第二話 その3
「そう。これから」
「う〜ん。堀くんから話聞いたら、まっすぐ帰るつもりだけど」
「はぁっ!?」
香菜は、優万のとぼけた発言に呆れて大きな声を上げた。
「もう、ちょっと。しっかりしてよ。勝手にショック受けてたって、何にも変わらないんだから」
「えっ…、あぁ、うん」
優万は、ようやく香菜の質問の意味がわかってうなずいた。実は、本当に何も考えずに答えただけだったが、それを言えば今度は天然ボケと言われるだけだ。それがわかっているので、優万はこれ以上弁解しなかった。
「…どうするって言っても…どうしよう?」
香菜は、待ってましたとばかりに瞳を輝かせた。
「まずは、あの美人の正体を探るのが先決よ」
優万は、うん、とうなずいたが、すぐに首をかしげた。
「でも、どうやって?」
その疑問に、香菜は堀に顔を向ける。
「堀、さっき、鳥羽の家は知らないって言ってたよね? じゃ、知ってる人っていないの?」
自分にはもう関係ない話だと、コーラを飲みながらぼんやり話を聞いていた堀は、急に話を振られて目を丸くした。
「へ? 鳥羽の家?」
「そう」
「…そうだなぁ。誰だろう? そもそもいるのかなぁ。鳥羽、秘密主義だから」
優万は、それを聞いてますます興味をそそられる。
おそらく、一番近しいと思われる堀でさえ知らないのだ。知っている者などいるのだろうか。
「でも、学校の近くだったと思うよ。鳥ヶ丘の辺りだって聞いた事ある」
「鳥ヶ丘っていったら、大学の裏手にある一等地じゃない?」
香菜が、記憶を辿りながら言うのに、堀はうなずいた。
「そうそう」
「鳥羽くんの家って、お金持ちなんだったよね」
優万の言葉にも、堀はうなずく。
「確かな。詳しくは知らないけど」
香菜は、確信したように一人うなずいている。
「鳥ヶ丘だったら、すぐそこじゃない。優っちゃん家からもそんなに遠くないでしょ」
「そうだね」
「しばらくさ、張ってみようよ」
とんでもない事を、香菜は言い始めた。優万は、何の事かわからずにしばらくぽかんとしたが、意味がわかった途端、香菜の顔を凝視してしまった。
「香菜ちゃん、本気?」
「本気本気。だって、そうでもしなきゃ鳥羽の秘密には辿り着けないじゃん」
笑っている香菜の目の奥は、笑っていなかった。優万は、意外にも香菜が真剣な事に驚く。
「香菜ちゃんって、そんなに鳥羽くんに興味あったっけ?」
何気ない疑問に、堀が妙な顔をする。香菜は、堀の表情を見てちょっと慌てたが、すぐに答えた。
「別に。ただ、あんまり隠されると、探りたくなっちゃうだけ」
あぁ、と香菜の性格を嫌と言うほど知っている優万は納得した。
自分の知りたい事は、どんな事をしてでも知りたい。隠されれば隠されるほどに知りたくなる。香菜の前で、秘密は厳禁だった。
「でも、優万だって、知りたくて知りたくて堪らないくせに」
まぁね、と優万は苦笑するしかなかった。
当然の乙女心だ。
もう、優万はためらわないと決めた。傷つこうがなんだろうが、亮介の事を少しでも知りたい。
それに、亮介自身が謎に満ちている。正直、気持ちがなかったとしても、香菜と同じく知りたくなっていただろう。
「でも、張るって、どこで?」
驚いただけで、実際のところ、優万も乗り気だった。香菜に聞けば、彼女はにやっと笑った。
「大学の正門はどう? あそこなら、鳥ヶ丘に入る一番の通り道だし」
「そっか。あの人、大学生っぽかったもんね。中国からの留学生かも」
ようやく思考し始めた優万が、納得して答える。香菜はうなずいた。
「そうそう。優っちゃんも考えてるじゃない」
「もちろん。ボケーっとしてたって真実は掴めない、でしょ」
優万と香菜は笑い合う。
一方、堀は、二人の間で決まった話に入り込めなくて、焦っていた。
「なに? 二人とも、本当に鳥羽の事調べるつもりなのか?」
「うん」
優万と香菜は揃ってうなずいた。堀は、一瞬ぽかんとしたが、すぐに立ち直った。
「俺もやる!」
「え…」
「堀くんには関係ないよ?」
優万の言葉に、堀は詰まったが、香菜の顔をキッと見つめる。香菜は、怯んだ。
「そんなの、大倉にだって関係ないだろ」
「わ、私は良いの。だって、鳥羽の正体には興味をそそられるもん。それに、優っちゃんが変な男に引っ掛からないか、見張ってないと心配」
少し言い訳めいて聞こえるのは、気のせいではない。実際に、香菜が亮介に興味を持ったのは事実だろう。しかし、だからと言って、堀が心配する必要は全くないにと、優万はおかしく思う。香菜がどれだけ堀が好きというのはよく知っている。
「もう、香菜ちゃん。私、そんなに子供じゃないよ」
優万は、膨れてみせる。
「でも、一人じゃ不安でしょ」
香菜に図星を指されて、優万はうなずくしかなかった。
見抜かれている。
「だったら、俺だって一緒にやるよ。俺だって、鳥羽が陸部辞めた理由は気になるし」
堀も横から口を挟む。そこまで言われては、もう優万は何も言えなかった。
「ありがとう」
「じゃ、三人ね。時間は、今くらいが良いのかなって思うんだけど」
香菜が、テキパキと決めていく。二人に否やはなかった。
「それで良いんじゃない? 現に、今日鳥羽を見つけたわけだし」
ぐいっとグラスを飲み干して、堀が賛成する。
「じゃ、また明日この時間に、だね」
三人は、明日の約束をして別れた。
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優万の家は、高校から歩いて二十分の所にある。
学園全体から見ると、一番西の中等部に近い。しかし、高等部は北東にある。高等部に行くだけなら学園内の道を突っ切って行くのでそれほど遠いとは感じないのだが、学園の中を通らなかったら、ぐるりと遠回りをしなければならないので少し遠い。
アパートの前にある公園で小学生が遊んでいるのを横目で見ながら、優万はアパートの階段を二階まで上る。
「ただいまー」
優万は鍵を掛けてから声をかけた。台所から、母が返事をしてくる。それを聞いて、優万は自分の部屋に行った。
「今日、ちょっと遅かったんじゃない?」
着替えてから、台所に向かうと、母が夕飯の用意をしながら声をかけてきた。
優万は、冷蔵庫を開けて冷えた麦茶を飲みながら答える。
「そう? 香菜ちゃんと話し込んでたからかな。あ、明日からちょっと遅くなるかも」
「なに? 部活?」
母の何気ない問いにぎくりとしながらも、優万は努めて何でもない風を装って答える。
「それもあるけど。香菜ちゃんと部活終わってから一緒に勉強するの」
「あら、本当?」
母の反応に、優万はまたぎくりとする。
「ほんとだよ。早目に課題終わらせたいもん。だったら、一緒にやった方が早いじゃん」
「そんな事言って、一緒にいたら結局はかどらないんじゃないの?」
鋭い母の指摘に、優万はムキになる。
「そんな事ないもん」
「そう? それなら良いんだけど」
反論してから気付く。
これで、夏休みの課題が終わっていかなかったら、確実に疑われる。帰りが遅くなる上に、課題もハイペースで進めなくては。
墓穴を掘ってしまったかもしれない。
悔やんでも、もう遅い。
優万は、これからの夏休みを考えて、心の中で大きなため息を吐いた。
「今日のご飯なに?」
切り替えて、優万は母の手元を覗く。
「またそうめんなのぉ?」
手抜きも甚だしい、と憤慨して言った優万を、母はねめつけた。
「ご飯が食べられるだけありがたいと思いなさい」
「はぁい」
適当に返事をして器を取りに行く優万に、母が今思い出したと言うように声をかけた。
「あ、そうだ。遅くなるんなら、道に気をつけなさいよ」
「えっ、何で?」
これまで遅くなる事があっても何も言わなかった母だけに、優万は不思議そうに聞き返した。母は、存外真剣な目をしていた。
「買い物に行った時にちょっと小耳に挟んでね。変質者が出てるみたいなのよ」
「ここら辺で?」
「ううん。でも、優万の高校の近くの…あぁ、ナントカってファミレスあったじゃない? その辺って。優万、あなたの行動範囲内なんだから、気をつけなさいよ」
「はーい」
返事をしながら、優万は一瞬、亮介の事を思い浮かべて首を振った。
「どうしたの?」
「何でもない」
馬鹿らしい。どうして、変質者、高校の近くのファミレスで亮介の事が浮かぶんだろう。何にも関係がないはずなのに。
でも。
優万は、夕飯の準備の間中、その事ばかりを考えていた。