日本から来た少女
「お願いします。こちらで雇って下さい。」
ここは上海の日本料理店。千鶴子は板長に頭を下げる。彼も日本人だ。
「そう言われてもうちは人手は足りてるんだよ。」
「私高等女学校には通ってました。一般的な知識はあります。それに女学校時代は英語は一番得意で試験でも常に学年で一番でした。」
千鶴子は鞄から履歴書と答案用紙を見せる。
「通ってたって中退じゃあね。それにうちのお客様は日本人ばかりだ。従業員も日本人だし日本語で十分だ。」
「板長、そろそろ開店の時間です。」
板前の1人が板長の元へやって来る。
「分かった。それからこの娘がお帰りだ。」
板前に千鶴子を出口まで送るように指示する。
「お嬢さん、そろそろ開店の時間なので。貴女みたいな貧しい身なりの人間がいるとお客様はいい気がしないのですよ。」
千鶴子は板前に押されるようにして店の裏口から外へ出される。
これで何件目だろうか。
千鶴子は東京で父と母と暮らしていた。しかし9才の時関東大震災で両親共々家の下敷きに。天涯孤独になった千鶴子は孤児院に預けられた。尋常小学校を卒業すると成績が良かった千鶴子は特待生として品川の高等女学校へと進学した。同級生は華族の令嬢ばかりだった。父親が仕事でヨーロッパに行ったお土産にドレスやアクセサリーを買ってもらった話や母に少女歌劇を観に行って来た話で盛り上がってる。しかし孤児院育ちの千鶴子にはドレスを買ってくれる父親も少女歌劇を観に連れていってくれる母親もいない。千鶴子の唯一の楽しみはなけなしのお小遣いで買った少女雑誌を読むことだった。
「美しい方」
千鶴子が目にしたのは軍服姿で馬に跨る男装の麗人だ。見出しには「満州で活躍する王女」と書かれている。
「王女様なのに男性のような姿を?!」
千鶴子が真っ先に抱いた印象だ。
「皆が言う少女歌劇の男役ってこんな人なの?」
千鶴子は雑誌のすなっぷ写真の男装王女に釘付けになった。
ある日女学校から帰ると孤児院の院長先生に呼び出された。院長室に行くとそこには院長先生の他にスーツ姿の男が二人いた。
「千鶴子、お前ももう16才だね。」
院長先生が尋ねる。16才になったら孤児院を出なければいけない。
「はい、ここを出て女学校の寄宿舎に入ろうと思います。」
「駄目だ。お前には働いてもらう。この二人が仕事の面倒を見てくれるよ。」
男二人が千鶴子に近づいてくる。
「お嬢さん、我々と来てもらおうか?」
「お嬢さんならすぐうちの廓で一番になれるよ。」
(廓?!)
千鶴子はその言葉を聞いてはっとする。彼らは女衒と呼ばれる人達で女の子を買っては夜の店に売り飛ばしてる人達だ。
(私院長先生に売られたの?)
「嫌です!!私行きません。」
「千鶴子、これまで私はお前をここに置いて面倒を見てやった。今度はお前が恩を返す番だ。他の女の子も皆そうしてきたよ。」
千鶴子は気付いた。この孤児院は人買いの像窟だったのだ。
「さあ、お嬢さん、行きましょう。」
「嫌です!!!!」
千鶴子は大声で叫び男の手を振り払うと全力で走り去っていく。