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第三話 その2

 それでも、大きな門の前まで来て、しばらく三人は戸惑ってしまった。

 門が大きすぎて、どこにインターホンがあるのかわからない。

「――…あら?」

 まごまごしているうちに、涼やかな声がかけられた。それから、聞き覚えのある声。

「…堀?」

 三人は、振り返る。

「鳥羽っ!?」

「あの時の美女!」

「鳥羽君?!」

 三人三様の声に、美女は苦笑し、亮介は困惑したように眉をしかめた。

「何で俺の家の前にいる?」

 まずは、その質問が投げられるだろう、と、誰よりも先に反応したのは堀だった。

「鳥羽に訊きたい事があって、それで探してた」

 その言葉に、亮介の顔が歪む。

「俺に? なにを?」

「陸部を辞めた事、忘れたとは言わせない。俺は、今も納得してないんだからな」

「でも、もう過ぎた事だ」

「そうだけど、俺は納得できないんだ! …鳥羽は、陸上が好きで好きでたまらなかったはずだ」

 堀が問い詰めている間中無表情だった亮介の顔が、最後の呟きで大きく歪んだ。その顔を見てしまった美女が、はっと息を呑む。

 優万も、その表情を見て狼狽えた。

 それは、亮介が初めてみせた後悔の表情だった。

「…もう、言うな」

 小さく、亮介が呟く。その声には、聞く者を黙らせる強い思いがこもっていた。

 しかし、堀が今更引くはずがない。

「いーや、言わせてもらう。お前は陸上を愛してたはずだ。俺にだってそれくらい、見ればわかる。でも、お前は陸上を辞めた。それもあっさり。…どうしてだ? お前にとって、陸上はそんなに軽いものだったのか!?」

「…それは」

 亮介は、言葉に詰まった。堀の言葉が堪えているのだろう。

 沈黙が降りた。

 ふと、美女が何かを決意したように顔をあげた。

「…それは、私のせいなの」

「違う!」

 亮介は、美女を振り返って叫んだ。

 美女は、小さく首を振る。それから、優万たちを微かな憂いを含んだ美貌を向けた。

 この美女は、一体何者なのだろう。

「こんな所で立ち話もご近所迷惑ね。…亮介。続きは中でしましょう」

「でも」

 渋る亮介に、美女は爽やかな笑みを浮かべてみせる。

「せっかく来てくれたお友達を無下にするものではないわ。それに、亮介も私も、この人たちに説明する必要があるはずよ」

「友達じゃ…」

 亮介は反論しかけて、美女の強い視線に言葉を呑み込んだ。

 逆らえないらしい。

 珍しい光景に、三人は唖然とした。ますますこの美女が何者なのか気になってくる。

 結局、亮介が折れて、門の脇についていた扉を開けた。まず、美女を家に入れてから、三人を振り返る。

 また、亮介は無表情に戻っていた。

「入れ。特別だからな。ヒオウが入れろって言わなかったら、絶対に入れなかった」

「あの人、ヒオウって言うんだ」

 香菜が感心したように言うと、亮介は、はっとした顔をした。教えなくても良い事を口にしてしまったと言わんばかりだ。

 優万は、さっきからの亮介と美女のやり取りが頭から離れなかった。

 仲の良さそうな二人。それに、二人は互いの事を名前で呼びあっている。

 亮介は、大きく息を吐いて、気を取り直したように続けた。

「とにかく、説明できる範囲で説明する。入れ」

 亮介が家の中に入るように更に促す。三人は、それぞれ複雑な思いを抱えて鳥羽家に入った。

 屋敷の敷地内は、外見からの予想を裏切らない武家屋敷だった。しかし、それは見た目だけで、玄関に一歩入れば、中は、至って現代的なフローリングの廊下だった。

「恵子さん、いるか?」

 玄関で靴を脱ぎながら、亮介は誰かを呼ぶ。

 しばらくして出てきたのは、四十くらいの上品な着物姿の女性だった。亮介を見るなり、にこにこと笑みを見せる。

「ヒオウ様、ぼっちゃま、お帰りなさいまし」

「ただいま、恵子さん」

「ただいま」

 亮介にしては丁寧に返事をして、三人を振り返る。

「客だ」

 恵子と呼ばれた女性は、三人を見て更に満面の笑みを浮かべた。見ているこちらが驚くような嬉しそうな笑顔だ。

「まぁ、珍しい。ぼっちゃまのお友達ですか。それはまぁ」

「友達じゃ…」

 改めて反論しようとした亮介だったが、また美女に口を挟まれる。

「そうなのよ、恵子さん。珍しいでしょう? 夏休みだから、遊びに来てくれたらしいの」

「だから友達じゃ――」

「亮介。そんな言い方失礼でしょう。せっかく暑い中会いに来てくれたのに」

「……」

 重ねて美女にたしなめられ、亮介はむすっと拗ねたように黙った。

 三人は唖然とするばかりだ。

 家に恵子と言う家政婦がいるのもびっくりだが、亮介が『おぼっちゃま』なんて。おまけに、無愛想な亮介のこんなに豊かな表情を拝めるとは。

 恵子は、にこにこと三人を招き入れた。

「お上がり下さいまし。後でお部屋にお飲み物をお持ちしますね」

「いや。俺の部屋じゃなくて、南の座敷に持ってきてくれるか」

「あら、お友達なのにお部屋にお通しなさらないんですか?」

 意外そうな顔をする恵子に、亮介はまた文句を言いそうになったらしく、一瞬口を開いたが、すぐにため息を吐いた。

 文句を言ってもまたたしなめられるだけだと気付いたのだろう。

「話があるんだ。だから、南の座敷を使う。今は誰も使っていないだろう?」

「えぇ。では、すぐにお持ちしますね」

 亮介の気持ちなどまるでわからずに、恵子はあっさり言って下がった。

「じゃあ、どうぞ」

 美女がにっこり笑って三人に上がるように促す。その物慣れた様子に、三人は顔を見合わせる。

 玄関を上がってすぐにある畳の間に、三人は通された。軽く十六畳はあるだろう。亮介の言っていた南の座敷とは、ここの事らしい。

 座敷の真ん中にあった長方形の木の卓に座る。東側に亮介と美女、西側に優万たち三人だ。

 卓に座ると同時に、西側の障子が開いて恵子がお盆を片手に入ってくる。冷えたオレンジジュースとクッキーの類だ。それぞれの前にジュースを置き、最後にクッキーを卓の真ん中に置いてにっこり笑う。

「ここのクッキー、美味しいんですよ。是非食べてくださいね」

「あ、ありがとうございます」

 それぞれ頭を下げる三人を、恵子はお盆を胸に抱えてながら見つめる。しかし、亮介が咳払いをして、はっと我に返った。

「では、ごゆっくり」

 とん、と小意気味良く障子が閉まり、座敷には五人だけになった。

「――さて、と」

 一口ジュースを飲んで口火を切ったのは、香菜だった。

 ぐるりと四人を見回す。

「私は鳥羽の問題とは無関係だから、私が話を進めるね。良い?」

「あぁ」

 亮介は、優万を見て一瞬不思議そうな顔をした後、うなずいた。

 優万は、わからないように香菜をにらんでいた。

 亮介は、今の香菜の言葉に、どうして一番無関係なはずの優万がいるのかを不思議に思ったに違いない。香菜は堀の彼女だ。この中で、本当に無関係なのは、香菜ではなく優万なのだ。

 しかし、それを今指摘すればやぶ蛇になる。

「まず…紹介してくれない? この人はだれ?」

 香菜は、美女を見ながら訊いた。

「私は――」

「俺の口から言います」

 自分から名乗ろうとした美女を制す。亮介は、一片の迷いもなく言った。

「このひとは孫緋凰(そんひおう)。俺の遠い親戚だ」

 亮介の言葉を額面通り受け取っていいものかわからない。

「親戚?」

「そう。…本土の方の」

「じゃ、中国人なんだ」

 今時蓬莱にいる中国人なんて、蓬莱人と半々だ。珍しくもなんともない。

 緋凰はにっこりと笑う。

「人を探しているの」

 そう言った時に、緋凰の顔が(つや)っぽい憂い顔になったのに、優万と香菜はいち早く気付いた。

 いや、それは女の勘と呼ぶに相応しいものかもしれない。

 二人は、目線をちらっと交差させた。

「それって…」

「探してるのって、これですか?」

 香菜が、くいっと親指を立ててみせた。

 亮介がハッと顔色を変えるが、訊かれた当の緋凰はポカンとした顔をしていた。

「これって、なあに?」

「いや、何って…」

 少し抜けた様子に、香菜は完全に毒気を抜かれたらしい。

 優万が代わって答える。

「彼氏って事です。緋凰さん、彼氏を探してるんですか?」

「彼氏?」

 またしても、緋凰は不思議そうな顔をする。それから、答えを求めるように亮介に顔を向ける。

 亮介は、苦り切った顔をしていた。

「彼氏は、恋人の事です。…二人とも、勝手な推測は止めてくれ。緋凰の彼氏なんかじゃないんだから」

 緋凰の無言の質問に答えて、亮介は優万と香菜に向き直る。

 しかし、緋凰はあっけらかんと言った。

「あら、二人の推測は正しいわよ。…あの人は、私を愛していたし、私も…あの人を愛しているわ」

 そう言った緋凰の瞳は、なぜか遠かった。

「緋凰――」

 亮介が固い声で言う。緋凰は、黙ってその瞳を見つめていたが、チラッと三人を振り返って唇を歪めた。

「嘘を吐くなんてできないわ。本当の事じゃない」

「……」

 亮介も、三人を振り返って黙った。

 どうやら、これ以上は三人に触れられたくない事らしい。

「その人が…行方不明なんですか?」

 優万は、恐る恐る尋ねた。

 その問いに、亮介も緋凰も顔を曇らせた。

「そう…。わからないの。わからなくなってしまった…」

「この街にいる事は確かなんだ。鳥羽家所領の邸のどこかに…。それが、どの邸なのかわからないし、もしかしたら、外に出てるかもしれない。早く探さないと…」

「亮介」

 半ば独り言のように、亮介は呟く。それを制したのは、今度は緋凰だった。

 ハッと、亮介は口を閉じる。

「その人って、鳥羽の親戚なの?」

秘密の匂いを嗅いだ香菜は、興味津々だ。

「……」

 亮介は、香菜が知りたくてうずうずしているのに気付きながら、口をつぐんだ。

「――なによぉ。いいじゃん。話してくれたんだから、全部教えてよ」

 痺れを切らした香菜は、唇を尖らせて拗ねたように言った。複雑な状況を読んだ堀が隣から名を読んで止めようとするが、それくらいで止めるような香菜ではない。

「鳥羽ってば!」

「……ごめんなさいね。これ以上話すと、私も亮介も怒られてしまうわ」

 見かねて緋凰が口を開く。そう言われてしまうと、香菜も無理強いできなくってしまった。

「…仕方ないわねぇ」

「家に関わりある事は、話せないんだ。変だと思うかもしれないが、それが三千年以上続いている鳥羽家のしきたりなんだよ」

 亮介も隣から説明する。緋凰には、申し訳ないという表情があったが、亮介は相変わらず無表情だった。しかし、緋凰ほどしきたりの事を不快には感じていないようだった。

「変なの。そんなに家が大事なわけ?」

 秘密を探り当てる事ができなかった香菜は、口が悪くなっている。

「香菜ちゃん! 今のはさすがに言い過ぎ」

 見かねて、優万は口を挟んだ。亮介の前で緊張している自分より、香菜や堀が話を訊いた方がずっと話が早く進むと思ったので、これまで黙っていたのだが、香菜の見下すような物言いには堪らなくなった。

 優万の強い声に、香菜はハッとしたようだった。無自覚だったらしい。

「ごめんなさい。言い過ぎた」

 素直に頭を下げた香菜の謝罪を、亮介も緋凰も受け入れる。

「…良いのよ。私も、今の時代には古いしきたりだと思うから」

「でも、必要なんだ」

 亮介は、きっぱりと断言した。そう断言するには、根拠があっての事に違いない。亮介は、古いしきたりを是としているようだった。

「…さて、私の事が聞きたかったわけではないのでしょう? 話が脱線してしまったわね」

 沈黙が降りたのを良い事に、緋凰は話題を変えた。しかし、緋凰の事を聞きたかった優万たちは、目的をほぼ達しているとも言えた。

「じゃ…話を戻す」

 堀が、口をひらく。亮介は、どこまで話が戻るのか察しがついて、不機嫌そうに目を細めた。

「――俺は、鳥羽が陸部を辞めた理由を知りたいんだ。さっき、緋凰さんは、それは『自分のせい』だと言った。まず、それから訊きたい。それは本当の事なのか?」

「…ある意味では本当だ」 亮介は、ポツリと呟いた。

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