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第4話 真夜中のミサ爆誕。謎の予言者



その日――。

ゴムんじゃーバンドが、ついに「−3」に届いた。


画面が、一瞬、静まり返る。


「みなのもの、稀な現象が起きた」

「奇跡だ」

「ここが――大底だ」


次の瞬間、チャットが爆発した。


「買え」

「買え」

「買え」

「買い向かえ!!」

「突撃だあぁぁぁぁぁ!!」


稀は、たぐいなる稀へと姿を変え、そのまま、あっさりと突き抜けた。


下へ。さらに、下へ。


「――ぎゃああああああああああああああああ!!」


画面の向こうで、誰かが叫んだ。

「落ちるナイフうぅぅぅぅぅ!!」


追証のナナだった。

そんギランは、どうやら気絶したらしい。返事が、途切れた。


赤い数字だけが、淡々と増えていく。

奇跡は起きなかった。起きたのは、ただの現実だった。



その沈黙を破ったのは、大魔導士田中だった。


「若造たちよ」

淡々とした声が、チャットに、響く。

「まだ、その程度の傷で、光を語るか」


直後、1枚の画像が貼られた。

――桁が、違った。


マイナス1億。

画面いっぱいに広がる、赤い数字のスクリーンショット。


言葉が、消えた。

誰も、冗談を言わない。誰も、スタンプを押さない。


「これが、逆張りだ」

「ここが、正念場だ」


松田師匠が、すかさず続ける。

「ここで残れるかどうかで、人生が分かれる」

「耐えた者だけが、次の景色を見る」


サトルは、自分の含み損の数字を見返した。

……小さい。あの1億に比べれば、取るに足らない。


そう思えてしまう自分が、怖かった。



しばらくして、追証のナナが、ぽつりと書き込んだ。

「……これ、ひとりじゃ、耐えられないですよね」


すぐに、そんギランが反応する。

「正直、さっき、目の前が真っ白になりました」


サトルは、少し考えてから、打った。

「真夜中に、集まりませんか」

「含み損の……ミサ、みたいなやつ」


一瞬の沈黙。


「いいですね」

「必要だと思います」

「祈らないと、無理だ」


賛同の文字が、静かに並び始めた。

時計は、深夜を回っていた。


誰もが、赤い数字を抱えたまま、眠れずにいた。

その夜、彼らは決めた。


これは、個人で背負うものじゃない。

信念は、共有してこそ、折れずに済む。


――真夜中の、含み損のミサが、始まろうとしていた。



真夜中の含み損のミサ

深夜二時。

通知音が、ひとつ鳴った。


――大魔導士田中が入室しました。


チャット欄の空気が、一段、変わる。

アイコンは、神々しい光を放つ老賢者。

背景に広がる光輪とは裏腹に、現実の田中は、質素なアパートでカップ麺を啜っているはずだった。


「……集まったようだな」

司祭の声は、いつも通り低く、淡々としていた。

「若造たちよ。今宵も、含み損を抱えて来たか」


返事は、ない。


代わりに、松田師匠の狼アイコンが、牙を剥いた。

「ここが正念場です」

「底は、恐怖の向こう側にあります」


損失1500万。それでも、師匠は前を向いている。


次に、泣き顔のウサギが震えた。

「〇〇(銘柄名)、もう……息してません……」

「追証、明日までです……お祈りしてきます……」


追証のナナ。

部屋中に吊るされたテルテル坊主が、かすかに揺れているのが、サトルには見える気がした。


そして――忠犬ハチのアイコン。

「……バリッ」

「損切ったら、負けです」


そんギランは、証券会社から送られてきた“損切の刻印が押された煎餅”をチャット中にバリバリと噛み砕いていた。


田中が発言すると、即座に、書き込みが入る。

「大魔導士様……!」

「本日も、御言葉を……!」


画面の向こうで、見えていないはずの田中に向かって、土下座しているのが分かった。


サトルは、赤いザリガニのアイコンのまま、黙っていた。

損失、400万。ここでは、一番“軽い”。


田中は、一枚の画像を貼った。

――マイナス1億。


「これが、信仰だ」

「損とは、徳を積む行為」

「耐えた分だけ、人は、近づく」


誰も、反論しない。

むしろ、安心したようだった。


――自分たちは、まだ“浅い”。

その感覚が、彼らを救い、同時に、縛っていた。


ミサは、静かに続いた。

損失を告白し、恐怖を共有し、「まだ確定していない」と唱和する。


真夜中の含み損のミサは、祈りであり、麻酔だった。



午前二時。

部屋のカーテンを閉め切り、外界の光を完全に遮断する。

三枚のモニターが放つ毒々しい青白い光だけが、僕の「聖域」を照らしていた。


画面の中では、血の雨が降っていた。

僕が松田師匠に教えられ、全財産と「正社員ごぼう抜き」で得た信用をすべて注ぎ込んだ銘柄が、滝のような勢いで垂直落下している。


「……ふふ、今日もいい降りだ。徳が、徳が積み上がっていくぞ」


資産合計欄。

マイナス400万を示す数字が、僕の激しい鼓動に呼応して赤く点滅している。

僕は震える指で、チャットルーム『含み損に耐える聖域』の扉を叩いた。


大魔導士田中(司祭):

「皆の衆、よく集まった。今夜の相場は、神が我らに与えたもうた『選別の儀式』である。案ずるな、この崖を下りきった先に、真のエルドラドがある」


追証のナナ:

「司祭……胃が……胃が溶けそうです……。もう追証が払えません……」


松田師匠:

「ナナ君、修行が足りないな。逆張りこそが真理。この下落こそ、大富豪への片道切符なんだよ! サトル君、君の心臓はまだ動いているか?」


僕は乾いた喉を鳴らし、キーボードを叩きつけた。


サトル:

「もちろんです、師匠! 僕の計算では、あと100円下がったところが『真の大底』です。そこから蜘蛛の糸が降りてきて、僕を垂直に天国へ運んでくれるはず。僕は選ばれし者ですから!」


大魔導士田中:

「おお、サトルよ。その意気だ。マイナス400万程度でガタガタ言うな。私を見ろ。今、ちょうど1億2千万が溶けて『無』に帰したところだ。見ろ、私の心が透き通っていくようだ……」


画面に、田中の資産推移グラフがアップロードされる。

それは、もはや「絶壁」と呼ぶにふさわしい、奈落の底へ向かう崖。

いや、死への滑り台だった。


追証のナナ:

「1億……! 司祭、もはや神……! 拝ませてください……!」


サトル:

「(これだ。これこそが、僕が求めていた高みだ……!)」


僕は本気で感動していた。

インフルエンザで学校へ行ったあの日。

体育で全員を笑わせて抜き去ったあの日。

部長にゴマをすりまくったあの日。

すべては、この「圧倒的な絶望」を笑い飛ばす瞬間のための予行演習だったのではないか。


大魔導士田中:

「さあ、祈りの時間だ。午前4時の『予言』が降りるまで、皆で含み損を抱きしめるのだ。耐えろ。耐えた者だけが、朝日に輝く蜘蛛の糸を掴むことができる」


チャット画面が、祈りを捧げる絵文字で埋め尽くされる。

僕は画面の前で手を合わせた。

胃を焼くような激痛を「天国への通行料」だと自分に言い聞かせ、トランス状態でチャートを見つめ続けた。


だが、この時の僕はまだ気づいていなかった。

大魔導士田中の「1億損しても平気な理由」が、単に彼が『既にすべてを失って壊れているだけ』だったということに。


そして、午前4時。

あの、砂時計のアイコンが動き出す。



チャットルームのログが、ピタリと止まった。

大魔導士田中すら沈黙し、ナナは「追証……もう払えない……」という言葉を最後に反応がない。

サトルのモニターには、含み損「480万円」の数字が無慈悲に刻まれていた。

目の奥が熱く、視界がチカチカする。


その時だ。

真っ黒な砂時計のアイコンが、画面の底からゆっくりと浮上してきた。


予言者:「まだ、蜘蛛の糸が見えると信じているのか」


サトルは、凍りついた指先を動かした。


サトル:「予言者さま……! 見えます。僕には見えます。黄金に輝くロープが、今まさに天から……!」


予言者:「サトルよ。それはロープではない。……お前の首を括るための、ただの縄だ」


心臓が、キリキリした。

画面の向こう側で、予言者が冷笑しているような錯覚に陥る。


予言者:「夜明けが来るのではない。夜が、永遠に固定されるのだ。……おめでとう。お前は今、本当の地獄への招待状を受け取った。午前4時2分、その銘柄は『死の淵』へと加速する」


チャットルームが凍りつく。

2分後。

予言の通り、チャートが物理法則を無視したような角度で、さらに下へ突き抜けた。


サトル:「……嘘だろ。予言者……これ、どういう……」


予言者:「救いがあると思っているうちは、まだ二流だ。絶望に追いつかれないように走れと言ったな? 残念だが、絶望はお前の『前』からやってくる」


サトルが“返信しようとして、何も打てない”

入力欄にカーソルだけが点滅する。


その一言を最後に、砂時計のアイコンは消えた。

あとに残されたのは、真っ赤な雨が土砂降りのように降り続くチャートと、さらに膨れ上がった550万の損失。


サトルは、ガタガタと震え出した。

「謎の自信」という鎧が、ミシミシと音を立てて剥がれ落ちていく。


その時、不意にスマホが震えた。


マナブからの通知だった。


『まだ起きてる? 地下の実験室でコーヒーを淹れすぎた。……死にそうな顔をしてるなら、飲みに来れば』


――通知の光が、血の色のチャートよりも、ずっと深く僕の瞳を刺した。

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