第4話「いってきます!」
第4話「いってきます!」
ベローチェは回復魔法に関する本を読みながら、今後のことについて考えていた。毎日、同じことを繰り返す日々に飽き、刺激を求めて外に出たはいいものの、「何を」「どうするか」を具体的に決めていなかったのだ。
このまま師匠の家で本を読んでいては、城にいた頃と全く変わらない。
端的に言うと、ベローチェは旅に出る口実が欲しかったのだ。これは魔法の研究と同じで、まずはテーマを決め、それから仮説を立て、実験する。彼女は出不精である。
出不精が、出不精ゆえに日和っているのだ。
悩みに悩むベローチェへ唐突に声がかかった。
「お前って、旅に出るの下手くそだな~」
「な……っ!」
ベローチェは驚きのあまり本を落とした。「下手くそ」そう言いのけたのは、カルミアだった。カルミアは本を拾い上げ、軽く埃を払ってやると、元の棚へ戻した。
「お前は、つまらないから外に出てきたんだろう? じゃあ、つまらないなら楽しいことを探せばいいじゃないか」
「そ、そういうものなのか……?」
「そういうものなんだよ。そうだ! 師匠として、一つ教えてやろう……」
どうせしょうもないことだろうと、ベローチェは聞き流すつもりでカルミアの言葉に耳を傾けた。
「――旅に出るのに理由なんていらないんだよ」
不覚にも胸が鳴ったベローチェは、傍らに立っていたスカビオサへ問いかけた。
「スカビオサ、旅は楽しいか?」
「……はい、風は冷たく荒野が広がろうとも、ベローチェ様の目には違って見えることでしょう。俺の目には、暖かな風の中で、草原を走り回る貴女の姿が見えます」
するとスカビオサは、ベローチェへ跪き、彼女の手を取った。
「ベローチェ様、俺と一緒に……世界を見ませんか?」
スカビオサの言葉によって、またしてもベローチェの心は揺らいだ。顔が一気に熱くなり、スカビオサの言葉を聞いた後は、まともに顔が見られなくなる。彼女の心の均衡は乱され、眉を寄せ、唇をきゅっと結ぶことしかできなかった。
(先程の言葉といい、忠誠を誓うだとか……一体、何を考えてるんだこの男は!?)
耐えられなくなったベローチェは、勢いよく言った。
「旅に出る! 支度をするぞ!!」
「はっ!」
興奮するベローチェ達に対し、カルミアは白けた目で見ていた。
(……さながら、姫と騎士……。にしても、騎士の……「スカビオサ」と言ったか? どこかで見たことあるような……?)
カルミアの違和感をよそに、ベローチェは工房の外にある倉庫へと向かった。
「これとそれとあれ、あとは……ええい、持っていけそうなものは持っていくぞ」
ベローチェは、小さな袋を取り出すと、呪文が描かれた羊皮紙や魔力の込められた瓶、傷薬などの医療品をできる限り詰めていった。回復薬を目にしたスカビオサは不思議そうに尋ねた。
「ベローチェ様、薬など無くとも回復魔法を使えば良いのでは……?」
「バカめ、回復魔法というのは確かに、傷を一瞬で治せるすごい魔法だが、あれは人体の再生能力を補助しているだけなんだよ」
「加えて、人の体というのはかなり阿呆でな、魔法にばっかり頼っていると、治さなくてもいいと認識して、本来の体の再生能力が著しく低下するんだ」
「師匠は私にこうも教えた。『軽傷なら薬を、中傷なら魔法を、重傷なら魂を』と……」
人体には魂の源「プシュケー」が宿っている。それは有限であり、湧き水のように無限に湧き出てくるものではない。
魂は、人で言う寿命に該当する。ここでいう重傷というのは「瀕死」を意味し、「瀕死」の人間を救うには詠唱者自身の寿命を分け与える必要があり、詠唱者の熟練度にもよるが、最悪、死に至ることもある。
つまり、自身の魂を以て他者の命を救うのだ。
ただ……死者の蘇生は重い代償と膨大な魔力がかかるため誰も率先して、覚えようとはしない。一部の者は倫理観に苦言を呈し、忌み嫌うほどだ。進んで修得した者は相当な変人だろう!
――その変人の一人はカルミアである。
話の流れに乗ってベローチェは、スカビオサを指で差しながら極めて真面目に言った。
「そして私は、回復魔法が使えない」
「なんと……!!」
この時、スカビオサに電流が走った。ベローチェはがっくりと項垂れながら、ぼそぼそと愚痴りだす。
「回復魔法は何度やっても陣すら出ないし、何なら魔力の放出さえ確認できない……そりゃ何度も本を読み返したさ、回復するイメージを強く持って手をかざしたよ、ええかざしたさ! ……でも、できなかったんだ」
ベローチェを慰めようと、スカビオサは自身のことを口にした。
「ご安心ください。ベローチェ様、俺に物理攻撃は効きません」
「なんだそれは、どういう仕組みだ?」
「お、おやめください! ベローチェ様!!」
「ええい、私に見せろ!」
好奇心に駆られたベローチェはスカビオサの鎧を剥ごうと、両手をわしわしと動かした。
「人んちの倉庫でイチャイチャするなよ~?」
カルミアによって、ベローチェの手から免れたスカビオサは、身なりを整えながらやや恥ずかしげに咳払いをした。
「いちゃ……そんな不埒なことはしていない!」
ムキになるベローチェを窘めつつ、カルミアは二人を夕食に誘い、新たな旅路に胸を躍らせながら、朝を迎えた。
鳥の囀りで目を覚ます。淑女は小袋を腰に下げ、騎士は剣を振り、武器の具合を見る。
「よし……」
「おはよ、もう行くのか?」
最終確認を終えたベローチェへカルミアが声をかけた。ベローチェとスカビオサは揃って返事をし、自信に溢れた表情を見せた。
「ああ」
「はい」
カルミアが親指を立て「いってらっしゃい!」と口にすると、ベローチェは大きな声で言った。
「いってきます!」
◇◇◇
「さて……」
ベローチェとスカビオサを送り出したカルミアは、弟子によって捨てられた国の方を見つめた。あの国には大量の民が残されている。
「あの国の名前を決めていなかったな……」
カルミアは表情を明るくした後、瞳を伏せ、にたりと微笑む。
実験場の名前は……――「シャーレ国」にしよう。