見た。

「――この辺りにある古い屋敷が怪しい。鳥羽家名義の屋敷だけでも相当数ある。一つ一つ探すのはさすがに骨だろう。…緋凰が何か思い出してくれるといいんだが」

 そう言って、今度は亮介が緋凰を振り返る。しかし、緋凰はしれっとしている。

「そんな大昔の事、忘れてしまったわ」

「この調子だ」

 亮介は、優万に少し笑いかけた。それだけで、優万の心臓の鼓動が跳ね上がる。

「だって、この辺りもすっかり変わってしまったんだもの」

「でも、緋凰だけが頼りなんだ」

「それは…そうかもしれないわね」

 二人のやり取りを見ながら、優万は、最大の勇気を振り絞って提案した。

「じゃあ…私もお手伝いするよ…!」

「は?」

「え?」

 ポカンとする二人に、優万は必死に言った。

「に、人数は、多い方がいいじゃない。それに、鳥羽絳四郎って人を探したらいいんでしょ? 聞き込みとかだったら、私でもお手伝いできるよ」

 それまで優万たちのやり取りを黙って聞いていた香菜が優万に向かってガッツポーズをしてみせる。

 優万自身、こんな事を申し出る勇気が自分にあった事が意外だった。

 亮介は、一瞬、緋凰と顔を見合わせた。

「…悪いけど…。他人を巻き込むわけにはいかない」

「だけど」

 言い募ろうとする優万を、やんわりと緋凰が押し留めた。

「気持ちはとても嬉しいわ。でも、私たちでなければ見つけられないの」

 緋凰の言葉は、優万を困惑させるものだった。

「見つけられないって、一体――」

「とにかく! これは俺たちの問題だ」

 これ以上口を突っ込まないでくれ。

 亮介にそう言われてしまうと、優万にはもう何も言えなかった。

「わかった…」

 渋々うなずくと、亮介はあからさまにホッとした顔をした。それが、優万の気に障る。

 確かに、他人の家の事情に首を突っ込んでいるのは、余計なお節介だろう。迷惑なのもわかる。

 しかし、こうまで極端に他人を排除しようとする意味があるのだろうか。

 秘密があると言っているものだ。

 香菜ではないが、秘密にされると暴きたくなってしまうのが人情。

 優万はすでに、秘密を探ろうと心に決めていた。

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