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「ウチ四人兄弟でオフクロがいないだろ? だから、いっつも家がグチャグチャなんだ。梁山泊みたいにオトコばっかでムサ苦しいしさ。笑えないよナ」
「リョーザンパクって何?」
ドアの前に立ったとき、タナベ君が聞きなれない言葉を口にしたので、すかさず聞き返した。質問に驚いたのか、彼の両目が丸くなる。
「ウソだろ、ナカガイチさん知らないの? 水滸伝だよ、ケンイチの方じゃなくってサ。聞いたことナイ?」
「ケンイチ……?」
「じゃなくって、水滸伝の方! まいったな、なんでマンガの方に食いついてくるんだよ。さっきから何回も言ってるっしょ!」
タナベ君は、苦笑いを浮かべながら、謎の言葉を再びしゃべった。
わたしを相手にガマン強く、さっきからスレ違い路線の会話を続けているモノ好きな彼は、大学の文芸同好会の副会長。
そのせいか、小説からマンガまでジャンルを問わず、何でも読むことにしているらしい。だから、彼は物知りで博識があると、仲間内でも教授たちの間でも評判だったりするの。
一方わたしの方はというと、読書家の彼とは正反対。ちっとも本を読まない。
活字恐怖症? とでもいうのカナ。文字がたくさん並んだページを見ると、頭が痛くなってしまう。見たとしても、雑誌をパラパラとめくる程度。基本、写真とイラストのみ。マンガもあまり興味ない。
「フーン、そうなんだ。リョーザンパックって、マンガなのかあ。聞いたことナイなあ」
「だ~か~ら~、ケンイチじゃないってば。水滸伝だよ、す・い・こ・で・んっ。泊がパックになってるし!」
わたしのマジなボケに、彼は素早く反応した。
アパートの通路の照明が白いから、彼の顔もやたら白く見える。まるで白粉を塗り終えたばかりの舞妓さんみたいだ。
ボーっとタナベ君の顔を眺めていたら、彼は無造作に長めの前髪をガシガシとかきあげた。
「なあ、ナカガイチさん。ナカガイチさんも一応、同好会の会員なんだからさあ、少しぐらい本を読みなよ。ラノベでも貸そっか? 萌えしかないけどサ」
「ラノベって何? ラベルの仲間かなんか……?」
「はあ~?」
見る見るうちに、わたしと彼との間の空気が固まる。
あっけにとられたような顔で「マジ……?」とつぶやいた後に、タナベ君はお腹を抱えてヒイヒイ悶えはじめた。
――ちょっと笑いすぎ、だっつーの。
廊下が狭いから、あたりかまわず笑い転げて、七十五センチ以内のわたしの領域に侵入してくる彼が思いっきり憎ったらしい。
丸まった背中をチカラいっぱい引っ掻いてやろうと思ったけれど、笑い上戸の彼に文句を言ったところで、どうにもなるものではナイし。なにより可愛く塗ったネイルにダメージを与えてしまったら、もったいない。
こうなったら、さっさとやることを済ませて、家に帰らせてやる。
――ふん!
いつまでも笑いつづける彼をシカトして、鍵穴にカギを差して抜き取った。ドアノブを右へ回して扉を押し開ける。
「ちょっと、副会長!」
体を向きなおして、タナベ君の前に仁王立ちをした。
「……な、何?」
わたしの気迫に感づいたのか、やっと笑うのをやめて、彼は曲げていた体を起こした。
タナベ君は人間の姿をしているけれど、外国人を通り越して宇宙人みたいだな、って密かに思っている。わたしには理解不能な言葉をときどき口にするからだ。
頭が良くって成績だっていいし、ラクダみたいに目がパッチリとしていてまつ毛がバサバサ。手足が無駄に長いところなんか、科学雑誌『ニュートン』のバックナンバーで見た火星人のイラストとソックリだ。
タナベ君のことを「カッコ良すぎて激ヤバ!」と嬉しそうに騒ぐ女の子たちがいるけれど、正直言って賛成できないな。
だって、彼氏にするのなら人間じゃなくって、チワワの方がいい。イヌとお金は裏切らない。オトコは裏切るもの。『セックス アンド ザ シティ』を見ると、彼氏がいる人生って面倒くさそうだ。オトコに貢いで、しばられて、振り回しているつもりが逆に振り回されている。
そんな人生はイヤだよ、まったく。
「いーい、副会長? ウチに入る前に、確認したいことがあるんだけど」
目に力をこめて、タナベ君をキッとにらみつけた。
「な、何、ナカガイチさん?」
ちょっと強く言っただけなのに、ビクついちゃって! タナベ君は、おっかなビックリといった感じで目を見開き、ゴクリと喉を鳴らす。
「ほんの少しでも妙な動きを見せたら、ソッコー警察を呼ぶからね。わかった?」
本気の本気で言っていることを彼にわからせるために、『110』と表示させた携帯の画面を間近で見せた。
「わ、わかってマスって……」
タナベ君は、オドオドしながら目をパチパチさせた。
「ボクの夢のために協力してくれるだけなんだよネ、ナカガイチさんは? 心配しなくってもオッケーだよ。ちゃんとわかってマスって……うっ」
ゲンコツで胸を強く叩きすぎて「ゲホッ」と咳き込む。
――ホントにわかってんのかなあ。
なんだか調子がよすぎて、うさんくさい。けれど、これは取り引きだ。多少のことはやむを得ない。
「じゃあ、どうぞ。中に入って。ただし、一瞬だけだからね!」
「ほーい、了解! オッジャマしまあす」
脇によって人ひとり分だけが通れるスペースをつくったら、タナベ君は一足飛びにリズムよく部屋に入った。
――つ、疲れる……。
遅れて、わたしも中に入った。
「あ~、すっげー。女子の部屋って、こんな風になってるんだあ。てっきりレースばっかだと思っていたよ」
天井を見上げたあとに、順に顔を動かして、ワンルームの部屋を隅から隅まで見渡す彼。感心したように深く何度もうなずく。
「レースとピンクのヒラヒラが大好きなのは、スイーツ女子だけだよ。わたし、そういうのキライだもん。ご期待に添えなくてザンネンでした!」
わたしの部屋の基本色は、アイボリーと決めていた。 壁の色はもちろん、天井の色もアイボリーだ。アイボリーだったら、赤の暖色系にもブルーの寒色系にも似合うので、小物の選択の幅が広がる。
それにしたって。
「へえ。スイーツ女子はレースとピンクが大好きで、ビター女子はアイボリーとカフェオレが大好きと……。いやあ、来てよかったよ。大いに勉強になるなあ」
仮にも、女の子の部屋にいるっていうのに。もう少し遠慮したっていいんじゃない? 一応片づけてあるけれど、変なものが落ちていたらどうしよう。例えば、下着とか……。
背中でかくしたベッドの方へ、ササッと視線を走らせた。
よかった。妙な気持ちを起こさせるものは見当たらない。だいじょうぶ。茶色のクッションをいっぱい買ってきて、隙間なくキチッと置いたし。
でも、これ以上は限界。
――ムリ!
ガマンできなくて、タナベ君の服の袖を引っ張った。
「ねえねえ、もうイイでしょう? 三分はたったよ。ウルトラマンだって帰る時間になったんだから、はやく終わってよう」
「ええ? あ、ゴメン、もうちょっと! 脳に焼き付けておくからっ」
「でも……」
「ナカガイチさん、忘れたの? 僕のお願いを聞いてくれるんだったよね?」
キラリーン、と彼の目が鋭く光ったような気がした。ギクリとして、思わず後ずさる。
「本当にゴメンね、ナカガイチさん。無理なお願いをしちゃって。あと一分で終わるから!」
「い、いっぷううん~!」
――だ、ダメ!
ブンブンと強く頭を横に振ったのに、勝手に「OK」の返事だと思われちゃったみたい。わたしの手をあっさり振り払って、彼はウロウロと狭い部屋の中を歩きだした。
本当に自分だけの世界に夢中になっているようで。わたしと二人きりでいるのをすっかり忘れてしまっている感じだ。腕を組みながら、ブツブツ独り言を言っている。
――あんなにグルグルまわって、目が回らないのかなあ。
あの様子じゃ、彼の言ったことが真実だと認めざるを得ない。
うぬぼれていたわけじゃないけれど、『お願い、ナカガイチさん!』と彼からお願いをされたとき、正直言ってヤバいかなって思った。
わたしだって、うら若き乙女だし。襲われるかもしれないと疑うのは当たり前でしょう? だから、彼にスキを与えないような部屋にチェンジするため、準備に準備を重ねて、この日を迎えたんだけどなあ。
まあ、それはともかく。下心があるような素振りを見せない彼の態度に、拍子抜けしてしまったのは事実だ。必要以上に警戒しすぎている自分の方が、おかしくて笑っちゃうぐらいに。
――あれ?
タナベ君の様子がおかしいことに気がついた。なんだか足元が妙にフラフラしておぼつかない。さっきまでは、しっかりとした足取りだったのに。
――まさか。
予感が的中したのを確信したのと同時に、タナベ君が奇妙な声をあげた。
「は、はひぃ~……あ、頭がグラグラしてきた~。うわっ」
長い足がお互い絡み合ってつまずき、ドシン! と尻モチをついてしまったのだ。フローリングの床にゴロリと力なく横たわる。
――あーあ。
「だいじょうぶ、タナベ君?」
「うひ~、だいじょうぶ。でもヘロヘロしてるから、もうちょっと寝かせて……」
「もーう、しょうがないなあ。床、汚さないでよっ」
彼の言うとおり、わたしってビター女子なのかなあ。自覚ナシでも、他の人からはそう見えるのかも。ステレオタイプなキャラに当てはまる自分が、思いっきりつまらない。あまりの存在の軽さに、涙が出そうだ。
窓の外を見たら、夕焼けの空の色がいっそう赤く濃くなっていて。部屋の中に長く伸びた自分の影が、タナベ君の体の上にまで届いていた。




