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第3話 幸せな仲間、転がりゆく夢の先



その頃、サトルはネットの投資掲示板を覗くようになっていた。


最初は、用語を調べるためだった。

だが、いつの間にか「成功者の声」を探すようになっていた。


そこで、やたらと目立つ名前があった。


――松田師匠。


投稿数が多く、言い切りが強い。

そして、なぜか当たっているように見える。


「下がったところで買え。上がってから飛びつく奴は、永遠の養分だ」

「逆張りは信念。恐怖の中で買えない奴に、利益は来ない」


逆張り。

下がったところで買う。

周りが逃げる中で、あえて入る。


……なんだそれ。


「それ、僕じゃん」


サトルは思った。

周りと同じことができず、いつも浮いてきた自分。


少数派が正しいなら、自分はとっくに成功しているはずだ。


「師匠、初心者ですが逆張りっていけますか?」


気づけば、書き込んでいた。

返事は、驚くほど早かった。


「才能ある奴は、最初から分かる。お前、感覚いいな」


心臓が、どくんと脈打った。


逆張りに命を懸ける男――松田師匠。

その言葉は、サトルの胸に、深く刺さった。



掲示板で、松田師匠はよく昔話を語った。


「リーマンの時な、全員が投げ売りしてる中で、俺だけ買ってた」

「あのときは、掲示板が阿鼻叫喚だったな。“終わりだ”“もうダメだ”って」

「実はな、チャートは嘘つかねぇ。下げ切ったら、あとは戻るだけだ」


サトルは、スマホを握ったまま読み込んだ。


「含み損はな、我慢料みたいなもんだ。耐えた奴だけが、最後にステーキ食える」


ステーキ。

その言葉に、なぜか反応してしまう。


「俺はあの一発で、車と家の頭金を作った」

「怖い? 怖いのは、一生ビビって動かない人生だろ」


誰かが突っ込む。

「証拠あるんですか?」


少し間が空いて、松田師匠はこう返した。


「証拠なんか出したら、真似する奴が増えるだろ」

「逆張りは、信じた奴だけの世界だ」


……なるほど。


具体的な数字は出てこない。

銘柄名も、日付も、決して明かさない。

それでも、不思議と説得力があった。


サトルは思った。

成功者って、いちいち証明なんかしないのかもしれない。


それに――

失敗談だけは、短かった。



その日の夜、サトルのスマホに通知が入った。


――松田師匠からの個別メッセージ。


心臓がドキッとした。


「君は、才能があると見込んだ」

短い一文だった。


「掲示板で騒いでる連中とは、明らかに目線が違う」

「だから今日は、特別な人物を紹介しようと思う」


特別。

その言葉だけで、指先が少し震えた。


「この世界にはな、表に出てこない“大物”がいる」

「その一人が――大魔導士田中だ」


……大魔導士?


冗談かと思ったが、松田師匠はいたって真面目だった。


「逆張りの完成形。相場の底を、呼吸みたいに当てる男だ」

「伝説はいくつもあるが、全部は語れん」

「語れるのは一つだけだ。あの人は、“相場に選ばれた側”だ」


サトルは、画面から目を離せなくなっていた。


大魔導士田中。

現実離れした肩書きなのに、なぜか笑えなかった。


「この人と話せる機会は、滅多にない」

「君が逃すなら、次はないと思え」


逃す理由なんて、どこにもなかった。

サトルの中で、投資はもう勉強でも、実験でもなくなっていた。


――選別だ。


選ばれる側か、それ以外か。

そんな気がしていた。



指定された時間になると、松田師匠から、ひとつのURLが送られてきた。

通話アプリだった。


サトルは、少し迷ってから接続した。


画面に映ったのは、拍子抜けするほど地味な男だった。

年齢は50代くらいだろうか。

白いシャツに、くたびれたカーディガン。

後ろには、トランクスやシャツ、タオルがぶらさがっていて、生活感が漂っていた。


名乗りもしないまま、男は、こちらをじっと見ていた。

数秒。いや、10秒くらいか。


「……君が、サトル君か」


声は低く、抑揚がなかった。


「はい」

「ふうん」


それだけ言って、また黙る。


沈黙が、長く苦しい。

こちらが何か喋らないと、時間だけが削られていく。


「松田君から、話は聞いている」


田中は、画面から視線を外さずに言った。


「君は、“下がってるのに、怖がらない顔”をしているらしい」


そんな顔、自分で見たことはない。


「逆張りは、技術じゃない」


田中は、淡々と続ける。


「性格だ」

「自分が間違っているかもしれない、という前提で、それでも金を入れられるか」

「それが、できない人間は、どんな理屈を覚えても、途中で壊れる」


サトルは、喉が乾くのを感じた。


「君は――」


田中は、ほんの一瞬だけ、目を細めた。


「まだ、壊れていない」


それだけ言うと、通話は、向こうから切れた。

画面には、自分の顔だけが映っていた。


サトルは、しばらく動けなかった。

拍手も、激励も、成功談はない。

なのに、なぜか逃げられない感覚だけが、残っていた。



それからサトルは、松田師匠と銘柄を決め、同じタイミングで投資をするようになった。


「ここだ。恐怖が一番濃いところだ」


松田師匠の言葉を信じ、サトルは、指示された銘柄に資金を入れた。


結果は――惨敗だった。


下がる。さらに下がる。

含み損の数字が、日に日に大きくなる。


落ちる何かを素手でつかんで、ボロボロと言う具合。

ボロボロになっても容赦なく落下し続ける……。

底かどうかは、後になってみないとわからないな。

サトルは、素直にそう思った。


画面を見るたび、胃の奥が重くなる。


それでも、サトルは松田師匠を疑わなかった。

サルも木から落ちるって言うしな。

100%正解なんて神様でもない限り不可能だ。


師匠は、逃げなかった。売らなかった。

掲示板でも、いつも通り強気だった。


「まだだ。ここからが本番だ」


その姿勢が、なぜか尊敬に変わっていった。



一方で、大魔導士田中は、まったく別の次元にいた。


「1億の損? それは損じゃない」


田中は、狭い一室で、カップラーメンをすすりながら言った。


「投資銀行に、金を預けているだけだ」


平然としている。


「1000万損したなら、次で2000万儲ければいい」

「それを気に病むなら、最初から向いていない」


声の調子は、最初に会ったときから、何も変わらない。


「俺はな、儲けより信念のほうが大事だ。金は、ただの紙だ」


画面越しに見える田中の部屋は、やっぱり驚くほど殺風景だった。

狭い一室。机と椅子。積まれたカップラーメン。

相変わらず背後にトランクスがぶら下がっていた。


外出する気配もない。

一日中、ネットに張り付いている生活。

その姿は、成功者というより、修行僧に近かった。


それでも、サトルは思ってしまう。


――この人たちは、本物だ。


自分の損失を、「痛み」としてではなく、「通過点」として扱える人間たち。

僕はまだ素人だから。彼らに近づくには1000年早いんだね。


それなのに、そこに立てている幸運な自分。

サトルは、少しだけ誇らしかった。



それからというもの、サトルの頭の中には、田中の言葉が居座るようになった。


――金は、ただの紙だ。


含み損の数字を見ても、以前ほど胸がざわつかなくなっていた。

これは損じゃない。投資銀行に預けているだけだ。


そう言い聞かせると、不思議と落ち着いた。

松田師匠は、相変わらずだった。


「ここで逃げたら、今までの下げを全部ムダにする」


その言葉に、サトルはうなずいた。

逃げるのは、いつだって簡単だ。


「信念だよ」

師匠は、そう言っていた。

「信念があるかどうかで、勝負は決まる」


サトルは、自分にもそれがある気がしてきた。


会社では相変わらず浮いていた。

だが、以前ほど気にならない。


――分かる人にだけ、分かればいい。


そう思えるようになっていた。


夜、狭い部屋でチャートを眺める。

カップラーメンをすすりながら、ネットの掲示板を更新する。

この生活は、貧しいはずなのに、なぜか「選ばれている」感覚があった。


サトルは、少しずつ変わっていった。


節約FIREを目指していたはずなのに、

気づけば、「自分は正しい側だ」と信じることが目的になり始めていた。



気がつくと、サトルの周りには仲間が増えていた。


含み損仲間、と呼ぶべき人たちだ。

掲示板やチャットに現れる、似たような境遇の連中。


まず目立っていたのが、追証のナナ。


「また追証きました……今月3回目」


そう書き込みながらも、ナナは決して退場しない。


「でも、ここで切ったら負けですよね?」


その一文に、いくつもの「分かる」が付く。


次に、そんギラン。


「含み損は、含み“夢”だと思ってます」

「まだ、確定してないですから」


語尾には、いつも笑顔のスタンプ。


その他大勢もいた。

給料日前に入金する者。カードローンを検討し始める者。家族に内緒で取引している者。


誰もが、どこか誇らしげだった。


――耐えている自分たち。


負けているのに、なぜか仲間意識が生まれていた。


「俺たちは、分かってる側だよな」


誰かがそう書くと、すぐに反応が返る。


「情弱は、とっくに逃げてる」

「ここで残ってるのは、選ばれし者」


サトルは、その輪の中にいる自分を感じていた。

含み損は、もはや恥じゃない。むしろ、信念の証だった。


画面の向こうで、赤い数字が並ぶ。

それを見つめながら、サトルは思う。


――独りじゃない。


それが、何より危険な安心だとも知らずに。


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