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第二話 その1

 亮介が陸上部を突然辞めたというニュースは、大々的ではないながらも確実に周囲に広がっていた。

 話の出所は、大半は堀と揉めているのを目撃した合唱部と陸上部だった。勿論、今は夏休みだから、授業がある時ほど話が広がっている訳ではない。しかし、それでも確実に広がっていく。

 それほど、亮介は知られた存在だったのだ。

 陸上部の鳥羽亮介と言えば、入部してからこの方、ずっとインターハイの常連だったのだ。そんな人間が突然陸上部を辞めるとなれば、ある意味、学園全体の問題とも言えた。

 なのに、騒いでいるのは生徒だけだ。教師も、学園側も、亮介が陸上部を辞めるのを止めもしなかったという。

『顧問は納得してくれた』

 亮介が何気なく言った言葉はおそらく真実だ。優万は、それが何よりも納得できない。

 どうして誰も彼も亮介が陸上部を勝手に辞めるのを許しているんだろう。

「優っちゃん、厳しい顔しすぎ。こわーい」

 グラウンドを何とはなしに見つめていた優万に、香菜が笑いながら声をかけた。優万は、香菜の方を向く。

「そんな怖い顔してた?」

 自覚していない優万の発言に、香菜はわざとらしく大きなため息を吐いてみせた。

「そりゃあもう。グラウンドを睨み付けたって、鳥羽は帰ってこないよ」

「睨んでない」

「睨んでたよー! まぁ、気持ちはわかるけどね。愛しの鳥羽の姿をこっそり見つめる事がもうできないんだもん」

 香菜がからかうように言うので、優万はじろりとねめつけた。

「香菜ちゃん、傷心のわたしを慰めるとかないわけ」

 言うと、香菜はにっと笑ってみせた。

「だって、振られたわけじゃないじゃん。たかが部活辞めただけでしょ。確かに、鳥羽は陸上部のエースだったけど、どっか行っちゃうわけでもないじゃん」

 それから、香菜はいらずらっぽく優万を見つめた。

「あ、それともなに? わたしに構って欲しかったの? 優っちゃんったら寂しがり屋さん」

「ちがーう!」

 優万は即座に抗議する。それから、堪えきれずに笑い出す。それを見て、香菜も少し安心したように笑い出した。

 くすくすと小さな笑い声が窓から外に流れていく。

 今日も暑い。じっとしていると、うっすら汗が吹き出してくる。

 優万と香菜は、部活の昼休みを教室で取っていた。音楽室は今日は冷房が効いて快適なのだが、何せ皆が音楽室で思い思いに休憩を取るにはスペースがない。

 暑いが、教室が一番気兼ねなくおしゃべりができて楽な場所ではあった。

 優万は、窓の外のグラウンドを見下ろしながら呟く。

「あーあ、わたし、これから何を支えに生きてけば良いの」

「大袈裟だなぁ」

 苦笑しながら、香菜はお弁当の最後の一口を食べる。

「だってー、わたし、鳥羽くんが走ってるの見れるだけで満足だったんだもん」

 優万は、食べ終わって蓋をした弁当箱をコツコツと指で叩く。

 前は、学校に来て陸上部が部活さえしていれば亮介の姿を見る事ができたというのに、亮介が辞めてからはもう何日も姿を見る事ができないでいる。まして、今が夏休みなら尚更だ。優万のストレスは相当溜まっていた。

 香菜は、そんな優万に呆れたようだった。

「そんな事言ったって、鳥羽が陸部辞めたってのは紛れもない事実なんだから。今さらあーたこーだ言っても仕方ないじゃん」

「それはそうなんだけどさ…」

 優万は、唇を尖らせる。

 香菜は、しばらく優万の顔を見つめていたが、不意にニヤッと意地の悪い笑みを浮かべた。その香菜の顔を見て、優万は思わず仰け反った。

 嫌な予感がする。

「…優っちゃーん。鳥羽には毎日会えなくなっちゃったって事はぁ、神様からのお告げだって」

「お、お告げ?」

 気味の悪い香菜の言い方に、優万はへっぴり腰になりながら訊き返す。

 香菜は、にっこりと微笑んだ。

「そう。お告げ」

 優万の目をしっかり見つめる瞳は、思っていたよりも真剣だった。優万は、引き込まれる。

「優万に、見てるだけじゃなくって、もっと行動しろって言ってるのよ」

「えぇ?」

 優万は、信じられずに間抜けな声を上げていた。

「そんなのできないよ」

「それじゃあ、諦めるわけ? 」

「それは嫌! だけどさ…」

 香菜の意地悪い問いかけには即答したが、優万は情けなく俯く。

 このままじゃ駄目なのはわかっている。けれど、何をどうすれば良いのかわからない。今の自分に何ができるかもよくわからなかった。

 そう思って、改めて気付いた。

 自分は、亮介の事を何も知らない。彼の走る姿に夢中すぎて、基本的なプロフィールすらもちゃんと知らなかったのだ。

「香菜ちゃん、わたしさ…」

 さっきまでとは違う優万の顔付きに、香菜は、なに、と訊いた。

「鳥羽くんの事、もっとちゃんと知りたい。これまで、あんまり知りたいと思わなかったけど、やっぱり…」

 このまま何も知らないままじゃ駄目な気がする。

 そう言うと、香菜は目を見開いた後、微笑んだ。

「そうよ、このままじゃダメ。…ってか、優万ちゃん、鳥羽の事何にも知らないで好きになっちゃってたの?」

 改めて香菜に訊かれて、優万はちょっと頬を赤くした。

 これまで疑問にも思っていなかった事だったが、人にそう突っ込まれると恥ずかしい。

「…そうなの…。悪い?」

 優万が上目遣いで恨めしそうに言うと、香菜は慌ててぶんぶん首を振った。

「悪くない、悪くない。…でも、優万らしい」

「なにそれ、抜けてるって言いたいの?」

 拗ねて優万が言うと、香菜は弁当箱を片付けながら答える。

「優っちゃんは中身をちゃんと見てるのね、ってこと」

 はぐらかされたような気がしないでもないが、香菜は至って真面目だったので、本気かもしれない。優万は、ここまでにして話題を元に戻す。

「まぁいいや。…鳥羽くんの事って、どうやって調べたら良いんだろう?」

 考え込んだ優万に、香菜はあっけらかんと答えた。「とりあえず、手始めに堀から話を聞いてみる?」

「え…?」

 優万は、ぽかんとした。

 香菜は、にっこり笑う。

「鳥羽が陸部辞めた理由が知りたいんでしょ?」

「う、うん」

「それもまた、『知る』って事よ」

「確かに…」

 香菜は、目から鱗が落ちたような顔をしている優万に笑いかけて、時計に目を向けた。

「ついでに鳥羽のプロフィールも手に入れちゃいましょ。…さ、時間だし、音楽室に戻ろっか」

 時計は、十三時五分前を指している。午後の練習は十三時からだ。優万も、席を片付けて教室を出た。

 ふと、香菜を見れば、携帯電話でメールを打っている。堀に、亮介の事で話を聞きたいと早速アポを取っているのだろう。なかなか行動が早い。

 ありがたいと思いながら、優万の心は亮介の事へと飛んでいた。

 今、亮介は何をしているのだろう。何を考えているのだろう。




 合唱部の練習が終わったのは、三時だった。本番が近くなればもう少し長く練習をするが、まだ本番まで間がある。

 優万は、ぐったりしていた。

「午後から不調だったね」

 香菜が、慰めるように声をかけてくる。

 午後からの練習で、優万は注意散漫で全然なっていなかったのだ。女声高音(ソプラノ)のリーダーには何度も注意され、集中しようとして音を何度も外してしまった。

 それより堪えたのは、周りの冷たい目だった。部員は皆気の良い人間ばかりだが、今日の優万は、やろうとすればするほど空回ってしまうのが、周囲から見れば、やる気のないように見えたのだろう。

 合唱への熱意は人一倍な人間が集まっているから、今日の優万は許せなかったに違いない。事情を知っている香菜以外の冷たい目に曝され、優万は心身共に疲れていた。

「だいじょーぶ?」

「だ、大丈夫…。注意散漫だったわたしが悪いんだし」

 優万は、がっくりと落とした肩もそのままに、香菜にひらひらと手を降ってみせた。

 香菜は、ふう、と息を吐いた。

「なら良いんだけど。でも、大分疲れてるように見えるよ? 堀と会うの明日にしようか?」

「大丈夫! てか、明日にしないで〜! 決意固めといてこのままなんて生殺しだから」

 すがり付くように言う優万に、あはは、冗談、と笑ってからグラウンドに降りる階段をたたたっと降りる。

 明鳳学園の高等部は学園の中でも高台にあるから、校舎がグラウンドよりも少し高い場所にある。そのため、グラウンドに行くには、短い階段があるのだ。

 陸上部は、まだ練習をしていたが、グラウンドに降りてきた香菜たちに気付いた一人が顔を上げた。

「香菜ちゃん、今帰り?」

 気安く声をかけてくるのは、おそらく先輩だ。香菜は、にこっと笑った。

「はい。終わるまで見学してて良いですか?」

「良いよ良いよ。香菜ちゃんなら大歓迎。――堀! 彼女来てるぞ!!」

 先輩は親しげに笑ってから、大きな声で堀を呼んだ。砂場で砂をならしていた堀が顔を上げて香菜を認めた。

「あれっ、合唱部もう終わった?」

 駆けてきてかけられた言葉に、香菜が答える。

「うん。今日は早い日だし」

「そうなんだ…。まだ練習あるんだよなぁ、待てる?」

 堀は、優万の方を見てから訊く。優万は、うなずいた。

「大丈夫。そこら辺で見学させてもらうし」

「じゃ良かった。退屈かもしれないけど」

「そんな事ないよ」

 その言葉を聞いて、香菜がにやりとする。

「またまたぁ、心にもない事を。鳥羽がいない陸上部、優万にとってはつまんないだけじゃないの?」

「香菜ちゃん!」

 流石に堀の他の部員がいる前で言う言葉ではないだろうと名を強く呼んで咎めたが、先輩はあっけらかんとしたものだった。

「あ、鳥羽のファン? そう言う事かー。だから、堀に話聞きたいって?」

「そういう事なんです」

 香菜は、にっと微笑んだ。優万はついていけない。

「先輩は何か知ってますか?」

 香菜が訊くのに、先輩は大きく首を振った。

「いや。急に『辞める』ってそれっきり音沙汰なし。もぉさーっぱり訳わかんないよ」

 肩をすくめてみせる先輩に、優万は沈む。同じ陸上部でも、知らないようだ。

「理由とかもわかんないんですか?」

 堪らず口を挟んだ優万に顔を向けて、先輩は申し訳なさそうな顔をした。

「無口なヤツだからなぁ…」

 それは、暗にわからないと言っているに等しい言葉だった。優万は、「そうですか」とうなずくしかなかった。

「多分、そこら辺は、やっぱり堀が一番詳しいと思うぜ」

「わかりました。…じゃ、練習の邪魔してしまってすみません。わたし達、邪魔にならないようにしてますので。行こ、優っちゃん」

「うん。お邪魔しました」

 優万もうなずき、すっと二人はグラウンドの隅まで退いた。ポツンと据えられたベンチにカバンを下ろして、腰掛ける。

「上手くいきそうね。後は、堀の話次第、ってとこかな」

「そうだね。詳しく知ってれば良いんだけど」

 ベンチは、上手い具合に木陰になっていて、風が吹けばそれなりに涼しい。

 優万は、久々にみる陸上部の練習風景に、違和感を覚えていた。

 何も変わらない。そのはずなのに、妙に何かが足りない気がするのだ。

 その足りない者が、亮介である事に、一瞬遅れて気付く。無意識に、亮介の姿を探してしまっていた自分にも気付く。

 そう言えば、亮介が辞めてから陸上部の練習を見学するのも久しぶりだった。

「じゃ、今のうちに推理しとく?」

 香菜がにっと口の端を吊り上げて優万の顔をのぞき込んできた。優万は、首をかしげる。

「推理? 何を?」

 香菜は、呆れたように大袈裟に息を吐いた。

「もう、優っちゃんはそこが駄目なのよ。考えなきゃ」

「考える?」

「そう。確かに、誰かに話を聞くのは大事。だけど、自分でも何が原因なのか考えてみなきゃ。いつも鳥羽を見てた優っちゃんなら、案外堀にも誰にもわかんない事に気付くかもよ」

 香菜はそう説明して、いまだにぽかんとしている優万に訊いた。

「ずばり、優っちゃんは、鳥羽が陸上部を辞めた原因って何だと思ってる?」

 考えろとは、その事か。

 優万は、ようやく納得したが、香菜の問い事態には首を振る。

「そんなのわかんないよ」

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