第一話『咀嚼』
記号論でホラーを作りたいと思って書き始めた何かです。独学故いろいろと実際の理論と齟齬があったりするかもしれませんが、生暖かい目で咀嚼してください。
『それ』はおぞましい姿をしていた。
丸い歪な肉体を、いくつもの目が覆っている。
その目は観察するためというより、ただの器官といったほうがいいだろう。
『それ』は、『目』で食べるらしい。
見られたものは徐々に咀嚼されて消えていくようだ。血と肉も、まるで何かの情報のようにモザイクとなって消えていく。
生きているものが、ただの情報に、『それ』になる。
私が見ている先で、親友だと思っていたものが。
喰われていく瞬間に、『親友』という定義が揺らいでいた。ただの情報としてしか定義できなかった。
存在という意味を、人間の構造を食らうーただ喰らうだけでなく、ただの『人間』という、いやそれ以下の記号に還元する、化け物だった。
見られてはいけない。
もしくは、見られるまえに、定義しなくてはならない。
私は考える。必死に考える。見られないうちに考える。
(あれはどういう生態だ?)
『親友』が情報になったおかげで、幾分か冷静になっていた。
皮肉だが、『親友』が『親友』のままだったら、私はひどく取り乱していただろう。
そして、そこに活路がある。
(あれは普通の生態系じゃない。記号論的な生き物。あの捕食には何の意味がある?化け物が無徴であり、人間を記号にすることで人間を有徴という単位にし、自らの下位に置く。それを食らう?無徴という生態系)
ならば、あの化け物はどんな記号的な位置に該当する?
何に対する無徴?記号を食べる生き物というものに対してもうひとつ、人間をそれと対立する形へと再定義するか?
どちらも言語の仕組み的に共存しなければならないものとして。
(それともー)
あれはー統辞論的なものでうごいているのか。
『範列』クラスとして、意志のあるものが主語クラスの排除対象なのだとしたら?
(例えば、『山が行幸する』のように、本来あり得ない主語との述語の並びを実現しようとしているのなら)
考えろ。
(人間は食べる。人間を食べる。違う、食べるじゃない。記号を食べる。情報にして意味を食べる。意味を無化する)
それとも、詩的作用なのか。
(恐怖がそれを真実のようにする?それっぽく真理のようにする?異化作用か?)




