無自覚な転生者
この王国の学園は、貴族の子女が人脈を広げたり処世術を体得したりと、将来の貴族界で生き抜くための経験や知識を得るために存在する。学生たちが顔で笑って裏で足の引っ張り合いをするのは、貴族社交界の縮図そのもの。「学園」という名なのに、学業などほとんど名目に過ぎないのだ。
そんな学園で、この国の王太子の婚約者である令嬢は大層異色だった。勉学に情熱を傾けていたからだ。そのことに眉を顰める者たちも少なくなかった。
「勉学なぞにうつつを抜かして、社交は全くしていないらしい」
「信頼できる者たちを見極める訓練のほうが、よっぽど大事では?」
「影響力を高める努力は、しておられないようですな」
「学年首位であることを自慢げに話されてましたわ」
「でも、学友の小さな諍いすら治められないんですよ」
そんな令嬢は、ついに婚約者である王太子から婚約の破棄を告げられてしまう。王太子は恋仲である男爵令嬢の肩を抱いて、衆人環視の中で大々的に宣言をしたのだ。その後、婚約者の令嬢は、学園の中でも最高位の者だけが使用できる貴賓室の主に、涙ながらに訴え出た。身分を隠して留学生として王国に来ている、強大な帝国の皇太子その人だ。
「私、王太子殿下に冤罪を着せられ一方的に婚約破棄をされてしまいました」
貴賓室の主は令嬢を冷ややかに見返した。令嬢の訴えには全く心動かされなかったようだ。
「そう聞いている」
令嬢は反応の薄い相手に対し、意外そうに不満そうに眉を顰めた。
「してもいない罪を、私、なすりつけられたという意味です」
「冤罪の意味くらい知っている」
思ったような反応が返ってこないので、令嬢の言葉には苛立ちの成分が混じり始めた。
「婚約者の王太子殿下には恋仲の男爵令嬢がいて、私を婚約者から外したいがためにこのようなことを」
「そうか」
「ひどいと思われないんですか?」
「ひどい話だな」
ようやく安堵したように、令嬢はにっこりと笑みを浮かべた。
「では!私を助けてくださいますのね?」
だが相手は無表情を崩そうとはしなかった。
「私が?なぜだ」
「なぜって……。この学園で王太子殿下より身分の高い方は、帝国の皇太子殿下であるあなた様しかいらっしゃいませんもの。王太子殿下と男爵令嬢を断罪してくださるのでしょう?」
「皇太子であることは隠しているのに、どうしてそれを知っているのかな?それに、なぜ私が断罪などしなければならない」
「だって……。よくある展開ではないですか。婚約破棄された令嬢を助けて、その後……」
「ん?」
「その、殿下。幼い頃、帝国にいた私と遊んでくださったことは覚えておいででしょうか」
「ああ、ほんの小さな頃だな。非公開で避暑に訪れていた時だったか。庭を走り回った思い出がある」
「ようございました!忘れておいでかと。それで、幼い日の思い出の私が不当に陥れられて、黙っておいでなのですが?目の前の非道を見過ごすと?」
「目の前の非道を放置していたのは君だろう?」
「……え?」
本気でわからない、という表情の令嬢を前に、皇太子は深くため息をついた。
「ご令嬢。あの男爵令嬢はあからさまに王太子に近付き略奪しようとしていた。君の目の前で。はたから見ただけでも明らかだったのに、なぜ放置していたのだ。君の家ならば、あの男爵令嬢を排することなど造作もないはず。一言、婚約を壊そうとする者がいると親にでも学園長にでも告げれば済んだはずだ」
「私の親は、私を蔑ろにしているので……」
「君の存在の軽重など関係ない、婚約が継続できなくなりそうだとなれば高位の貴族の家長を務める者ならば必ず動く。それができない者で務まるほど、その地位はこの王国でも軽くはない。そんなことくらい知っているはずだ」
「で、ですが、婚約者に既に嫌われている私が、そのようなことをすれば、さらに嫌われてしまうかもしれないと思い……!」
「指をくわえて見ていたのか。好き嫌いだの、存在の軽重だの、そんなものはどうでもよろしい。君は政略の意味を理解していないようだな」
令嬢は俯いたが、すぐに決意したように顔を上げた。
「……実は私、前世の記憶を思い出しまして」
「……なに?」
「前世では、こことは全く違う価値観の人生を送っていましたので、愛情の有無は私にとって重要なのです。それに、わざと人が傷ついたり命を損なったりする行動は、倫理的にできなくて」
「だからそのような行為は他の者にやらせようと?」
「え?」
「自分で男爵令嬢らを排するのは嫌だから、私にやってもらいたいと、そういうことだろう?」
「そ、そんなつもりでは」
「ではどんな?自分の身を守ることなのに?」
「自分の、身ですか?私の身に、なにか起こるのですか?」
「当然だ。婚約者たる王太子の暴挙をわかっていながらあえて放置していたご令嬢、君にも罰は与えられるだろうということだ」
「そんな……!私、なにも悪いことなんてしていません!」
「なにもしなかったから咎を受けるのだ。王太子は国王への反逆罪で既に廃嫡、男爵令嬢は平民となることが決定している。婚前の「遊び」など、よくある些細な事だが、国王が決めた婚約を勝手に破棄するのは反逆罪だ。そしてその事態を放置した君に咎めがないなど、どうしてそんな風に考えたのか」
「あなた様がお救いくださるはずだと……」
「それこそなぜだ。私にとっては、王太子が冤罪を仕掛けたことも、君が事態を放置したことも、同じく罪深い。その程度の常識は貴族ならば誰でも教育されるはずだ。前世の価値観だか知らないが、我が身に咎が及ぶのをわかっていながら行動はせず、その始末を私にさせようとは」
令嬢は絶望の表情で、ついに涙を流したが、慌てて拭うと奥歯を噛み締めた。
「……私はどのような罪が科されるとお考えでしょうか」
「そうだな。おそらく定期的な奉仕作業と、遊興場への生涯出入り禁止といったところか。社交ができなくなるということは貴族としては致命的だが、自業自得と受け入れるのだな」
「遊興場、というと、賭博場や闘技場ではないですか。夜会より大切な社交の場と教えられましたが、闘技場といえば動物同士を殺し合わせたり奴隷同士を戦わせたり、罪人の処刑が行われたりする場所ではありませんか。そんなところ出入りできなくても、むしろご褒美、いえその。奉仕作業とは町の清掃などでしたわね。私、今まで価値観の相違に苦しんでまいりましたが、それを感謝する日が来るとは。
皇太子殿下、貴重なお時間を、ありがとうございました。殿下のお話は大変参考になりました」
令嬢が退出していくのを無言で見送ると、皇太子は側近を振り返った。
「ここはなんとも不思議な国だな。件の男爵令嬢も、悪役令嬢が仕事をしないとかなんとか、意味不明なことを言い残したと聞いた。あの子も幼い頃はあんなことを言い出す娘ではなかったと記憶しているが」
「確かに。それに、屈辱的な奉仕作業と聞いても平然としていましたしね。殿下の素性を知っていた件といい、不思議というか、不気味と感じます」
皇太子は沈黙していたが、しばらくすると立ち上がり窓から外を眺めた。
「……簡単に征服できそうな弱小国と侮っていたが、警戒が必要なのかもしれん。下手に手出しはせず、監視を強めて詳しく調査することにしよう」
「それが良さそうです」
だがいくら帝国が調査しても、この国に特にこれといった大きな問題も見つからず、それがますます不気味さを増す結果となった。皇太子は留学期間を終えると、静かにこの国から去っていったのだった。
転生者たちは自覚することなく、国を侵略から救ったようである。
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