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踏切の赤いランプに照らされた、彼の整った横顔を見ながら、昨日の出来事を思い出していた。自然にため息がこぼれる。
相当な力で引っ叩いてしまったらしく、タナベ君の左のほっぺの手の跡は、まだ完全に消えていなかった。うっすらとした赤い指の輪郭線が浮いている。
すでに日が暮れていたから薄暗い路地では見えないものの、駅前は煌々と明かりがともっているため、かくしようがない。好奇の視線を浴びるのは、避けられないだろう。
なのに、タナベ君はちっとも怒らなかった。取材をさせてくれと頼みこむのに一生懸命で。恥も外聞もないといった感じで、わたしに頭を下げたのだ。
今まで、わたしの周りには、タナベ君みたいな人いなかった。恥をかいても、カッコわるくても、自分の夢のためなら妥協しない不思議な人。
――小説を書くことって、なんなの? なんで、そんな思いをしてまで書きたいの?
「わたしには、わかんないな……」
ポツンとつぶやいたひと言が、彼の耳にまで届いたらしい。
「んあっ、なんか言った?」
と、彼が大声で話しかけてきた。
「ううん、なんでもなあい!」
高く鳴り響く踏切の音にかき消されないように、こちらも大きな声を出して答えた。
電車の音が大きくなってきて、右手の方から強い風が吹いてきた。風により髪がグチャグチャになってしまわないよう、両手を頭の横に置いて備える。
――え?
すると、明らかに風の流れとは異なる、わずかな空気の動きを感じた。タナベ君がスイッとわたしの前に移動してきたのだ。
と、同時に、電車がゴオーッと音をたてて目の前を通り過ぎていった。特急だったのか、凄まじいスピードだったため、一陣の風が容赦なく吹き荒れたけれど。わたしのところまでは届かなかった。髪の先やトップスの裾が、フワフワとかすかに揺れただけだ。
――タナベ君……。
どうしよう、胸がドキドキしてきた。三日前とは違う種類のドキドキだ。どうしたんだろう、わたし。
夕方の帰宅ラッシュのために、踏切は混雑していた。当然わたしと彼の距離も近い。もう少しで鼻先が彼の背中をかすめてしまいそうで。
思わず、わたしはうつむいた。
下を向いたら、顎の長さで切りそろえたストレートの髪の先が、サワサワと頬に触れた。触れた部分がくすぐったくて落ち着かない。
ああ、そうだ。きっと、風のせいだ。風が彼の熱と匂いを運んでくるから。だから、いつもは気にならないところが気になるんだ。
ムギュッと鼻をつまんで、息を止めてみる。
すると、タナベ君が振り向いて覗き込んできた。不思議そうな顔をして首をかしげる。
「ナカガイチさん、どうかしたの? 思いっきり、変顔しちゃってさ。踏切を越えたら、どっちに行けばイイの? ファミレスの場所教えてよ」
「フガッ……あ! うん。左、左だよ!」
――げっ。変なところ見られちゃった。
鼻をつまんでいた指をハズして前を向いたら、ゾロゾロと人の波が動くところだった。いつのまにか電車が去り、踏切の音も止んでいた。遮断機が上がり、前方にいる人たちが踏切を渡っていく。
「ナカガイチさんと食事が出来るなんて思わなかったなあ。ダメ元で誘ってみてよかったよ」
変顔のことは、なかったことにしてくれたみたい。何事もなかったかのように、タナベ君はニコニコと嬉しそうに言った。
「の、ノートだけでゴマかそうとしたって甘いっつーの。割に合わないんだもん。それぐらい、部屋を見せるの恥ずかしかったんだから! ちゃんとご馳走してよねっ」
目前にいるサラリーマンらしき男性が歩き出したのを見て、わたしは足を踏み出した。二、三歩遅れてタナベ君も後からついてくる。
「おかげでビター女子について、少しだけわかった気がする」
「あ、そうですか。たったの四分間の取材で、ビター女子の何がわかったって言うのよ」
はたから見たら、カップルのちょっとした言い争いに見えるかもしれない。
――ちがう、ちがうったら。カップルなんかじゃない。わたしはタダの取材対象! 思いっきり恋愛から遠い、ロマンス未満の関係なんだからね。
なんだか面白くない。徐々に複雑な気持ちが込み上げてきて、だんだん歩みが早くなってきた。
「たくさん、わかったよ」
背中からタナベ君の明るい声が聞こえてきた。
――ウソつき! そんな安っぽいウソ、言わないで!
人込みをかき分けて走り去ってしまおうか。そう思ったときだった。
「外見はビターでも中身がスイーツで、変顔がカワイイ女の子のことをサ」
予想していなかったほどの至近距離から、彼の声が降ってきたのだ。
「ええっ!」
びっくりして顔を上げたら、後ろにいるハズのタナベ君がわたしのすぐ隣にいた。
「あ、あのさ。手、つながない? ここから先は踏切でアブナイから」
と、右の手のひらを広げて見せる。
「でっ、でも!」
カップルなんかじゃないしっ。返事に困っていると、タナベ君は早口でまくしたてた。
「そんなヒールの靴じゃ、転んじゃうだろ! もし小説が入賞してインタビューでもされたら、『ぜ~んぶ、ビター女子のナカガイチさんのおかげです!』って答えるからサ。少しぐらいガマンしろよ。この右手、引っ込みがつかないじゃん」
強引な口調とは裏腹に、タナベ君の顔はやさしかった。「小説家はウソつかない」と言った彼の言葉が脳裏に浮かぶ。
彼は、物語をつくるのを仕事にしたがっている人。女を裏切るオトコの人だ。
だけど、信じてみようかな。たとえウソをつかれたとしても、上手にウソをついてくれるかもしれないし。わからなかったら、ウソが真実になることだってあるかもしれない。
それに、タナベ君だったら許せるような気がする。だって、変な人なんだもん。
「そんなに甘いこと言ってイイの? 寝言を言うのは、寝てからにしてよね」
「ハイ、ハイ。わかっていますよ、ナカガイチさん」
そう言ってタナベ君は、返事を待たずに勝手にわたしの手をとった。迷わずに真っ直ぐ歩き、踏切を渡る。わたしもタナベ君が誘導してくれたルートをたどって、彼の背中を見ながら踏切内のレールを越えた。
わたしに触れた彼の手は、ひんやりとして心地よかった。
(END)
短期連載でありましたが、いかがだったでしょうか?
読んでくださって、ありがとうございました。




