二日酔い
朝起きた時、英人は例のごとく記憶を失っていた。
何の事はない。
一杯だけと心に決めていたどぶろくが一杯どころではなくイッパイだっただけの事だ。
英人は自己嫌悪から布団に寝ころんだまま頭を両手で抑えた。
「英人君そろそろ起きたかしら?」
百合佳の声が聞こえると同時にふすまが開く音がした。
「あ、はい。もう起きてます」
気恥ずかし気に答える英人の姿に、彼女は何かを察し笑みを浮かべた。
「そうよね。若いから朝は大変よね?……お姉さんも手伝う?」
「いえ。そういう事じゃありません。着替えるのでふすまを閉めて出て行ってください」
あらあらと言いながら部屋に入ってくる百合佳を追い出し、頭痛に耐えながらパッパッと着替えを済ませると居間に向かった。
「おはようございます」
「おはようございます」
「おはよう」
英人の挨拶に皆がそれぞれ挨拶を返す。
醜態を晒しながら、誰もそれを咎めようとしない英人にとってはありがたい事態であったが、居間の光景を見てそれを喜ぶどころか顔を強張らせる結果となった。
「やぁ、ずいぶんと早い起床だね」
それは我が家にいるかのごとき図々しく尊大な態度で、ちゃぶ台に肘をつき携帯端末をいじりながら優雅に朝食をとる螢の姿とその正面でしかめっ面でニュースを眺める哲将が原因だった。
なんとも居心地の悪い空気の中、明日香が我関せずと英人の分の朝食を運んでくる。
「ありがとうございます……でもそんなに食べれないです」
「朝食はたくさん食べないともちませんよ?もし食べきれなかったら残してくれていいですし」
淡々と山盛りのご飯をよそう明日香に英人は父方の祖母の家を訪ねた時の事を思い出した。
田舎の女性は男はみんな腹ペコで大喰らいだと思っているのかと思案しながら英人はなんとも言えない表情で周りを見渡した。
挑発気味に悠然とする螢、イライラとする哲将、何を考えているのかわからない明日香、いつの間にか消えている(逃げた?)百合佳。
「頂きます」
「どうぞ召し上がれ」
この光景を見ているよりはマシと英人は湯気を上げるみそ汁に手を伸ばした。
現実逃避から食べ始めた朝食であったが、自家製の味噌を使ったみそ汁、島の物であろうアジの一夜干し、子供の頃は苦手だったおひたし。
貧乏学生の一人暮らしでは、まず食べられない丁寧な朝食に多いと思った山盛りの白米はするすると胃袋に消えていった。
「失礼します」
食べ終わる直前、明日香は沢庵を小皿に乗せて出し空になった茶碗にお茶を注いだ。
「ありがとう」
英人は沢庵とお茶で茶碗を洗うようにして飲み干す。
今のご時世に一般家庭で洗鉢が残ってるとはと驚きつつ英人は明日香の顔をまじまじと見た。
一見無表情で感情が読み取れない少女だが、その所作、行動は落ち着き、洗練されたものがあると英人は感じた。
「英人。もう少ししたら出るが準備はいいか?」
人心地ついていた英人に哲将がそう声をかけた。
準備と言われても、英人が何か持っていく必要なものもなし。
強いて言えば気持ちくらいのものだが、そんなものどうしようもない。
英人は一応財布がある事だけを確認するともう大丈夫だと哲将に告げる。
「ああ、ちょっと待った」
出かけようとした英人を呼び止めたのは、携帯端末を弄りながら顔も上げない螢だった。
「携帯端末を無くしたんだろ?代わりにこれを持っていくといい」
そう言うと、彼女は今弄っている物とは別の携帯端末を無造作に英人へ投げて渡した。
「おっと!……いいんですか?」
英人はそれを危なげにキャッチした。
「無いと不便だろう?それから落とした君の端末も探しておいてあげるから番号を教えてくれないか?」
「いや、さすがにそこまでしてもらうのは……」
螢は口端をわずかに上げ、ゆっくりと立ち上がり遠慮する英人に近づく。
「祭りの練習の見学も断られたからね。海は荒れて帰る事も出来ないらしいし、こんな辺鄙な島じゃ他にやる事もないからね」
螢が挑発するように哲将を見ると、彼は苛立たし気に顔を逸らした。
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