魔法とは
寝間着からジャージに着替え、家の庭に出る。
着替えながら気付いたのは自分との好みの違い。パジャマ派ではない為、その辺りの生活用品を買い揃えなければと思う。無駄遣いする事は避けたいが睡眠環境を整える事は重要だ。健康であればこそ、出来る事は多いのだから。
家族は無く、生まれ育った一軒家に一人暮らし。庭付きというのは贅沢にも思えるが、生家を手放す事が出来無かっただけ。援助も有ったから。
ただ、きちんと庭の手入れはされている。其処に彼の生真面目さが窺える。
だからまあ、人生を交換したとは言え、同じ存在ではあるので、大事にして行こうとは思う。自分の負担に成らない程度に。
その庭は20m四方の広さ。ただ、庭木や草花、飾る為のオブジェの類いも一つも無い。丁寧に刈り込まれた芝生を除けば、雑草も生えてはいないが。だから、小さめの学校の校庭といった印象だ。
まあ、手入れの手間や維持費等が掛からないなら問題は無い。使える事が重要なのだから。
軽く爪先で地面を叩き、固さを確認すると、数回その場で跳んで身体を動かす。そのまま、室内では出来無かった大きな動きを試す。
以前の自分が身に付けていた武術の動きを行い、この身体でも特に問題は無い事には安堵する。妙に馴染んでいる事は不思議だが、特に気にはしない。考えても無意味だろうから。
取り敢えず、身体面では問題無し。
「……さて、どうなるか……」
それよりも今から確認する事の方が重要であり、この世界での人生の明暗を分ける。だから、久しく感じる事の無かった緊張感が新鮮に思える。
同時に口元が緩んでしまうのは仕方が無い。
こういうのを望んでいたのだから。
確認するのは、自分が魔法を使えるのか。
先ず、この世界に於ける魔法に関してだが。
抑として、魔法が空想の産物でしかなかったのは元の世界と同じ。それ以前から存在していたのなら世界は疾うに分岐し、異なる歴史を刻んでいる筈。だが、実際には異なるのは直近の百年のみ。
つまり、この世界の魔法というのは世界を別った分岐点ではなく、分岐した先に生じた可能性。
魔法という違いが現れたと言うのが正しい。
第壱号基ダンジョン・ジパングの発見者であり、ダンジョン研究の第一人者となった高槻哲道の娘で当時13歳だった少女が、世界で最初の覚醒者。
それ故に[始まりの魔法使い][原初の魔女]と彼女は称されてもいる。
西暦1895年──聖歴元年、ジパングを調査中だった父親の元に忘れ物を届けに来た彼女が色々な偶然が重なり、ジパング内に踏み入れた時、彼女に呼応するかの様にジパングは反応し──その直後、彼女は魔法の使い方を知った。
これが、彼女が覚醒者とされる所以である。
それ以降、日本各地の十代後半の少年少女が突如として魔法を使える様に為った。
勿論、全ての者が、という訳ではない。
ただ、その変化は彼等彼女等にダンジョンという未知と深く関わる事を余儀無くされた。
話を戻して。
この世界の魔法とは、源となる力──“魔力”と称される先天的な力を有している事が大前提。
魔力を持たない者は、魔法を使う事は出来無い。当然と言えば当然だが、他の技術で再現・代行するという事も現時点では不可能である。
因みに、正式には“魔素の先天的適合能力”。
魔力は略称だが、現在では定着し、正式な方では滅多に使用されない。論文等でも漢字表記だ。
これには日本がダンジョン・魔法の研究に於いてジパングを有する事の優位性が大きく関係しており他国よりも先んじている為、この世界では日本語が世界の共通言語と成っているからでもある。
それらを踏まえた上で本題に。
元の立方 晶は魔法を使えていた。
彼はは魔力を持っていた。
しかし、魂が入れ換わった影響で使えなくなった可能性も無いとは言えない。
魔法は勿論、魔力も無い世界の存在だった自分は果たして、どうなのか。
確かめる事は怖くもあり、絶望の可能性に不安を感じない訳ではないが──知らなければ進めない。
だから、確かめる。
既に百年という歴史が有り、情報の蓄積や検証、研究というのは随分と進んでいる。
ダンジョンの影響で目覚めた第0世代を除けば、個人差は有れども、第1世代以降は10歳までには覚醒しており、現在では満10歳で魔力検査を行う事が法律で義務化されている。
魔力検査は魔力の有無を確かめるだけである為、基本的には12歳に成ってから魔法を習う。
事情や環境によっては何方等も前倒しになる事も有るが、それは極めて稀な事でしかない。
立方 晶は事故の際に魔力検査を受けているし、魔法を習ってもいる。故に、その知識は有る。
目蓋を閉じ、リラックスして内側──肉体よりも深い場所に潜る様なイメージで意識を集中させると水面に触れ、波紋が生じる様な感覚がした。
「ふぅ~……先ずは一安心だな……」
今の感覚が有れば、魔力が有る事は確か。これで最低限の条件は満たした事になる。
魔力所有者は一万人に1人と言われているので、決して多いとは言えない。
ただ、魔力が有っても必ずしも魔法を使えるとは限らないのが現実。
そう、魔法には適性も不可欠。其方等に関しても試して見なければ判らない。
この世界での魔法は体系化された固定式の物で、個人が自由に創造出来る類いの物ではない。
ただ、それだけに使い方は判り易くなる。
先ず、魔法には4つの属性が存在する。
火属性の【ファイア】に、水属性の【アクア】、風属性の【ウインド】、土属性の【ロック】だ。
これに魔法の形状指定──発現形状を付け加える事によって、魔法は異なる状態を形成する。
弾丸の様に撃ち放つ[ブリット]。
盾の様に展開する[シールド]。
一定範囲を飲み込む[ストーム]。
属性と形状。その組み合わせで魔法は成立する。同時に“呪文”が魔法の発現形を示す。
具体的には火の弾丸なら【ファイアブリット】、水の盾なら【アクアシールド】という様にだ。
その基礎となるのが、属性指定のみの発現魔法。つまり、【ファイア】等となる。
両手を真っ直ぐに突き出し、視線を掌から5mは離れた庭の中央、その虚空に固定。
発現点を定め、先程感じた水面から両手の掌へと魔力を導いて行く様にイメージしながら一音一音を丁寧に発音する事を意識し、詠唱する。
「……《万物の素、始元たる要、その根幹たる源、燃え上がる力を我に》──【ファイア】っ!」
呪文を口にした──が、何も起こらない。
魔力が消費された感覚もしない。
つまりは、そういう事だ。
「…………使えない、か……」
だが、がっかりはしない。これは判っていた事。それも踏まえた上での確認だったからだ。
実は魔力検査の際に。そして、満12歳に成ると魔力所有者は固有魔法の判定検査を受ける。
固有魔法の発現者は魔力所有者の中でも超稀少。此方等も一万人に1人だと言われてはいるのだが、実際には、もう少し多い。
固有魔法は四属性魔法とは違い他者は使えない。発現者だけの特別な魔法だ。
有名な所では、雷属性の魔法や氷属性の魔法。
ただ、固有魔法には悪影響も存在する。
それが、四属性魔法の適性への影響。
立方 晶は固有魔法の発現者。そして、その為に四属性魔法は一切使う事が出来無かった。
今の自分なら、どうなのか。
その確認も含めての事だったが──他の三属性も同様に発現しなかった。
「まあ、此処までは予想通り……あとは固有魔法が使えるのかが問題だな……」
もし、発現している筈の固有魔法が使えなければ自分には魔法の適性が無い事になる。絶望する事は無いにしても、期待が有っただけに残念には思う。そうは為らない事を願うが、どうなるかは判らない。だから、覚悟だけはしておく。
その固有魔法だが、発動方法は大きく二通り。
先ずは、四属性魔法と同様に詠唱と呪文によって形成される魔法の場合。此方等ならば固定型なので使い易いし、四属性魔法への影響も小さい。そして発現者の多くが此方等だったりもする。
もう一つは詠唱・呪文を必要としないイメージで発動する場合。非常に稀少であり、滅多に発現者が居ないので未知の部分も多い。
話だけを聞けば多様性が有りそうだが、実際には縛りや制限も多く、使い勝手は悪い事が殆どだが、確かに他よりも強力な魔法である可能性も秘める。
事実、新たな歴史に名を残す魔法使い達は総じて固定魔法の発現者である。
ただ、現代では汎用性の高い魔法使いである方が需要としては求められている傾向が強い。
尚、詠唱は魔法の組み立てを補助する物なので、熟達すれば詠唱しなくても呪文だけでも発現可能。更に上に行けば、呪文も省略可能──と言われるが実用化に成功した者は未だに居ない。
身体を軽く揺らし、リラックス。深呼吸をして、再び目蓋を閉じ、集中。左手を胸の高さに上げて、その掌に浮かべる様にイメージする。
「──っ、これが、俺だけの魔法っ……」
左手に浮かぶ一辺10cmの正立方体。
これが、固有魔法【掌之匣庭】。
無属性の正立方体型の魔力塊。
顔を上げ、庭の一角に向ける。其処には以前から練習を繰り返していた証である丸太が何本も地面に打ち込まれていて、的の板が取り付けられている。その一つを狙って──投擲。
実際に握る訳ではないが、野球の要領で投げる。
すると、的に命中し──魔力塊は爆発。衝撃波と爆発音が生じ、土煙を巻き上げた。
煙が消えると、的は愚か、丸太も跡形も無く爆散しており、直径2m程のクレーターが出来ていた。
「………………は? こんな威力だったか?」
記憶の中で彼が使っていた筈の同じ魔法は確か、的を弾く程度の威力だった筈。
その証拠に、他の丸太や的は破損しているだけ。当然だが、今の様な痕跡は何処にも見当たらない。
「…………これはつまり、俺の方が威力が高い? いやまあ、そうなんだろうが……何故だ?」
確かに、この世界の魔法は形状は固定だが込める魔力量を増やせば威力は上がる。無制限ではないが数倍までなら確認はされている事だ。
しかし、今のは確認用だ。
感覚としては、彼の記憶で追体験した時の感覚と大差は無かった筈だから、使用した魔力量に大きな差は無かった筈。
それなのに……何故、こんなにも差が出た?
「………………そう言えば、魔法の威力等が決まる要素として魔力量以外に純度が関係するという様な論文が有った様な気が……」
それは自分が見聞きした事ではない為、飽く迄も触り程度の認識でしかない。
しかも、その論文自体が約30年後の物。
現時点では研究されているのかも判らない。
ただ、可能性という意味では考えられる。
魂が入れ換わった事で、元々の魔力の質が変わるという可能性は考えられる事だと言える。
勿論、それを実証する事は不可能だが。
それに、既に統計として、魔力や適性が遺伝する事は確認されている事で、一部の国では政策として魔法使い同士の婚姻や、優秀な男性には一夫多妻が認められていたりもするし、優秀な女性にも結婚の相手選択の優先権や強制権が与えられてもいる。
そういった観点から考えてみれば、魔力の有無、魔法適性、固有魔法が同じなのは肉体的な要因だと言う事が出来るだろう。
だから、それらは変わっていない。
しかし、魔力の純度は変わった。
それはつまり、魔力の純度とは──魂の性質。
そう仮定する事が出来るのではないだろうか。
まあ、これは魂を交換したという事実が有るから考えられる事なのかもしれない。
魔法や魔力は実在している世界でも、魂の有無に関しては架空・思想の域を出てはいないのだから。如何に難しいテーマなのかが窺える気がする。
取り敢えず、魔法の威力が上がっている事自体は悪い事ではない。嬉しい誤算だと言える。
だが、嬉しくない方の誤算も伴っている。
「これだけ威力が有るとなると此処で練習するのは流石に難しくなるか……」
庭に出来たクレーターは決して小さくはないし、埋めるにも一苦労だろう。だからと言って気にせずクレーターを作り重ねて庭を駄目にしてしまう事は避けたい。誰に文句を言われる訳でもないが。
「しかし、本当に誰も居ないんだな……」
それなりに大きな爆発音だった筈だが、近所から文句を言われる事も無いし、人が遣って来る気配も全く感じられない。
その理由は魔力持ちの特権や、畏怖等から文句を言えないのではない。近所に誰も居ないから。
ダンジョンが世界中に出現し、世界が変わった。その最たる違いは、その後の人類史から人間同士・国同士の戦争は殆ど消えたという事になるだろう。
その原因は当然ながらダンジョン。
“ダンジョンの出現”というのは正確に言えば、人の住む現世に出入口を現す事を言う。
どういった原理なのかは解らないが、出入口から先は異空間、或いは異次元。現世の物理法則からは隔絶された存在とされている。
唯一の例外がジパング。アレだけは遺跡としての建造物部分が現世に存在している。
それ以外のダンジョンは出入口のみ。それすらも洞窟の様な形状や、奥行きの無い薄い幕の様な物、階段で地下に下りる形の物など様々。
違う世界を知るが故に、自分からするとゲームの様に思えてしまうのは仕方が無い事なのだろう。
そんなダンジョンは出現後、ジワジワと周辺域に影響を及ぼしていく。
それが“魔素拡散”と呼ばれる現象。
ダンジョンから溢れ出す魔素は、出現した直後は微量だが、そのダンジョンを放置していると次第に濃度が高くなる。
魔素は人以外には大して影響を及ぼさないのだが人にとっては微量でも致死性の猛毒も同然である。その為、ダンジョンが出現した場合、その周辺域の人々は即時避難し、帰還は不可能に近い。
何故なら、魔素はダンジョンが存在し続ける限り濃度を増す一方で、決して薄れはしないから。
その上、魔素の除去方法や中和方法は未だに発見されてはいない。
ただ、人は何も出来無い訳ではない。
それが、“ダンジョンの攻略”である。
ダンジョンに入り、ダンジョンの主──存在の核となっている“ボス”を探し出し倒す事が出来ればダンジョンは消滅する。そうすれば、魔素は綺麗に消え去ってしまう。理屈は兎も角、結果として。
しかし、ダンジョンの中は外よりも魔素の濃度が格段に高くなる事は言わずもがな。そうなると中に入る事自体が困難だと言える。
それを可能性にするのが──魔力持ち。
先天的に魔素に対する適性が有るからこそ、中に入る事が出来る。魔法という戦闘手段も持つ。
その為、ダンジョンに入り、攻略する事によってダンジョンの脅威から解放するのが魔力持ちの使命となっている。
ただ、全ての魔力持ちが同じという訳ではない。魔素への適性──耐性には個人差が有る。
それに加え、魔力量が多いから、魔法使いとして優れているから、という訳でもない。
この耐性も先天的な物だとされてはいるのだが、ダンジョン内で戦闘経験を積み重ねると上昇傾向が見られるという研究データも出ている。その事から魔素耐性は高められると考えられてはいるが、まだ効果的・効率的な手段は確立されてはいない。
ただ、不思議なのが魔素が拡散するのは出現した出入口を中心に半径3kmか5kmの範囲内のみ。その境界線から本の数cm離れただけで魔素は存在しないというのだから意味不明。その範囲も球状ではなく円筒状なのも謎である。
ダンジョンの出現自体は珍しくはないが、決して頻繁に起きている訳でもない。日本国内に限れば、年に数件という程度。場所によっては元々の住民が少ない地域である事も有る為、実際に遭遇するまで他人事に思っている人も少なくはない。
だから、人々が生活可能域と不可能域が隣り合う奇妙な形で今の世界は構成されている。
この自宅が有る地域にダンジョンが出現したのは今から3年前。中学に上がる春の事だった。
一つでも大惨事なのに、三つも同時に出現だ。
数例だが、前例が無かった訳でもない。しかし、その全ての場所は今も尚、人が住めないまま。
だから、この地域には自分以外には居ない。
自分だけが、この濃度の高い地で生きていられる状況だからこそ、こうして人目や近所迷惑になる事を気にせずに魔法を使う事も出来る。
尚、人が生活している場所での魔法の使用自体は基本的には禁止されているし、人に向けて使う事は犯罪なので捕まる。そんな馬鹿は先ず居ないが。
耐性の差により、魔力持ちでも活動可能な環境と不可能な環境が有る。
それ故に、耐性の高い魔力持ちには色々と手厚い支援や特権が与えられているのだが──立方 晶は世間的には落ち溢れである。
だから余計に気にもされない。色々と試すのには都合の良い状況だと言える。
因みに、魔素拡散等の事は“ダンジョン災害”と総称されていて、国からの保証が約束されている。これも世界の在り方に適した違いだと言える。
そういった事情から周囲は全て空き家。だからと言って破壊したり、盗みに入ったりすれば犯罪だ。そんな事はしないが。
それに、人が居ないだけで、ダンジョンの変化を観測する為の定点カメラ等も設置されているので、派手な事をすれば知られてしまう。
幸い、この家は観測範囲内には入っていないが、遠くからの定期的な目視も行われている。だから、悪目立ちする真似は避けるべきだ。
「さて、そうなると…………海岸沿いが良いか」
この地域の南側が海で、ダンジョンが有る場所は三つ共に北側。まあ、だからこそ、陸の孤島として隔離された様な状態になっているのだが。
その御陰で人目が向かうのは北側。海岸に行けば入り江に為っている場所が有った筈だ。其処でなら東西からは見えず、南の海上に監視の眼は無いし、北側からの視界は山が遮ってくれる。完璧だ。
ただまあ、家から海岸までは時間が掛かる事だ。こればかりは仕方が無いが、無駄ではない。移動の時間も鍛練として使う事が出来る。
「想像だと簡単そうなんだけどな」
そう呟き、目蓋を閉じ、集中。
これも追体験で遣り方を覚えた。此処までの事が全て問題無く出来ている為、今回も大丈夫な筈。
僅かな不安を懐きながらも、身体が熱く、軽く、力強くなるのを感じ、目蓋を開く。
自分の左手を見るが、特に変わった様子は無い。しかし、足元に落ちていた3cm程の大きさの小石を拾い上げると人差し指と親指で挟んで──砕く。
硬い筈の小石が、スナック菓子の様に容易く砕け散ったのを見て成功している事を確信する。
──が、此方等も固有魔法と同様に、記憶の中の効果よりも随分と高くなっている。彼が同じ方法で確認をした時は、全神経を集中させる様にして力を込めて漸く割れた。そう砕けてはいない。
これも純度の差なのだろう。
力を入れ過ぎない様に意識して、軽く前に跳ぶ。
「────っ!?」
スキップをするよりも軽い感じで踏み切ったが、それだけで5m近くも跳んでしまった。
警戒して抑えていたから問題無く着地出来たが、何も考えずに確認しようと思い切り跳んでいたら、一体どうなっていた事か。それを想像しただけでも冷や汗が流れてくる。
一歩間違えば自爆して終わっていたのだから。
「これが強化か……正に革命だな……」
今、試したのは【身体強化】の“魔術”。
魔術とは、その名の通りで、“魔力を用いる事で可能とする技術”の総称。魔法とは異なる物だ。
そして、身体強化も自身の身体を強化する物。
共に20年後に確立・公表される物。
現時点では実用化前の理論上の技術になる。
それを扱えるのは彼が未来で修得していたから。若返り、過去の世界だから、そういう事になる。
魔術は魔力その物を用いる技術である為、魔法の適性とは関係無く修得する事が可能。
但し、此方等は魔力耐性や操作・制御の精度等が高くなければ不可能。
適性だけで扱える魔法とは違い、明確な力量差が修得の可否を分ける。
その為、未来では“魔術士”と魔法使い、という二つの派閥が出来て、対立する問題になるのだが。それは人が集えば生じる事でもある。
余談になるが、この魔術の確立者は未来に置いて人々から[始まりの魔術士][革命の魔女]という呼ばれ方をしているのだが、実は彼女は高槻教授の娘の直系の子孫で、それも踏まえて、という事。
ただ、皮肉な事に彼女自身は稀代の魔法使いでも有ったりする為、技術革命により対立が生じた事を誰よりも嘆いている、という話だった。
まあ、飽く迄も彼が雑誌で読んだ記事でだが。
彼自身に彼女との面識は無い。向こうは世界一の有名人だから彼でも知っている、というだけだ。
「魔術が俺にとって他者より有利なのか、それとも面倒な災厄を招く火種なのか……」
まあ、それも彼に言った様に自分次第だ。
少なくとも、この世界で生きていく上では手札が多くて困るという事は無いと言える。要は使い方が肝心なのだから、考えるべきは其方になる。
取り敢えずは、身体強化に慣れるトレーニングを兼ねて海岸まで走ってみる事にしよう。
その結果を以て、色々考えればいい。
そう考え、直ぐに準備をして家を出る。
単なる早朝ランニングではなく、そのまま海岸で固有魔法や身体強化の練習をする予定なので直ぐに家に戻らない為、色々と持って行く必要が有る。
荷物は多いが、丁度良い負荷にも成る。
「…………こういう物だという常識が有ると、この異常さには気付き難いんだろうな……」
走りながら人の居ない街を見て、ゾッとする。
普通、人が住まなくなった家というのは、管理をしなければ、一ヶ月も有れば直ぐに荒れてしまう。傷み方には環境による差が有るが。不思議なもので家とは人が居てこその物なのだと思わされる。
だが、既に3年という時が経過しているのに街の建物に大きな傷みは見られない。
まるで、今も誰かが住んでいるかの様に、だ。
しかし、その一方で草木等は成長し放題だから、パッと見には荒れている様にも見える。
少なくとも、この景色を見て彼は訝しむ様な事は一度も無かったみたいだ。
それも、世界が違うが故の差なのだろう。
そんな事を考えながら、1時間程で目的地の海岸に特に問題も無く到着した。
ある程度は下側の加減は判った。
問題は上側が、どうなのか。
だが、下手に痕跡は残せない。そういう意味でも目の前に広がる海は好都合。
砂浜で靴と靴下を脱ぎ、ジャージを膝上まで捲り上げたら、持ってきた荷物の中から彼が使っていた木刀を取り出し、波打ち際に。春先の冷たい水温が火照った身体には心地好い。
足元の具合を確かめて、軽く数回素振りをして、深呼吸をして──構える。
右足を引き、左前の半身。
木刀の鋒を水面下に沈め、右足の爪先に当てる。正確には、其処から少しだけ浮かせる。
水面は膝下に届く深さ。振り抜くだけでも感じる水の抵抗は小さくない。
立っているだけでも波の動きにより、木刀も脚も静止させる事が難しい。それだけでも力を使う。
この状態から一息に木刀振り抜く事は有段者でも簡単には出来無い。それだけ武術に於ける下半身の使い方というのは重要となるのだから。
その為、人の技には限界が有る。
現実的には、流れ落ちる滝を斬る、といった事は先ず不可能である。人の膂力では其処までの剣速を生み出す事は出来無いからだ。
だが、もしも、その剣速を可能とするのならば。その可否は、どうなるのか。
正直、それは理論上の話であり、未知の領域だ。少なくとも、元の世界では実現した人物は居ない。過去の達人の話も真偽は定かではないのだから。
だから、今、どうしようもなく胸が高鳴る。
落ち着こうとするが、好奇心が高まり過ぎていて興奮が抑えられない。
だが、集中は出来ているし、魔力に乱れは無い。これと言った問題は無し。遣れる。
「────疾っ!!」
身に付けた技術、培った経験、新たな可能性。
それらが組み合わさり──形を成す。
振り抜いた木刀の軌跡が沖に向かって奔る。
海が裂ける。
流石に海底まで見える様な事は無かったが。
数瞬の間とは言え、確かに斬跡が出来た。
自分が遣った事なのに、その自分が一番目の前の光景を信じられないでもいる。
──が、それは本の僅かな驚きと戸惑い。
直ぐに、それを飲み込む津波の様な物凄い興奮と高揚感が湧き起こってくる。
「は、はは……アハハハハハッッ!! 何だコレ?! マジかっ!? ヤバ過ぎだろっ!!」
上手く言葉に出来無い程で。もう笑うしかない。それ位に信じられない。だが、楽しい、面白い!
どうしようもなく、テンションが上がる。
その勢いのままに木刀を振るい、何度も何度も、繰り返し繰り返し、海を斬る。
──が、長続きはしないものだ。この場に誰かが居れば、同じ様なテンションで盛り上がり、悪ノリしたりして、何かしらの失敗や問題、或いは過ちを犯してしまうという場合も有るのかもしれないが。幸か不幸か、今は一人きり。そんな事には為らず、既に興奮も冷めている。
落ち着くと、先程の自分の姿を思い出しただけで急に恥ずかしくなってくるから困る。そういうのを求めて、この世界に来た筈なのだが。無駄に以前の社会人としての意識が邪魔をしてくる。若さに身を委ねて馬鹿になれば楽なのにな。難しいものだ。
海から上がり、砂浜に腰を下ろして一休みする。持ってきたスポーツ飲料が渇いた喉を潤す。
つい、子供の様に夢中で遣ってしまっていたが、時間にすると1時間位だろうか。
それだけ、ぶっ続けで遣れば嫌でも理解出来るし身体にも馴染んでくる。既に身体強化は概ね把握し自分の思う様に制御する事が可能だと言える。
ただ、使っていた木刀は駄目になってしまった。岩を砕こうとしたりしていた訳ではないが、単純に強化した自分の身体能力に耐え切れなかった為だ。木刀は強化されてはいないので。
まあ、木刀の犠牲から、遣り過ぎには要注意だと学ぶ事が出来たので感謝する。
「…………そう言えば、彼女により確立されていた魔術は使用者自身の強化だけだったな……」
勿論、身体強化と言っても簡単な事ではない。
寧ろ、身体強化は完成形だ。
先ずは視覚・聴覚等の五感の鋭敏化から始まり、全身の骨格の強化、血管の強化、各臓器の活性化、皮膚や筋肉の強化……それら全てが出来る様になり全てを同時に行う。それが身体強化の魔術だ。
その派生として、自己治癒力の活性化・強化に、それを応用した超筋トレ方法に、脳細胞の活性化、変わった所では身体の軟性の向上が有る。
だが、それらは何れも自分自身にのみ有効。
だから、固有魔法を除けば、治癒魔法というのは存在していない。
つまり、魔力を用いて他者に干渉する様な技術は未来でも不可能な事のまま。勿論、その分野の研究というのは今現在から未来でも続いているのだが。実用化の可能性は見えてはいない。
それだけ難しい技術だという事だ。
しかし、考えてみれば当然だとも思う。
魔素は人にのみ影響する。他の生命や無機物には何の影響も与えてはいない。それはつまり、魔素は人以外に扱えない──いや、知覚ですら出来無い。そう言えるのではないのだろうか。
それなら、色々と説明も出来る。
そして、それに人々が気付かない理由は、疑問に思わないまでに慣れている為だろう。
自分の様に違和感を覚えない程に。
傍らに置いてある複数に折れた木刀。その一つを手に取って、自分の身体の一部──延長上に有ると意識して、魔力を流し入れるイメージで注ぐ。
「────っ!?」
──が、木刀の一部は爆散してしまった。
別の一部を手に取り、今度は周囲に纏わせる様なイメージで魔力を集める──が、自分の制御下から切り離した瞬間に圧し潰される。
やはり、使用者以外には強化は施せないらしい。可能だったら投石という攻撃手段が出来たのだが。正直、残念だ。まあ、独自に研究は続けるが。
それはそれとして、自分の手を見る。
握って、開いて。特に可笑しな所は無い。
だが、それが既に可笑しい。
記憶の中の彼は固有魔法でも十発、身体強化なら1分から1分半で、魔力切れになっていた。
しかし、自分は海岸に来るまでの間、ずっと身体強化を続け、大して休みもせず、更に1時間以上の試し斬りを全力で遣っていた。
それなのに、魔力切れの兆候が見られない。
手足の震えや弛緩、倦怠感や脱力感、死ぬまでは行かないにしても、普通なら、既に気絶していても可笑しくはない。それ位の魔力を消耗している。
──筈なのだが……まだまだ遣れる気がする。
ただ、どんなに魔力が豊富だろうと、一度に扱う事が出来る魔力量には限界が有る。
理論上は魔力を注ぎ続ければ【ファイア】の炎は強く大きく燃え盛る筈だが、実際には制御不可能な状態に到ると破綻──暴発してしまう。
この制御というのも使用者が【ファイア】を発現地点に留め続けられる、という程度でのものだが。それでさえ難しいのが実状だ。
結局の所、魔法使いの技量が低いのでは?
そう考えてしまう辺りも違う世界を知るからだと言わざるを得ないのだろうな。
「……知られたら面倒な事になるだろうな」
婚約を解消したのは、期待した程の価値が無いと判断した事も有るだろう。だが、今の自分の実力を知ったら、再度婚約を望む可能性が高いと言える。勿論、断るが。
結婚願望が無い訳ではないし、性欲も人並みには有るのだから、別の相手が見付かるまでは目立たず知られず実力を伸ばして行きたい所だ。
休憩を終えると今度は固有魔法を試す。
自宅の庭の時と同じ様に正立方体の魔力塊を掌に作り出すと、海に向かって投げ放つ。
海面に触れた瞬間──爆発。
大きな水飛沫を上げ、一時的にとは言え、海面にクレーターを作った威力は、彼の同じ固有魔法とは比べるまでも無い。大して魔力を込めてもいない。それなのに、この威力だ。安易には使えない。
しかし、それでは困る。
弱くても困るが、強過ぎても困る。彼からすれば贅沢な悩みかのかもしれないが。
取り敢えず、今よりも少ない魔力量で試す。
…………まさかの不発動、だと? 今の魔力量が必要最低限だと言う事なのか?
いや、彼の魔力量から考えれば、発動させるには必要最低限に抑えているのは当然の事だと言える。そうなると今より威力を下げる事は不可能?
まだ何かしら工夫出来る事は有る筈だ。例えば、魔力塊の大きさを小さくしてみるとか。
試しに遣ってみる──が、また不発動。どうやら最低サイズが一辺10cmの規格らしい。
……小さくは出来無いのなら、同じ魔力量のまま大きくする事で威力を分散出来無いか?
……お、よし。拡大は出来るみたいだな。だが、10cm単位でか。使い難いな。
………………成る程な。確かに魔力塊のサイズを上げると面が広がるから威力は分散する。しかし、大きくなった分、接触範囲も拡大する。こうなると近距離で使うと自分にも爆発の余波が来てしまう。常に被ダメ覚悟で使うとか有り得ないだろう。
「………………正立方体が有るのは仕方が無いが、分割は出来無いのか?」
そう思いながら掌に浮かぶ魔力塊を八等分にするイメージで投げてみる。
すると、一辺5cmの正立方体、八つに分割され、そのまま海面に触れて爆発。しかも、一つの爆発の規模は小さくなっている。
思わず、拳を握ってしまうのは仕方が無い事だ。
今度は掌に浮かべたまま八等分に分割してみる。浮かんだ状態のままでも八分割され、その状態でも維持される事を確認したら、八つの内の一つだけを左手から右手へと移す。手から手に移せる事は彼も遣っていたから可能だと判っていたが……問題無く出来て一安心。彼の時とは状態が違うので成功して良かった。失敗していたら自爆する所だったので。
右手に移した一つを海に向かって投げ放ち、その威力が下がっている事を確認。二つ目、三つ目と、続けてみて全てが同じ威力である事が判った。
四つ目を右手に移し、更に八等分するイメージで投げ放つと、分割され、更に威力が小さくなる。
一つが一辺2.5cmの正立方体の魔力塊の威力は通常時に比べれば格段に低い。それでも彼の魔法の威力よりも上なのだから、格差が凄まじい。
残っている四つを海に放ち、新たに作り出すと、今度は一気に六十四等分。成功したら、海に。
再び新たに作り出し、更に分けて五百十二等分。一辺が1.25cmの正立方体に。その一つで砂浜の小石を狙ってみると──弾き飛ばした。その威力が彼の魔法の威力と同程度。何も言えなくなった。
気を取り直して、更に小さく出来るのかを試す。しかし、それ以上の分割は出来無い。
使う魔力量は変えず、20cmの魔力塊を作って、其処から四千九十六等分。今度は出来た。
どうやら、分割の方も最小サイズが有る様だ。
因みに、その魔力塊一つの威力は子供が触れても本の少しだけ衝撃を感じる程度。好奇心から自分で試してみたが、痛みという痛みは感じなかった。
次は魔力塊を、掌から離れて自分の周囲を衛星の様に軌道周回するか試してみる。
制御下に有りさえすれば、多少は自分から離れた状態でも大丈夫な気がするが……大丈夫の様だ。
そのまま数を増やしてみると…………どうやら、正確に把握している限りは増やせる。だが、魔力塊同士が打付かっても爆発するので要注意。
自分から離せる距離は……………………20mが限界みたいだ。それも一つだけの場合に限る。
近い程に数量を。少ない程に距離を。
使い方次第では色々と出来そうだ。
それから魔力量を増やしてもみる。勿論、慎重に増やしながら。如何に見え難くても、遣り過ぎれば誰かに気付かれる可能性は否めないのだから。
そんな調子で彼是と試したりしていて気付けば、正午を回っていた。用意して置いたサンドイッチで昼食を済ませ、再び──とはせず、気晴らしに少し付近を散策する事にする。遣り過ぎれば目立つから意識的に適度に違う事をして自重する為に。
自宅から来た方向とは逆の砂浜の西側に向かう。海岸の端で岩肌を削って作られた階段を見付けた。上って行くと途中で横道と合流。その先に駐車場が見えたので、横道が後に付けられた事が判る。
其処から緩やかな舗装された上り坂が続いた先に石段と大鳥居が姿を見せる。どうやら神社の様だ。地元民の筈だが、彼の記憶には無かった事も有り、行ってみる事にする。
石段を上りながら、生い茂った木々の向こう側に空と海を臨む景色を楽しむ。
正直、何故、彼が来た事が無いのかは判らない。もしかしたら、事故で両親を亡くした事で神頼みを止めたのかもしれないな。
ただ、そういう神頼みは個人的には違うと思う。同時に信仰心の押し付けもだが。
石段を上り切ると、何処か懐かしさを覚える姿の本殿が自然の中に、ひっそりと、しかし、厳かに。恐らくは3年前から変わらないまま此処に在る。
そう思うのは、やはり神社という神聖さからか、或いは日本人としての潜在意識からなのか。
まあ、何にしても折角来たのだから参拝をする。念の為に財布も持ってきておいて良かった。
「御賽銭を入れても無駄なのにな」とか現実的な話は考えない様にする。今の自分の状況を考えれば神の様な存在が関わらなければ不可能だろうから。此処は素直に感謝を祈りに込める。
「この世界に来させてくれて有難う御座います。御陰で心から生きる事を楽しめます」と。
「…………いや、流石に罰当たりだよな……」
無人の神社。普段は入れない中にも、今であれば入って見る事が出来る。「何かを盗む訳ではない、見るだけだから……」と囁く甘い誘惑の化身は更に一言「誰にもバレないって」と後押ししてくる。
まあ、そんな不敬な真似はしないが。興味が無いという訳ではないので、中には入らないが敷地内を歩いて見て回る。未練がましく見えそうだな。
最後に携帯で海を見渡す眺望を撮影して、上った石段を下って行く。
頭上には立派な桜の木々が枝を伸ばしているが、まだ蕾のまま。満開となれば絶景だろう。
「────────っっ!!??」
そんな事を考えていたら、足元が抜け落ちる様な感覚と共に、視界が歪む──否、視界だけではなく自分も、周囲も、世界の全てがグニャリと、液体が混ざり合うかの様に、くねり、うねる。
「────っ、ッハアッ、な、何だ、今のは……」
気付いた時には地面に手を、膝を着き、踞る様に倒れ込んでいて、思い出した様に息をする。
それは違和感と言う様な生易しいものではなく、心身共に内外から混ぜられた様な気持ち悪さ。
そんな経験など無いが言い表すのなら……いや、それでも言い表せはしない。兎に角、異質。
何が何だか判らない。頭の中も混乱しているから先ずは呼吸を整え────
「────地面?」
目の前に見える、両手が触れている、土。
それに気付いた瞬間に身を跳ね起こし身構える。同時に周囲を見回し──首筋を冷や汗が流れる。
「……まさか、ダンジョンの中なのか……?」