第19話 狼家の未来
桜子の介入で大きく変わり始める狼家。
後見人 啓との直接対決。
狼家の未来
屋敷に戻ると桜子は再び地下に入っていく。
その頃にはもう見た目は普通に動いている。
だからすごい回復力だ。
地下の部屋で扉の隙間から見たのは衰弱した忠志だった。
桜子は、杏たちを引き連れて堂々と乗り込む。
忠志は毒物を摂取させられて治療を目的に監禁されていた。
そんな忠志を、桜子は動けるまで回復させた。
さすがにそこまでが限界だ。
毒物の解毒は桜子には無理なことだった。
毒物を固めて影響を小さくするだけだ。
杏と里美に声を掛けて無理やり連れ出す。
その後ろにはおろおろしている妹の香織がついていった。
香織は『もう一生出られない』と考えていた。
そして、おぞましい記憶。
叔父に奉仕させられた。
心は嫌がっても体が動く。
『狂ってしまえたら』と何度も思う。
心の中では別の香織が急きたてるようにしている。
『早く心を楽にしてすべてを任せてしまえ』という。
『死にたい』とも思った。
だが、『お前が死ねば兄も殺すぞ』と脅される。
それで、死ぬことも許されない。
死んだら兄一人になってしまう。
それに好きな人のために死ねない。
その思いだけがこの世に引き止めていた。
啓の予想外のこと。
それは香織が恋をしていたことだ。
どこにも出かけていない香織。
彼女が恋をしていた。
相手を思う心が強い。
その意識が強いため自我を手放さないで抵抗した。
洗脳者が心をこわすためいろいろやったが失敗した理由だ。
叔父は『治療のため兄を動かすのは無理』と言っていた。
事実動けなかった・・・はずなのだ。
女の子が来て兄を治療していた。
ぼんやりそれを見ていた香織。
兄がよろけながら立ち上がって動いた。
子供に連れられて動き出す。
信じられないが、『なにかが変わる』と信じた。
地下入り口の階段のところで三人ほどの使用人に呼び止められた。
啓の子飼いの使用人だ。
だが、桜子が前に出て進む。
その迫力に道を開ける三人。
八歳の子供の迫力に負けた形だ。
五人は、二階の主の部屋に向かう。
主人の啓は忠志を見て固まる。
動けないはずの忠志が目の前にいる。
忠志はそんな啓を見て命令を下した。
「出て行け」
後見として存在していた啓だ。
十三歳で成人扱いの世界。
忠志はもう十六歳になっていた。
すでに成人している忠志。
忠志が病気ということで、その立場を維持していた。
忠志がまともに動き判断した。
それなら、後見の立場は降りるしかなかった。
力なく座り込む啓。
忠志は二人に抱えられたまま客間に向かう。
客間に落ち着いたところで桜子は話の続きを行った。
「忠志様、杏という名前に覚えありませんか?」
「杏・・・!、杏と里美!」
「やはり知り合いですか」
「彼女達はどこにいるんだ。探したのだけど見つからないという報告だった」
二人は体を小さくしている。
おそらく探されていたころには仕事をしていたのだろう。
「それで、もし見つけたらどうされますか?」
忠志は真っ直ぐ桜子を見つめると答えた。
「子供の約束とはいえ約束だ。結婚する」
意外な展開に驚く桜子。
そして目を見張る杏。
てっきり『子供の約束は忘れている』と思っていた。
自分は孤児になり後立てになる財産も無い。
なにより穢れた身だった。
「相手がどんな境遇でも構いませんか」
桜子は残酷な質問をする。
『孤児が相手でもいいのか』という意味だ。
『それでも結婚するのか』という質問だった。
忠志はきっぱりとした態度で答える。
忠志は調査を頼んだ結果を知っていた。
『二人が身寄りのない孤児』という報告を受けていた。
「狼家の名誉に恥じない限り結婚をする。もし恥じるなら狼家を捨てる」
犯罪者になって世間的に出られないなら、『結婚のため狼家を出る』という。
その潔い態度に子供のような純粋さを感じる桜子だった。
実際は杏との縁のようなものが介在していた。
けれども、桜子はその辺の事情を知らない。
それを聞いた杏の胸中は複雑だった。
そんなやりとりをしているうちに悟朗が帰って来た。
そして、使用人に聞いたのか客間に顔を出す。
「忠志君、無事だったのか」
どうやら同じ建物内に監禁されていたことは知らなかったようだ。
「はい、おじさん、おかげで助けられました。ありがとうございます」
「?なんのことだ、私は動いていないぞ」
「え、桜子さんを手配したのはおじさんじゃないのですか」
「桜子?、どういうことなんだ」
驚く二人は桜子を見る。
桜子は悟朗に向かい説明する。
「こちらの杏さんが教えてくれたんです。忠志様が監禁されてると」
忠志は杏という言葉に反応して杏を見る。
みるみる赤くなる杏。
「杏というとあの杏なのか?するともう一人は里美?」
2人は突然居場所がなくなったように小さくなる。
そんな様子に桜子が質問する。
「叔父様は知らなかったのですか?」
肩をすくめて答える悟朗。
「屋敷の人事はおじさんまかせだったから知らなかった」
忠志は杏の手を掴んで離さない。
「忠志君、良かったな。やっと婚約者を見つけられて」
十年前、帰ってきて興奮気味に話をする忠志を思い出していた。
うれしそうに話をする忠志だ。
まだ兄さんが生きていた頃の話だった。
「悟朗おじさん。それでお願いがあるんですが」
「なんだい?」
「いま、体調が悪すぎるので狼家を維持できません」
「ゆっくり休めばいいだろう」
「でも、いまさら家を背負うより自由になりたいのです」
「おいおい、そんな急いで決めなくてもいいだろう」
「しかし、急がないといけないこともある。香織のことです」
「?」
「おじさんの罠にはまって香織に思わぬ苦労をさせてしまいました。だからお
じさんの顔で香織に幸せな結婚をさせてやりたいのです」
忠志の顔に苦悶の表情がにじみ出ている。
地下で味わった経験は一生つきまとうのはわかっていた。
だからこそ香織には好きな男と結婚させてやりたかった。
事情を知らない悟朗は答える。
「それこそ君の進退とは関係ないだろう。香織ちゃんのことは任せておきなよ。
立派な相手を世話するから」
忠志は、内容が内容だけに叔父さんにも相談できない。
香織の好きな人は狼家の末席に近い男だ。
当主の妹では結ばれるのは無理な話だった。
そして、洗脳で行われたこと。
これは『一生心の中にしまうしかない』と思っていた。
弱点のある当主は組織の弱さに繋がる。
それは知っていた。
「だからですよ、僕の力より悟朗さんの力のほうが勝っているから降りるので
す」
固い決意に言葉を失う悟朗。
「・・・」
「このままでは狼家の力が分散してしまいます。狼家のことを考えれば悟朗さ
んが適任です」
「・・・」
「おじさん、あの啓おじさんから家を守ってくれたのは誰ですか」
「・・・・」
「ここは黙って引き受けてください」
ようやく決断する悟朗。
忠志の翻意を促すのはあきらめる。
「・・・・わかった、引き受けよう。でも今度の親族会議には出てもらうよ」
「はい、承知しました。それでもう一つお願いがあるのですが」
「なんだい」
「杏と里美のことですが」
忠志にとって居場所の無い二人に居場所を作ってやりたい。
その思いが口に出た。
「杏は君の婚約者だろう」
「はい、体が完全になるまでこちらで雇ってもらえないかと」
当主を降りるとなれば家を出て行かなくてはならない。
今は自分の身で手一杯だ。
「それは構わないよ。ただ使用人というわけにはいかないね。それと君達もこ
こに住めばいい、ここは君達の家だ」
悟朗には忠志の考えていることはわかっていた。
そのとき、桜子が口を挟んだ。
「それなら伯父様、家庭教師と遊び相手ということでどうですか」
「そうか、そういう立場なら問題ないな。二人には助けられたようだから」
二人はあまりの運命の変遷に驚く。
そして、言葉もでないまま泣いていた。
ようやく足元を固めた桜子。
敵になるのか味方なのか判らない謎の組織。
次回、杏の背景組織のことです。
ここまでで、小説予定の半分です。
先は長いのでお付き合いをおねがいします。