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夕食にはビールをつけて欲しい

「いやぁ、助かったよ。まさか宿の一つもない島だったなんて思ってもいなかったからね」

 風呂上りのそれも女性の馨しい香りが英人の鼻腔をくすぐる。

 蛍は湯煙を纏い未だ雫を滴らせる髪を拭いながら、百合佳から治療を終えたばかりの英人に歩み寄った。

「どうだい調子は?」

 彼女はそう言いながら彼の身体を覗き込んだ。

 身体に塗られた軟膏の独特の臭いが鼻につく。

 不器用ながら体中に巻かれた包帯やシップが痛々しいが、それだけ済んでいるという事は、骨折も無く打ち身や擦り傷程度で済んでいるという事だ。

「ええ、意外と丈夫だったようで、痛みはありますがもう動くに支障はありません」

 驚いたといった表情の英人に蛍も驚いたと大げさに眉を動かした。

「サモンさんが家の英人を早くに見つけてくださったお陰で大事なくすんだ。感謝している」

 哲将はそう言って頭を下げると食器を運んできた明日香、薬箱を片付けた百合佳もそれに習った。

「何、人として当然の事をしたまでだけど、礼を言うならボクの事は蛍と呼んでくれないかい?」

 そう言って軽薄な笑みを浮かべる蛍に、哲将は眉一つ動かさず答えた。

「例と言ってはなんですが、サモンさんには本土行きの船が出るまで我が家でお世話させていただく。何か入用であれば百合佳に言いつけて下され」

「それはありがたい。さし当たって二つほどお願いが──」

 哲将は黙って蛍の目を見たまま続きを促した。

「──まず夕食にはビールをつけて欲しい」

 哲将は黙ったまま百合佳に目で指図をした。

「ええっと、年齢的に大丈夫なのかしら?」

 耐えられなかったのか、百合佳が当然の疑問で場の空気を換えようとするが、蛍は鼻で笑うだけだ。

 その態度に流石の百合佳も腹を立てたのか、すっと立ち上がり台所に消えていく。

「それから、ボクの事は蛍と呼んでくれ」

 哲将は何も言わず、百合佳は黙ったまま数本のビール瓶とグラス、やぐい飲みを並べる。

「あ、俺もビールにしてもらって良いですか?」

 英人が沈黙に耐え切れず、目の前に置かれたどぶろく様のぐい飲みを口実に声を上げた。

「島の酒は口に合わんか?」

 哲将が聞いた。

「いえっ!けっしてそういうわけじゃなくて……ビールが好きなんですよ!」

 機嫌を損ねたかと思った英人は慌ててそう答えた。

 半分は空気に耐えきれず何か話そうと口にしただけだった、そして、実のところ昨日飲んだどぶろくは口に合っていた。

 酒を飲み始めて何年も経っていない彼にとって、ビールは最初の一口すら苦く飲みにくい代物。

 対して昨日初めて飲んだどぶろくは甘く口当たりもよく、今まで飲んだ酒の中でもっとも合っていたと思えたくらいだ。

 そして、それがよくなかった。

 口に合いすぎ、気付いた時には朝になっていたほど飲みすぎてしまったのだ。

 身内でありながら美人だと思ってしまう女性の目の前でそのような醜態を晒した事は、若い英人にとって耐え難い屈辱。

 そして、今夜は更に一名、一見幼い少女の外見とはいえ、息を飲むほどに美しい女性まで加わり、またそのような醜態を晒すなんて事態は、初々しい彼の自尊心が許さなかった。

「そうか……しかし、この酒は島の伝統、最初の一杯だけでも付き合ってくれんか?」

 哲将は納得しつつもそう言ってどぶろくの瓶を軽く掲げ、勝手に英人の前のぐい飲みに僅かに黒い独特のどぶろくを注いだ。

 これには、英人も困りどうしようかと考えていると、自身のぐい飲みにもどぶろくを注いだ哲将が懐かしそうに呟いた。

「少し前は哲元てつげん哲次てつじともこうやって飲んだんだがな……百合佳は下戸で明日香はまだ飲めんでな」

 それは反則だろう。

 英人はそう思いながらぐい飲みを手に取った。

「では、一杯だけ」

 二人がぐい飲みを軽く掲げ呷った。

「お父さん達もう飲み始めて!料理くらい待ったらいいのに!」

 そう言いながら台所から出てきたきた百合佳が各々の目の前に料理を並べるとなし崩し的に夕食が始まった。

「そういえば、祭りでは何をすればよかったんでしたっけ?」

 英人は、昨晩の記憶を完全に失っているなんて情けない事実がバレないように細心の注意を払いつつ尋ねた。

「ああ、詳しくは言わなかったかな?代々鈴藤家のお役目の儀式に出てもらうぞ」

「は?」

 予想以上の答えに英人の素が出た。

 しかし、哲将は気にせずぐい飲みを呷ると話を続けた。

「去年までは哲元、お前の従兄弟叔父と一緒にしておったのだがな」

 それを言われるとなかなか断り辛く、しかし、受けてしまっても鈴藤家の跡継ぎとなる既成事実を作られる事にもなりかねない。

 英人は亡き祖母がこの島を捨て理由を想像してしまった。

「いやでも、俺儀式どころか祭りの事何も知りませんよ?」

 大学の専攻がそうであるように、片田舎の祭りに興味がないといえば嘘になる。

 しかし、それは英人の趣味の話であり、鈴藤家を継ぐだのこの島の伝統を背負い込むような覚悟はなかった。

「問題ない。役についてはワシとおじゅっさんが慣れておる。明日一日練習すればお前も十分出来るようになる」

 儀式の内容は知らないが、失敗しても成功してもこれを受けてしまったらなし崩し的に後取りコース一直線になると英人は焦った。

「いや流石に一日じゃ──」

「面倒な儀式的な部分はワシ等でやる。お前のやる事は本当に最後だけじゃて心配いらん」

 更にぐい飲みを呷った哲将が意志の強い目で英人を見据えた。

 その圧力に耐え切れるほど英人の気は強くなかった。

「……わかりました」

 まだ何とかなると自信を騙すように諦めた英人とは対照的に哲将と明日香達の表情は嬉しそうに笑い英人のぐい呑みに酒を注ぐ。

「その祭りの練習、後学の為に見学して構わないかな?」

 既に二本目のビールを継ぎながら蛍がそう申し出た。

「この島の者でない人間に見せては皆良い顔はせん。申し訳ないが勘弁願おう」

 すぐにそう断った哲将の顔に先ほどまでの喜びは消えている。

「鈴藤家はこの島の名士なんだろう?跡取りの恩人の為に何とかして欲しいものだけど?」

「名士だからこそ島の事を第一に考え、規範となる行動をとるべきだとワシは考えておる」

 悪戯っぽく探りを入れるような蛍の言葉を哲将は一蹴した。

「これは失礼。確かにその通りだ」

 以外にも蛍は素直にそう言って頭を下げた。

 しかし、下げた顔の表情は何か企んでおり、その顔を覗き見た英人に対しウインクをしてみせた。

「それならボクは明日一日、観光でもしているよ」

 英人は不安を飲み干すようにぐい呑みを呷った。




読んでいただきありがとうございました。


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