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 発端は昨日、昼間の学食でのこと。

 健康上の理由だとかで教授はお休み。午後の講義が休講になってしまったので、お茶を飲んで時間をつぶそうと、自販機コーナーへ行った。

 自販機コーナーには、異なる飲料メーカーのものが三台並んでいる。右端のは、炭酸飲料のペットボトルがメイン。真ん中のは、イチゴ牛乳や飲むヨーグルトなど健康志向ドリンクの紙パック。そして左端のは、カフェ系コーヒーを紙コップで飲むことが出来る。

 わたしのお気に入りは、紙コップのカフェオレだ。甘みと苦みのバランスが絶妙で、毎日何杯でも飲めるぐらい美味しいの。

 でも運が悪いことに、故障中だったみたいで。投入口に百円硬貨を一枚入れたっていうのに、ランプが点滅しただけで、肝心のカフェオレが出てこなかったのだ。

「わ、わたしのカフェオレが……」

 ――どうしよう、最期の百円だったのに。

 途方に暮れて恨めしそうにピカピカ光るランプを眺めていたら、急に自販機がガタガタと震えだした。

 ――えっ。

 何事が起ったのかと驚いて、顔を上げる。

 自販機の横に姿を隠すようにして立っている人影があった。わたしからは、自販機の角にかかっている長い指しか見えない。まるで、大きな自販機を相手に相撲でもとろうとしているかのようだ。

 ――誰……?

 小走りで慌てて自販機の左横に移動したら、人影の正体がすぐに判明した。

「あっ」

 その人影は、わたしの知っている人だった。文芸同好会のタナベ君。友人との付き合いで入部したサークルの副会長だ。

 ――ぶっ!

 彼の顔を見たとたん、ふき出してしまいそうになった。タナベ君の顔が、おサルさんのお尻のように真っ赤っかだったからだ。

 大きな自販機を力強く両腕で挟んで揺らしている行為は、たくましかったけれど。よほど重かったのか、鼻の穴を大きく広げて「フンが~」と歯を食いしばってうなっている。

 わたしが知っているタナベ君は、本の虫。立派な草食系男子だ。

 うつむいて熱心に文庫を読んでいるか、PCに向かっている姿しか見たことがなくって。力ずくで解決する手段とは、縁がなさそうだったのに。

 どのくらい、そうしていたのだろう。

 ――ぷ、変な顔。

 込み上げる笑いに耐えながら、わたしは真っ赤な顔のタナベ君をずっと見つめた。


 しばらく揺すったあとに「やれやれ」と息を吐いて、ようやくタナベ君は体を起こした。鷹揚とした仕草で大股に歩き、わたしの隣に立つ。

 ひと仕事を終えた工事現場のお兄さんみたいに、カッコよく&さわやかに服の袖口で額の汗を拭いて、ニコッとわたしに話しかけてきた。

「この自販機、時々硬貨が引っ掛かるんだよね。僕も何度か被害にあって、やっと最近コツをつかめたところなんだよ。たぶん、これで大丈夫だと思うよ。もういちどスイッチ押してみ?」

「へ、あっ。う、うん」

 ――しまった。返事が遅れちゃった。

 面白い顔をしたタナベ君に見とれていたなんて、口が裂けても言えない。

 ――静まれ、心臓!

 内心ばれやしないかと胸をドキドキさせながら、カフェオレのスイッチを押した。ウィーンと自販機が作動する低い音が聞こえ、取り出し口の扉がゆっくりと開く。

 やったあ、成功! 百円を無駄にしないですんだことに感謝をしながら、手をのばそうとしたとき、

「よいしょ」

 先に彼が紙コップを取り出して、わたしの前に差し出した。大好きなカフェオレのかぐわしい香りが漂う。

「ハイ、どうぞ」

 と、言いながらも、彼が紙コップを高い場所にまで掲げたので、手が届かなかった。わたしからは、白いコップの底しか見えない。

 ――どういうつもり?

「ありがとう、タナベ君。最後の百円だったの。無駄にしちゃうところだったわ。本当にありがとう」

 負けずにわたしも、右手のひらを「ハイ」と向けて強く出した。

 ――ん?

 ところが、いつまでたってもカフェオレが来ない。タナベ君が手に持ったままだ。

「あの、ちょっと。わたしのカフェオレ……」

「ああ、これね」

 タナベ君は、ニッと笑った。

「僕、ナカガイチさんのお願いをちゃんと叶えてあげただろ? だから今度は、ナカガイチさんが僕のお願いを叶えてほしいんだ」

「えっ、何よそれ……」

 冗談! カフェオレひとつで恩着せがましいことをするなんて。こんな人だとは思わなかった。

「じゃあ、それいらない。あげる!」

 ――あ~ん、わたしのカフェオレ……。

 涙を呑んでキッとひとにらみすると、彼に背を向けて立ち去ろうとした。ところが、グイッと手首を後ろに引っ張られる。

 ――げ。

 振り返ると、タナベ君に右手首をつかまれていたのだ。

「ごめん、ナカガイチさん! 怒った? 怒ったよね? けれど、怒らないで僕の話だけでも聞いてくれないかな。お願いだよ!」

 ラクダのように大きな黒目がちの瞳がうるんでいる。

「冗談。たかがカフェオレごときで、どうしてわたしが怒らないといけないの? さっさと手を離して」

 なにを考えているんだか。そんな目で見たってダメなんだからね! 冷たく突き放したように言えば、彼もムッとして手を離すだろう。そう思ったのに。

 どういうわけか、タナベ君の顔がパーッと明るくなった。

「それだよ、それ! あ~、イイなあ、その怒り顔~。あいかわらずクールだなあ、ナカガイチさんはっ。僕が求めていたのは、ナカガイチさん! 君のようなビター女子なんだよ!」

「はあ……?」

「まさしく君は、僕にふさわしい! お願いだ、タダとは言わないっ」

「へ?」

「僕を、君の部屋に、連れて行ってくれ~!」

 ――ブチッ! 

 わたしの堪忍袋の緒が切れたのは、言うまでもない。


 彼の真の目的を知ったのは、その直後のことだ。

「ええっ、何? 小説の取材……?」

「そうだよ、ナカガイチさん。なんだと思ったんだよう」

 タナベ君は、恨めしそうに顔を歪ませて、わたしを見下ろした。そのほっぺには、わたしの手の跡がくっきりと浮いている。

「なんだと思ったんだようって言われても、変態としか……」

 言いかけたわたしを無視して、彼はベラベラ語りだした。

「今度、僕が取り組む作品は、ラノベ公募狙い。中二主人公の相棒(バディ)をビター女子にしようと思っているんだ。そのモデルにさあ、ナカガイチさんがピッタリなんだよ。だけど、僕、彼女なんかいないし。(ヤロー)所帯で育ったから、なかなか女子の部屋の想像がつかなくってサ。もしナカガイチさんが良ければ、部屋をちょこっとだけ見せてほしいんだよ。ほんのちょこっとだけでイイから!」

「そんな……急に言われても……」

 タナベ君が小説を書いているウワサは、小耳にはさんだことがある。だからといって、おいそれと部屋に男性を招いて、なんかのギャグみたいに「ちょっとだけよ」なんてこと出来るはずもなく。

 ――もし良ければ、どころのレベルじゃないじゃん!

 オトコなんか部屋に入れたら、むさ苦しいニオイが移っちゃう! じゃなくって、そんなことよりラノベって何? 中二って? もしエッチな小説かなんかの取材だったら? ヤバい、ヤバいよ! 絶対ムリ!

「ダメです。お断り!」

「そんなことを言わずにっ。お願いします、ナカガイチ サラさん! 今度のテスト、イの一番にノートを見せるから! そこんところ、よろしくお願いしまっすっ」

「の、ノート……?」

 思わず、聞き返してしまった。

 本人はともかく、タナベ君のノートには心惹かれる。テスト前になると、タナベ君のノートは引っ張りだこ。同じ学年で同じサークルであっても、コピーのコピーしか拝んだことがないからだ。

「本当に、本当? ノート見せてくれるの、一番に?」

 あまり勉強が得意でないわたしにしてみれば、彼の申し出は願ったり叶ったり。彼のノートがあれば、勉強が遥かに楽になるので助かるんだけど……。

 頭を下げたタナベ君に恐る恐る問いかけたら、彼が勢いよく身を起こしてこちらを向いた。

「うん、だいじょうぶ! 任せてよ、小説家志望はウソつかない!」

 ――ん?

 それって、矛盾してない? 小説家って話をつくるんだよね? つまり、ウソをつくことと一緒だと思うんだけどな。

 そうだ、忘れていた。小説家という職業は、話をつくるのが上手な人がなるものだ。いくらタナベ君がウソをつかないと言っても、それが本当かどうかわからない。そもそも素人のわたしには、真偽を確かめる術がないのだから。

 でも、はやく右手を取り返したいし。「うん」と言わないと、離してくれないだろうし。

 ――どうしよう……。

 心の中に天瓶を思い描いた。左側の皿にはタナベ君のノート、右側の皿には「ちょっとだけよ」だ。

 ――ふぇ~ん。

 バカみたい。量るまでもなかった。思い描いたとたん、わたしの天秤は左側に大きく傾いたのだ。

 つまり、わたしにとっては、一時の恥よりもテストの成績の方が大事だというわけ。それもそうか。学校の成績は、進級どころか就活にだって影響を及ぼすかもしれないし。

 少しの間だったら、ガマンしてあげてもいいかな。たとえば三分間とか……。それぐらいだったらガマンできそう。なによりテストのためだもの!

「じゃあ……一瞬だけならイイよ。だけど、こんなことするの、わたし本当はイヤなんだからね! 調子に乗らないでよ。妙なことをしたら、ケーサツ呼ぶからっ」

「本当かい、ナカガイチさんっ。ありがとう! 僕、頑張るよっ」

「ぎゃっ!」

 手を返してもらうどころか、ギュッと余計に強い力で握られてしまったので、飛び上がってしまった。

 タナベ君の手は、ひんやりとしていて。冷たい汗がにじんでいるようだった。まるで緊張していたみたいだ。

 ――まさか、まさかね。

 こんなに図々しい人が緊張するなんて、信じられない!

「はやく、手を離してよ。あと、カフェオレもっ」

「あ、ごめん!」

 タナベ君は、パッとわたしの手を離し、子供のように屈託のない笑顔を向けた。




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